8月11日 句会報告

8月1回目の句会。世間のお盆休みを尻目に本日も熱い議論が交わされました。
兼題は「汗」と「金魚」。入選3句、シルシ11句という結果でした。
高点句を紹介していきます。恩田侑布子特選はありませんでした。

photo by 侑布子
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掲載句の恩田侑布子の評価は次の表記とします

◎ 特選  〇 入選 【原】 原石 △ 入選とシルシの中間  ゝ シルシ

                      
〇らんちゆうや美空ひばりといふ昭和
             伊藤重之

合評では、
「景がすぐ浮かぶ。美空ひばりは姿やイメージがまさに“らんちゅう”だった」
「昭和を背負い、昭和とともに去っていったのが美空ひばり」
「いや、その形からして“らんちゅう”は、美空ひばりとは合わないのでは??」
「天童よしみなら合いますかね」
などの感想、意見がありました。
恩田は、
「美空ひばりはその顔の大きさからも“らんちゅう”そのもの。日本髪や衣装も豪華で存在感抜群の歌手で合っている。ただし、“といふ”に理屈が残ってしまったところが惜しい」
と講評しました。

                      
〇掬はれて般若心経聞く金魚
             佐藤宣雄

「お経と金魚の取り合わせが面白い。祭りで掬われて来た金魚。くよくよするな、イライラするな、というお経の声。滑稽味のある句」
「長く人生を生きてきた人。毎日、一人でお経のお勤めをしてきたが、今は金魚も一緒にそれを聴いて、気持ちを共にしている」
「縁日で金魚を掬い、持ち帰ったところがお寺だった。“掬はれて”には“救われて”の意味もあるのでは?」
「上五の場面展開がやや苦しい気がする」
との感想、意見。
恩田は、
「ユニークで面白い句。掬った子どもが世話をしているのではなく、仏壇のある部屋で飼われている。そこでお爺さんがお経をあげているのでは」
と講評しました。

                     
〇夕づつや金魚の吐息我が吐息
             荒巻信子

恩田は、
「リフレインがきれいである。紺青の空のもと、金魚鉢にため息が聞こえる。やるせないが可愛いため息。宵の明星と反映して一層可愛く感じる。自分-金魚鉢-夜空、とまどやかな天球のような広がりがある。聴覚も刺激し調べがよい。“夕星”と“金魚の吐息”に詩がある。少し表記を変えたい」
と講評し、次のように添削しました。

 夕星や金魚の吐息わが吐息

「“星”と表記すると秋を思わせる懸念があるとすれば、原句どおり“夕づつ”がいいでしょう。“我が”は“わが”とやさしくひらきたい」

 夕づつや金魚の吐息わが吐息

                         
本日の兼題の「金魚」。次の句が紹介されました。

金魚大鱗夕焼の空の如きあり
            松本たかし

恩田侑布子の解説は次のとおりです。
「金魚の美しさに子どものように感動している。小さなものを夕焼けの空と赤さに喩えている。レトリックだけで作っていない。“直喩”は“俗”になりやすいと言われるが、この句は大胆に焦点を合わせている。“如く”だと散文的だが、“如き”としたことで、小さな切れが生まれ、句全体に反照し響く。句の世界が提示されるのである」

[後記]
本日の句会のテーマはまさに「散文ではない俳句を作りましょう」。
いつにも増して厳しく恩田侑布子は次のように指摘しました。
「今回、“散文の一行”のような句が多く見られました。俳句には詩がなければなりません。詩が発見されないと、たとえ切れ字を入れたとしても切れず、どんな余白も余情も涌いて来ないのです。日常に寝そべった気持ちで作ると、ほとんどが散文になってしまいます」
 筆者としては何度も肝に銘じてきたことですが、つい説明したくなってしまって・・・。
次回兼題は、「蛇」と「桃」です。(山本正幸)

photo by 侑布子
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