2020 樸・珠玉作品集

二〇二〇年・樸・珠玉作品集    (五十音順)  

2020珠玉集1
       山鼻は車座よけれ秋の空  恩田侑布子

 
  ゆくえのしれぬ旅の魅惑

恩田侑布子

  
 二〇二〇年はコロナ・パンデミックにより樸の句会も変更を余儀なくされました。他県から参加して下さる方々のために、春から投句はすべてリモートに切り替えました。そこから一室につどって全句稿を手にナマで談論風発の句評を展開する地元組と、オンラインで選評し合い、メールで全句講評をお返しする遠方組と二手に別れることになりました。こうしてコロナ困難を逆手に、遠近全体で一つの場を構成する「リアル・オンライン融合句会」を築けたのは本年の成果でもあります。いま一つの成果は高齢俳人社会のなか、アットホームな樸に、三十代前半の意欲ある若者が三人に増えたことです。
 愛知、神奈川、東京、埼玉と遠方の仲間も、地元静岡の仲間も、老いも若きも同じ日に投句し、俳句を選び遠慮なく批評し合う緊張感とよろこびは斉しく一緒。いつもときめきます。世界を襲うウィルスへの不安に加え、それぞれが職場の変動や家族の介護や自身の病気という鬱屈を抱えながらも、俳句という表現のよろこびをあかあかと灯してまいりました。たとえ風雨が強くて火がかき消えそうになっても、俳句の榾は次なる大いなる火を育てようとします。
 上手い俳句ではなく、足元から自分の俳句をつくってゆくことが樸の誇りです。連衆一人ひとりの新鮮で多彩な俳句に、私自身どんなに眼を丸くし、感動をもらって来たことでしょう。それぞれの船頭によるゆくえのしれぬ旅ほど面白いものはありません。
 樸十八人衆の熱い精選句。これこそが本年最大の成果です。とくとご高覧いただき、「わたしも仲間になろう」、と思ってくださる方がお一人でもあれば幸甚に存じます。

 

2020珠玉集2
    白玉の木の実やここに幸ありと   恩田侑布子
 

 天野智美

     多磨全生園   
  寒林を隔て車道のさんざめき
 
  ひどろしと目細む海や蜜柑山
 
  なまくらな出刃で指切る日永かな

                
 
 
 猪狩みき
 
  木下闇結界のごと香りけり
 
  秋扇やゆづれぬものを持ちつづけ
 
  鰯雲小屋へ荷揚げのヘリコプタ

  
 予想していたよりも早く、そして急に、母と暮らすことになった。好き放題出かけられた生活は一変。遠くまで出かけることは減り、生活範囲がかなり狭くなった。俳句を作るには少し困る事態かな、と思ったりもした。でも、日々の生活の中から俳句の種は見つけることができることを知った。それに、実際の生活の場は狭くても、言葉を使えばどこまでも遠く広い世界を表現できることも知っている。知っているのと実際に作れるとの間はかなり隔たっているけれど。

 
 
 
 伊藤重之

  マスクの眼改札口を溢れ出る
 
  這ひ廻る人工知能日短か
 
  未遂なる愛の幾つか冬鷗

 
 
 
 海野二美

  七種や普段に帰す塩加減
 
  海老蔵の睨み寿ぐ四方の春
 
  鳩追ふ児金木犀の香をくぐり
 
 
 俳句を詠むことも句会も、段々に私の血となり肉となってまいりました。最近秀句を作れずにおりますが、一向にめげておりません。そこがだめな所だとは思いますが、風物に出会う度、感動を言葉に置き換える時間がとても好きです。これからも、凡人の主婦らしく、日々の心情を詠んで行きたいと思っています。

 
 
 
 金森三夢

  赤べこの揺るるかうべや風光る
 
  早苗舟登呂の残照負うてゆく
 
  天の川みなもと辿る野営かな

 
 昨年の霜月、樸の門を叩き早一年。恩田侑布子という優れた師と素晴らしい連衆に囲まれ、月二回の句会を大いに楽しませていただいております。恩田代表の歯に衣着せぬ一刀両断のコメントに打ちのめされ、少しだけ成長できたと実感しております。句会は修行の道場。二年目は措辞を磨くことを目標にして精進致します。何卒お手柔らかに。

 
 
 
 島田 淳

  早苗投ぐ水面の空の揺るるほど
 
  年上の少女と追へり夏の蝶
 
  土工らの肩冷やしをり天の川

  
 還暦の友人と「これからは創造的な趣味を持とう」という話になった。消費的な享楽は、いずれ「おもしろうてやがてかなしき」気分になる。「俺は客だ」という驕りがでるかも知れない。創造的な趣味、例えば俳句は、自分の内面と来し方を見つめ、表現する技術と独創性が求められる。点盛りで無点でも折れない心が育まれる。それから…「俺は陶芸をやるわ」と彼は言った。私は、今の気持ちを句にできないか折れない心で考えている。
 
 
 
 
 芹沢雄太郎

  冬の蟻デュシャンの泉よりこぼれ
 
  短日の切株に腰おろしけり
 
  鉛筆のみるみる尖り日短か

 単身赴任生活が始まって八ヶ月が過ぎた。
 家族と会えず、自己と向き合わざるを得なくなった今、ありがたいことに俳句が私のそばに寄り添い、いつも励ましてくれている。
 この気持ちを大切に育てて、少しずつ周りの人へ届けられるようになりたい、そんな事を考えながら、今日も句を詠んでいる。

 
 
 
 田村千春

 早苗田は空に宛てたる手紙かな
 
 ラ・クンパルシータ洗ひ髪ごとさらはれて
 
 よこがほは初めての貌青すすき

 
 樸の会は私にとって発見の場で、俳句以外の話題にも毎回興味津々――例えば本には帯というものがあり、これがあってこそ本といえるのだとか。句集ではたいてい自選句が載っている。
 恩田先生の処女句集『イワンの馬鹿の恋』はめったに手に入らない。図書館に予約し、漸くまみえることが叶った時、踊り出しそうだった。ところが、なんと帯がないではないか。喜びと悲しみを行き来する感情を持て余し、一句。
 秋寒し帯の散りぬる稀覯本

 
 
 
 萩倉 誠

  鰤大根妻には言はぬ小料理屋
 
  鬼平の笑ひと涙あさり飯
 
  怪獣図鑑ひろげて眠る小春空
 
 
 =575はパズルだ=
筆記なしのパソコンでの打ち込文書作成に馴れ、
思考力の低さが加わり、言葉の喪失は増すばかり。
言葉探しと思考力低下の防止も兼ね俳句の手習いを・・・
俳句道の厳しいこと、(陳腐な貴乃花の相撲道なんかペッ)
待てども待てども言霊は降りず、三駄句の連続。
我が存在は“句会にこびりついた、三等米のご飯粒”。
容赦なく恩田師範の“駄句滅の刃”が一閃、二閃、三閃!
ああせめてなりたや“二等米のご飯粒”・・・

 

2020珠玉集3
       はぢらひてものいふはよし若楓  恩田侑布子
 

 林 彰

  名をもらひあくびをかへす仔猫かな
 
  桃源に辿り着きしや水温む
 
  ペンを置きカルテを閉じる鰯雲

 
 
 
 樋口千鶴子

  如何に照るアフガンの地や冬の月
 
  ボランティア震える両手暖めて
 
  お隣は実家へ八十八夜かな

 
 
 
 古田秀

  マネキンの顔に穴なしそぞろ寒
 
  洋梨の傷かぐはしきワンルーム
 
  それきりのをんな輪切りの檸檬かな

 
 三十歳になった記念というわけではないが、三十歳までしか応募できない石田波郷新人賞に応募した。審査員の一人である村上鞆彦さんの秀逸十句選に一句(「君ずっとしゃべってパセリ皿の上」)を採っていただいたので何となくほっとした。新人賞を取った筏井遙さん『うしろから』からの一句に「全焼ののちの涅槃図見にゆきぬ」。涅槃図と言えば恩田侑布子の「擁きあふ我ら涅槃図よりこぼれ」が印象深い。来年は涅槃図を見に行きたいと思う。

 
 
 
 前島裕子

  千鳥ヶ淵桜かくしとなりにけり
 
  裸子の羽あるやうに逃げまはる
 
  「おもかげ」は羊羹の銘漱石忌

 今年の夏、両親の引っ越しで実家をかたづけたおり、本棚に「陰翳礼讚」を発見。学生のころ読んだのか、色褪せて、小さい文字だ。句会で先生が時々おっしゃる一冊、家に持ち帰り読んだ。何か大事なものがある。
 樸に入会してもうすぐ二年になろうとしている。
句会は楽しく、いい刺激を与えてくれるが、句作となると迷い悩む日々である。自分らしい句が詠めるようにと思っている。
 「陰翳礼讚」を再度読んでみよう。

 
 
 
 益田隆久

  つぶらじい月夜の古墳護りたり
 
  寒昴ふるさと発し此処に老ゆ
 
  六十路こそ初投句なれ帰り花

 
 「うしろ手に閉めし障子の内と外・中村苑子」「ピーマン切って中を明るくしてあげた・池田澄子」「酢牡蠣吸ふあま沼矛ぬぼこのひとしづく・恩田侑布子」。絶対自分では作れそうもない句ばかり好きになる。好きな服や好きな女ほど自分に似合わないのと同じか。昔茶道を習った。連続した所作が漫然と連続しているので無く、所作の切れを意識しつつも切らさない呼吸が俳句と似ているような気もする。

 
 
 
 見原万智子

  鰤さばく迷ひなき手に漁の傷
 
  老教授式典に来ず山眠る
 
  春の水洗ふや堰の杉丸太

 四切れで九十円のパン不味い
 コーヒーを二秒で淹れるな
 孵らぬ子それ無精卵朝ご飯
 友人から時おり句めいたものが送られてくる。拙句を踏まえたものもある。どれも面白くやがて哀しいと思うのは、私が友人の暮らしを熟知しているから。俳句は個を超えた普遍性が求められる。ではどうすれば面白く哀しい普遍性のある句を詠めるのだろうか。
 コーヒーの香りの中で「多作多捨でご健吟くださいね」と微笑む恩田先生の姿が揺れている。

 
 
 
 村松なつを

  熱気球ゆさり野菊へ着地せり
 
  女湯に桶音しきり椿の夜
 
  手枕のこめかみに聞くちちろ虫

 
 新幹線の中でアナウンスが流れる際に短い曲が流れる。同じ音楽でも壮大な交響曲やソナタなどに比べるこの車内チャイムはなんという小作品だろうか。それでいて聴く人の心へ浸み込むように響いてくる。
 旅する人にはその無事の祈りに、新生活の若者へはエールに、傷心の青年には慰めに、疲れたビジネスマンには栄養ドリンクに、寝ていた人にはアラームに・・・。
 読み手の心の襞に届いて初めて完成する俳句のようだと思う。

 
 
 
 山田とも恵

  黒南風や日常に前輪が嵌まる
 
  立ち漕ぎの踵炎昼踏み抜きぬ
 
  湯船ごと銀河の底網に揺るる

 
 世阿弥の『風姿花伝』には次のような記述がある。
 トキノマニモ、ヲドキ・メドキトテアルベシ。(中略)コレチカラナキイングワナリ。
 ヲドキとは何をやってもうまくいく時期、メドキは何をやってもダメな時期。それは因果なのでどうしようもないらしい。私の句作はただいま超メドキである。しかしこの果てで生まれるのを待つ何かの胎動を感じている。その時を迎えるまで樸の面々の胸を借り、腐らず作り続けるしかない。

 
 
 
 山本正幸

  過激派たりし友より届く蜜柑かな
 
  突堤のひかり憲法記念の日
 
  短日や匂ひ持たざる電子辞書

 
 一年ほど前、「マスクとり団交の矢面にたつ」を投句し、恩田先生に入選で採っていただきました。しかし、現下のコロナ禍にあっては句の意味が一変しました。マスクを外し口角泡を飛ばせば、経営側・組合側双方のリスクとなり、もはや団交どころではなくなってしまうのです。いのちこそ大事。今回の疫病は俳句を含む詩の世界をいかに変貌させるのでしょうか。

 

2020珠玉集4
       朝寒の貝殻骨をぐいと引く   恩田侑布子
 
 

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