恩田侑布子詞花集  ちちはは

恩田侑布子詞花集。今回は「もう居らず月光をさへぎりし父母」の句の鑑賞を柱として、折節に恩田が父母を詠った句を取り上げました。あわせて句作の背景にも言及しています。

もう居らず 20171224
                     photo by 侑布子

 

 

 

 

もう居らず月光をさへぎりし父母

 

           恩田侑布子 

 

もう居らず月光をさへぎりし父母

      (『夢洗ひ』所収、2016年8月出版)

両親への追慕の句。月光から自分を庇ってくれた父母はすでにこの世にいない。永訣の深い悲しみが伝わってくる。
詩人で作家の三木卓は、「月光は死のシンボルとはいえないものの、我が子のためにそれをさえぎってくれた両親。両親はそれを人生の味わいのひとつとして浴びていてくれた」と評し、親としての慈しみをこの句から読み取っている。*1) 詩人の眼の透徹力の感じられる味わい深い鑑賞である。

一方で、私は掲句に「相反する心情」を感じ取るのである。単なる父恋・母恋の句ではない。
作者の来歴を知れば、この一句はまた異なった様相を帯びてくる。 
作者である恩田が学生の頃両親は離婚している。それまでの恩田の家庭はおそらく修羅場のようなものだったであろう。家庭は感情の最大の葛藤の場である。恩田は高校の頃、「今日、死のう」と思って登校したことが幾度もあるようだ。
「両親の絶え間ない確執とぶつけ合う醜い言葉の応酬が耐えられなかった。子どもの私は心が母の側にいたので、母が父にぶつける言葉に直接的に傷つき、自殺未遂を繰り返す母の狂言に振り回され、どこにも心が休まるところがなかったんです」と作家吉永みち子との対話の中で恩田は語っている。*2)

そんな恩田を救ったのが、仏教であり、『莊子』であり、俳句をはじめとする詩の世界であった。

 滞る血のかなしさを硝子に頒つ
            林田紀音夫

    
恩田は、「18歳の時、わたしはこの句に出会い、自殺願望を踏みとどまった体験をもちます」と評論集『余白の祭』に書いている。
恩田の母は2000年に、父は2003年に他界している。
句集『振り返る馬』には両親を詠ったいくつかの句が収められている。いずれも両親と過ごしたかけがえのない日々を噛みしめるような句である。(「白光 父母哀傷」の章)
 木葉髪この世に吾をあらしめて
 はやははに凝る血のなし冬没日
 負ぶはれし身に重さなきははを負ふ
 おしろいのはなにかくれてははをまつ
 魂送り月光のほか待ち呉れず 
 ちちははに挟まり泣きし柏餅
 ちちははのささやきかはす桐の花
 ちちははの胸に溶けあふ花火かな
 露の世をけんかしつづけ葛の花
 東西に父母の墓あり夕時雨

また、句集『空塵秘抄』においても次のような句に出会う。
 ちちははや葛原に星近づきぬ
 ちちははに置きかはりたり蟲時雨

句集『夢洗ひ』にも亡き母を詠った句がある。
 灸あとまるきははの背墓洗ふ
 送火を見る乳足らひし ややの如

自分という存在をこの世に生み出し、さまざまな葛藤の中にあったにせよ慈しみ育んでくれたのはほかならぬこの両親である。離婚をし、すでに互いに他人となっていた両親であるが、二人を相次いで失ったことは恩田にとっていかばかりの衝撃であったろうか。

さて、掲句の「月光」をどう読むか。
日本の古典文学は月の美を褒め称えてきた。上代、月は神でもあった。月の美は、女の恋の悲哀感を象徴することもある。
また、月の持つ神秘的な力をドイツロマン派の詩人ノヴァーリスも讃嘆し、月が「太陽の夢」であると言った。
三木のいうように、月光の持つ禍々しい力、死の影に我が子が曝されることを惧れて父母はそれを遮るのだろうか。 

私は、月光という「恩寵」を父母が遮ったのであると読む。その理由は「さへぎりし」の措辞にある。「さえぎる」は、妨げる、邪魔をする、見えなくする、など否定的な語感を合わせ持つ。「庇う」のではなく「遮る」のである。両親の諍いは子どもにとって「月光を遮る」ことにほかならなかった。父母は月光に象徴される外的世界の脅威から自分を護ってくれたのか? いや逆に、外的世界への扉を閉ざした存在だったことの悲しみと痛みがこの句から感じ取れないだろうか。
また、月光を遮った父母も確執の中にあって互いに深い傷を負い、堪えがたい痛みを抱えていたはずである。
ここには両親に対する恩田のアンビヴァレントな心情が投影されている。「父恋・母恋の句」と一言で片づけると句の本当の姿を見誤る。

長らく愛憎の対象であった父母を「もう居らず」と断定し、突き放している。しかし、本当に「もう居らず」なのか?いまだに心の中には、愛を与えまた奪った父母が棲み続けているのではないか。いやいや、「もう居らず」なのだ。死んだのだ、と自分に言い聞かせているかのようだ。「もう居らず」が循環し、倒置法が実に効いている。
さらに、中七から下五への「句またがり」にも作者の揺れる心情があらわれている。
読み手はこの「句またがり」の僅かに停滞する時間のなかで、「さえ」の音を二度聴くここちがするのだ。月光 さえ・・遮った両親なのだ。数多のものを遮った両親。月光までも!という怨嗟にも似た感情が蘇るのではないか。

揺れる心情を抱え、恩田は父母の盆の灯の行方を追う。
 もう見分けつかぬや 他人ひとの流燈と
 (『夢洗ひ』所収) 

掲句にもある「もう」の二音が響き合い、諦念とまでは言わないまでも、今は亡き両親への恩田の静かな追懐の想いが込められているのである。

ここまでで一句の鑑賞文の着地点としては一応の形をなすであろう。しかし、それは鑑賞者側の勝手な満足にすぎないのではないか。「静かな追懐の想い」などと結論づけるのは浅薄ではないのか。どうしようもない親子の関係性へのアンビヴァレントな心情が解消されたわけではなく、生涯それを抱え続けるのだ。

「追懐」などという言葉に昇華しないでほしいという作者の声が聞こえてくるようだ。そのような「鑑賞」を拒絶するものがこの句にはあり、それゆえに、親と子のあわい、生と死のあわいに屹立しているのである。
              (文・山本正幸)

*1) 静岡新聞 2016.9.26
*2) 吉永みち子『試練は女のダイヤモンド』(2016年、ウェッジ刊)

もう居らず2 20171224
                     photo by 侑布子

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です