恩田侑布子代表の作品を、季節にあわせて鑑賞していく「恩田侑布子詞花集」。
初回は、みずみずしく満ち足りたおもむきの季語「八十八夜」を詠み込んだ作品をとりあげます。
みなさまはそれぞれの場所で、どのような八十八夜の季節をお過ごしでしょうか??
春雨にみどりが深まり、山々から雲が湧く甲府から、鑑賞文をお届けいたします。
ご一緒に季節を感じていただけましたら幸いです!
五月の詞花集
富士に野に八十八夜の水走る
恩田侑布子
富士に野に八十八夜の水走る
恩田侑布子
(『夢洗ひ』所収、2016年8月出版予定)
晩春の美しい季語「八十八夜」を、「夏も近づく八十八夜」ではじまる茶摘みの童謡から聞き知っている向きも多いだろう。茶処・静岡では、八十八夜がことに生活になじんでいる。里の蕎麦屋にゆけば、自家製の緑茶のみならず、茶葉の天ぷらまでがふつうに出てくる土地柄なのだ。
八十八夜は立春から八十八日目を指し、今年は五月一日だった。つい先週である。まさにいま、いのちを育てる慈雨がせせらぎとなって、富士にも田畑にも満ちはじめているのだ。狭庭の隅々にまでゆきとどくような水の動態的なイメージが、血の通ったみずみずしい世界の印象をいっそう鮮烈にしている。静岡にいずとも、私たちにとって身近な野山にあたらしいいのちがめぐみはじめる喜びを、この句はまさやかに感じさせてくれるだろう。
句を縦書きにすると、「八」が端麗な富士山の姿にも、また水の流れにもみえて面白い。作品全体をはっきり貫く中心線と、「八」の末広がりの形象によって、清冽なせせらぎが目に浮かぶようだ。
幼少期は藁科川や笹間川で泳ぎ、川の一生に興味があるという恩田にとって、水は特別な存在である。川のみなかみ、源流をたずねて、ワンダーフォーゲルをはじめたときくほどだ。たえまない流れによってのみ清流が保たれるように、不断の自己変革をつうじていのちを輝かせていこうとする表現者としての覚悟が、恩田を水にひきつけるのだろう。
天地を循環する水はまた、いのちの触媒でもある。自然と人間、他者と自分とが互いに呼び交わす、その関係においてこそ、いのちが実現することを想起しよう。この句のいのちを支えているのは、「富士」「八十八夜」「走る」という、ハ行の通奏低音だ。ハ行音は息の音。晩春のゆたかな息吹がめぐる、呼吸としての俳句である。
(鑑賞 大井佐久矢)