恩田侑布子講演「あなたの橋を架けよう」レポート(下)


「あなたの橋を架けよう」 
  第40回静岡高校教育講演会
・日時 2019年5月10日(金)13時30分開演
・会場 静岡市民文化会館 大ホール
・講師 恩田侑布子

破行句-3

 川面忠男様ご寄稿の(下)として、第3章を掲載します。

第3章 世界でなぜ俳句が人気か
《恩田侑布子さんは、2014年にパリ日本文化会館客員教授としてコレ―ジュ・ド・フランス、リヨン第Ⅲ大学、エクスマルセイユ大学などで講演している。それで今回の講演の第三章が「世界でなぜ俳句が人気か」というテーマになっていることも頷ける。以下は恩田さんの話である。》

 俳句とはいったい何だろうか。俳句がいま世界中の至るところで作られているのはなぜだろうか。グローバル世界に生きる現代人は俳句のどこに魅かれているのだろうか。
 欧米の小学校ではカリキュラムに俳句の実作がある。夏休みの宿題にしているところも多い。
 フランスでこの数年間、俳句をめぐる講演を6回行った。フランス人の俳句に対する理解と共感は半端ではない。街の本屋に芭蕉、蕪村、一茶、夏目漱石や山頭火の句集が並んでいる。またEUの前大統領、ヘルマン・ファン=ロンパイさんはベルギー出身だが、俳句に心を通わせ句集を出している。

 ここでセザンヌやゴッホなど近代の芸術を支えて来たものは何であったかを思い出してみよう。それは個人の才能だった。作家の個性やその天才性を際立たせるものだった。
 一方、俳句は根本の精神が違う。まず俳句には共同体に根づく「季語」がある。その背後には大きな自然が存在する。
 自然は近代的な自我を超えたものだ。俳句を作る時、感情を季物に託して広やかで大きなものに自我を解放する。
 蛇笏の落葉は、枯れて地べたに落ちて潰えるものという固定観念を破って、一人の人間の道念を支えるものになった。
 俳句を作るということは、ささやかでも今までの自分のものの見方、感じ方を破ってゆくものだ。決まり切ったものの見方、パターン認識の縛りから精神が自由になってゆく。

 作者が一句の中に生き切った俳句は、切れの余白の中で読み手が新たに生き直すことができる。蛇笏の〈落葉踏む〉の句は六十余年が過ぎて、一人の高校生の胸に飛び込んできた。今も心の底に落葉の踏み心地が感じられるのだ。
 俳句は、作者と読者の一人二役を楽しめる興奮の場だ。表現の喜びと共感の喜びがある。
 現代は技術革新が加速し、人間疎外どころか人工知能というAIに管理される時代になっている。そうした中で自然と共生し人と共感し合い精神の潤いを求める人たちが増えている。俳句は現代人が星の子としてつながり合うことができる可能性を持っている。
      (川面忠男 2019・5・23)

                
 講演の締めくくりに、恩田は自句21句を「俳句パフォーマンス」という形で披露しました。写真スライドを背景に、13句は日本語のみで、8句は日本語とフランス語で。
 本抄録でも触れられているように、俳句は韻文であり調べやリズムという音楽性を持つこと、俳句が国際的な広がりを持っていることを、「俳句パフォーマンス」として直接伝える機会となりました。
 これだけ多くの若者、しかも俳句に興味がある人ばかりではない講演会は恩田にとってもあまり経験が無いことでした。しかし、高校生の皆さんから「一冊の本を読むような講演会でおもしろかった」「まるで小説を読んでいるかのような感覚」などの感想をいただきました。恩田も、無事に大役を果たすことができたことを安堵しております。
 終演後に控室とロビーで1時間半近くも続いた質疑応答や五百通以上の個別の感想をいただき、恩田自身も今後の創作活動に大いに刺激をいただくことができた講演会でした。
 開催に向けて一方ならぬご尽力をいただいた静岡高校の志村剛和校長先生、教育講演会を主催した静中・静高同窓会ご担当の三浦俊一先生をはじめとする静岡高校の教職員の皆さまに、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

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