角川『俳句』7月号「偏愛俳人館」第6回は「宙吊りの玻璃―未曽有の戦記文学」です。 林田紀音夫のコスモポリタンの抒情とヒューマニティいいですよ!
月別アーカイブ: 2020年6月
「神橋」 12句 恩田侑布子
↑ クリックすると拡大します 『俳句』2020年新年号 恩田侑布子「神橋」 ──鑑賞 樸連衆 青空のいつも直面(ひためん)年用意 外へ出れば、透徹した冬青空が広がっている。直面(ひためん)とは仮面をつけず素顔をさらすことです。能の世界では大きな意味があるようです。青空はいつだって「ひためん」。まっさらな気持ちであらたまの年を迎えたい。この心持こそ本当の「年用意」なのですね。──山本正幸 いつも顔を隠さず、「直面」でいる青空。作者は自らもそうありたいと願いながら、新たな年を迎える準備をてきぱきとこなし、来し方を振り返ってもいる。上五、中七の巧みさを確と受け止める季語の気持ちの佳さ。──田村千春 そそり立つ北斎の波去年今年 本来流動的な「波」が、一瞬を切り取ることによって永遠性を獲得し、「そそり立つ」大いなるものに感じられます。北斎の『神奈川沖浪裏』の迫力と「去年今年」の響き合いが見事です。──古田秀 初凪に鯤(こん)の一搏(ひとうち)あれよかし 年の始めはせめてここから歩き出したいもの。──安国楠也 身体髪膚鏡に嵌まる淑気かな 「しんたいはっぷ…」と舌頭に転がすと、すべての音が光を放っているのがわかります。「化粧」「ととのえること」が意味合いとしてある「初鏡」と異なり、これは、父母から与えられたそのままの姿と向き合う「鏡」。真っ向勝負で、こよなく清々しい。──田村千春 千萬(ちよろづ)の神の橋なり柳箸 さまざまな意味の「はし」が大和言葉の「はし」に掛合わされている。柳箸の先に神々の気配を感じて戴く食事は生命への寿ぎに満ちているのだと思います。──山田とも恵 よく枯れてかがやく空となりにけり 冷気に澄むブルー、冬空の崇高さが十七音で表現され、交響曲を聴くかのような荘厳な句です。よく枯れて、余分なものが削ぎ取られたからこそ美の極みへと達する。そういう讃え方があったのですね。新鮮に感じました。──田村千春木立が枯れていくのは空を輝かせるためだったのか!という新鮮な驚きを与えられました。──芹沢雄太郎 弓始大和島根を撓はせて 「大和島根」?辞書によると日本国の別称とある。なるほど弓はなんとなく日本の形に似ている。しかし、日本国をしなはせるとはなんて大胆な。的に当たる音が聞こえてきそう。 ──前島裕子弓を引く力強さと静寂。「我に支点を与えよ。さらば地球を動かさむ。」というアルキメデスの故事さながら、新年に相応しい雄大な気概を表している。「撓はせて」の措辞は折れることのない復元力を表して、困難な時代の年明けに相応しい。 ──島田淳日本全体がぎーっと撓るかのような厳粛な一瞬を捉えた独自な発想。日本を表す言葉はいくつもあれど、ここは「大和島根」でなくてはならないという、言葉に対する揺るぎない選択眼。──天野智美 思ひ羽の煌と着水峡の冬 鴨だろうか鴛鴦だろうか、長旅の末めざす水面に着水した。その時のきらりとした剣羽。目指したのは峡の一点か、つがいの相手か。「煌と着水」にその思いがみごとに表れている。 ──村松なつを 筋目まだ通して冬田谷の中 下五の「谷の中」で情景が大きく広がっていきながら、身に寒さが染み込んでくるという、外と内へ向かうベクトルが共存している不思議な感覚を受けました。──芹沢雄太郎 粥占の松風を聴くばかりなり 粥占の執り行われている神社の厳粛な空気が、「聴くばかりなり」と静かに余白を残して広がってくる。言葉を詰め込めばいいわけではないということに改めて気づかされた一句。 ──天野智美 ふくよかな尾が一つ欲し日向ぼこ 人間にはもう尾の痕跡しかないけれど、たとえ尾があっても何の役にも立たないけれど、こうして縁側で日向ぼこをしていると、時間も空間も、体も弛んできて、なんとなく尻尾の欲しい気分になるなぁ。一つでいいんだよ。ふくよかなやつがいいな。それで何をするでもないけれどね。目的や機能を持たないものって実は人間にとって本当に大事なのではないのかな?──山本正幸慎ましくもあり、しかしこれ以上何を望めようか。 ──安国楠也日向ぼこで・・欲しいのは羽ではなくて尾・・ほっこりします!──海野二美
あらき歳時記 早苗田
令和2年6月7日 樸俳句会特選句 早苗田は空に宛てたる手紙かな 田村千春 しなやかな感性の俳句。こういわれるとにわかに、早苗田のかぼそい何列もの姿が、便箋にやさしく書かれた文字のつながりのように思われてきます。しかも幼いうすみどりの細い葉っぱがみな、これから育ってゆく大空にむかって「わたしたち早苗です。大空さん、どうぞ秋の稔りの季節まで健やかな成長を見守ってくださいね。あんまり酷い旱や、洪水にならないようにお力をおかしくださいますよう」なんて、お願いの手紙となってういういしく広がっているようなファンタジックな気持ちにさせられます。A音十音の開放的なリズムが内容を引き立て、あどけなく清らかな詩を奏でています。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子)
6月7日 句会報告と特選句
令和2年6月7日 樸句会報【第92号】 コロナによる自粛生活から徐々に活動も戻り始めていますが、会場のアイセルが休館中のため、今回もネット句会となりました。 兼題は、「早苗」と「五月闇」です。陽と陰、対極にある季語でしたが、どちらも独自の視点に立つ感性豊かな句が多く寄せられました。 特選1句、入選2句、そして△6句の中から1句を紹介します。 ◎ 特選 早苗田は空に宛てたる手紙かな 田村千春 特選句についての恩田の鑑賞はあらき歳時記に掲載しています ↑ クリックしてください 【合評】 根付きのびはじめた早苗が風にそよいでいるさまはまるで仮名文字、田をうめている。それは、田の神様が空に宛てた手紙のよう。なんて素敵な着眼。 なるほど、早苗が列をなしている田圃は空へ宛てた手紙なのか。とても納得させられる句です。その手紙を読んだ空は、「よしわかった。しっかりお日さまのひかりを浴びてもらうよ、たっぷり雨を降らせるぞ」と決意したに違いありません。天も地も秋の稔りを待ち望んでいます。 ○入選 早苗投ぐ水面の空の揺るるほど 島田 淳 うつくしい早苗田のうすみどりと、水色の空と白雲。そこに今どきの田植機ではなく、手ずから苗を植える早乙女の姿態まで、しなやかな光景が眼前します。丁寧に一株ずつ植えていくので、これは最後の仕上げでしょうか。全体を見渡して、植え残したところを補充するため、早苗を畦から放ったところでしょうか。「空の揺るるほど」が出色で、初夏の野山の青々としたいきおいまで感じられます。 (恩田侑布子) 【合評】 梅雨晴れの朝、黄緑色の早苗が熟練の手で水田に投げ入れられる。一見無造作に見える所作だが、そこに秋の実りへの期待感が伝わって来る。水面に映える青空の輝きと苗の緑の色彩感覚も見事。 懐かしい田植え作業の一コマを素直に切り取る。邪心のない句。 ○入選 早苗舟登呂の残照負うてゆく 金森三夢 登呂遺跡の古代米の早苗を詠まれ、静岡の誇る地貌俳句になっています。「早苗舟」という傍題の選び方も的確です。「残照」が夕焼けの残んのひかりであるとともに、歴史の残照でもあり、千数百年の民族の旅路をはるばると感じさせてくれます。 (恩田侑布子) 【合評】 弥生時代にタイムスリップしたかのようです。登呂の緩やかな地形を感じます。水平方向の視線の先に早苗舟と夕陽が重なり、胸があつくなりました。 夕刻の光と早苗の青々とした色の対比がいいですね。登呂は弥生時代の農耕生活を伝える地。原初の夕映えのなかを早苗舟がすすんでいく光景はまさに一幅の絵です。 △ 来年のおととい君と苺月 見原万智子 六月の満月を「苺月」というのですね。今回初めて知りました。まだ国語辞書には載っていないようです。「来年のおととい」はけっして来ない夜でしょう。好きな相手、たぶん女性を思いながら報われない思いに小さくヤケになっている男心がいじらしいです。ストロベリー・ラブというのでしょうか?この句の作者がおっさんならいいのですが、もしも作者が女性だと、急にナルシシズムの匂いがしてきます。ふしぎですね。 (恩田侑布子) 【合評】 とるか迷いましたが、攻めてる姿勢に一票。「苺月」は先日のストロベリームーンことでしょうか。「来年のおととい君と」という表現が好きです。言語的には正しくないのかもしれませんが、こんな使い方をしたくなる時がある気がします。「来年の今日だと君と過ごしたい日は過ぎてしまっている」という切実さがあります。ただ苺月だと甘く見えすぎてしまうかなと思います。 今回の句会のサブテキストとして、恩田侑布子の「神橋」12句(『俳句』2020年新年号)を読みました。 『神橋』12句および連衆の句評は恩田侑布子詞花集(←ここをクリック)に掲載しています。 [後記] 「今回はいつもにも増して、しなやかな感性の匂う素晴らしい作品が多かった」との総評を恩田からいただきましたが、筆者も締め切り時間ぎりぎりまで選句に迷いました。自分にはない発想、感性の句は大きな刺激になります。また、今回も恩田の全句講評および電話での懇切丁寧な個人指導もいただき、なんとも贅沢なネット句会でした。(天野智美) 次回の兼題は「青芒」「夏の蝶」です。 今回は、◎特選1句、○入選2句、△6句、ゝシルシ6句、・13句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
角川『俳句』6月号「偏愛俳人館」第5回は「ミニマル・アート・ジャパン」です。久保田万太郎のいなしとやわらかみをご堪能ください。
6月9日読売夕刊「たしなみ」連載、今回はこのコロナ下 人に会えなくても「くすくす元気になるマナー」です。
あらき歳時記 日永
令和2年3月1日 樸俳句会特選句 なまくらな出刃で指切る日永かな 天野智美 「なまくらな出刃」が出色。俳味がある。切れ味が鈍っているのに面倒で研いでもいない出刃包丁は、同時に自虐に重なってくる。「私はなまくらものだわ」というつぶやきが聞こえてきそう。じっさい切れ味の鈍くなった包丁ほど指を切りやすいものはない。変に力が入るからだろう。「イタッ」。左手の中指の甲に血が滲んで、突如包丁が不器用な自分の生き方に重なって感じられたのである。中七の「指切る」にわずかな切れがある。なまくらな出刃で指を切ってしまうような、そういう日永なんだよ〜と詠嘆している。「にぶい包丁でだらしのない指切っちゃあ世話あねーよ」、という話なのだが、座五の「日永かな」の付け味がいい。人生の日永に作者はいる。さて、春日遅々とはいえ、ゆっくりと日は傾いてきている。これからどうしようかな、と思う。季語で俳句がにわかに大きくなった句である。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子)
注目の俳人 芝不器男 代表二十九句 (恩田侑布子抄出)
『俳句』に恩田連載中の「偏愛俳人館」8月号は芝不器男です。ご高覧ご叱正いただければ幸甚に存じます。 注目の俳人 芝不器男(1903・4・18〜1930・2・24享年26歳10ヶ月) 二十二歳から二十六歳までの代表二十九句 恩田侑布子抄出 ↑ クリックすると拡大します 筆始歌仙ひそめくけしきかな 芝不器男 山川の砂焦がしたるどんどかな 古草のそめきぞめきや雪間谷 下萌のいたく踏まれて御開帳 春の雷鯉は苔被(き)て老いにけり 卒業の兄と来てゐる堤かな この奥に暮るる峡ある柳かな 永き日のにはとり柵を越えにけり ふるさとや石垣歯朶(しだ)に春の月 まながひに青空落つる茅花かな 人入つて門のこりたる暮春かな 白藤や揺りやみしかばうすみどり 産土神(うぶすな)に灯(ともし)あがれる若葉かな 花うばらふたゝび堰にめぐり合ふ 南風の蟻吹きこぼす畳かな 蓬生(よもぎふ)に土けぶりたつ夕立(ゆだち)かな 風鈴の空は荒星ばかりかな 向日葵の蕋(しべ)を見るとき海消えし よべの雨閾(しきみ)ぬらしぬ靈祭 うちまもる母のまろ寝や法師蟬 ふるさとを去(い)ぬ日来(き)向(むか)ふ芙蓉かな あなたなる夜雨(よさめ)の葛のあなたかな 柿もぐや殊(こと)にもろ手の山(やま)落暉(らつき) 新藁や永劫太き納屋の梁 みじろぎにきしむ木椅子や秋日和 銀杏にちりぢりの空暮れにけり 岨(そま)に向く片町古りぬ菊の秋 落葉すやこの頃灯す虚空蔵 寒鴉己(し)が影の上(へ)におりたちぬ 以下、樸連衆の句評です。 古草のそめきぞめきや雪間谷 春、雪が解けてまずあらわになるのは新芽ではなく「古草」。その在りようを「そめきぞめき」(意味としては「ざわめき」に近いでしょうか)と表現することで、待ちきれない春の予感めいたものが伝わってきます。雪が徐々に解けていく最中の「雪間谷」なのだと思いますが、そこでは「古草」にさえもしっかりと春の意識があるように感じられました。 ──古田秀 春の雷鯉は苔被(き)て老いにけり 春の雷と共に苔を纏って泳ぐのは太古から生きてきたかと見紛う鯉。神話を眼前にしたかのよう。 ──天野智美 卒業の兄と来てゐる堤かな 高校を卒業し故郷を離れる兄と三月の堤に佇み、昔話や今後の生活について語り合う景。穏やかで温もりを感じる兄弟愛がうらやましい。万だの桜や萌えいずる草木が彩る土手の情景が鮮明に浮かぶ句である。 ──金森三夢 この奥に暮るる峡ある柳かな 春の柳が緑に芽吹いている。川原だろう。川沿いに上れば山間が迫り暮れかかる頃。 眼前の柳のかがやく緑は命を見つめる作者の目には鮮やかだ。 ──村松なつを 永き日のにはとり柵を越えにけり 「永き日」「柵」には、気怠さと閉塞感が漂っている。そこから易々と脱け出す鶏。そんなユーモラスな光景が、名画の味わいをもつ句に昇華された。ぼってりとしたマチエールで、読む人の心に刻み込まれます。 ──田村千春 ふるさとや石垣歯朶(しだ)に春の月 ふるさとを実感させるものは、大河でも勇壮な山でもなく、普通なら見過ごされそうな月夜に揺れる石垣の歯朶。そのしみじみとした実感に胸を突かれる。なんという細やかな感覚。 ──天野智美 人入つて門のこりたる暮春かな 「暮春」の本意を掲句によってはじめて教えられた思いです。人が門に吸い込まれていったという動きがあり、その残像によって暮春の門の静けさがより深まっていきます。 ──山本正幸 白藤や揺りやみしかばうすみどり 香りの良い白い花房が揺らぐ様には、誰もが陶然とさせられるでしょう。風が止み、作者はその清冽な白に瑞々しい緑も溶けていることに気づいた。「揺れ」「色」に透徹した視線を注ぎ、藤の花の本質を捉えた繊細なスケッチ。 ──田村千春 南風の蟻吹きこぼす畳かな 真夏の暑さがよみがえった。スイカの種など見つけて蟻が畳に上がり込んでいる様子を「畳から湧いて出たような蟻」と見立てているのがおもしろい。見る角度を変えるだけで本質に近づくこともあるんだなぁ。 ──山田とも恵 南風の思わぬ強さに抵抗しつつも飛ばされていく蟻が健気で、後に残る「畳」も爽やかに匂い立つようです。 ──古田秀 蓬生(よもぎふ)に土けぶりたつ夕立(ゆだち)かな 激しい夕立の様子がうかびます。この様な夕立が以前はよくありました。 ──樋口千鶴子 いきなりの夕立が、それまで陽を浴びて乾ききっていた土の匂いを運んできた。湿気とともに煮魚や早めの入浴など、生活の匂いが流れてくる。やがて晴天が戻り、清冽さを増した蓬生の香りが立ちこめるだろう。 ──見原万智子 向日葵の蕋(しべ)を見るとき海消えし 夏を謳歌するように咲き誇った向日葵も枯れて・・海で楽しく過ごした夏を惜しむ気持ちでしょうか・・ ──海野二美 海が消えた代わりに見えるのは、突き抜けるような青い夏空。 ──見原万智子 ふるさとを去(い)ぬ日来(き)向(むか)ふ芙蓉かな 盆休暇が終わり帰京する日、ふと庭に目をやると、芙蓉の花が「元気でね。また来てね」と語りかける様に静かに咲き始めている美しい景。去ぬと来向ふの技法が効いている。 ──金森三夢 あなたなる夜雨(よさめ)の葛のあなたかな 白黒の艶を生かした絵のごとく美しい句。夜雨の葛にかさね、あなた(彼方)をみつめるうち、幸せを与えてくれた大切な人の面影も浮かんでくる。ア音の連なるリフレインから、「貴方」への切ない思いが汲み取れます。 ──田村千春 望郷に純愛が秘めてあるのかも。透明感のあるさびしさ。 *「かな」の句の多さが気になりました。 ──萩倉誠 柿もぐや殊(こと)にもろ手の山(やま)落暉(らつき) 柿の近景。落暉の遠景。橙色が重なって柿をもいでいながら落暉までつかんだみたい。 ──前島裕子 新藁や永劫太き納屋の梁 納屋とは言え、太い簗から旧家の様子がうかがえます。 ──樋口千鶴子 みじろぎにきしむ木椅子や秋日和 K音の響きが大好き。かすかに冬の予感や寂しさを感じさせる。――芹沢雄太郎 気に入りの木椅子なのか。みじろいだ時のきしむ音にいとおしさを、感じているような。秋日和がきいている。 ──前島裕子 寒鴉己(し)が影の上(へ)におりたちぬ 物と影が一体なのは当たり前なのだがその当たり前の目を離れ、まるで幽体離脱していたものがさっと元に収まるような不思議な感覚に襲われる。ポーを引き合いに出すまでもなく、寒鴉という言葉の持つ不穏な気配、内なる獰猛さが詩情をかき立てる。 ──天野智美 作者の影と鴉が一体となってしまったようでこわくなるが忘れられない句。26歳で亡くなったと知るとますます忘れられない。 ──前島裕子 死神?早世を暗示する不気味な句。 ──萩倉誠