
恩田侑布子の自作朗読会のお知らせです。
静岡から遠く離れて、東京・駒場での開催です。
現代俳句をリードし続ける高橋睦郎氏と恩田侑布子が自作の句を朗読し、その映像は“声のライブラリー”に長きにわたって保管されるとのこと。
とても貴重な会になりそうです。
朗読の後には座談会も。
ぜひ、お越しください。 =======
第91回「声のライブラリー」―自作朗読と座談会― 朗読 高橋睦郎/恩田侑布子
司会 伊藤比呂美
日時 11月11日(土)14時〜16時(開場13時30分)
場所 日本近代文学館・講堂
(京王井の頭線 駒場東大前駅 徒歩7分)
料金 2100円(会員1900円/学生1600円)
定員 80名(先着順・全席自由) ※申込方法※
郵便振替をご利用ください。
折り返し受講券をお送りいたします。 ≪郵便振替≫通信欄に「声のライブラリー」と明記の上、
2,100円を下記口座宛にご送金ください。 口座記号番号:00140-0-47730
加入者名:公益財団法人 日本近代文学館 日本近代文学館「声のライブラリー」HP
http://www.bungakukan.or.jp/lecture/voices/

8月2回目の句会は猛暑日。樸俳句会も「夏枯れ」なのでしょうか?
特選句なく、入選1句、原石賞1句、シルシ11句、「・」(シルシまではいかないが、無印ではない)1句という惨状?でした。 掲載句の恩田侑布子の評価は次の表記とします
◎ 特選 〇 入選 【原】 原石 △ 入選とシルシの中間 ゝ シルシ
〇漲(みなぎ)りし乳房の如く桃抱く
杉山雅子 恩田侑布子は、
「かつて“漲りし”乳房がわたしにもあった。そのときのようにいま、見事な白桃を胸に捧げ持つ。かつての若さをいとおしみ、目の前に生まれ出でた命を賛嘆する句。上五を過去形にしたことで、自分の身に引き付けた。母乳で子を育てたことの矜持もある。八〇代後半になられる雅子さんの作品とわかると、その若々しい感性にいっそう感動します」
と講評しました。
【原】たなごころ居心地のよき桃一つ
松井誠司 「手のひらに置いた桃の重さが感じられる。桃は傷みやすいので持つのが難しい」
という感想がありました。
恩田は、
「“たなごころ”というひらがな表記がいい。実感をもって迫ってくる」
と講評し、次のように添削しました。 ゐごこちのよき桃一つたなごころ 「上五に“たなごころ”があると重量感が逃げていく。下五にもってくることによって、手に気持ちよくおさまっている桃の様子が浮かびませんか?」と問いかけました。 [後記]
本日の兼題の「桃」については、桃がお尻や乳房を連想させることもあって、オトナの議論がいろいろ広がりました。「深まった」かどうかは別ですが(笑)。やはり句会は楽しさが第一、と筆者は確信しております。
次回兼題は、「花火」と「稲の花」です。(山本正幸)

8月1回目の句会。世間のお盆休みを尻目に本日も熱い議論が交わされました。
兼題は「汗」と「金魚」。入選3句、シルシ11句という結果でした。
高点句を紹介していきます。恩田侑布子特選はありませんでした。 掲載句の恩田侑布子の評価は次の表記とします
◎ 特選 〇 入選 【原】 原石 △ 入選とシルシの中間 ゝ シルシ
〇らんちゆうや美空ひばりといふ昭和
伊藤重之 合評では、
「景がすぐ浮かぶ。美空ひばりは姿やイメージがまさに“らんちゅう”だった」
「昭和を背負い、昭和とともに去っていったのが美空ひばり」
「いや、その形からして“らんちゅう”は、美空ひばりとは合わないのでは??」
「天童よしみなら合いますかね」
などの感想、意見がありました。
恩田は、
「美空ひばりはその顔の大きさからも“らんちゅう”そのもの。日本髪や衣装も豪華で存在感抜群の歌手で合っている。ただし、“といふ”に理屈が残ってしまったところが惜しい」
と講評しました。
〇掬はれて般若心経聞く金魚
佐藤宣雄 「お経と金魚の取り合わせが面白い。祭りで掬われて来た金魚。くよくよするな、イライラするな、というお経の声。滑稽味のある句」
「長く人生を生きてきた人。毎日、一人でお経のお勤めをしてきたが、今は金魚も一緒にそれを聴いて、気持ちを共にしている」
「縁日で金魚を掬い、持ち帰ったところがお寺だった。“掬はれて”には“救われて”の意味もあるのでは?」
「上五の場面展開がやや苦しい気がする」
との感想、意見。
恩田は、
「ユニークで面白い句。掬った子どもが世話をしているのではなく、仏壇のある部屋で飼われている。そこでお爺さんがお経をあげているのでは」
と講評しました。
〇夕づつや金魚の吐息我が吐息
荒巻信子 恩田は、
「リフレインがきれいである。紺青の空のもと、金魚鉢にため息が聞こえる。やるせないが可愛いため息。宵の明星と反映して一層可愛く感じる。自分-金魚鉢-夜空、とまどやかな天球のような広がりがある。聴覚も刺激し調べがよい。“夕星”と“金魚の吐息”に詩がある。少し表記を変えたい」
と講評し、次のように添削しました。 夕星や金魚の吐息わが吐息 「“星”と表記すると秋を思わせる懸念があるとすれば、原句どおり“夕づつ”がいいでしょう。“我が”は“わが”とやさしくひらきたい」 夕づつや金魚の吐息わが吐息
本日の兼題の「金魚」。次の句が紹介されました。 金魚大鱗夕焼の空の如きあり
松本たかし 恩田侑布子の解説は次のとおりです。
「金魚の美しさに子どものように感動している。小さなものを夕焼けの空と赤さに喩えている。レトリックだけで作っていない。“直喩”は“俗”になりやすいと言われるが、この句は大胆に焦点を合わせている。“如く”だと散文的だが、“如き”としたことで、小さな切れが生まれ、句全体に反照し響く。句の世界が提示されるのである」 [後記]
本日の句会のテーマはまさに「散文ではない俳句を作りましょう」。
いつにも増して厳しく恩田侑布子は次のように指摘しました。
「今回、“散文の一行”のような句が多く見られました。俳句には詩がなければなりません。詩が発見されないと、たとえ切れ字を入れたとしても切れず、どんな余白も余情も涌いて来ないのです。日常に寝そべった気持ちで作ると、ほとんどが散文になってしまいます」
筆者としては何度も肝に銘じてきたことですが、つい説明したくなってしまって・・・。
次回兼題は、「蛇」と「桃」です。(山本正幸)

7月2回目の句会が行われました。今回の兼題は「空梅雨」「夏野菜」。
水不足が叫ばれつつある今日この頃。静岡市内の川も水の流れが途切れる瀬切れ現象が起きたと句会でも話題になりました。いつの時代も "空梅雨” は死活問題ですね。 掲載句の恩田侑布子の評価は次の表記とします
◎ 特選 〇 入選 【原】 原石 △ 入選とシルシの中間 ゝ シルシ それでは高点句を中心に取り上げていきます。(特選句はありませんでした)
〇遣り水をとり合ふ桶の茄子トマト
松井誠司 「茄子トマトが“とり合ふ”という、擬人化が成功している句」
「擬人化は面白いが、採るどうか迷った句。 “とり合ふ”が良さでもあり、限界でもある」
と、俳句で成功するのは難しいといわれる擬人法について意見が交わされました。
恩田は、
「疎水から裏庭の桶に水を引き、その中で茄子とトマトが回転している様を擬人化している。擬人化だけでなく“茄子”“トマト” 季語が二つだが、茄子紺と赤の二色と形態が映発して美しい。しろがね色の水のひかりも勢いよく感じられる。夏の清涼感、取り立て野菜の生命感を感じ、擬人化が成功している」
と講評しました。
〇家なべて小橋を持てり誘蛾灯
杉山雅子 合評では、
「京都の貴船あたりが思い浮かんだ。景がよく見える」
「自分の家のためだけに橋を持つ、という豊さを感じた」
「三島辺りの風景か。うまい句と思う。水音も聴こえてくる。でもイメージがやや古いかなぁ」
恩田は、
「家々の生活の奥深さや、佇まいが感じられる句。誘蛾灯というやや薄気味悪い季語のなかに、それぞれの家のうかがい知れぬ妖しさがあり、そこには水生生物の蠢きも感じられる。疎水沿いの邸宅、上賀茂神社か、嵐山のあたりかもしれない。良い風景句」
と講評しました。
〇駅頭に布教のをみな旱梅雨
山本正幸 合評では、
「熱心に布教する人と、興味なく素通りする人、駅頭の決して交わらない風景をとらえた句で面白い」
「“旱梅雨”という季語を持ってくることによって “布教”を否定的(マイナスイメージ)にとらえているような気がする。句作の難しいところだ」
恩田侑布子は
「宗教に走る人、目の前の日常を生きるのが精いっぱいでそこに目もくれない人、まさに交わらない現代社会の人々を描いている。旱梅雨という季語が動かない 」
と講評しました。 句の鑑賞が終わった後は、恩田が静岡新聞夕刊に 毎週水曜日連載中のミニエッセイ「窓辺」について、感想を語り合いました。この連載を機に静岡県内の方々が俳句をより身近に感じたり、何気なくある風景にときめく機会が増えるといいなと思いました。筆者は県外在住ですが、静岡の豊かな風景に来るたび、ときめいています!次回の兼題は「金魚・汗」です。(山田とも恵)
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。