令和2年9月23日 樸句会報【第96号】 颱風12号が近づいているということで曇り空と強風の中での句会でした。いつもより出席者の数は少なめでしたが、自由闊達な意見が飛び交いました。連衆の人生観、死生観、恋愛観などが垣間見え、俳句作りの面白さを再確認できました。 兼題は「颱風」「野分」「蟋蟀」です。 原石賞1句を紹介します。 【原】手枕のこめかみで聞くちちろ虫 村松なつを 「手枕(たまくら)」はふつうは異性の腕枕をいいますから、もしかするとこの二人の愛情には別れがしのびよっているのかもしれません。「こめかみ」という措辞にも神経が冴えて眠れなくなるような淋しさがあります。手枕という愛のしぐさから、意外にも満足感とは反対の方向へ落ちてゆき、そこに鳴いている「ちちろ虫」の声もか細い絶え絶えのものに思われてきます。甘さが闇に着地する五七五の展開に静かな意外性があります。そこが面白い俳句です。よりいっそう男女のあいだのデリケートな心理の陰影を感じさせるには「で」ではなく「に」にすべきでしょう。こうすると愛の名句になりませんか。 (恩田侑布子) 【改】手枕のこめかみに聞くちちろ虫 【合評】 小さくちちろ虫の声が聞こえてくる 「こめかみで聞く」というのが素晴らしい発見 「手枕」は自分のだろうか?それとも相手の? 選句に入る前に、『現代秀句 新・増補版』(正木ゆう子)に掲載された恩田の句と鑑賞の紹介がありました。 天網は鵲の巣に丸めあり 恩田侑布子 また、今回の兼題の例句が板書されました。 こほろぎのこの一徹の貌を見よ 山口青邨 こうろげの飛ぶや木魚の声の下 夏目漱石 通夜僧の経の絶間やきりぎりす 夏目漱石 颱風はいそぎんちやくの踊る闇 三橋鷹女 象徴の詩人を曲げて野分かな 攝津幸彦 台風の目白押しなり誕生日 恩田侑布子 合評に入る前に、芭蕉『鹿島詣』を読み進めました。 行徳から徒歩で行き、八幡を過ぎて「かまがいの原」(現在の鎌ヶ谷周辺)という広い野に出た芭蕉一行は、関東平野の東にそびえる筑波山をはるかに望み、これを称賛します。「つくば山むかふに高く、二峯ならびたてり」と書いた男体山・女体山の双耳峰に対して、「かのもろこしに双劔のみねありときこえしは、廬山の一隅也」と比較するように引用しています。芭蕉の内側に結晶化した古典の教養が筆先から染み出してくるようです。 そして芭蕉の門人である嵐雪が筑波山を詠んだ句が引用されます。 ゆきは不申(まうさず)先(まづ)むらさきのつくばかな テキストの解説には「雪景色のよいことは申すまでもないが、まず春先の紫に霞む筑波の眺めは素晴らしいの意」とありますが、秋の月見を目的とした紀行文に春の句を引用するのはやや奇妙です。ここでは、筑波山の尊称を「紫峰」と言うことから春の句をおしたてるというよりは筑波山を称賛する意図が勝っているのでは、という解説が恩田からありました。 その後、古事記の「にひばり筑波を過ぎて幾夜か寝つる」「かがなべて夜には九夜日には十日を」の唱和を起源とすることから連歌を筑波の道とも言うことに触れ、詩歌にゆかりのある筑波山に対し、歌や句を詠まずに通り過ぎることはできない、「まことに愛すべき山のすがたなりけらし」と述べて段落が終わりました。本日読んだ部分は、芭蕉が筑波山への思い入れや愛を存分に語った勢いにあふれる文章でした。 [後記] 欠席者・欠詠者が普段より多く、寂しい印象は拭えない会でしたが、次回から県外の方も参加できるようになるとのことで、楽しみにしております。今回は「ラピュタ」や「ケアマネ」などのカタカナ語を使った句の講評の中で、恩田から「なるべく時間の経過に耐える言葉で「今この瞬間」の感動を詠むのがよい」というアドバイスがありました。「現在性」というのは今この瞬間に生きている人間だけが持つ特質であり、私たちには世界を古びさせないための責任があります。決して古びない言葉で、「今この瞬間」の感動を形にすること。そのようにして「今この瞬間」の世界は世界としての輪郭を持つようになるのかもしれません。 (古田秀) 次回の兼題は「月」「鰯雲」です。 今回は、原石賞1句、△2句、ゝシルシ5句、・18句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
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角川『俳句』10月号「偏愛俳人館」第9回は高野素十の「写生と醗酵」です。純粋無雑な写生の真髄は新しく温かい!
8月2日 句会報告
令和2年8月2日 樸句会報【第95号】 Withコロナの時代、リアル句会が復活して4回目です。県外の連衆は来館制限されているため少人数でしたが熱い議論となりました。 兼題は、「髪洗ふ」と「裸」です。 ◎特選1句、○入選2句、原石賞1句を紹介します。 ◎ 特選 ラ・クンパルシータ洗ひ髪ごとさらはれて 田村千春 特選句についての恩田の鑑賞はあらき歳時記に掲載しています ↑ クリックしてください ○入選 立ち漕ぎの踵炎昼踏み抜きぬ 山田とも恵 自転車で出発。思わず立ち漕ぎをして急ぎます。心が逸り、炎昼も汗も眼中にはありません。私はそこに行く。まっしぐらに行くのです。もう、心は向こうにあるから。そのとき、です。炎天を踏み抜いた、底が抜けた!と思ったのです。映像を即物的に「立ち漕ぎの踵」に絞ったことが奏効しました。座五の「踏み抜きぬ」で、踵がリアルに異界に突き抜けた感じが出ています。 (恩田侑布子) 【合評】 暑さの激しさと立ち漕ぎで踏み抜くという動きの強さとがマッチしている。 ○入選 裸子の羽あるやうに逃げまはる 前島裕子 ひとは赤ん坊から幼児期に移行するほんのひととき、肩甲骨のあたりに透明な羽をつけます。まだいちども強い日光にさらされていないやわらかな肌。ふくふくした手足のくびれ。その子をバスタオルを拡げて捕獲しようとする母の、なんというしあわせな一瞬。 (恩田侑布子) 【合評】 逃げまわっている子どもの動きが見えるよう。裸であることで楽しさが増すような。 子どもの貝殻骨はよく動く。その光景がよく見えます。 「羽あるやうに」がいいですね。幼児の肩甲骨は天使の羽に擬せられますから。 【原】裸子や目に羊水の波頭 見原万智子 おかあさんの胎内の羊水にただよう胎児を裸子とみた着眼にインパクトがあります。ただ「波頭」はどうでしょうか。強すぎませんか。推敲はいろいろ考えられますが、たとえば一例として次のようにすると、羊水と母なる海とがダブルイメージとなり、内容にふくらみがうまれそうです。 【改】はだか嬰よ目に羊水のしじら波 (恩田侑布子) 【合評】 羊水を海に喩えたのですね。精神分析の世界のようにも思えます。 「生まれたての赤ちゃんの目を覗き込んだら、羊水の波頭が見えた」という風に読みました。なんだか本当の波の音も近くで聞こえているような気もします。とても詩的な光景だと思います。羊水の波頭っていいなぁ…。 披講・合評に入る前に、恩田から本日の兼題の例句が板書されました。 裸 伸びる肉ちぢまる肉や稼ぐ裸 中村草田男 はだかではだかの子にたたかれてゐる 山頭火 海の闇はねかへしゐる裸かな 大木あまり 髪洗ふ 洗ひ髪身におぼえなき光ばかり 八田木枯 洗い髪裏の松山濃くなりぬ 鳴戸奈菜 髪洗ふいま宙返りする途中 恩田侑布子 風切羽放つごとくに髪洗ふ 恩田侑布子 サブテキストとして、恩田がSBS学苑で指導している「楽しい俳句」の会員の句(2020年5月1日静岡新聞掲載)を読みました。 連衆の共感を集めたのは以下の句でした。 春の雨知らぬ男の傘がある 美州萌春 歌がるた公達の恋宙を跳び 都築しづ子 春の雨窓に小さき鼻の跡 活洲みな子 鉄瓶の湯気やはらかし女正月 石原あゆみ [後記] やっぱりリアル句会に勝るものはないようです。合評における言葉のやりとり(ときに応酬)が次々に化学反応を起こし新しい世界が現出していく様は、まさに「句座を囲んでいる」ことを実感させるものでした。特に今回は身体に即した兼題でしたので、連衆の生活の一端が垣間見え、大いに盛り上がったのです。恩田も全体の講評の中で「選評にはおのずと異性観や恋愛観があらわれ、愉快な句会でした」と述べています。そうか、おのれの異性観・恋愛観を振り返る契機としての句会でもあったのだな…いやまだこれから異性観などを変えることができるのかもしれないなぁ…などと独りごちた筆者でした。 (山本正幸) 次回の兼題は「天の川」「門火(迎火、送火)」です。 今回は、◎特選1句、○入選2句、原石賞1句、△2句、ゝシルシ3句、・13句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) 8月26日句会 入選句 兼題「天の川」・「門火(迎火、送火)」 ○入選 天の川みなもと辿る野営かな 金森三夢 それきりのをんな輪切りの檸檬かな 古田 秀