七月のプロムナード

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樸の七月の佳句を恩田侑布子が鑑賞していきます。
生命力が立ち昇るかのような夏空を、思い浮かべて楽しんでいただければ幸いです。(山田とも恵)

≪選句・鑑賞 恩田侑布子≫

かき氷食べて君等はまた魚
            伊藤重之

 不謹慎にも井上陽水の「リバーサイドホテル」を思い出してしまった。「ベッドの中で魚になったあと川に浮かんだプールでひと泳ぎ」というあの頽廃(たいはい)的な歌詞を。だがこの句は、昭和のスノビズムを揶揄した陽水とは対照的な若い健康さを持ち味とする。まだ脂肪がどこにもついていない十歳前後の少女たちはほっそりした魚のよう。かき氷を食べた後も平っちゃらで泳ぐ。少女らのさざめく笑いがいまにも聴こえそう。ぴちぴちした身体が享受する夏のよろこびが清潔にいいとめられている。K音の五つの響きが、澄んだ水とはじけるような肌にマッチして、この上ない清涼感をもたらすのである。

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雲の峰登山者のごと君や逝く
           藤田まゆみ

 一読、衝撃の句。雲の峰も登山も夏の季語だが、前者が季語として盤石の存在感を示す。雲の峰を登攀(とうはん)するように「君」、すなわち愛する伴侶はこの世を旅立った。壮絶な最期だった。生前、山男であった夫君に連れられ、作者も不承不承ながら山によく登ったという。そのとき尾根の上にオブジェのような夏雲がかがやいていたに違いない。頑健そのものの人が、まさか六〇になったばかりで逝ってしまうとは。雲の峰を登って羽化登仙してほしいという願いをにじませつつ、この句のよさは何といっても虚実の迫真的な混交にあろう。あの日の登山が壮年の真夏の死の床にフラッシュバックする。あなたは死んだんじゃない。巨大な雲の峰を登りおおせたのよ。「君や逝く」にこもる妻の慟哭は、山男の天晴れな生き方を永遠に讃えている。

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言ひたきこと口には出でず遠花火
           戸田聰子

 いちばん思っていることは、特に好きな人を前にすると口にしづらい。頭上に炸裂する花火ならば、音に紛れて目くばせもできよう。だが作者は、遠花火の眺められる場所に、その人とゆくりなくも居合わせたにすぎなかった。大切なことばは「いつも忘れていませんわ」であっただろうか。「夢でお会いしますわ」であっただろうか。中七が「口には出さず」であれば凡句だが、「口には出でず」で、にわかに秀句の気品を備えた。遠い甍(いらか)の上に音もなくはじける花火を、抑え続けた情念がいっそう鮮やかに切なく彩り浮かびあがらせるのである。ぎこちない沈黙の意味を、その人は果たして受け取ってくれたであろうか。

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