2月18日 句会報告

20190218 梅三分

平成31年2月18日 樸句会報【第65号】 二月第一回目の句会です。 兼題は「梅」と「下萌」。   ○入選2句、原石賞2句を紹介します。     ○入選  行き先も言はずに乗りし梅三分               石原あゆみ    「急に思い立って行ってみたくなった気分と下五の梅三分の咲き具合が合っている」という感想がありました。 「詩情のある、リリカルな句です。まだ風は肌寒いけれど、佐保姫(春の女神)に心誘われてどこかに行ってみたい気持ち、遠くではなくて、ちょっとした小さな旅に出かけずにいられないという気持ちが表現されています。日常茶飯とは何ら関係のない旅であるところに清らかさが感じられます。浅春のリリシズムですね」と恩田侑布子が評しました。 「どこということもなく、という思いを“三分”にのせました。賤機山(しずはたやま※)のふもとの梅から思いをひろげました」と作者は述べました。 ※ 静岡市民に親しまれている葵区にある標高170mほどの山。「しずおか」の名もここに由来し、南麓には静岡浅間神社がある。       ○入選  その人のうすき手のひら梅の径                山本正幸   合評では「梅を見ながら手をつないで一緒に歩いている状況。相手は華奢なひと。相手の手の薄さとこの季節の感じが合っている」「“その人の”というはじまりも想像をそそってよい」「年老いた母親かもしれない!?」などの意見がありました。果たして二人は手をつないでいるかいないか。で連衆間で句座はカンカンガクガク盛り上がりました。 恩田は 「感覚の優れた句です。私は手をつないでいないと読みたいです。その方が清らかです。谷間の人気のない弱い日射しの梅の径を、翳りのある関係の二人が歩いていると読みました」と述べました。       原石賞の二句について、恩田が次のように評し、添削しました。 【原】紅梅の香の蟠る夜の不眠                伊藤重之   「紅梅の香にはどこか動物的な生臭さがあり、“蟠る”の措辞はスバラシイです。ただ“夜の不眠”はくどいので“不眠かな”にしましょう」            ↓ 【改】紅梅の香の蟠る不眠かな 「このほうが切なさが出ませんか」       【原】草萌ゆる目で笑ひゐる緘黙児                猪狩みき 「素材がよく、鮮度があります。緘黙という難しさをもっている子を見守っているやさしさが出ていますね。“草萌や”と切り、“で”を“の”に変えてみましょう」           ↓ 【改】草萌や瞳の笑ひゐる緘黙児   「中七の動詞が生き、瞳の光が感じられるようになったのではありませんか」          合評の後は、第三十三回俳壇賞受賞作『白 中村遥 』の三十句を鑑賞しました。      糸を吐く夢に疲れし昼寝覚    音たてて畳を歩く夜の蜘蛛    蓮の花人の匂ひに崩れけり    が好まれていました。    「独自の視点があって、不安で不気味な感じを表現できるのが、この作者の持ち味ですね」と恩田が評しました。       [後記] 句会の数日前に会員のお一人が亡くなられました。病をもちながら句作に取り組まれていたとのこと。今回の句会には弔句がいくつか出されました。俳句での表現という場があったことが彼女の時間を充ちたものにしていたのではないか、そうだったらいいと思っています。(猪狩みき)                      「記」 2018年10月7日の特選句である  ひつじ雲治療はこれで終わります。 の作者、藤田まゆみさんが、2月16日胆のう癌のため65歳で逝去されました。12月2日の句会まで楽しく句座をともにし、最期まで愚痴一ついわなかった彼女の気丈な生き方に心からの敬意を捧げます。16年に及ぶ親交の歳月を銘記し感謝いたします。まゆみさん、ありがとう。貴女からいただいたエールをこれからも温めて参ります。                 恩田侑布子                         次回兼題は、「蕗の薹」と「春雷」です。 今回は、入選2句、原石賞3句、△1句、ゝシルシ9句でした。みなの高得点句と恩田の入選が重ならない会になりました。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

恩田侑布子さんの「石牟礼道子の俳句」評

20190210 川面さん

川面忠男様がブログの転載をご快諾くださいました。川面様、厚くお礼申し上げます。 ご執筆の日は石牟礼道子さんの一周忌にあたります。     黒田杏子さんが主宰の俳句結社「藍生」の俳誌2月号は石牟礼道子の追悼特集を組んでいる。俳人、作家、学者、写真家の6人が寄稿しているが、その1人は俳人・文芸評論家の恩田侑布子さんで石牟礼道子の俳句を鑑賞している。それを読んでAI(人工知能)のレベルが上がっても石牟礼道子の俳句を作ることは難しいだろうと思った。  石牟礼道子は詩人・小説家だが、2018年2月10日に亡くなった。生前は熊本で水俣病を文明病として訴え、それを文学活動にした。  恩田さんは石牟礼を「みっちん」と親しみを込めて呼び、『石牟礼道子全句集 』から恩田侑布子選として23句を挙げている。これらの中から7句について「石牟礼道子の俳句 ふみはずす近代」と題して論じている。  石牟礼道子の俳句は、コンピューターが集めたビッグデータの解析から抜け落ちるとし、「常人が感知しえない異形のものを聞き澄ます詩人」だと述べている。それは7句すべてに言えるが、とりわけ以下の2句について自分の句作に関連して感じるものがある。    童んべの神々歌う水の声    無季の句。〈童んべ〉は「わらんべ」とルビが振ってある。恩田さんは「等類がない俳句」と言う。等類は素材・趣向が他の俳句と類似することだ。「現代俳人の句は似通っていて、おうおうにして既視感につきまとわれる。一方、石牟礼の自前の感性と自前の言葉は空怖ろしい」。その自前の感性は個性といった安っぽいものではないとも言う。    さくらさくらわが不知火はさくら凪  「不知火」について恩田さんは両義があるとして次のように言う。「ひとつは別称八代海の名を持つ海の名前。ふたつは神話時代からの海上の怪火を意味する秋の季語」。そのうえで、一句の忘れ難さは「さくら凪」という新造季語の初々しさにもある、と指摘する。「新作季語は、俳人が一生かかっても容易にはつくり得ないもの。二十世紀の悲母からわたしたちはやさしく妖しい季語を頂戴した」と付言する。  そして最後に次のように述べる。〈「いま・ここ・われ」は、近現代俳句の合言葉であった。みっちんの俳句はそこから何という遠い地平、何という広やかな海と山の間にあることだろうか。〉  もし私が「さくら」という春の季語と「不知火」という秋の季語を一句に織り込めば、指導者から注意されるだろう。私のように余生の趣味として俳句を楽しんでいる者から見れば石牟礼道子の俳句は別世界であるが、そこに真実の詩があることは恩田さんの鑑賞に導かれて理解できた。       川面忠男(2019・2・10)                     樸俳句会でも取りあげられた『石牟礼道子全句集 泣きなが原 』についてはこちら

俳句討論会「クローデルの日本」がパリ日本文化会館で開催されました。

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俳句討論会「クローデルの日本―『百扇帖』をめぐって」が パリ日本文化会館で開催され、樸代表の恩田侑布子もシンポジストとして登壇しました。 ポール・クローデル(1868-1955)が、日本大使として勤務した最後の年にまとめたフランス語の句集『百扇帖』(Cent Phrases pour Évantails, 1927)について、フランス、アメリカの俳人/俳句研究者と現代日本の俳人、比較文学者が討論しました。          記 俳句討論会「クローデルの日本―『百扇帖』をめぐって」   日時:2019年2月5日(火)18時~  場所:パリ日本文化会館小ホール  座長:杉浦 勉(日本文化会館館長)  シンポジスト:芳賀徹、夏石番矢、         金子美都子、恩田侑布子、         アビゲール・フリードマン(米)         アラン・ケルベール(仏)      ↓ クリックすると拡大します              (撮影 佐藤麻里子)