令和2年4月22日 樸句会報【第89号】 前回に引き続き今回もネット句会です。連衆の自宅での生活が増えたせいか、それぞれ自分の生活をしっかりと見つめた句が多く出されました。 今回の兼題は「筍」「浅蜊」です。 入選2句、原石賞3句及び△の高点句を紹介します。 ○入選 鬼平の笑ひと涙あさり飯 萩倉 誠 池波正太郎原作の「鬼平犯科帳」は、テレビドラマ・劇・アニメと大衆的人気を獲得し続けているようです。浅蜊もまさに庶民の味です。「笑ひと涙あさり飯」と名詞を三つぽんぽんぽんと置いた処、あさり飯のほんのり甘じょっぱい美味しさが、江戸の非道と戦う鬼平の人情とふところのふかさにぴったり。「汁」でなく「飯」であるのもいいです。この一字で締まりました。 (恩田侑布子) 【合評】深川飯か・・江戸っ子俳句は粋だねぇ。 ○入選 リハビリの足先へ降る桜蘂 山本正幸 季語の斡旋が味わい深い句です。もしこれが「落花かな」でしたら一句は甘く流れてしまったことでしょう。「桜蘂」の紅い針のような、見ようによっては音符のような蕊が、傷めたつま先へ降ってくることで、この春じゅうの切なさ淋しさが体感として伝わってきます。リハビリに励む春愁のなかのけなげさ。 (恩田侑布子) 【原】観覧車一望の富士霞をる 前島裕子 内容は雄大な景でこころ惹かれます。観覧車と一望がやや即きすぎかも知れません。いろいろな推敲の仕方がありますが、一案として、 【改】富士霞へと上りつつ観覧車 とされると、雄大な春の空中散歩の気分がかもしだされましょう。 (恩田侑布子) 【原】食卓のキュビスムならむ蒸し浅蜊 山本正幸 発想が斬新。詩の発見があります。「キュビスム」はよく出ました!でも「食卓の」という上五の限定はどうでしょうか。料理名が下五にくるので、やや説明的でくどい感じになってしまい、キュビスムの意外性がそがれませんか。一例に過ぎませんが、 【改】浅蜊の酒蒸し夜半のキュビスムか と、あえて破調の字足らずにするテもあります。リズムもキュビスムにしちゃうのです。 (恩田侑布子) 【原】肩ほそきひと遥けしや飛花落花 山本正幸 恋の句です。夢二の繪のようなはかなげにうつくしい女性と、若き日に花見をしたことがあったのでしょう。もう逢えないひとであればなおさら楚々としてうつくしく飛花落花のはなびらに幻が浮かびます。ただしリズムがややつっかえます。内容の繊細さを生かして、 【改】肩ほそきひとのはるけし飛花落花 と、ひらがな主体にやさしくいいなしたいところです。 (恩田侑布子) 【合評】 夢二? △ 敗戦の兵筍を提げ帰る 村松なつを 顔の煤けやつれた帰還兵が、筍だけを提げて帰ってきたとは感動の瞬間です。むかし小説か映画でこのシーンをたしかに観たような気がします。気のせいならいいのですが。面白いけれど、デジャビュー感が気になり三角にいたしました。 (恩田侑布子) 【合評】 実際にこういう復員兵がいたのかどうかわからないが、ボロボロになっても不屈の生命力で筍を手に帰ってきた場面を想像すると市井の人の歴史の一コマを見るような感慨を覚える。「提げ帰る」という複合動詞が立ち姿、風貌まで浮かび上がらせてとても効果的。 感傷より食欲か・・人間は逞しい!コロナにもきっと勝利するでしょう。 「提げ帰る」の言い切りに説得力があり、敗戦の光景を知らずともこういう場面があったのかもしれないと感じさせます。「敗戦」と「筍」の取り合わせも、生きることへの希望や強かさを感じさせて良いなと思いました。 疲れ果てた命からがらの復員なのに、せめて家族に何か土産をと探し回った。そういう精一杯の心情を感じました。 今回の句会のサブテキストとして、恩田侑布子が『俳句界』2020年4月号に掲載した特別作品21句「何んの色」を読みました。 連衆の句評は「恩田侑布子詞花集」に掲載しています ↑ クリックしてください [後記] 二回目のネット句会でした。連衆の顔を思い浮かべながらの選句・選評は、自宅での生活が続く中で心の清涼剤となりますが、やはり生身の体を持ち寄って行う句会が恋しくなるばかりです。 またサブテキストの恩田の句群を集中して読むことで、残り少ない春の気配が再び息を吹き返してきました。夏が近づくのを感じつつ、春を惜しむ心を持って、それぞれの生活に勤しんでいきたいものです。(芹沢雄太郎) 次回の兼題は「八十八夜」「憲法記念日」です。 今回は、○入選2句、原石賞3句、△2句、ゝシルシ4句、・8句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
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「何んの色」から五句
むき向きに三千世界柳の芽 恩田侑布子 毛氈の緋の底無しやひゝなの夜 何んの色ならん春愁うらがへす 星霜の密(しじ)なるしだれざくらかな 汽水湖や尻から春の風抜けて 恩田侑布子詞花集 「何んの色」 『俳句界』2020年4月号掲載の恩田侑布子特別作品21句から、連衆の高点句とその選評です。 むき向きに三千世界柳の芽 芽吹くときだけあちこちを向く柳の新芽。その先々に三千世界が広がっているという発想に惹かれました。芽のひとつひとつから三千世界に繋がる糸が垂れ下がり風に揺られているのを想像すると、柳の持つ幽玄さの理由を垣間見る気がします。成長すると柳の葉は「一世界」を向いていくように思います。無垢な姿のときにだけ見える景色への羨望のようにも感じました。(山田とも恵) それぞれにそれぞれの命。柳に芽吹いた無数の命。それぞれがそれぞれの生き様をさらしていく。(萩倉誠) 毛氈の緋の底無しやひ ゝなの夜 緋色が闇に閃いている。生命力に溢れ、魔除けとして使われる色。実は底知れぬ暗さをも孕んでいるのだと、この句に知らされました。そんな時空を超えた世界、濃密な「ひゝなの夜」へと、ひとり迷い込んだ心地に。(田村千春) 人形とはどこか暗さを秘めているもの。雛もまたそうだ。毛氈の緋色はその底に黒を秘めている。その色を「底無し」と表現する作者の感性に共鳴する。「ひゝなの夜」が一層この句に深さを与えている。(村松なつを) 「底無し」という把握が恐ろしくも惹かれるところです。子の健やかな成長を祈る雛人形は、形代として災厄を引き受ける役目もあるのでしょう。「底無し」の緋毛氈に沈んでいくような夜の感覚が鋭く、採らせていただきました。(古田秀) 何んの色ならん春愁うらがへす 齢重ねても答えられない複雑な問い。表現力の問題だけではない。(安国楠也) 「歓楽極まりて哀情多し」華やかに心浮き立つ春、ふと悲しみに襲われる時その哀愁の裏にある色は?心象風景を色彩感覚になぞらえる美に酔う。(金森三夢) この句を読むまで無感情に仕事をこなしていたのに、「うらがへす」まで読んだら、地平線から水平線まで、私の世界はすっかり物憂いヴェールで覆われてしまいました。一つひとつの感情に、まずはどっぷり浸からなくては、と思いました。(見原万智子) 春はすべてが眩しいけれど、愁いの影も落ちている。涙のフェイスペイントを施したピエロの笑顔にも似て。纏いつく生地の、本当の色を見極めたい。「うらがへす」という鮮やかな表現により、少女のような思いが伝わってきます。(田村千春) 星霜の密(しじ)なるしだれざくらかな 「星霜」という言葉によって、単なる桜の美しさだけでなく、作者を含むこの木を見てきた人たちの(そして桜の木が見おろしてきたであろう)長い年月の様々な思いや苦難まで想像させ読み手を共振させる一句。S音の繰り返しが密やかな息遣いまで感じさせる。(天野智美) しだれ桜には星霜(歳月・光陰)がひそかに充ちているという句意です。この句を読んでしだれ桜の見え方が一変しました。「ものを見る」というのはこういうことなのですね。口ずさんでみると、サ行音の連なりが実に心地よく響きます。(山本正幸) 汽水湖や尻から春の風抜けて 春の浜名湖(林彰) 浜名湖でしょうか。上五で広々した湖が浮かび、中七で作者のお尻にクローズアップして、その後また春の風が湖に広がっていきます。作者は湖に正対して、心がのびやかになる句です。(芹沢雄太郎)
韻文への迷路
韻文への迷路 金森三夢 私の俳句との出会いは、小学校の国語。「万緑の中や吾子の歯はえそむる」という草田男の作品でした。緑と白の瑞々しい対比の素晴らしさに心を奪われました。そして俳句の奥行きの深さを知ったのが、高一の時に習った虚子の「桐一葉日当たりながら落ちにけり」でした。日当たりながらという中七が、秋の日差しの中で桐の葉がゆっくりと落ちていく様子を適確に写生したものと、現国の担任で、かの石原慎太郎と芥川賞を争ったという豪傑・西山民雄先生に教えて戴き感銘を受けました。 俳句は散文的な要素を極端に嫌います。説明的な句は厳格にタブー視されます。私はこれまでほぼ散文一刀流。生まれて初めて活字にしていただいたのが小6の作文。初めて原稿料を戴いて全国の書店に並んだのもエッセイ、初めて印税を戴いたのは小説とすべて散文でした。十年ほど前、呆け防止のためNHKの俳句講座で独学を始め、ビギナーズラックで月刊角川やNHKテキストに四回載せて戴いた俳句も決して満足のいく作品ではありませんでした。独学の限界を感じた昨今、高校の先輩の三木卓氏から恩田侑布子氏を紹介され、講演会で恩田氏のお話を拝聴し感銘を受け、五ケ月前から樸の句会に入会させて戴きました。句会は自らの欠点を見つめ直す素晴らしい道場です。恩田代表から「こんな観念的な句は散文でも書ける。散文では表現できない機微を端的に17音で伝えるのが俳句」とのご指摘を受け、所謂「切れの余白」と「季語の本意」という考え方が朧げながら理解できるようになり、句会出席の楽しみが増して来たこの頃です。 恩田代表のひたむきで、ストイックな俳句への姿勢に驚きながら、自らは俳人の域に達するのは無理でも、一日一句を重ねつつ、日々高みを目指し、出来れば俳句富士山の五合目位まで登れればと念じて藻掻き苦しむ毎日です。 2020年3月 かなもりすりーむ(樸会員)
4月5日 句会報告
令和2年4月5日 樸句会報【第88号】 令和2年度最初の句会は、新型コロナの影響を受けて、樸はじまって以来のネット句会でした。 今回は若手大型俳人の生駒大祐さんが参加して新風を吹き込んでくださいました。 兼題は「鶯」と「風光る」です。 入選2句、原石賞3句および最高点句を紹介します。 ○入選 千鳥ヶ淵桜かくしとなりにけり 前島裕子 桜の花に雪が降りこめてゆく美しさを、千鳥ヶ淵という固有名詞がいっそう引き立てています。 ら行の回転音四音も効果的です。完成度の高い俳句です。 (恩田侑布子) 【合評】 類想はあるように思うが、「桜かくし」という表現がよく効いている。「花」ではなく「桜」という言葉を用いることで、ベタベタの情緒ではなく現実に顔を出す異界の乾いた不気味さを詠み込むことに成功している。 ○入選 赤べこの揺るる頭(かうべ)や風光る 金森三夢 風光るの兼題に、会津の郷土玩具の赤べこをもってきた技量に脱帽です。しかもいたって自然の作行。「赤べこ」は紅白のボディに黒い首輪のシンプルな造型のあたたかみのあるおもちゃです。 素朴で可愛い赤い牛の頭が上下に揺れるたびに春風が光ります。ここは「あたま」でなく「かうべ」としたことで、K音の五音が軽やかなリズムを刻み、牛のかれんさを実感させます。 福島の原発禍からの再生の祈りも力強く感じさせ、さっそく歳時記の例句にしたい俳句。 (恩田侑布子) 【合評】 お土産にもらった赤べこは多分どの家にもあったと思うが、その赤べこの頭の動きが「風光る」と組み合わさることで春らしいささやかな幸せを感じさせる句になっている。東北のふるさとのことを思っているのかとも想像される。 【原】青葉風鍾馗様似の子の泣けり 天野智美 たいへん面白い句になるダイヤモンド原石です。 句の下半身「の子の泣けり」が、上句十二音を受け止めきれず、よろめいてしまうのが惜しまれます。 【改】青葉風鍾馗様似のややこ泣く のほうが青葉風が生きてきませんか。 (恩田侑布子) 【原】鱗粉をつけて春昼夢を覚める 村松なつを 内容に詩があります。半ば蝶の気分で春昼の夢から覚めるとはゴージャスです。アンニュイとエロスも匂います。 残念なことに表現技法が内容を活かしきれていません。なにがなにしてどうなった、というまさに因果関係の叙述形態になってしまっています。 また、「つけて」という措辞はやや雑な感じ。 そこで添削例です。 華麗にしたければ、 【改1】鱗粉をまとひて覚むる春昼夢 抑えたければ、 【改2】鱗粉をまとひて覚めし春昼夢 など、いかがでしょうか。 (恩田侑布子) 【合評】 現実に体のどこかに鱗粉がついているのか、鱗粉がついてしまう夢を見ていたのか判然としない。「鱗粉をつけて」「覚める」と言い切ることによって、昼の夢から覚める瞬間のぼんやり感へ読み手を連れて行く。そうか、春のきらめきを鱗粉に例えたのだな、と考えるとますます散文に翻訳不能になり紛れもなく「詩」なので、特選で採らせていただきました。 「胡蝶の夢」の故事を踏まえた句だろうが、つきすぎや嫌みではないと感じた。それは「春昼夢」という造語めいた言葉が句の重心になっているからで、機知よりも虚構の構築に向けて言葉が機能している。 夢の中で蝶と戯れていた。いや自らが蝶になって自在に遊んでいたのでしょう。まさしく「胡蝶の夢」。春昼の夢から目覚めたら、おのれの体だけでなく心も鱗粉にまみれていたという驚き。官能性も感じられる句です。現実に還ればそこはコロナウイルスがじわりと侵攻している世界でした。 【原】花の雨火傷の痕のまた疼き 芹沢雄太郎 詩があり、情感がよく伝わってきます。 ただこのままですと表現がくどいです。 添削案として一例を示します。 【改】花の雨およびの火傷また疼き (恩田侑布子) ※ 本日の最高点句 【・】風光るバイク降り立つ調律師 見原万智子 風光る と、調律師 の取り合わせは面白いですが、「降り立つ」でいいのでしょうか。 (恩田侑布子) 【合評】 「バイクを降り立つ」のが「調律師」であるという展開に、意外性が良いと思いつつ納得もしました。確かに家々を回る調律師の仕事にバイクはよく似合います。季語「風光る」が、バイクのエンジン音までリズミカルに、楽しげに聞こえさせているとともに、これから調律されるピアノの期待感を増幅しているように思います。 調律師がバイクで現れる意外性、その調律師の様子が「風光る」に表されている。 繊細な職業の方が颯爽とバイクから降り立つとは・・正に風が光りました。 言葉の選び方が素敵、「風光る」にふさわしい! 宮下奈都さんの『羊と鋼の森』を読んで、涙が出るほどの感動を覚えたのを、鮮やかに思い出しました。「ピアノを食べて生きていく」と決めた人を支える、調律師という仕事を選んだ若者の成長を描いた小説です。 風を切って疾走し、コンサートホールの前で停まるナナハン。調律するピアノの調べが春のイメージを乗せて聞こえてくるような句。ヘルメットを外すベテラン調律師のしゃんとした背筋が光る。 繊細な神経と技術を持つ調律師がバイクから降り立つ様が「風光る」によっていっそうきりっと浮かび上がる。しいて言うと、かっこよすぎて戯画調になっているきらいも。 [後記] ネット句会をはじめて体験しました。このワクワクドキドキ感はなかなか味わえません。恩田代表や連衆の講評・感想、作者の自句自解が一覧でき、何度でもじっくり読み返すことができる大きなメリットがあります。とはいうものの、フェイス・トゥ・フェイスで口角泡を飛ばしての白熱した議論(今は泡をとばすとコロナ感染の恐れがありますが)こそが句会の醍醐味ではないでしょうか。新型コロナウイルスの収束を只管祈ります。 次回兼題は、「筍」と「浅蜊」です。 (山本正幸) 今回は、○入選2句、原石賞3句、△2句、ゝシルシ9句、・7句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) なお、3月25日の句会報は、特選、入選がなくお休みしました。 https://www.youtube.com/watch?v=NIwxvNW6MzE