9月2回目の句会が開催されました。近年は9月でも猛暑が続くことが多かったように思いますが、
今年はすっかり秋の空。静岡は秋晴れが広がっていました。
本日の兼題は「秋の潮」「瓢」。恩田の特選はありませんでしたが、8月の“夏枯れ”から息を吹き返したような句が並びました。
それでは入選句を取り上げていきたいと思います。
( ◎ 特選 〇 入選 【原】 原石賞
△ 入選とシルシの中間 ゝ シルシ )
〇馬追の雨戸を閉める時鳴けり
藤田まゆみ
合評では、
「馬追の鳴き声に聞き入っている様子が目に浮かぶ」
「現代的なスチールの雨戸ではなく、木製の雨戸を思い浮かべた。ものを、日常を丁寧に扱っている姿が描かれている」
というような感想が出た一方、
「雨戸を閉める音で、馬追は鳴き止んでしまうのではないか?」
というような意見も出ました。
恩田は、
「夏の時間に慣れたままで過ごしていると、気付くと外がとっぷり暮れている。慌てて雨戸を閉めようとすると、馬追が鳴く。馬追はコオロギと違ってのべつ鳴くわけではないし、金属質な鳴き声ではなくどこかもの悲しく、秋の訪れを感じる。“雨戸”としたところが良い。雨が降っているわけではないが、句中に“雨”という文字が入ることで深層心理に雨のイメージが加わり、詩情が濃くなる」、
と講評しました。
〇原生林抜けて明るき秋の潮
杉山雅子
合評では、
「秋=もの悲しい、というようなイメージで句を作ってしまいがちだが、この句は初秋の明るさを詠んでいる」
「リズム感がよく原生林(暗)と秋の潮(明)の転換、遠近の転換もある。平易な言葉を選んでいるので、俳句に馴染んでいない人にも分かりやすく、平凡だが、じわっとした力強さや生命感がある」
という感想が出ました。
恩田は、
「初秋・中秋・晩秋を感じ分ける感性が大事。“秋の潮”という季語には“さみしい”というような本意があるが、それを理解した上で明るさを詠んでいる。原生林を抜け、はっと思いがけないパノラマに出会う。「優れた句とは風景を描きながら、心象風景も描けている句だ」と草田男も言っているが、作者の来し方も感じられるような、安定感があり、句柄が大きい」
と講評しました。
鑑賞終了後は、現代俳句界で注目を集めている田島健一さんの第二句集『ただならぬぽ』から23句を恩田が選び、語らいました。独特の世界観、言葉の使い方に一同頭を抱えつつ、この難解さは世代のせいなのか、それとも個性なのか話は尽きませんでした。
“世代の差”といえば作品世界と対峙する際に都合の良い逃げ道になるような気もするし、“時代の子”と向き合えば自分の抱いた感想に正当性を求めてしまうような気がします。自分の句と向き合い直すいい機会となりました。
次回の兼題は「案山子」「コスモス」です。(山田とも恵)