令和2年3月1日 樸句会報【第87号】
3月最初の句会です。新たに入会希望の方も見学に来られ、句会に新たな息吹が感じられました。
兼題は「水温む(春の水)」と「石鹸玉」です。
特選1句、入選1句、原石賞2句を紹介します。
photo by 侑布子
◎ 特選
なまくらな出刃で指切る日永かな
天野智美
特選句についての恩田の鑑賞はあらき歳時記に掲載しています
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合評では、「日永との取り合わせが面白い」「“な”が4回出てきて、調べが日永に合っている」「心もなまくらでボーッとしていて・・自戒をこめた句」などの意見が出ました。また日永という季語の本意が掴みにくいという声もあった。ちなみに山本健吉著「基本季語500選(講談社学術文庫)」では日永について次のように書かれている。
「俳諧の季題では、日永が春、短夜が夏、夜長が秋、短日が冬である。日永と短夜、夜長と短日は、算術的に計算すると、一致すべきはずだが、和歌、連歌以来そう感じて来ている。季感は人間が感じ取るものだから、理屈で割り切っても仕方がない。待ちこがれていた春が来た歓びと、日中がのんびりと長くなったことへのひとびとの実感が、日永の季語を春と決めたのであって、長閑が春の季語であることも相通ずる」
(芹沢雄太郎)
photo by 侑布子
○入選
春の水洗ふや堰の杉丸太
見原万智子
春になって水量がゆたかになり、土砂の崩れた岸や山際に、杉皮のついたままの丸太が土止めとして使われている光景を、いきおいと力のある措辞でいい切った句。景色に鮮度と野性味がある。「春の水洗ふや」という一息九拍のスピード感が「堰の杉丸太」にぶつかる様がリアルだ。春の力とういういしさを同時に感じさせる。
(恩田侑布子)
合評では、「景が良く詠めている」「今は堰に杉丸太を使う所は少ないだろうが、どこを詠んだ句なのか気になる」などの意見がでました。
(芹沢雄太郎)
【原】水温む駆け寄る吾子の頬に砂
活洲みな子
芳草が萌出し春らしくなった川ほとり。石川原のあいだの砂場で一心に砂掘りしていた子が、なにか見せようとするのか、「おかあさん」と駆け寄って来る。上気したまるい頬は汗ばんで、こまかい砂をつけている。情景がよく見える。ひとつ惜しいのは「吾子」の措辞。まさに、吾が子可愛やの「吾子俳句」そのものになってしまった。子にも孫にも「吾」は要らない。余分なものをとれば、俳句が普遍性を獲得する。
【改】かけ寄れる子の頬に砂水温む
(恩田侑布子)
本日の高得点句でした。合評では、「春の喜びが句から伝わってくる」「孫は寒い時期は動きが鈍い。それが暖かくなってくると、外で夢中に遊び始めるのを思い出した」「実にほほえましい光景ですね」「動詞が多いのが少し気になる」等の意見が出ました。
(芹沢雄太郎)
【原】黒猫に漱石吹くや石鹸玉
安国和美
「吾輩は猫である」の猫は黒猫だった。「黒猫に漱石」では即きすぎかと思うが、後半で予想は小気味よく裏切られる。文豪の漱石が、幼児の好むしゃぼん玉を、愛する猫に向かって吹く面白さ。胃潰瘍の漱石の人生にもこんな長閑なひとときがあったらよかった。ただ、「切れ」は大切だが、何でも切ればいいわけでもない。切字は内容と相談しよう。この句に勇ましい切字は要らない。やさしく夢のようなしゃぼん玉を飛ばせてあげよう。
【改】黒猫へ漱石の吹く石鹸玉
(恩田侑布子)
合評の前に本日の兼題の例句が恩田により配布されました。
連衆の共感を集めたのは次の句です。
春の水山なき国を流れけり
与謝蕪村
春の水岸へ/\と夕べかな
原 石鼎
春水をたゝけばいたく窪むなり
高浜虚子
野に出づるひとりの昼や水温む
桂 信子
向う家にかがやき入りぬ石鹸玉
芝不器男
ふり仰ぐ黒き瞳やしやぼん玉
日野草城
句会の終り近く恩田から、2月26日に東京青山葬儀場で行われた芳賀徹先生の告別式の様子が報告されました。
「無宗教の花葬の立派なご葬儀でした。小学校から中学・高校・大学まで、八〇年間も肝胆相照らす親友で、東大教養学部一期生の揃って大学者になられた平川祐弘先生と、高階秀爾先生の弔辞が、お二人で一時間近く。中身が濃く細やかで情がこもって圧巻でした。
ご子息のご挨拶も、見事なご尊父の生涯を「みなさまがいてくださったからこそ」と感謝し褒め称えるもので、半分は三保の松原の天人の世界のできごとのようでした。
また中村草田男の愛嬢・中村弓子先生と、昨冬パリでご一緒させていただいた金子美都子先生と歓談でき、芳賀先生が私のことを「野性味がいいんですよ」と認めてくださっていたことを弓子さんからお聞きし、芳賀山脈の居並ぶ秀才をさし置いて、シンポジウムのメンバーにこんな駿河の山猿を抜擢してくださったことをあらためて感謝した次第です」
photo by 侑布子
[後記]
本日の句会中に、恩田から芳賀徹さんの葬儀に参列された際のエピソードが語られました。筆者は話を聞きながら「俳句あるふぁ2019年冬号」にて、芳賀さんと恩田がポール・クローデルの百扇帖をめぐって意見をぶつけ合うのを読み、興奮したのをひとり思い出していました。対談での互いに譲らないすさまじい熱量を目の当たりにし、自分に芯をしっかりと持つことの大切さを学んだ気がします。
次回兼題は、「ヒヤシンス」と「囀」です。
(芹沢雄太郎)
今回は、◎特選1句、○入選1句、原石賞2句、△4句、ゝシルシ10句、・3句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
photo by 侑布子
ポール・クロデルの百扇帖
外交官という職種は上流階級かも知れない。しかし彼は日本の後アメリカに赴任しているし、帰国後敬虔なクリスチアンになったと伝え聞く。
よって百扇帖は彼の手慰みである。これを日本人が高い評価を与えるほどのこともないがこの題で結構お金が付くようだ。しかしパリ大学での講演がキャンセルになっていることを見落としてはいけない。これがフランスの評価ではないか?
この講演会は芳賀氏の体調不良で延期になり、講演会の司会を日本文化会館の館長が代理で務める変則的なものであった。パネラーは5人で芳賀氏もそのひとり。芳賀氏の毒舌が番矢に爆発、だが白人には甘い。その後金子さんが無難にこなし、恩田さんへ。北斎で躓いて芳賀氏のパンチ。。。
このサイトで芳賀氏の訃報を知った次第。
パリで最後の講演をと思う人が多いのでしょうか?
これも一期一会。
植村さま
ポール・クローデルのシンポジウムをお聴きいただき、パリから海を超えてのmailを感謝いたします。
クローデルのクリスチャンとしての立場はよくわかりませんが、彼の日本理解は深く鋭く日本人にとってありがたいものです。
日本とフランスの文化と文学を両睨みおできになる植村さんに、樸HPをご覧いただき光栄に存じます。
新型コロナウイルスに負けず、またお会いできます日を楽しみにしております。
恩田侑布子