5月15日 句会報告と特選句

20190515 上

 令和元年5月15日 樸句会報【第71号】  五月第二回目の句会。まさに五月晴れの中を連衆が集ってきました。  兼題は「鰹」と「“水”という字を使って」。                       ◎特選    緑降る飽かず色水作る子へ                見原万智子    「緑さす」は夏の季語。「緑降る」は季語と認められていないかもしれません。でも、朝顔の花などで色水をつくっている子の周りに、ゆたかな緑の木立があって、一心に色を溶かし出している腕や手や、しろがねの水に「緑が降る」とは、なんという美しい発見でしょう。ピンクや紫色の色水に、青葉を透かして陽の光の緑がモザイクのように降り注ぎます。色彩の祝福に満ちた夏の日の情景。誰の胸の底にもある原体験をあざやかに呼び覚ますうつくしい俳句です。  見原さんはこの句で、「緑降る」という新造季語の作者にもなりました。          (選 ・鑑賞   恩田侑布子)         ◯入選  皮のままおろす生姜や初鰹                天野智美  句の勢いがそのまま初鰹の活きのよさ。ふつうはヒネ生姜の皮を剥くが、ここでは晒し木綿でキュキュッと洗って、すかさず下ろし、大皿に目にもとまらぬ早さで盛り付ける。透き通る鋭い切り口に、銀色の薄皮が細くのこり、生姜や葱や新玉ねぎの薬味も香り高い。初鰹の野生を活かすスピード感が卓抜。(恩田侑布子)  この句を採ったのは恩田のほか女性一人。 「美味しそう!」との共感の声があがりました。(山本正幸)                      ◯入選  藁焼きの鰹ちよい塩でと漢                海野二美  ワイルドな料理を得意とするかっこいい男を思ってしまった。港で揚がった鰹を、藁でくるんでさっとあぶり、締めた冷やしたてを供してくれる時、「ちょい塩で行こうぜ」なんて言ったのかと思いきや、これは作者の弁によれば、御前崎の「なぶら市場」のカウンターでのこと。隣に座ったウンチク漢のセリフという。やっぱり体験がないと、俳句は読み解けないことを痛感した次第。(恩田侑布子)  選句したのは恩田以外一人だけでしたが、合評は盛り上がりました。 「“漢”で終わっている体言止めがいい。暮らしが見えてきます」 「“漢”がイヤ。“女”ではダメですか? ジェンダー的にいかがなものか」 「ジェンダー云々というのではなく、文学的にどうかということなのでは?」 「お客さんがお店のカウンターで注文したところじゃないでしょうか?」 「男の料理と思いました」  など議論沸騰。 (山本正幸)                       ◯入選  水滸伝読み継ぐ午后のラムネかな                山本正幸  上手い俳句。明代の伝奇小説の滔々たる筋に惹き込まれてゆく痛快さに、夏の昼下がりをすかっとさせるラムネはぴったり。ラムネ玉の澄んだ音まで聞こえてきそう。この水滸伝は原文の読み下しの古典ではなくて、日本人作家の翻案本か、ダイジェストか、あるいは漫画かもしれない。という意見もあったが、たしかに長椅子に寝転がって読んでいる気楽さがある。夏の読書に水滸伝はうってつけかも。(恩田侑布子)    合評では 「“水滸伝”に惹かれました。複合動詞がぴったり。ラムネも好き」 「上手いけど、ありそうな句。手に汗を握ってラムネを飲んでいる」 「“水滸伝”は昔少年版で読みましたよ」 「“水滸伝”の“水”と“ラムネ”の取合せがどうでしょうね?」 などの感想、意見が聞かれました。(山本正幸)       【原】まだ距離をはかりかねゐて水羊羹                猪狩みき  知り合って間もないふたりが対座する。なれなれし過ぎないか。よそよそし過ぎないか。どんな態度が自然なのか。どぎまぎする気持ちが、水羊羹の震えるような切り口に託される。が、このままでは調べがわるい。「ゐて」でつっかえ、水羊羹に砂粒があるよう。 【改】まだ距離をはかりかねをり水羊羹  「はかりかねをり」とすれば、スッキリした切れがうまれ、水羊羹の半透明の肌が、ぷるんとなめらかな質感に変化する。「り・り・り」の三音のリフレインも涼しく響きます。       【原】はがね色目力のこる鰹裂く                萩倉 誠    詩の把握力は素晴らしい。でもこのままだと、「のこる」のモッタリ感と「裂く」のシャープ感が分裂してしまう。   【改】鰹裂くはがね色なる眼力を    こうすれば、鰹に包丁を入れる作者と、鰹の生けるが如き黒目とが、見事に張り合う。拮抗する。そこに「はがね色」の措辞が力強く立ち上がって来るのでは。       【原】水中に風のそよぎや三島梅花藻                天野智美    柿田川の湧水に自生している三島梅花藻は、源兵衛川でも最近はよくみられるという。清水に小さな梅の花に似た白い花が、緑の藻の上になびくさまはじつに涼しげ。それを「水中にも風のそよぎがある」と捉えた感性は素晴らしい。しかし、残念なのはリズムの悪さ。下五が七音で、おもったるくもたついている。   【改】みしま梅花藻水中に風そよぐ    上下を入れ替え、漢字を中央に寄せて、上下にひらがなをなびかせる。「風のそよぎや」で切っていたのを、かろやかに「風そよぐ」と止めれば、言外に余白が生まれ涼しさが感じられよう。           (以上講評・恩田侑布子)                        第53回蛇笏賞を受賞した大牧広(惜しくも本年4月20日に逝去)の第八句集から第十句集の中から恩田が抄出した句をプリントで配布しました。 連衆の共感を呼んだのは次の句です。    枯葉枯葉その中のひとりごと    凩や石積むやうに薬嚥む    外套の重さは余命告ぐる重さ  落鮎のために真青な空があり    ひたすらに鉄路灼けゐて晩年へ    春帽子大きな海の顕れし    人の名をかくも忘れて雲の峰    秋の金魚ひらりひらりと貧富の差    仏壇にころがり易き桃を置く         本日句会に入る前に『野ざらし紀行』を読みすすめました。    あけぼのやしら魚白き事一寸(いつすん)    漢詩には「白」を主題に詠む伝統があり、芭蕉の句もこれを継いでいるという説がある(杜甫の“天然二寸魚”)。しかし、典拠はあるものの芭蕉の句は杜甫の詩にがんじがらめになっていない。古典の知識だけで書いているのではない、遠く春を兆した冬の朝のはかない清冽な美しさがここにある。新しい文学の誕生を告げる句のひとつである。と恩田が解説しました。     [後記]  句会の終わり際に読んだ大牧広の句には筆者も共感しました。80歳を超えても、「老成」せず、枯れず、あたかも北斎やピカソのように「自己更新」してやまない俳人の姿に多くの連衆がうたれたのです。  恩田も5月10日の静岡高校教育講演会において、「きのふの我に飽くべし」との芭蕉の言葉を援用し「自己更新」の喜びを語っていました。  ※講演会についてはこちら  次回兼題は、「五月・皐月」と「“手”という字を使って」です。             (山本正幸)  今回は特選1句、入選3句、原石3句、△3句、シルシ6句、・11句と盛会でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

青女 30句 恩田侑布子

20190514 青女 上

『俳壇 』二〇一九年一月号 三〇句  青女       恩田侑布子 「俳壇」2019年1月号に掲載された恩田侑布子の「青女」30句をここに転載させていただきます。  「俳壇」二〇一九年一月号  三〇句                           青女        恩田侑布子          南面の榧の神木冬に入る                              虫食ひの粉引徳利冬ぬくし                    たまゆらは永遠に似て日向ぼこ               日当れば岐れ路ある枯野かな                  よく枯れて小判の色になりゐたり                  引くほどに空繰り出しぬ枯かづら                   霜ふらば降れ一休の忌なりけり                    手から手へ渡す小銭や冬ぬくし                    鬼の歯は川原石なり里神楽                    群峯は羅漢ならずや冬茜                    琅玕の背戸や青女の来ます夜                   のど笛のうすうすとあり近松忌                    淡交をあの世この世に年暮るる                    水音のほかは黙せり初景色                   初凪は胸の高さや神の道                    初富士を仰ぐ一生(ひとよ)の光源を                       初風に鵬のはばたき聞かんとす                     橙の鎮座にはちと小さき餅                        山水を満たす湯舟や四方の春                    宝船手ぶらで来いと云はれけり                    牛蒡注連うねりくねつてどこへゆく                     つややかに吾も釣られたし初戎                      跳ね返るもの福笹と呼びにけり                        新玉のあたまのなかをやはらかく                       まばたきに混じる金粉三ヶ日                         初閻魔肋骨に肉殖やしては                         枯蘆にくすぐられゆく齢かな                        母呼ばぬ永き歳月冬牡丹                        寒晴にあり半月と半生と                        絶壁の寒晴どんと来いと云ふ                

5月5日 句会報告

20190505 句会報用 上

令和元年5月5日 樸句会報【第70号】 10連休のさなか、夏のような陽気の5月5日に句会がありました。 兼題は「袋掛」と「夏山」。 入選1句、△2句を紹介します。   ○入選  げんげ編めば編むほどひと日長くなる                田村千春   恩田以外に採った人は男性が一人。 「かわいいなあという思いがわく。少女が野原で日が暮れるのを忘れるほど集中してげんげを編んでいる。時間の長さとひと日の長さのハーモニーが良い」と共感を述べました。 「観察者ではなく編んでいる人になりきって詠んでおり、ふしぎな詩の発見がある。”編めば編むほどひと日長くなる“と感じられるときがある。いまこのときが永遠のような気がする感覚。‟春日遅遅”の情が深くとらえられた。春の空気感がリアルで、リズムと内容が合っている。前半の「げ」「ば」「ど」の濁音が編み込まれてゆく湿ったげんげ束の質感をおもわせ、大変効果的」と恩田侑布子が評しました。        △ 青重くとろり滴る山となる                萩倉 誠   「一物仕立ての句。芭蕉の“黄金打延べたる句”ですね。一物仕立ては難しいのだが、成功すればうまい、平凡でない句になる。山の存在感が表現されている、感覚のいい句。‟青重く‟は、この句のよさでもあり悪さでもあるところ。‟青“と‟滴る山”で季重なりの気味があるからです。青を消す方向で考えてみると大化けしそう」と恩田が評しました。        △ 薫風や四元号をかくる友                前島裕子   恩田のみに採られた句でした。 「友がいい。父や母なら成り立たない。友はある意味、人生の伴走者なので、大正、昭和、平成、令和の四元号を駈ける実感がともなう。そこに句の力強さが生まれた。実際に即していえば、かなりお齢のはなれた友だろう。その老境の友への尊敬とエールが、こちらに反響してかえってくる。こころあたたまる句です」(恩田評)       (参考)芭蕉の“黄金打延べたる句” 先師曰く、発句は頭よりすらすらといひ下し来るを上品(じょうぼん)とす。先師酒堂に教えて曰く、発句は汝が如く、二つ三つ取り集めするものにあらず。金(こがね)を打延べたる如くなるべし、と也。(『去来抄』)     [後記] 季語をどう斡旋するか、季語の本意をわきまえて使うことの重要性も合評の中で話題になりました。季語を自分の中でどう実感のあるものにしていくかが大事だということをあらためて感じました。「題を出されてそれに合わせて句を作るだけでなく、自分の表現したいものをその時々の季語を選んで作句するという主体的な句作りも大事に大切に育てていってほしい」という恩田先生の言葉を心にとめておきたいと思います。 次回兼題は、「鰹」と「‟水“の文字を使った句」です。(猪狩みき) 今回は、入選1句、△3句、シルシ4句、・15句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

5月10日 講演会盛会に、心よりお礼申し上げます。楽屋に押しかけてくれた静高生の熱意に感激しました!

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  第40回 静岡高校教育講演会 日時  2019年5月10日(金)13:30~15:30 会場  静岡市民文化会館 大ホール 講師  恩田侑布子 俳人・文芸評論家 演題  「あなたの橋を架けよう」  当日の講演要旨です ↑ クリックで拡大します 静岡の美しい自然の森と、本ということばの森。二つの森をさまよった高校時代 高校時代に出会ってライフワークとなった仏教から、若者たちへ、はなむけのことばを語ります 一階席の約千人の高校生、二階席の一般市民、ともに私語もなく聴き入りました    一句で飯田蛇笏を師と思ったという出会い   「耕し読解」は、本講演の大きな山場です 「耕し読解」は、あらゆるクリエイティビティーの土台になります    人間の真善美をAIに明け渡さないで・・・   俳句朗読パフォーマンス ステージを縦横に・・・ ハイティーンの高校男子に「さらば少年」の句を捧げます    三つ編みの髪の根つよし原爆忌           分かち合ひしは冬霧の匂ひのみ ショパンの「雨だれ」(ピアノ:サンソン・フランソワ)にあわせて 日仏語両方で朗読    楽屋にて 静高生たちと話がはずみます         閉会後の楽屋に20人ほどの質問者が詰めかけ嬉しい悲鳴。質疑応答は1時間を超しても終わらず、とうとうロビーに座を移すことに。夕方5時過ぎまで、腹を割って話し合った5人とパチリ。 真剣で頼もしい若者たちよ、君たちの未来に栄光あれ! ※ 写真撮影は山本均様(静岡高校95期卒業)のご協力によるものです。記してお礼申し上げます。

4月24日 句会報告

20190424 句会報用 上

平成31年4月24日 樸句会報【第69号】 四月第二回目、平成最後の句会です。 兼題は「雉」と「櫟の花」。 入選2句、原石賞1句、△3句、ゝシルシ1句を紹介します。   ○入選  口紅で書き置くメモや花くぬぎ               村松なつを  エロティシズムあふれる句。山荘のテーブルの上、もしくは富士山の裾野のような林縁に停めた車中のメモを思う。筆記用具がみつからなかったから、女性は化粧ポーチからルージュを出して、急いで一言メモした。居場所を告げる暗号かも。男性は女性を切ないほど愛している。あたりに櫟の花の鬱陶しいほどの匂いがたちこめる。昂ぶる官能。こういうとき男は「オレの女」って思うのかな。 (恩田侑布子)   合評では 「口紅の鮮やかさと散り際の少しよごれたような花くぬぎとの対比が衝撃的です。口紅でメモを書くなんて何か怨みでも?」 「せっぱつまった気持ちなのだろうが、口紅で書くなんて勿体ない」 「カッコいい句と思いますが、花くぬぎとの繋がりがよくわからない」 「櫟を染料にする話を聞いたことがあります」 「もし私が若くて口紅で書くなら、男を捨てるとき。でも好意のない男には口紅は使えない・・」 「カトリーヌ・ドヌーヴがルージュで書き残す映画ありましたね」 「歌謡曲的ではある」 など盛り上がりました。  (山本正幸)              ○入選  暗闇に若冲の雉うごきたる                前島裕子   「若冲の雉」は絵だから季語ではない。無季句はだめと、排斥する考えがある。わたしはそんな偏狭な俳句観に与したくはない。詩的真実が息づいているかどうか。それだけが問われる。  この句は、まったりとした闇の中に、雉が身じろぎをし、空気までうごくのが感じられる。動植綵絵の《雪中錦鶏図》を思うのがふつうかもしれない。でも、永年秘蔵され、誰の目にも触れられてこなかった雉ならなおいい。暗闇は若冲が寝起きしていた京の町家、それも春の闇の濃さを思わせる。燭の火にあやしい色彩の狂熱がかがようのである。 (恩田侑布子)  合評では 「絵を観るのはすきで、本当に動くようにみえるときがある。そのとき絵が生きているのを感じます」 「季語が効いていないのでは?」 「暗闇でものが見えるんでしょうか」 「いや、蝋燭の灯に浮かび上がるのですよ」 「暗闇に何かが動くというのはよくある句ではないか。“若冲の雉”と指定していいのかな?若冲のイメージにすがっている」 と辛口気味の感想、意見が聞かれました。 (山本正幸)             故宮博物院にて        【原】春深し水より青き青磁かな                海野二美  「水より青きは平凡ではないか」という声が合評では多かった。しかし俳句は変わったことをいえばいいと言うものではない。平明にして深い表現というものがある。一字ミスしなければ、この句はまさにそれだった。「し」で切ってしまったのが惜しまれる。 【改】春深く水より青き青磁かな  春の深さが、水のしずけさを思わせる青磁の肌にそのまま吸い込まれてゆく。雨過天青の色を恋う皇帝達によって、中国の青磁は歴史を重ねた。作者が見た青磁は、みずからの思いの中にまどろむ幾春を溶かし込んで水輪をつぎつぎに広げただろう。それを「春深し」という季語に受け止め得た感性はスバラシイ。        △ 君にキス立入禁止芝青む               見原万智子    三段切れがかえってモダン。若さと恋の火照りが、立入禁止の小さな看板を跨いだ二人の足元の青芝に形象化された句。        △ 渇愛や草の海ゆく雉の頸                伊藤重之  緑の若草に雉のピーコックブルーの首と真っ赤な顔。あざやかな色彩の躍動に「渇愛や」と、仏教語をかぶせた大胆さやよし。        △ ぬうと出て櫟の花を食む草魚               芹沢雄太郎        ゝ ノートルダム大聖堂の春の夢               樋口千鶴子    4月16日に焼け落ちた大聖堂の屋根を詠んだ時事俳句。火事もそうだが、大聖堂で何百年間繰り返された祈りも、いまは「春の夢」という大掴みな把握がいい。 (以上講評は恩田侑布子)       今回の兼題の例句が恩田からプリントで配布されました。 多くの連衆の共感を集めたのは次の句です。  雉子の眸のかうかうとして売られけり               加藤楸邨  東京の空歪みをり花くぬぎ              山田みづえ         [後記]  本日は句会の前に、『野ざらし紀行』を読み進めました。 「秋風や藪も畠も不破の関」の句ほかをとおして、芭蕉が平安貴族以来の美意識から脱し、新生局面を打ち開いていくさまを恩田は解説しました。 じっくり古典を読むのは高校時代以来の筆者にとって、テクストに集中できる得難い時間です。  句会の帰途、咲き始めた駿府城址の躑躅が雨にうたれていました。句会でアタマをフル回転させたあとの眼に新鮮。  次回兼題は、「夏の山」と「袋掛」です。(山本正幸) 今回は、入選2句、原石1句、△7句、ゝシルシ11句でした。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △入選とシルシの中間 ゝシルシ ・シルシと無印の中間)