6月3日 句会報告と特選句

平成30年6月3日 樸句会報【第50号】

20180603 樸句会報1
                     photo by 侑布子

六月第1回の句会です。
特選1句、入選2句、原石賞1句、シルシ5句、・6句という結果でした。
兼題は「梅雨入り」と「ほととぎす」です。
特選句と入選句を紹介します。

(◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間
ゝシルシ ・ シルシと無印の中間)

◎廃炉遠し野の白昼に蛇つるむ
             山本正幸

(下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ)

  
〇梅雨めくや父の書棚に父を知る
            石原あゆみ

合評では、
「父との会話はあまりないのだろう。言葉のやりとりはないけれど、父の本棚を見て父が分かったような気がした。“梅雨めく”がいいと思います」
「本棚を見ればその人となりが分かると言う。お父様がご存命かどうかは別として、ここには父の一面を知った発見があります」
「もういない父なのかもしれない。“こんな人だったんだ”という驚きがある」
「きっと俗世間では派手ではなく、出世や金儲けとは縁遠かった父。その父の深さを感じている」
などの感想が述べられました。

恩田侑布子は、
「男の孤独まで感じさせるいい句だと思います。ついぞ父の本心を聞いていなかったなあ、あんなことも聞いてみたかった、という余韻が響きます。作者の中で父が大きな存在感を持っていることもわかります。書棚に梅雨どきの湿りや黴臭さ、そして過ぎ去った父の日々まで感じられる。季語の付け味がとてもいいです」
と講評しました。

   
〇梅雨ごもり使徒行伝にルビあまた
             山本正幸

合評では、
「キリスト教の使徒行伝ですね。“梅雨ごもり”がなんとなく意味深」
「ルビとか注釈が多いんですね」
「“梅雨”は日本的なこと。“キリスト教”は西洋のこと。その対比が面白い」
などの感想。

恩田侑布子は、
「季語が面白い働きをしています。“梅雨”という日本の湿潤な風土の中、異国の聖書を読んでいる。使徒行伝は新約聖書の一部で、イエスが亡くなった後、弟子たちによって書かれたものですね。荘重な文語訳にびっしり振られたルビが目に見えるよう。異民族が西洋のものを読んでいる。“梅雨ごもり” がそれを際立たせている。理解したいけれど今ひとつしっくりこないというもどかしさが体感的に伝わってきます。本日紹介するクローデルもカトリックの信仰を持っていた人です。姉のカミーユ・クローデルの影響で少年時代から日本への強い憧れを持ち、50代になった大正10年から昭和2年まで駐日大使を務めました」
と講評しました。

投句の合評と講評のあと、ポール・クローデルの『百扇帖』を恩田侑布子が俳句と短歌の形に訳出したレジュメが副教材として配布されました。


20180603 クローデル

             ↑
    クリックすると拡大します

   

連衆の点を集めた俳句と短歌は次のとおりです。

 みづのに水のはしれり若楓

 秋麗にれし漆の眸かな

 無始なるへ身を投げつづけ瀧の音

 万物や瞑りてきく瀧の音

 長谷寺の白き牡丹の奥処おくがなる
        朱鷺いろを恋ひ地の涯来たる

 神鏡はおのが深みにあらたま
         水の一顆をあらはにしたり

日仏交流一六〇周年記念事業の一環として、神奈川近代文学館で開催された「ポール・クローデル展記念シンポジウム」に恩田侑布子がパネリストとして登壇しました。
「今に生きる前衛としての古典―― 詩人大使クローデルの句集『百扇帖』をめぐって」
 日 時 2018年6月17日(日)13時30分開演 
 会 場 神奈川近代文学館 展示館2階ホール
 コーディネーター 芳賀徹
 パネリスト 夏石番矢・恩田侑布子・金子美都子

※ シンポジウムの詳細はこちら    

[後記]
句会報が50号に達しました。
これまでの句会報を遡り、連衆それぞれの句と鑑賞を味わう事が、筆者の密かな楽しみとなっています。
自身の句作も句会報のように、日々継続することが大切であると、歳時記を捲りながら想う筆者であります。
次回兼題は「立葵」と「蝸牛」です。     (芹沢雄太郎)

20180603 樸句会報2
                     photo by 侑布子
特選

  廃炉遠し野の白昼に蛇つるむ

 
                山本正幸

 
 福島第一原発の廃炉は万人に願われているものの道のりは遠い。メルトダウンした燃料デブリを取り出すことさえできないのだから。富岡町から飯館村まで「うつくしま」とも呼ばれた自然と調和した町 々は帰還困難区域となって7年が経った。今や、2階家まで青葛が茂り、スーパーや団地の駐車場のコンクリートの割れ目から青野が広がっている。「廃炉遠し」という字余りの上句の切れが遣る瀬ない。が、一転して、燦 々たる陽光の中で二匹の蛇が絡み合っている。人間の招いた放射線量など知らぬ。超然と、雌雄が命を交歓している。その白昼の讃歌は逆に、わたしたち人間の所業を炙り出してやまない。蝶などの昆虫や蜥蜴などの小動物の交尾だったらこの力強さは出なかった。蛇は、インドのナーガや中国の女媧や日本のしめ縄など世界中で太古から、いのちと豊穣のシンボルである。そのいのちの脈 々たるエネルギッシュな連鎖と見えない廃炉とが対比され、一種悪魔的な絵をみる思いがする。
         (選 ・鑑賞   恩田侑布子)

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です