平成30年8月17日 樸句会報【第55号】
お盆が終わり、酷暑もややおさまった日に、八月第2回の句会がありました。
兼題は「八月」と「梨」です。
特選1句、入選2句、△2句、シルシ6句、・1句という結果でした。
特選句と入選句を紹介します。
(◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間
ゝシルシ ・ シルシと無印の中間)
◎IPS細胞が欲し梨齧る
石原あゆみ
(下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ)
〇梨剥いて断捨離のこと墓のこと
伊藤重之
合評では
「梨、断捨離、墓のつながりを違和感なく読んだ。梨の持ち味ゆえのこと。桃やりんごでは無理」
「林檎の青春性、桃の甘さに対して、梨は甘いけれども他の果物とは違う。執着から離れたい気持ちに梨が合っている」
「一口梨を食べたときに浮かんでくる思いが良く表現されている」
「自分の行く末への思いがしみじみ伝わってきます」
など、「梨」という季語のもっている性質が生かされているという評が多くありました。
一方で、「~のこと~のこと」という表現が気になったという声もありました。
また、“断捨離”という新語・流行語を俳句に使うことについての質疑もなされました。
恩田侑布子は、
「梨という果物の本意を十分に見すえて詠っている。梨のさっぱりした感じなどと内容がとても合っている。また、さりげない口調で並べた「~のこと~のこと」がこの句の内容にも合っている。内容と句形が調和している上手な句。下五で死のことを言いおさえている。“墓”に着地しているその仕方に説得力があり安定感がある」
と講評しました。
〇八月や南の海の青しるき
山本正幸
この句を採ったのは恩田のみでした。
恩田侑布子は、
「とてもシンプルだけれど、海の青を“しるき”と表現したところが素晴らしい。南の海には今も死者が眠る。まさに戦争を詠っている句で、非戦、不戦の句。省略した表現が読み手に想像をさせてくれる句」
と講評しました。
「八月」という季語のもつ含み(戦争、敗戦など)、重みについてが話題になり、意見が交わされました。「八月」の季語に戦争のことが込められていることが、若い詠み手(読み手)に果たして通じるのか?という疑義が出ました。いや、知らないのならば、次の世代に歴史を伝えることは我々の責務ではないかという意見の一方で、「八月」という季語をそのような意味に閉じ込めるのではなくもっと自由でいいのではという異論も出て議論が深まっていきました。
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句の合評と講評のあとは、芭蕉の『野ざらし紀行』の鑑賞の続きでしたが、時間があまりなかったので時間内で読める範囲を読み進めました。
西行谷のふもとに流あり。をんなどもの芋あらふをみるに、
いもあらふ女西行ならば歌よまん
と芭蕉は「西行谷」(神路山南方の谷で西行隠栖の跡)で詠んでいます。芭蕉の西行に対する崇敬の気持ちがここでもよくあらわれていると恩田の解説がありました。
〔後記〕
季語をどうとらえ、それをどう使うかについて考えさせられた会でした。また、句には思わず作者のいろいろが浮かび出る怖さとおもしろさを感じた会でもありました。
次回は、兼題なし。秋季雑詠です。(猪狩みき)
IPS細胞が欲し梨齧る
石原あゆみ
切実な病をもつ人が、万能細胞で健康になりたいと願っている。梨はどこか寂しい果物で、その白さや透きとおった感じは病人ともつながる。梨をサクッとかじった瞬間、歯茎をひたす爽やかな果汁に、ふとIPS細胞の新しい臓器の感触を思った。発想の驚くべき飛躍だが、季語の本意を踏まえて無理がない。この句の深さは、作者がIPS細胞を欲しいと願う一方で、それはまだ無理、という現実も十分了解していること。切実な願望を持つ自分と、いま置かれている現実をわかっている自分と、ふたりの自己が鏡像のように静かに照らし合っている。心理的な陰影の深い句である。「が」を「の」にすべきでは、という意見があったが、それは俳句をルーチン化するとらえ方だ。「の」では、調べはきれいになっても他人事になる。「が」で一句に全体重がかかった。「吾、常に此処において切なり」(洞山良价)。そこにしか心を打つ俳句は生まれない。若く感性ゆたかな作者の幸いをこころから祈る。
(選句 ・ 鑑賞 恩田侑布子)