平成31年4月7日 樸句会報【第68号】
今回は花盛りの吟行句会でした。
午前中に各々が駿府城公園や浅間神社など市内中心地の緑ゆたかな場所で作句し、午後より「もくせい会館」(静岡県職員会館)の和室にて開催されました。新たに2名の仲間が加わり、県外からの参加者も含め総勢14名の連衆とともに、恩田が持参した甘い苺を食べながらの賑やかな句会となりました。
◎特選1句、○入選2句を紹介します。
大杉栄の墓にて
刻まれし名前ひよろりと草若葉
天野智美
大杉栄は大正時代のアナーキストで、関東大震災の混乱の中、軍部によって、妻の伊藤野枝と六つの甥とともに虐殺された。その墓が静岡の沓谷にある。
私はまだ墓参したことがないが、この句を読んで、大杉栄という無政府主義者の生き方が生 々しく立ち上がってくるのを感じた。一句は真ん中八音目の「名前」で切断される。ちょうど栄が三八歳という人生の真ん中で、拷問後に扼殺されたように。切れを挟んで、句の下半身は視線が地べたへ移る。雑草は踏まれても潰されてもなにくわぬ顔をして「ひよろりと」春の日差しに生え出てくる。墓石に刻まれた一個のアナーキストの名前と、痩せていてもなかなか根強い草若葉の生命力が対比される。それがアナーキズムという東西古代からの人類史を脈 々と流れている思想のリアルな息吹であることも体感させる。栄の生涯を悼みながら、人類史を展望し、現代の地球上の草の根の営みまで励ます。淡々として大きな句である。
(選 ・鑑賞 恩田侑布子)
○入選
籾蒔くや抜け出しさうな子を背負ひ
芹沢雄太郎
合評では、「現在の事ではなく、人手が足りなくて、子どもを背負ってでもやらなければならない農作業をしていた昔の話ではないか」「言葉として残しておきたい情景である」「そもそも今回の吟行句ではないのではないか」などの感想がありました。
恩田侑布子は
「籾を蒔く光景は今ではなかなか見られなくなった。しかも子どもを負ぶいながらとは、ますます貴重な情景。“抜け出しさうな子”に、なんとも元気で健康そうな、自分で立ちたがっている一歳ぐらいの子の実感がある。三人のお子を育てながら芹沢さんの奥さんは籾蒔きをされるという。これは家族じゅうで力を合わせて創った俳句。だからはちきれんばかりの命に満ちている」
と評しました。
○入選
古墳へと迫る春筍掘りにけり
芹沢雄太郎
恩田だけが採った句でした。
「静岡市の街なみの真ん中には、ぽこんぽこんとかわいいいくつかの山があって、市民の散策場になっている。この古墳も「きよみずさん」の愛称で親しまれている山頂のもの。山の下にすむ近所の人が、ハシリの筍を掘りに来た。それを“古墳へと迫る春筍”と捉えた眼が卓抜。古墳に、顔を出しかけた春筍が「こんにちは」とよびかけそうで、千数百年隔たった時間が睦みあうような錯覚を覚える。古墳時代と、現代と、ともに晴れやかな日永のなかに存在し合う、何ともふしぎな読み心地をもたらす俳句である」
と評しました。
※「きよみずさん」は静岡市葵区にある「音羽山清水寺」(高野山真言宗)
恩田は、吟行のやり方は結社などによって様々だが、吟行には大きく3つの効果があると言いました。
① 締切がある即吟の為、作者の作為が消えて無意識が句に現れる効果がある。
② その土地の風物や歴史に触れた句が出来る。
③ 句会の仲間との親睦が図れる。
また選句の時間に恩田が、
「選句は全人格を持って俳句に向き合い、個人の好き嫌いではなく、句の水準の高さで選んで下さい」
と話し、オープンマインドでいるために作句帖と別に愛誦句帖を持つことの重要性を説きました。
次回の兼題は「雉」「櫟の花」です。
(恩田侑布子・芹沢雄太郎)
[後記]
筆者にとって初めての吟行句会でした。新たに加わった仲間より、樸の連衆の句に感銘を受けて入会したと聞き、その作者の方々は照れながらもとても嬉しそうな顔をされていました。素直に心を開いて、初心の頃に俳句で受けた感動をいつまでも忘れずにいたいものです。(芹沢雄太郎)
今回は、◎特選1句、○入選2句、△4句、ゝシルシ13句、でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)