俳句の良い悪いとはなんでしょう?
こんな話をよく句会で議論します。
どんな俳句も読んだ人の好みがあり、一様に「良い・悪い」と言えないものですが、やはり「名句」と思うものは歴然と輝いて見えます。
その違いは何か? 恩田侑布子は、「切れ」にたたみこまれた余白を味わえるのが名句ではないか、とよくいいます。
俳句の「切れ」を読み取ると、正確に主題をつかむことができ、その句の世界が立ち上がります。主題が強靭な句は、ただ単にその世界を眺めて楽しむだけに終わりません。こちらから句の懐に飛び込ませてくれる深さがあり、飛びこんでみると新たな景色を見ることができるのです。そんな句と出会えることが読む楽しさであり、読まれる楽しさだと思います。
が、裏を返せば「主題」が分からなければ何も始まらないのです。〈作者だけに分かる、私だけの主題〉では出来損ないの暗号文になってしまうし、〈誰にでもわかる、ありきたりな主題〉では面白くありません…。つい出来損ないの暗号文を作ってしまいがちな私は、毎回その舵取りに悩みます。
分かってはいるはずなのに、いざ作ると自分の想いとは別のところを「主題」と読まれてしまったり、そもそも「主題」が行方不明になっていたり…。
そんなことを考えていたら、とあるレストランでこんなメニューを見つけました。
『イチゴ揚げアイスパンケーキ』
揚げられているのは〈イチゴ〉か〈アイス〉か…。
それとも〈揚げ豆腐〉が入っている新感覚スイーツか?
一体この食べ物の「主題」はどこに?!
ここまで客の気持ちを惹きつけるとは、商品名として大成功!
お店の人も困惑するお客さんを見てニンマリしていることでしょう。
でもこれが俳句だったらどうでしょう?
読んだ人が困惑する姿をニンマリ見ることは俳句の楽しみ方ではありません。
商品であれば実際に出てくるもので勝負できますが、俳句はその文字が全てなのです。
それがどういう形態で、どんな温度で、どんな味で、どんな感想を抱かせるのか、十七文字で表現しきらなくてはならないのです。
謎のスイーツを通して、自分の句を改めて観察することになろうとは思いもよりませんでしたが、課題がより明確になったのはよい収穫でした。〈誰にでもひらかれた、私だけの主題〉を詠み込めるよう、決意を新たに精進したいと思います。(山田とも恵)