11月17日 句会報告

11月2回目の句会が行われました。静岡市街は温暖な気候のせいか、ゆっくりと紅葉が進んでいるようです。
今回の兼題は「猪・鹿・柘榴」。人によっては食欲をそそる季語ですね。今回は色調豊かな入選句が4句出揃いました

藁科川の上流、静岡市葵区坂本・清源寺大榧前で清澤神楽の話をお聞きして photo by 侑布子
藁科川の上流、静岡市葵区坂本・清源寺大榧前で清澤神楽の話をお聞きして photo by 侑布子

              
〇秋夕焼文庫百冊売つて来し
             山本正幸

合評では、
「サッパリした爽やかさと、淋しさが出ている。複雑な心理状況」
「百冊とは結構な量なので終活をイメージした。人生の過ぎゆく早さと秋の暮の早さを詠んでいるのでは」
「寺山修司の“売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき”の短歌を思い出した。百冊が効いている」
という意見の一方、「“秋夕焼”と“売って来し”が即きすぎではないか」という指摘も出ました。
恩田侑布子は
「百冊の文庫本に親しんだ思い出と未練が秋夕焼をさらに赤くする。スッキリしたようで切ない夕焼け。すこし墨色を帯びたさびしさ。はかなく色あせてゆく秋の夕日に、文庫本を一冊づつ買って読んだ長い歳月が反照される。青春性の火照りが残っていて、終活というよりも人生を更新したいという前向きさを感じる。古書との別れの季語として秋夕焼は動かないでしょう」
と講評しました。

                
〇仁王門潜れば老いし柘榴の木
             佐藤宣雄

合評では、
「自分の原風景に老いた柘榴の木があるので、柘榴にホッとする気持ちがよみがえった」
「景がよく、中七の調べがよい」
「ただの写生句で、スナップ写真のよう」
「老いた柘榴の木じゃなくても成立する」というように、意見が二手に分かれました。
恩田は、
「一瞬に景が立ち上がる重厚な句。朱塗りと赤、茶と緑の色彩も美しい。仁王門を見つめてきた柘榴の長い歳月が感じられます。「老いし」の措辞に、実はつけていても、木のやつれが浮かび、悟り済ませぬ人間の歳月が裏に重なるよう。二重構造の俳句といっていいでしょう」
と講評しました。

同上・坂本町内で               photo by 侑布子
同上・坂本町内で              photo by 侑布子

〇敬老席どんと座つて運動会
             西垣 譲

「なんでもないけど、なるほどなと思うこういう句が好き」
「俳句じゃなくて川柳じゃないか」
「いや、これは川柳じゃなくて一流の句」
と、軽妙に意見が交わされました。
恩田は、
「連合町内会の運動会の敬老席はたいてい見晴らしのいい場所にある。“どんと”がのさばっている感じで滑稽。が、その裏に、もう花形の徒競走など、イキのいい競技に参加できない一抹の淋しさもあります。俳味ゆたかな句です」
と講評しました。

             
〇兄の如し月命日に台風来
            樋口千鶴子


合評では、
「はじめに“兄の如し”と言い切った。スピード感があり、どんなお兄さんだったかイメージできる」
「追慕の心情が出ている」
と感想がでました。
恩田は、
「上五字余りの重量感のある切れが出色です。お兄さんの死に切れぬ情念が台風になって吹きすさぶように感じた。『嵐が丘』のヒースクリフを思い出します。巧まざる倒置法も効果的です。作者は上手い俳句を作ろうとしたわけではなく、亡き兄の気持ちを慰めたい一心なのだと思います。それが図らずもこういう表現をとった。そこに俳句の懐の広さがあります」
と講評しました。

[後記]
 句会が始まる前、その日に鑑賞する句が並ぶプリントが配布されます。その冒頭にいつの頃からか、恩田侑布子の叱咤激励文が掲載されています。今回は「ただごと俳句や報告句からいかに抜け出すかに配慮し、感動のある一句を!」と書かれていました。毎回この一文を読むと、座禅中に背後から鋭く警策を食らうような痛みとともに、心地よい緊張感が身を貫きます。いかにダラリと座っていたか気づく瞬間です。次回の兼題は「霜・霜除け・落葉」です。(山田とも恵)

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