令和元年12月25日 樸句会報【第83号】
本年最後の句会はクリスマスの日。
兼題は「枯野」と「山眠る」です。
入選句と△の句のうち高点2句を紹介します。
○入選
老教授式典に来ず山眠る
見原万智子
老教授個人を表彰する式ではないにしても、その業績によるところ大の顕彰式典と思われる。ところが、いちばんの功績者が出席されない。体調がいま一歩というのは表向きで、最初から式典など晴れがましいところには出たくないのかもしれない。しかし、教授が一生をかけてきた仕事の成果は冬山のように静かに大きくそこに存在している。「山眠る」という季語が底光りしてわたしたちを見守る。渋い句である。
(恩田侑布子)
合評では
「着想が面白いですね。それだけで頂きました」
「なぜ来られなかったのか考えさせられます。体調が悪かったのか、それとも反骨心から出席を拒否したのか」
「“式典に来ず”と“山眠る”が響き合っています」
「教授の信条と冬の山の雰囲気がよく合っています」
「分かりにくい。老教授が来ないとなぜ“山眠る”なのか?」
「山が見えるところで式典が行われているとすれば、“来ず”でなく“来る”もアリか?」
など共感の言葉や疑問、意見が飛び交いました。
(山本正幸)
△ 山眠る緞帳おもき大広間
田村千春
合評では
「いかにも深い山の静けさが伝わってきます」
「温泉ホテルの舞台の緞帳かな」
「そう、さびれた温泉宿でしょう」
「“おもき”と“山眠る”がとても合っている」
「いや、逆に“緞帳おもき”と“山眠る”はツキ過ぎじゃないですか」
「大広間ではなくもっと広いところ、歌舞伎座のようなところを想像しました」
「場所は田舎で、町内か何かが持っている〇〇会館のホールの緞帳かもしれません」
「緞帳の柄が山ってことですか? この句、どうやって読めばいいのでしょう?」
などの感想、疑問が出されました。
恩田は
「大きなガラス窓から山々が見えている温泉旅館の舞台を思いました。歌舞伎座などの都会ではなく、古い懐かしい光景。新し味はないが、表現が手堅く、しっかり描きとっています」
と講評しました。
(山本正幸)
△ 晦日蕎麦兄の齢をいくつ越し
萩倉 誠
合評では
「年越しそばですね。亡くなったお兄さんを偲んで食べているところ」
「しみじみと兄のことを想っている。仲の良い兄弟を連想しました」
「誰かの歳を越えるというのはよくある表現ではないか。母の歳を越す、父の歳を越す…。陳腐な形だと思う」
「父母ならそうかもしれませんが、ここはお兄さんのことだから親とは違った感慨があるのでは?」
などの感想、少し辛口の意見も述べられました。
恩田は
「年越しの夜にお兄さんの享年を考えている実感が胸に迫ります。でも、Nさんのおっしゃるように、類想は多いですね」
と講評しました。
(山本正幸)
投句の合評・講評の前に、芭蕉の『野ざらし紀行』を読み進めました。
伏見西岸寺任口上人にあふて
我衣にふしみの桃の雫せよ
大津に出る道、山路を越て
やま路來てなにやらゆかしすみれ草
恩田から
「『野ざらし紀行』には芭蕉のエッセンスが入っています。伏見の句は調べが美しく、挨拶句として鮮度が高い。“すみれ草”の句はひとつの冒険句です。それまでの和歌では“野のすみれ”を詠む伝統がありましたが、芭蕉は山道のすみれを詠んだ。“歌の道を知らない奴だ” との批判もありましたが、芭蕉は手垢のついた野のすみれではなく、ひとの振り向かない山路のすみれにこころを惹かれたのです。蕉風確立寸前の句ですね。平易、平明な措辞は“道のべの木槿は馬に食はれけり”と並んで『野ざらし紀行』中の秀逸と評する人もいます」との解説がありました。
注目の句集として、小林貴子『黄金分割』(2019年10月 朔出版)。
このなかから、帯より十句と恩田が抄出した十句が紹介されました。
連衆の共感を集めたのは次の句です
学僧の音なき歩み春障子
花びらを掬ひこぼしてまた迷ふ
大阪の夜のコテコテの氷菓かな
岩塩は骨色冬は厳しきか
月今宵土偶は子供生みたさう
[後記]
平成から令和にかわった年の暮の句会は議論沸騰、散会は午後5時となりました。
今年も和気藹藹、盛り上がった一年でした。風通し良く、自由に発言できるのは樸俳句会の真骨頂と思います。
筆者にとっては、実体験に基づいた俳句には力があるということを再認識した年となりました。アタマで作った俳句はことごとく恩田代表の選から落ちたのです。たとえ実体験を伴わなくとも「詩的真実」があれば選に入るのでしょうが・・・。まだまだ道遠しです。
次回兼題は、「初」と「新年の季語」です。
樸ホームページをご高覧いただいた皆様、本年もありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。
(山本正幸)
今回は、○入選1句、△6句、ゝシルシ6句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)