2017年6月4日の日曜日、独りで車に乗り、桃畑とさくらんぼ畑が広がる甲府盆地を走っていた。
中沢新一さんと小澤實さんの共著『俳句の海に潜る』(※1)で二人が訪れていた、甲州の丸石をこの目で確かめてみたかったからである。同著によると丸石とは道祖神のひとつで、峠や辻、村境などの道端にあって悪霊や疫病などが外から入るのを防ぐ役目を果たしており、甲州に広く分布しているのだそうだ。
その特徴は何といっても石の丸い形にあり、ある美術評論家は「ブランクーシを超えてる」とまで言ったという。
丸石は単独で祀られていたり、複数個が無作為に並べられていたり、基壇の有無や形状も様々である。
また歴史は古く、縄文時代から存在している可能性があり、石の形状は自然に生まれたのか、人工的なものなのか諸説あるという。
現存する丸石を示す地図等がない為、私はカーナビから、直観的に古い道や川、町の境界と思われる所にあたりをつけ車を走らせてみた。
たった2時間の間に6カ所の丸石に出会うことが出来た。
訪ねたのが晴れた夏の午後だった為か、影が真下に落ちた丸石は、眩しさと不思議な静けさを身に纏っていた。
私は丸石に手を触れ、耳を当て、一礼してからスケッチブックにフロッタージュ(※2)を行い、太古の人と風景に思いを巡らせてみた。
すると、この丸石に屋根を架けてあげたいという思いが私の中で沸き起こってきた。
あるいは、かつてここには実際に屋根が架かっていたが、時の流れの中で屋根が風化し、石だけが残ったのではないだろうかと思えてきたのである。
もしそうだとしたら、そこには道行く人が立ち寄り、憩い、祈る場所になっていたのではないか。
中沢新一さんは俳句について「作られた時代は新しいにもかかわらず、本質が古代的」(『俳句の海に潜る』より)と語っている。
自然に対して素直に向き合えば、現代においても、ふさわしい場所へ、ふさわしい石を配置し、新しさと古さとが共存する屋根を架けることが出来るのだと、丸石が語っているような気がした。
(文・芹沢雄太郎)
日盛や擦り出したる石の肌 雄太郎
(※1)中沢新一 小澤實『俳句の海に潜る』
(2016年12月 KADOKAWA刊)
(※2)フロッタージュ:
<摩擦の意>石・木片・織目の粗い布などに紙を当てて木炭・鉛筆などでこすることで絵画的効果を得る方法。(出典:広辞苑)