藤田まゆみさん追悼特集

追悼号写真候補6
 

photo by 侑布子  

 藤田まゆみさん追悼特集           二〇二〇年 旧七草の日に
 
 樸の原初会員、藤田まゆみさんは二〇一九年二月一六日、満六十五歳十ヶ月で胆管がんのため逝去されました。一周忌にあたりささやかながら遺句集を編み、樸有志一同心から追悼の句文を捧げます。
最後の入院の十日前まで気丈にも句会に出られて座をはずませてくださり、ふつつかな指導者の恩田侑布子を温かく激励してくださったまゆみさん、本当にありがとうございます。あなたに会えたこと、過ごせた十五年間に心から感謝いたします。これからも胸の中のあなたと会話しながら、あなたが俳句を終生愛したように、わたしたちも俳句とともに生きていきます。天国から見守っていてください。    
            樸代表 恩田侑布子

 藤田まゆみ遺句集『ひつじ雲』四十五句                           二〇〇四年四月入会 恩田侑布子選 
           
 藤田まゆみさんは「具はお花々昆布梅干し木瓜の花」の愉快な句であざやかに登場されました。黒いカシミヤのセーターが似合う、うりざね顔に中高、大きな瞳の典型的美人でした。前の席に座って話にうなずいてくれる笑顔がいまも美しく甦ります。聞けば藤田米店の奥さんで掛川から通って来てくれるということ。翌年には「ああこれが坂東太郎風光る」をはじめ、伸びやかな俳句で「樸」になくてはならないひとになりました。でも、楽しかった日々は束の間。最愛の伴侶が五〇代で末期がんの宣告をうけます。看病から看取りへ。ふるさと静岡に一人住まいになってからの夫恋の句も胸をうちます。そして今度は気づかぬうちに自身が病魔に侵されていました。末期がんであることをこっそり私にだけ教えてくれた時も、こちらが絶句するほど平静でした。句会では、抗がん剤治療中など露ほども仲間に気取られることなく、お茶目ですっとんきょうな応答で爆笑を振りまいてくれました。
 こうして代表句をまとめてみると、生来の天衣無縫さと感覚の良さが相まって、生き生きしたインパクトのある俳句ばかりです。そこに彼女がいるようです。
ひとりでも多くの方にまゆみさんの俳句をお読みいただければ幸いです。    
               恩田侑布子

 
まゆみさんN3-1-1

 『ひつじ雲』      藤田まゆみ
 具はお花々昆布梅干し木瓜の花   (二〇〇四年)
 ああこれが坂東太郎風光る      (二〇〇五年)
 夜濯やをとこのことば消えもせず 
 緑陰や見上げしあごのそりのあと    
 いさかひは生命ある事曼珠沙華     
 病院の隅に陣取り秋行くや
 両足をひとにからめて秋暮るる     
 青色発光ダイオード聖夜来る     (二〇〇六年)
 寒茜カーラジオのみしやべりけり    
 諸共と思ふ時あり日の盛り      
 病院の長き廊下や遠花火        
 廃業の届けを出して炬燵かな     (二〇〇七年)
 旧家とは墓守る事椿落つ        
 逝くひとや病棟の果て凌宵花      
 雲の峰登山者のごと君や逝く      
 泡立草由緒正しき無人寺        
 冬山家裏も表も風の音
         (二〇〇八年)
 元日の住所寝床と決めにけり      
 春暮れるおぬしと呼びし夫の亡き     
 玉の汗拭ひて吾の眼前に        
 満月や風水火力原子力         (二〇一〇年)
 立冬の広き背中に会ひにゆく      
 夏草や又会ふといふ刻はなし      
 御守は開けてはならず蝉時雨     (二〇一一年)
 昼の虫ジャムバタサンドほヽばりて   
 祖先より甲高番広春野行く       
 寒月や夫の背中に追ひつけず     (二〇一二年)
 深々とヒール吸はるる春の雨       
 春泥の開かずのお蔵開けず来ぬ     
 クレーン車ランプの赤き無月かな    
 梅花講鈴振る腕の薄暑かな      (二〇一三年)
 迎火やあの世に多き家族かな      
 蜜柑食ふ目の前の席永遠にから     
 空青く末吉結ぶ初詣          (二〇一四年)
 手にぎりしむ湿り気ひたと児のすみれ  
 夏河原父のズボンの小石落ち      
 梅雨曇バスケシューズの軋む音   (二〇一五年)
 ちやんちやんこあだ名で呼ばるしあはせや
 二階家の軋む廊下や君子蘭       
 御便所に起きる子供に夜長かな
 しあはせか問ふてみたしや月の秋    
 通されし仏間の脇のからすうり
 落葉踏む堤の端にひとりかな    (二〇一七年)
 ひつじ雲治療はこれで終わります。(二〇一八年)
       (この句の恩田の鑑賞文は こちら 
 もう少し太れといはれ焼き芋よ
追悼号写真候補2

photo by 侑布子  

追悼小文
 
 「ふだらく渡海」
            恩田侑布子                                       
   
 数回お見舞いさせてもらった年末の病院で、貴女はもう水だけしか口にできなくなっていました。なのにいつものようにわたしを笑わせようと、
「ねえ、見てえ、わたし妊婦さんになっちゃったわ。ほら」
止めるまもなく、仰臥したまま布団とねまきをめくって、腹水でぱんぱんになったお腹へわたしの手をみちびきました。透き通る青白い肌に、出べそになるほど膨れ上がったお腹が現れました。へんな喩えですが、それは梅のつるつるした琅玕のすわえのように清らかでふたり笑ったのです。「遅れてきた妊婦さん」って。まゆみさんは子どもが欲しくて九州や関東まで一〇年も不妊治療に通った話をしてくれました。産み月のようなお腹にかわいい赤ちゃんがいて「お母さん、お待たせー」って出てきてくれればいいのに、わたしたちは本当にその時思ったのです。
 年が明けて病室にゆくと、もう冗談をいう体力は残っていませんでした。石原あゆみさんが手作りしてくださったエメラルドグリーンの『藤田まゆみ句集』が枕もとにありました。「夜は長いわ」と、大きなきれいな瞳でいいました。
「いま、なにかんがえてる」
と訊くと、
「なんにもかんがえないわねえ」
しずかな答え。
「夫の十一周忌もすませたし」
ご主人のがんの闘病の一部始終を見てきたまゆみさんは覚悟が出来ていたのでしょう。何が起こってもうろたえませんでした。腕を枕にしようともたげた二の腕が、鶴の趾のように痩せ細っていても隠しませんでした。二人で淡々となごやかなひとときを過ごしたのです。そのむかし、補陀落浄土への往生を願った上人が食絶ちをして、紀州の南端から蒼海へひとり舟で旅立ったことがありました。
こまかい春雨の降るお通夜でした。最後までがんばったのね。おもわず棺の彼女に声をかけていました。家族のないたったひとりの彼女は白い病床から鶴のように虚空へ翔びたったのでした。
 
 床上の渡海上人梅真白     侑布子
 
 紅椿なきがらかくも冷えゐたる  〃
 

 
 
 
 

 樸 連衆追悼句集
 
十五年朧となりぬ棺の紅        佐藤宣雄
料峭に細き眉上げ消えにしか      西垣 譲
白梅や夫のむすびの具はおかか     伊藤重之
春の雷淡き句を詠む友は逝き      林 彰
待ち合わせ場所にベレーや春時雨    森田 薫
いつまでも褪せぬ向日葵胸に挿し    芹沢雄太郎
日傘ゆく常世の果ての待ちあはせ    山田とも恵
陽の君たまゆら愁眉冬の夕       久保田利昭
 「赤毛のアン」の舞台プリンスエドワード島行きを夢みていた人に
アンのこともつと聞きたし冬の星    天野智美
読み止しの句集に挟む冬菫       村松なつを
隣る世へひらりベージュの冬帽子    山本正幸
 
 中学生のデートみたいに公園で待ち合わせ。彼女は私を引っ張ってベンチに座り目を瞑る、私も慌てて同じように。隣りの彼女がいるだけでなぜか違った空気を吸っているようだった。その日は大道芸を観に来ていたのだ。運よく目の前で大道芸が始まり、彼女の笑顔はとびきりだった。徐々に混みだし彼女は少し前に進んだみたいだ、見失ってはいけないと彼女を追って私も。私は芸人よりも彼女ばかり見ていた、不思議な魅力。子供のように可愛くて心配で目が離せない。すれ違うピエロに笑顔で両手を振り、あまりにピュアな彼女に恋でもしそうだった。

冬夕焼道化師の背睡り落つ       石原あゆみ
冴ゆる夜カラリンロンと響ききて    猪狩みき
白息の集ひて行くはひつじ雲      見原万智子
焼き芋を羊も喰むや雲の夢       島田 淳
亡き人は何してをらむ年暮るる     佐藤宣雄

「ああこれが坂東太郎風光る  藤田まゆみ」
 まゆみさんが御主人とドライブに出掛けて利根川のほとりで詠まれた句と記憶しています。なぜか、お幸せなお二人が浮びました。お二人で楽しく笑ってくださいネ。                 原木裕子


追悼号写真候補1-1

photo by 侑布子  

 鑑賞
 
 「藤田まゆみさんの辞世」 
               島田 淳
           
 ひつじ雲治療はこれで終わります。
              まゆみ

半年ほど前、友人の外科医にこの句と恩田先生の鑑賞文を読んでもらった。
彼は、がんの患者さんを治療することがよくある。
句と鑑賞文をじっくりと読み、自分に何か言い聞かせるように頷き、彼はゆっくりと口を開いた。
「僕は俳句は全くわからないけれども、この句の言わんとすることはとてもよくわかる。」
「患者さんの残りの人生を苦しい治療で終えてしまっていいのかと考えると、医者が『どこかのタイミングでこう言った方がいいのだろうか』と迷う場面は間違いなくある。」
「ただ、それを患者さんが受け容れられるかどうか、絶望することなく残りの人生と向き合っていけるかどうかは、時間をかけて信頼関係を築いていくしかないと思う。」
そして、まるで患者と医師が晴れた丘の上でひつじ雲を見ながら会話しているようだと彼が感想を述べた。
少し考えて、私は次のように応じた。
「これだけ簡潔な表現で、静かにそのことを受け容れられたというのは、患者さん自身に自分の『いま』を見つめる力が備わっているからかも知れない。うまく言えないが、『諦める』ことと『受け容れる』ことはたぶん違う。その違いをうまく説明することは今はできないが、恩田さんが鑑賞文で述べていることは、そういう事のように思える。」
我々は、そこまで話すと再び黙って酒を飲んだ。

 
 落葉踏む堤の端にひとりかな 
まゆみさんが頭書の句の十ヶ月ほど前に詠んだ句である。「落葉」は、自分及び人生で関わりのあった人々の記憶の総体なのだろうか。それらをゆっくりと踏みしめて人生を歩み、今ひとりで突堤の先に立っている。過去も、未来も、総てのものを見渡す事ができる場所。さびしさと同時に、ひとりそこに立つ決然たる気持ちも汲み取れる。今となっては想像するしかないが、この時すでに病魔と向き合っていたのかも知れない。そう思うと、その心根の勁さに静かに感服するほかはない。
 
 もう少し太れといはれ焼き芋よ
「ひつじ雲」の句の約一ヵ月後にまゆみさんが詠んだ句である。抵抗力をつけるために栄養を摂って少し太りましょう、とでも言われたのだろうか。「太るイコール焼き芋」という昭和のティーンエイジャーのような連想をしてしまい、しかもそんな自分を笑ってしまっているような下五である。この句を詠んだちょうど三か月後の同じ日に、まゆみさんは旅立たれた。
私は、この文章を書いていてようやくこの句の持つ意味に気づいた。闘病する人は必ずしも「可哀相な人」なのではない。病床にあるときにも、笑いやおかしみは存在する。まゆみさんの句を読んで、私はそう思った。ただ、そのように『生』を全うするためには必要となる『力』がある。人生の後半というものは、そのような『力』を身につけ養っていく時間なのかも知れない。私はまゆみさんの句から、そうした事を教えられたような気がする。     
  

 

 

 追悼詩と俳句
 
 「今 この別れ」   
               松井誠司


 棺に眠る 紅の女
 戸外の雨に 今はもう
 応える言葉 口を出ず    
 
 片手に日々の 常識を
 もう片方に 不思議さを
 ひとつの体に 持ち合わせ
 時によりての 句を紡ぐ
 
 ある日は 真顔で言い放つ
 えっ この句が特選句
 またある時は 他の人の
 心に浸みる 言霊を
 
 今この別れ 雨の夜
 最後の最期に 輝ける 
 あの辞世の句に 秘められた
 思いの奥が 胸を打つ 
 
 
 
  それぞれに残せし言葉冬の雨
              誠司