5月27日 句会報告

令和2年5月27日 樸句会報【第91号】

新型コロナウイルス禍で“自粛”の毎日です。会場のアイセルが休館中のため、今回もネット句会となりました。
兼題は、「浦島草」と「青葉木菟」です。

△5句を紹介します。
 

20200527 句会報1

photo by 侑布子  

  
 

 △ 青葉木菟結婚記念日の手紙
              芹沢雄太郎

結婚記念日に、夫から妻に、妻から夫に、感謝の手紙をかわされる仲の良いご夫妻でしょう。これがもしも「時鳥」や、季節の違う「梟」だったら、人の世の縁のふしぎさを思わせるこんなファンタジックな味わいは生まれませんでした。山の緑、森の深さが感じられ、趣深く安定感のある作品です。

(恩田侑布子)

 
 
 

 △ 草深く眠るボールや青葉木菟
              天野智美

ちょっとした郊外の学校や幼稚園のそばの杜には青葉木菟が棲んでいます。私にもそんな思い出があります。野球のボールを山裾に飛ばして見つからなくなってしまったのでしょうか。探しても探しても出てこなかったボールを「草深く眠る」としたところに、作者のこころのあたたかさがにじんでいます。

(恩田侑布子)

【合評】

  • 地上のボール=樹上の鳥。昼の子のざわめき=夜の鳥の声。→初夏の夜の静寂は透明。
  • 春夏の甲子園が消えた今年。ボールは伸び切った雑草の中で眠っている。耳の尖っていないボールのような顔かたちの青葉木菟が涙にくれる球児にやさしく寄り添うような愛おしい景が伝わる。

 
 
 
 △ うつし世に糸を流して浦島草
              村松なつを

浦島さんは龍宮城のある海底にまで糸を垂らしたいのに、というこころが余白にあります。この雑駁とした現世に糸を流さなければならないあわれがそこはかとなく感じられます。

(恩田侑布子)

【合評】

  • 浦島太郎と一緒に未来へタイムスリップしてしまった草でしょうか・・どおりで珍妙な姿です。うつし世では身を持て余し、釣れないと分かっている糸を流しているのですね。

 
 
 
 △ 浦島草おとこひとりの喫茶店
               萩倉 誠
 
意外性があります。一人で行った喫茶店の入り口、あるいはあまり日の当たらない窓辺などに浦島草の鉢植えが置かれていたのでしょう。「おとこひとりの」が出色です。浦島太郎が現代に蘇ったら、だれも連れず一人でふらっと喫茶店に行きそうです。そこできっと海よりも深い懐旧に沈むのですね。ブラックコーヒーを喫みながら。

(恩田侑布子)

 
 
 
 △ 浦島草早引けの子の眺めゐる
               田村千春
 
「へー、これって、あの浦島太郎さんの花なの」という小学生の声が聞こえてきそうです。何と言っても「早引け」がくすっと笑わせる俳味があります。浦島さんは乙姫様の色香、そして食欲、つまり五欲に溺れてついつい長居してしまったのですから。

(恩田侑布子)

【合評】

  • 学校を早引けしちゃったんだね。帰り道、浦島草を見つけた。釣糸のように長く細い花軸の先には何があるのだろう。先生も知らない不思議な世界が拡がっているのかもしれない…。そこにいつまでもしゃがみこんでいる子のやさしい眼差しに共感しました。

 

 
 
 
今回の句会のサブテキストとして、恩田侑布子が抄出した「芝不器男 代表二十九句」を読みました。
抄出句及び連衆の句評は
注目の俳人 芝不器男 代表二十九句(恩田侑布子抄出)に掲載しています。
   ↑ クリックしてください
    

 
[後記]
今回の兼題(浦島草・青葉木菟)。筆者にはほとんど馴染みがなく、どうしたら実感をともなった句が詠めるのか難儀しました。実際にそのモノに接しないとダメなのか?でも、そもそも「実感」って何?「実感」しているワタシって誰?「体験」するとはどういうこと?などと頭の中はもうループ状態。
連衆は兼題に果敢に挑みバラエティに富んだ句が並びましたが、季語の説明に終ったり、即き過ぎだったり…。しかし、恩田の丁寧な全句講評・添削により、無点だった句もどこが弱点かわかり、△以上の句も焦点が定まり、新たな世界が広がりました。
今回で4回目のネット句会。侃侃諤諤のリアル句会が恋しい筆者です。(山本正幸)

次回の兼題は「早苗」「五月闇」です。
 
今回は、△5句、ゝシルシ8句、・8句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

20200527 句会報下

photo by 侑布子  

  

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