9月2回目の句会が行われました。今回の兼題は「秋の日・茸」でした。
“茸(きのこ)”と一口に言っても、「しいたけ・しめじ・まつたけ・えのきだけ…」と色々ありますね。それぞれの持ち味を句に読みこめたら、句だけでなく料理も上達しそうな気がします。
さて、今回の高得点句。
余生とは言わじ五千歩秋うらら
杉山雅子
「年配の方の句だろうか?春でなく秋にこの句を詠んだところが、老齢感が出て良い。」
「しっかり生きていく。という、高齢者の自立を感じる。」
「今までのじっくり生きてきた人生を感じる。励まされた。」
「共感が持てる。“余生=人生を捨てる”ということはしたくないもんね。」
「これは、高齢化社会のアイドル俳句だ!!」
「歩いている季節もいいし、おいしい空気も感じられる。」
と、活発に意見が出ました。
恩田侑布子は「ややスローガンぽいが、実践句なので“余生”という措辞のいやみ、臭みが出ず、明るくて欠点を持っていない。私もこう生きたい」と鑑賞しました。
一方、「歴史的仮名遣いが間違っているので注意していきましょう」とのことでした。
誤)余生とは言わじ五千歩秋うらら
正)余生とは言はじ五千歩秋うらら
次回の兼題は「花野・運動会」です。今年は秋真っ盛り!というほどのお天気には恵まれないようですが、それでも花は咲き、運動会は雨間を縫って開催されるのでしょう。耳をそばだてながら、秋の到来を感じたいと思います。(山田とも恵)
特選
哲学を打ち消す夜半のすいつちよん 山田とも恵
すいっちょんは馬追。草のなかに棲み、ジー、スイッチョンと鳴く。灯のそばにやってきて、姿見の上にとまっていたりもする。色は薄緑や褐色で、そんなに美形ではない。地味な秋の虫だ。
句会ではハムレットの「生きるべきか死ぬべきか」のセリフを思い出したというひともいた。若い作者ならではの句である。句頭に「哲学」を据えたのは大胆だが、作者は真剣に生死や存在を考え、どうどうめぐりしていたのだろう。そうした昼間からの懊悩が、窓辺に来た小さな虫の一声に幕を下ろす。「打ち消す」という措辞が潔い。明日は早い、さあ、寝なくちゃ。草やぶに馬追がいてくれるいとしさ。
(選句 ・鑑賞 恩田侑布子)