7月21日 句会報告

photo by 侑布子
photo by 侑布子

7月2回目の句会が行われました。今回の兼題は「空梅雨」「夏野菜」。
水不足が叫ばれつつある今日この頃。静岡市内の川も水の流れが途切れる瀬切れ現象が起きたと句会でも話題になりました。いつの時代も “空梅雨” は死活問題ですね。

掲載句の恩田侑布子の評価は次の表記とします

◎ 特選  〇 入選 【原】 原石 △ 入選とシルシの中間  ゝ シルシ

それでは高点句を中心に取り上げていきます。(特選句はありませんでした)

              
〇遣り水をとり合ふ桶の茄子トマト
             松井誠司

「茄子トマトが“とり合ふ”という、擬人化が成功している句」
「擬人化は面白いが、採るどうか迷った句。 “とり合ふ”が良さでもあり、限界でもある」 
と、俳句で成功するのは難しいといわれる擬人法について意見が交わされました。
恩田は、
「疎水から裏庭の桶に水を引き、その中で茄子とトマトが回転している様を擬人化している。擬人化だけでなく“茄子”“トマト” 季語が二つだが、茄子紺と赤の二色と形態が映発して美しい。しろがね色の水のひかりも勢いよく感じられる。夏の清涼感、取り立て野菜の生命感を感じ、擬人化が成功している」
と講評しました。

              
〇家なべて小橋を持てり誘蛾灯
             杉山雅子

合評では、
「京都の貴船あたりが思い浮かんだ。景がよく見える」
「自分の家のためだけに橋を持つ、という豊さを感じた」
「三島辺りの風景か。うまい句と思う。水音も聴こえてくる。でもイメージがやや古いかなぁ」
恩田は、
「家々の生活の奥深さや、佇まいが感じられる句。誘蛾灯というやや薄気味悪い季語のなかに、それぞれの家のうかがい知れぬ妖しさがあり、そこには水生生物の蠢きも感じられる。疎水沿いの邸宅、上賀茂神社か、嵐山のあたりかもしれない。良い風景句」
と講評しました。

              
〇駅頭に布教のをみな旱梅雨
             山本正幸

合評では、
「熱心に布教する人と、興味なく素通りする人、駅頭の決して交わらない風景をとらえた句で面白い」
「“旱梅雨”という季語を持ってくることによって “布教”を否定的(マイナスイメージ)にとらえているような気がする。句作の難しいところだ」
恩田侑布子は
「宗教に走る人、目の前の日常を生きるのが精いっぱいでそこに目もくれない人、まさに交わらない現代社会の人々を描いている。旱梅雨という季語が動かない 」
と講評しました。

 句の鑑賞が終わった後は、恩田が静岡新聞夕刊に 毎週水曜日連載中のミニエッセイ「窓辺」について、感想を語り合いました。この連載を機に静岡県内の方々が俳句をより身近に感じたり、何気なくある風景にときめく機会が増えるといいなと思いました。筆者は県外在住ですが、静岡の豊かな風景に来るたび、ときめいています!次回の兼題は「金魚・汗」です。(山田とも恵)

photo by 侑布子
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