五月のプロムナード

五月のプロムナード用写真


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 樸の五月の佳句を、季節のうつろいにあわせた並び順で鑑賞していきます。薫る風を胸いっぱい呼吸しながら散歩するように、楽しんでいただけましたら幸いです。
 なお樸では、仮名遣いの新旧をめぐる作者の選択を尊重しております。仮名遣いや音の印象をふくめて、作品を絵画としても音楽としてもどうぞ自由におうけとりくださいませ(大井佐久矢)。

鑑賞 恩田侑布子 

みかん咲く富士も港も香の中に
            原木栖苑

 静岡は香りの国。五月は新茶の芽吹とともに、蜜柑の花の香に里山が満たされる。ことに山窪は甘い清純な香りの坩堝と化し、壺中の天地のよう。作者ははじけるような白い花かげから富士を仰ぎ、清水港を見下ろす。そのとき、まるで円光に抱き取られているかのように、富士も港も、シトラスの芳香のなかにあることを確信した。柑橘のケラチン質の葉の緑。富士の頂と山腹の白と青。港の彼方にひろがる駿河湾のきらめき。地貌俳句にして、北斎の富嶽三六景さながらの大柄俳句といえよう。蜜柑の清楚な花が、極大の海山を包み込んでしまうところに一句のダイナミズムがある。さりながら、読み心地は蜜柑の花のように、あくまで可憐。

薔薇という字の貌をしたバラのあり
           久保田利昭

 飄逸。笑える。名は体を表すどころか、字は体を表すという。ドライな見方はあんがい薔薇の美を言い当てている。薔薇をバラとカタカナ表記し、顔を貌としたことで、気品ある薔薇のかなたに、気位の高い絢爛たる女性の姿が揺曳する。A音七音と口語調が明るい開放的な夏の陽光を感じさせ、内容の現代性にマッチしている。大胆な機知が光るこんな句を読むと、俳句文芸には、理系文系の垣根がないことがわかる。湿度がないのがいい。

ばら2

塔高く薔薇の花束抱く子かな
            佐藤宣雄

 文句なく美しい句。フランスやイタリアの田舎にある教会で行われる結婚式の光景だろうか。塔の下に、天使のように盛装した子どもが赤や白の薔薇の花束を抱いて、新婦が来るのを待っている。結婚式と限らなくても、何かお祝いの式が始まるのだろう。その予兆のように、句の調べにも胸の高鳴りがある。塔の上からカリヨンが聞こえてきそう。

若葉雨大関負けてひとり酒
            松井誠司

 「若葉雨」と「大関負けて」の措辞が音楽性ゆたかに響きあう。横綱ではこうはいかない。判官贔屓の人の胸の内にはいつも清らかな流れがある。若葉雨もきっとそこに流れ入るのだろう。若葉色の雨しづくが、やわらかでなつかしく、ひとり酒のしめやかさに明るさがある。作者はまだ日のあるうちからきこしめしている。高級酒ではなさそうなところもいい。

パラソルを廻しつゝ約束の時
           樋口千鶴子

 日傘を肩にくるくる回しながら好きなひとを待つ。可憐で初々しいしぐさにドラマが仕込まれている。句跨りのリズムの屈折が絶妙なのである。そこから胸のときめきと、かすかな不安が同時に伝わり、こちらまでドキドキさせられる。これからどうなるのだろう。二人は、わたしたちは。ここにあるのは有無をいわせぬ若さである。二度と帰らない若き日のはじけるような日差しの純白。

漕ぎ出す大漁旗や夏の蝶
             西垣譲

 小さな漁港から色鮮やかな大漁旗を掲げて出港する漁船。可憐な春の蝶とはちがって力強い生命力に溢れた夏蝶が、船に競うように海上をついてくる。波の青々したうねりまでみえるようだ。緑の山が漁村の低い甍に迫る日本の津々浦々の風景が浮かぶ。掲句は、西伊豆海岸にある漁港の祭り風景かもしれない。「出す」がいい。「出づる」ではよそ事になり、「出しし」では、たんなる風景になる。「いだす」で勢いがつき、海の男たちと夏蝶の双方に、いのちの体重がかかった。

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