6月2回目の句会が行われました。今回の兼題は「短夜(みじかよ)・“田”の字を一つ入れて」でした。
梅雨入りしても今年は雨が少なく関東は珍しく水不足。かと思えば九州地方は集中豪雨。
季語が生まれた時代とはだいぶ自然の流れが変わってしまったのだと、寂しさを感じてしまいます。
句を通して、あるべき自然の姿を残して行けたらなぁと思います。
さて、まずは今回の高得点句から。
みる夢はひとつにしとけ明け易し
松井誠司
「欲張って夢を見ても、あっという間に朝が来てしまうから短夜の時期は注意せよ、という面白みがある」
「夢は寝てる間に見る夢のことだけでなく、将来の希望、夢のことを言っているのではないか?」
というような意見が出ました。
恩田侑布子も
「第一義は、夢をみたあと、また夢をみたら、短い夏の夜が明けてもう朝になって居た。夢はひとつでいいのにという思い。
第二義は、若いころから欲張っていろいろと夢を見てきた。ところが振り返れば、どれもみな完全に実現したとはいえそうもない。
そこで、われとわが身に遅まきながらつぶやく「みる夢はひとつにしとけ」と。
一夜の明け易さと、人生の短さの両義がかけられた二重構造の句。一読後の面白みのあとの、切なさが良い」
と鑑賞しました。
続いて、今回の句会で非常に盛り上がりを見せた句です。
短夜の取り逃がしたる一句かな
伊藤重之
満場一致で「分かる!」という声が沸き、俳句を楽しむ人にとっては「あるある」なエピソードのようでした。
「短夜のこの時期ならば、今(眠る寸前)思いついたこの名句を明朝まで覚えていられる気がする!と思いながら眠りについてしまうので、短夜という季語に合っているのでは」
という意見も出ました。
恩田侑布子からは「事」に終始してしまっている感じもするが「取り逃がしたる一句」という表現は面白いと思う、との意見でした。
また、「枕元にメモ帳とペンを置いて、取り逃がさないで寝ましょう」というアドバイスがあり、耳が痛い一同でした。
次回の兼題は「蜘蛛(の囲)」「植ゑ」「昼顔」です。兼題を通して新しい季語を知ることができるので、毎回とても楽しみです。
次回はどんな句が生まれるのでしょうか。
(山田とも恵)
口笛を鋤きこむ父の夏畑 大井佐久矢
田畑に何かを鋤(す)き込む俳句といえば、次の師弟俳人の両句が思い浮かぶ。
残生やひと日は花を鋤きこんで 飴山実
荒 々 と花びらを田に鋤き込んで 長谷川櫂
ともに春の花びらを鋤き込む審美的な句である。
一転して、佐久矢の句は、弾けるようにかろやかな青春詠である。口笛を鋤きこむところに、父の若さとともに、趣味の菜園の匂いがする。夏畑の開幕を告げる口笛である。これから植えるのは、瓜や茄子などの苗だろうか。それとも種撒きなら、ハーブだろうか、枝豆だろうか。いずれにしても初夏の陽光が燦々と降りそそぐ。作者のふるさとが信州の佐久であることを知れば、たちまち浅間山の麓、広大な佐久平の景が広がり、父の口笛はいっそう涼やかに透きとおって感じられよう。
(選句・鑑賞 恩田侑布子)