樸の八月の佳句を恩田侑布子が鑑賞していきます。
夏から秋にかけての刹那的な熱がほとばしる季節をお楽しみください。(山田とも恵)
≪選句・鑑賞 恩田侑布子≫
胡瓜もみ昨日も今日も明日もかな
樋口千鶴子
子どものころ「今日もコロッケ、明日もコロッケ」という歌がよく流れていた。コロッケは冬季の季語にふさわしいが、こちらは火を使わない夏の定番料理、胡瓜もみ。ひらがなのなかに「胡瓜」、「昨日」、「今日」、「明日」と漢字がとびとびに埋まっていて、あたかも日めくりの暦をめくるよう。めくってもめくってもそこに現れるのは胡瓜の塩もみ。透明な翡翠色の食卓が永遠につづくような気がする。素手素足で生きる涼しさ。こんな滑稽はわるくない。
原爆忌父の命日でもありき
佐藤宣雄
父は長い戦後を生き抜いてぼくらを育ててくれた。その命日が八月六日。まさに原爆忌であった。一個のいのちを喪った悲しみすら言い尽くせないのに、原爆の死者を一口に14万とも35万人ともいう。だが、アメリカ人の多くは「原爆は戦争終結に役立った」と今も考える。そこに日本が加害者として戦争を始めた根深さがある。「戦争を日本人自身の手で終わらせることができなかったことの意味は今後もこの国に長く尾を引くでしょう」と鶴見俊輔は問いかけた。掲句も座五の「でもありき」が不断に問いかけて来る。社会や歴史に、わたしたちはかけがえのない個として切実に向き合ってゆくしかない。父の無言の遺言が聴こえる。
揚花火老い知らぬまま華のまま
海野二美
夏の夜空を焦がす大輪の花火。その炸裂音。花火は老いを知らない。衰える前に消える。この句は、華のまま美しく別れましょうというせつない恋の句であろうか。生涯をかたむける一夜限りの逢瀬は、時を闇に発光させる花火さながら。しかし、声に出して口遊んでみると意外にもふっくらとやわらかなリズムに包まれる。次々に揚がる花火のように、うつくしく華やかに生きたいわという夢みる女ごころかもしれない。