恩田編『久保田万太郎俳句集』(岩波文庫)に、読書ノート到来!

川面1-1

静岡高校の先輩・川面忠男さん(日本経済新聞社友)が、恩田の解説をもとに、万太郎句の魅力を読み解いてくださいました。6回もの深掘りの味は、静岡おでんのようにしみます!   読書ノート160 恩田侑布子編『久保田万太郎俳句集』(1) 秋うららの草の花のような俳句  俳人で文芸評論家の恩田侑布子さんが編著者となった新刊の『久保田万太郎俳句集』(岩波文庫)を読んだ。文庫本なのでポケットに入れて持ち歩ける。分厚いため本棚に積読となったままの『久保田万太郎全句集』(中央公論社)とは違う。万太郎が生涯に作った句は8千5百句ぐらいらしいが、恩田さんはそれらの中から902句を精選している。それで文庫本に何度も目を通し万太郎ワールドを味わい楽しむ日々になっていた。  売れ行きも好調のようだ。岩波文庫の編集者から恩田さんに次のような電話があったという。「岩波文庫トップクラスの売れ行きです。急ぎ増刷です。品切れ店が出そうで」。そのことは12月1日発行の静中静高関東同窓会の会報の「わたしと俳句」欄に「かおる秋蘭」と題した記事に書かれていた。執筆者は静岡高校91期生の恩田さん、ちなみに私は75期生だ。  記事で恩田さんは『久保田万太郎俳句集』の「編纂、解説を任されるとは夢にも思っていませんでした」と述べている。そして以下のようにも書いている。  個人的には作者(注:万太郎のこと)の苦難の人生に共感していました。現実に満ち足りていれば文学をする必要はありません。二十代で浅草田原町の生家が銀行の手に渡り、青、壮、初老期と着の身着のまま焼け出され、戦後は接収に遭う。生涯五度も家を失ったのです。妻の自殺、ひとり子の夭折と、どしゃぶりのなかで、窃かに情けのある日溜りの暮らしに憧れていました。三界火宅の人は、俳句をつぶやく時だけ安らいで、秋うららの草の花のような俳句を詠んだのでした。  万太郎の俳句が秋うららのようだ、というのは恩田さんならではの表現だろう。寄稿文の題の「かおる秋蘭」は秋の七草の藤袴のことだと明かしている。恩田さんは『久保田万太郎俳句集』で解説を書いているが、同じ寄稿文でこうも述べている。  今回の解説では「嘆かひ」の俳人や、浅草界隈の情緒という湿っぽいイメージを一新したいと思いました。その真価は「やつしの美」のやさしさにあると思ったからです。  万太郎を「嘆かひ」の俳人と言ったのは、友人の芥川龍之介だった。浅草情緒云々は小泉信三が万太郎の墓碑銘に「日本文学に永く浅草を伝えるもの」と記したことを指している。  図らずも同窓会報で『久保田万太郎俳句集』の解説のそのまた解説を読んだ感じだ。この際、同書の内容について頭の整理のためにも読書ノートとして記しておこう。 (2021・12・12)   読書ノート160 恩田侑布子編『久保田万太郎俳句集』(2) 河童忌の句  俳人で文芸評論家の恩田侑布子さんが編著者となった岩波文庫の『久保田万太郎俳句集』は、万太郎の俳句、小唄他、散文と恩田さんの解説で構成されているが、俳句は「無双の902句を精選」と謳っている。その中で芥川龍之介の忌日である河童忌の句は漏らさないように選んだようだ。  俳句は「草の丈」、「流寓抄」、「流寓抄以後」と分けて載っている。まず「草の丈」の「浅草のころ」(明治四十二年-大正十二年)は〈新参の身にあかあかと灯りけり〉が第一句目だ(「あかあか」は「あか〈 」と記されている)。  『俳句の解釈と鑑賞事典』(尾形仂編)には掲句について以下の記述がある。  芥川龍之介は『道芝』(注:万太郎の句集)の序で、〈江戸時代の影の落ちた下町の人々を直写したものは久保田氏の他には少ないであらう〉といい、〈久保田氏の発句は余人の発句よりも抒情詩的である〉〈久保田氏の発句は東京の生んだ「嘆かひ」の発句であるかも知れない。〉と述べている。  万太郎は「嘆かひ」の俳人にとどまらないというのが恩田さんの解説だ。  「草の丈」の「日暮里のころ」(大正十二年十一月-昭和九年)には「昭和二年七月二十四日」と前書きし、〈芥川龍之介佛大暑かな〉という句がある。『久保田万太郎俳句集』の巻末の略年譜によると、芥川は旧制府立三中(現在の両国高校)で万太郎の2年後輩だった。「大正十二(一九二三)年 33歳 関東大震災で全焼し、日暮里渡辺町に転居。芥川龍之介と交際する」とも記されている。  また「草の丈」の「芝のころ」(その二)(昭和十七年三月―二十年十月)には「ひさびさにて河童忌に出席」と前置きし〈ひぐらしに十七年の月日かな〉という句がある。  さらに「流寓抄」には「七月二十四日、芥川龍之介についてのおもひでを放送」と前置きし、〈河童忌や河童のかづく秋の草〉という句がある。久保田万太郎は昭和元年に東京中央放送局あ(現・NHK)の 嘱託になっていた。河童忌は龍之介の忌日で夏の季語。「流寓抄」には他に〈河童忌のてつせん白く咲けるかな〉、「流寓抄以後」には〈元日の句の龍之介なつかしき〉という句も収められている。  万太郎には心のこもった追悼句が多いと言われるが、「流寓抄以後」には「十月十日、白水郎逝く」と前置きし、〈露くらく六十年の情誼絶ゆ〉という句がある。『久保田万太郎俳句集』の散文、「道芝」跋に次のような文言がある。「(前略)わたしは、同級の白水郎とともに、そのころ始終坂本公園の一心亭に開かれていた三田俳句会に出席した」。大場白水郎は府立三中、慶応義塾で一緒の友人、その交遊は60年続いていたのだ。  誰にも追悼句を詠む機会は少なくないが、水準に達する句を作るのはなかなか難しいと自戒せざるを得ない。 (2021・12・13)     読書ノート160 恩田侑布子編『久保田万太郎俳句集』(3) 影あってこその形・つまりは余情  俳人で文芸評論家の恩田侑布子さんが編著者となった岩波文庫の『久保田万太郎俳句集』を読んで散文の章の「選後に」と題した文中にある言葉を記憶に留めたいと思った。それは「〝影〟あってこその〝形〟である」というもの。俳句をたしなむ者の一人として合点だ。  万太郎は以下のように述べている。  〝影〟あってこその〝形〟・・・便宜、これを、俳句の上に移して、〝影〟とは畢竟〝余情〟であるとわたくしはいいたいのである。そして〝余情〟なくして俳句は存在しない。(中略)表面にあらわれた十七文字は、じつは、とりあえずの手がかりだけのことで、その句の秘密は、たとえばその十七文字のかげにかくれた倍数の三十四文字、あるいは三倍数の五十一文字のひそかな働きに待つのである。  そして抒情とは必ずしも感情を露出することではないとも言っている。万太郎に追悼句が多いが、確かに哀しみの感情をストレートに露出した句は少ない。  〈年の暮形見に帯をもらひけり〉は秀句とされる。帯は形だが、形見という措辞で縁ある人が逝ったとわかり、余情を醸している。〈年の暮〉という季語で心のけじめがついたとも想像させる。  〈来る花も来る花も菊のみぞれつゝ〉という句は「昭和十年十一月十六日、妻死去」という前置きがある。『久保田万太郎俳句集』の恩田さんの解説によると、浅草の芸者梅香に恋したが、「妹をもらってほしい」と断られ、妹の京と親が同居の結婚をした。関東大震災で焼け出された後、日暮里で暮らしたが、「親子三人水入らずの新居時代。これが唯一の安息の数年でした」という。そして昭和十年十一月、妻京が満14歳の耕一を残して服毒自殺した。菊は仏前に供えるのに適した花だが、それが「みぞれつつ」という言葉に影の状況を想像させよう。  その耕一だが、「耕一應召」という前置きで〈親一人子一人蛍光りけり〉という句がある。子は生還するが、万太郎が67歳の昭和32年に先立ってしまった。  「流寓抄以後」に「一子の死をめぐりて(十句)」という前置きに続き〈燭ゆるゝときおもかげの寒さかな〉などの句が続く。その後に代表句の一つ、〈湯豆腐やいのちのはてのうすあかり〉が収められている。前置きの一子は吉原の名妓だった三隅一子、再会して一緒に暮らすが、ほぼ10年後の昭和37年に彼女にも先立たれる。〈わが胸にすむ人ひとり冬の梅〉は一子を詠んだ句であろうか。  久保田万太郎は文化勲章を受賞するなど社会的活躍は華々しいが、私生活では孤独を感じることが多かった。梅原龍三郎邸で会食中、食べ物を誤嚥したのが原因で亡くなったが、〈死んでゆくものうらやまし冬ごもり〉という句がある。一子が逝った半年後、追うようにして逝ったのだ。 (2021・12・15)     読書ノート160 恩田侑布子編『久保田万太郎俳句集』(4) 水の変化としない  俳人で文芸評論家の恩田侑布子さんが編著者となった『久保田万太郎俳句集』(岩波文庫)は、解説編がいちだんと読み応えがある。万太郎の生い立ち、文人・俳人たちとの交流などを概説した後、「では、いよいよ作品とその特徴をみてみましょう。万太郎は水の俳人です」と述べる。いかにも恩田さんらしい口調だ。 以下の通り例に挙げた句は年齢順になっている。  秋風や水に落ちたる空の色     三十三歳  したゝかに水をうちたる夕ざくら 三十六歳 それぞれ鑑賞して次のように解説している。「水の変化はそのまま情(こころ)の千変万化です。水は、雨に、川に、雪に、ときには豆腐に身をやつします」。そして〈双六の賽に雪の気かよひけり〉を挙げた後、63歳の時の作である〈水にまだあをぞらのこるしぐれかな〉について「口遊むたびに水のこころが燻る一炷の香のような俳句です」と言う。さらに「水百態はピアニシモも、フォルテも奏でます」というのは恩田さんらしい比喩だ。  波あをきかたへと花は遁るべく  五十九歳  この句には「神秘的弱音です」、「この青春性を湛えた歌人的パトスは終生老いを知りませんでした」などと鑑賞を表現している。「青春性を湛えた歌人的パトス」とは、どういうことか。  恩田さんは「花と波のいちめんの精美の底に、定家の〈いかにして風のつらさを忘れなむ桜にあらぬさくらたづねて〉の懊悩がこもるようです」と述べたうえ、万太郎が中学の同人誌に発表した新古今調の歌を2首挙げている。その青春性を掲句から汲み取ったのだろう。パトスだが、広辞苑によると、「苦しみ・受難・また感情・激情などの意」とある。  掲句については「極小の定型に美しい青竹がしなう弾性は、悼句にさえ鮮烈なみずみずしさをほとばしらせます」と言い、続いて59歳時の作である〈夏じほの音たかく訃のいたりけり〉という6世尾上菊五郎の追悼句を挙げている。解説は以下の通りだ。  万太郎の俳句の魅力は、感情と季物の間に寸分の隙もない呼吸にあります。詠嘆を引き受けつつ客観視する、柳に風の強さ、しないがあります。短歌的抒情を俳句の平常心で止揚したこの独自のしないがあればこそ、千数百年の日本の詩歌の抒情という定型に注ぎこむことができたのでした。  この解説の見出しの「水の変化」だが、「へんげ」とルビを振っている。物が変わる「へんか」ではなく「形が変わって違うものが現れる」(広辞苑)という意味での「へんげ」だ。その変化を汲み取りたい。 (2021・12・17)     読書ノート160 恩田侑布子編『久保田万太郎俳句集』(5) 万太郎俳句の特徴の続き  俳人で文芸評論家の恩田侑布子さんが編著者となった『久保田万太郎俳句集』(岩波文庫)の解説編は「水の変化としない」に続き「新しみへの挑戦」などとという見出しで万太郎の俳句の魅力を解き明かしている。  いづれのおほんときにや日永かな 六十一歳  掲句を挙げて恩田さんは「ふくよかなおかしみさえ添えて古語や古文を自在に駆使」と言う。源氏物語の「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひけるなかに」という書き出しを指しているのは言うまでもない。  仰山に猫ゐやはるわ春灯    六十二歳  これは「仰山に」「ゐやはるわ」という京言葉が秀逸、としている。  忍、空巣、すり、掻ッぱらひ、花曇 六十五歳  「忍」は「のび」とルビが振ってある。掲句については「名詞を次々に句点でつなぐ手法の魁です」と言う。  また「つのだてない批評精神」という見出しで「万太郎は戦時下の昭和十九年にもしぶい反戦句を詠みました」と以下の句を挙げている。  かんざしの目方はかるや年の暮   五十五歳  うちてしやまむうちてしやまむ心凍つ 五十五歳  戦時内閣は敗色が濃くなったにもかかわらず寺の梵鐘からわずかな金属まで供出させ、精神力を強調した。恩田さんは万太郎の句について「まっとうな批評精神です」と述べている。  批評は詩にならないと私は思っていた。新聞社に30数年勤めたせいもあり、批評精神はいまだに消えない。それで世相を意識した句を詠みがちだが、理屈の句と言われてしまう。改めて万太郎の句に学びたいと思うが、凡手には無理だともわかっている。  「恋の名花」という小見出しで恩田さんは「何といっても万太郎は恋句の名手です」と述べて以下の句を挙げている。  さる方にさる人すめるおぼろかな  四十六歳  香水の香のそこはかとなき嘆き   六十三歳 解説は以下の通りだ。  「さる方」には、源氏物語のなかに招かれるよう。雲雨の情が薫ります。(中略)「香水の香」は、句跨りのリズムによってなまめかしい女身を幻出させます。百花繚乱の恋句のなかで、〈わが胸にすむ人ひとり冬の梅〉と双璧の縹渺たる名品はこれでしょう。  恋の句は、個人の感傷に陥りがちだが、万太郎は文学作品に仕上げている。これまた凡手にはできないことだ。 (2021・12・18)     読書ノート160 恩田侑布子編『久保田万太郎俳句集』(6) やつしの美  俳人で文芸評論家の恩田侑布子さんが編著者となった『久保田万太郎俳句集』(岩波文庫)の解説編は、万太郎の句の大きな特徴を「やつしの美」としている。これは恩田さんのオリジナルな見解であろう。  「やつし」の意味を改めて広辞苑で調べてみると「やつすこと」、それで「やつす」を見ると、「自分を目立たぬように姿を変える。見すぼらしく様子を変える」とある。恩田さんは、日本の文学の伝統が「見立て」を生んでゆくなどと縷々述べた後、まず以下の句を挙げている。  新参の身にあか〈 と灯りけり   三十三歳  「あか〈 」は「あかあか」だ。久保田万太郎は老舗「久保勘」の親方の子。その万太郎が「小僧に身をやつし思いやっています。やつしは技巧ではありません。うそもかくしもないところからにじみ出るものです」と言う。  ふりしきる雨はかなむや桜餅 三十三―三十七歳  吉原のある日つゆけき蜻蛉かな  三十五歳  言上すうき世の秋のくさ〈゛を  五十八歳 以上の句については「桜餅や蜻蛉がうら若い芸妓だったり、秋草が庶民だったり、やつしにはなり変わり合うぬくもりがあります」と解き明かしている。  竹馬やいろはにほへとちり〈゛に  三十六歳 この句については以下のように述べている。  冬虹のようなグラデーションが一句から立ちゆらぎます。あるときは竹馬に乗ってはしゃいでいた子どもらが、冬の日暮れに帰ってゆくところ。あるときは竹馬の友が浮かび、どうしているだろうと懐旧にさそわれます。作者の愛してやまない「たけくらべ」の美登利たちの下駄音まで聴こえそう。小学一年の「かきかた」教本には、いろはにほへとが散らばっていました。(中略)こんこんとイメージが湧くのは、やつしの美に貫かれているからです。「竹馬」にやつされたもろもろが、ゆらぐ虹を架けます。(後略) さらに〈時計屋の時計春の夜どれがほんと〉などの句の他に、73歳の最晩年に作った〈湯豆腐やいのちのはてのうすあかり〉という句について以下の通り述べている。  (前略)幽明の境にほほえみのようにゆれる湯豆腐こそ、作者のいのちのはてのやつしです。ふるえる湯豆腐に身をやつしているのは万太郎と一子の老境の恋、その衰亡のすがたです。(後略)  掲句は万太郎の代表句。それが老いらくの恋のいのちをやつしたものと解説されて目から鱗が落ちた思いだ。 (2021・12・19)

慶祝!古田秀さん、第12回北斗賞準賞に輝く。

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慶祝!古田秀さん、第12回北斗賞準賞に輝く。   樸の古田秀さんが、若手俳人の登竜門・北斗賞(文學の森主催)の銀メダルを獲得されました。入会後1年10ヶ月の快挙です。選考委員の稲畑廣太郎氏・佐怒賀正美氏・日下野由季氏、本当にありがとうございます。秀さんは現在樸の編集委員を務め、仕事が忙しい中でも句会参加を心がけておられます。当初から真摯な俳句への情熱と、独特の感性に頼もしいものを感得してまいりました。努力の結果に樸一同惜しみない祝福を捧げます。 古田秀に続く有為の若者よ、樸に来たれ! (恩田侑布子)    古田秀 北斗賞準賞受賞作百五十句より     雨の函       (恩田侑布子抄出二十五句)  照りかへす一円玉や夏燕    おとうとはひかりに慣れず沙羅の花    臍昏し桜桃の種うづめたき    質問に答へぬ大人罌粟坊主    マリーゴールド笑つてをれば殴られず    煮びたしのやうに母をり釣忍    まつろはぬ漁火ひとつ夏の月    鬼灯の外側にゐて雨宿り    明細に御花代あり鰯雲    蟋蟀や正しく繋ぐガスボンベ    擁きませう何も実らぬ月下の木    洋梨の傷かぐはしきワンルーム    マネキンの顔に穴なしそぞろ寒    頓服の甘み水鳥みづを蹴る    土曜日はおほかた待たされて嚏    まだ指を知らぬ指輪よ花ひひらぎ    国境のどちらにも雪フェンス雪    ししむらを水の貫く淑気かな    一駅を歩幅合はせて悴みぬ    剃刀に寄せらるる泡彼岸過    ゴンドラは雨の函なり山ざくら    花の夜を一輌列車ひかり過ぐ    藻の花や飛び石に人すれ違ふ    ベニヤ板一枚が橋水芭蕉    水の湧くちからに跣押されけり  

 永遠の碧瞬   ―恩田侑布子「 碧瞬」より十句鑑賞―

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         永遠の碧瞬                        ― 恩田侑布子「碧瞬」より十句鑑賞 ―                          田村千春    金色(こんじき)のたまゆら深し夏の蝶     春の蝶と比べ翅が大きく、悠然と羽ばたく夏の蝶。空の彼方へ消え去るまで、誰もがつい見入ってしまいます。「たまゆら(玉響)」は勾玉同士が触れ合う音を指し、転じて「かすか」「一瞬」の意味をもつ言葉。「金色のたまゆら」とは、なんと妙なる表現でしょう。刹那でありながら心に刻み込まれる、あの美しさは、たしかに幸運を約束する勾玉を重ねたくなりますね。「こんじき」の二つのK音に、翅のすれ合う音、こぼれる光を感じます。      手鏡のかはる代はるの涼しさよ     夏、心ときめくイベントに彩られる季節。たとえば花火大会。打ち上げを待つ人々の中に、「手鏡」の主もいるのかもしれません。思いを寄せる人とようやく訪れたのに、なかなか会話が弾むとまでは行かず。頬の火照りが気になり、時々、鏡を取り出しては、さり気なくチェック。そのうち相手が覗き込んできたり、どうにか会話もほぐれてきたようです。鏡に映り込む二人の背後の空はいかにも涼しげ。こと座のベガがひときわ明るく瞬いています。      とことはの初日ありけり夏休    子供の頃、宿題も山ほどあるし、普段できない体験も色々としてみたいし、夏休みは足りないと不満でした。大人になって思い返すと、「常」の字をあてる「とことは」(永久に変わらないさま)なる形容がしっくり来る、輝かしい日々であったことに気づかされます。中でも「初日」。そういえば毎回、幕開けには何でも成し遂げられる気で、大きく構えていましたっけ。「ありけり」という、この詠嘆には深く共感します。      星屑に吊られてありぬハンモック     ハンモックのある部屋で、幼友達と遊んだ日、船乗りになり、七つの海を渡っている気分でした。今でも時々欲しくなります。もし大空の下にあったら、隣に大切な人がいたとしたら、とても寝てなどいられない。「星屑に吊られ」た場所で交わされる一語一語、少しの衒いもなく、煌めきながら発され、気持ちをより通じ合わせてくれる。一人なら、まさに空に抱かれている心地に。宇宙にあっては一点にも及ばぬ自らをみつめつつ、安らぎも覚えるはず。  汝が筆は青芒かと問はれけり    作者は真夏の芒原を見つめ、思いに暮れています。誰にも打ち明けられない青春の悩みに、絡め取られてしまいそう。それは文字にもしづらいのです。どうしたらいいのか? やがて、「青芒」が脛を傷つけるのにも構わず、歩き始めました。いつか道は開けると信じ、前へ進みます。痛みを伴う「青」――しかし、「そんなものを支えとするつもりか」と問われたなら、きっぱりと頷くのでしょう。そのしなやかな強さにエールを送りたい。    黒き龍つがへる梁の涼しさよ   「つがふ(番ふ)」とは「対になる」の意、「梁(はり)」は屋根を支えるため横に渡した材木。寺社などで、梁に龍が彫ってある建物が実在するのか、それともイマジネーションの生み出したものか。いずれにしろ、実に深遠なる「涼しさ」の句。南北朝時代の中国の画家、張僧繇に関する伝説 が浮かびます。寺の壁に四匹の白龍を描くよう依頼された張は、あえて目を入れなかった。それを入れたなら、生命を与えることになると、彼は知っていたのです。その証拠に、目を描き加えられた二匹はたちまち空高く舞い上がり、姿を消してしまいました。そう、「画竜点睛を欠く」とは、「肝心なものが足りない」と貶めているのではない。「完璧であるからこそ余白を残すべきである」という、句作にも通じる教えを表したものかもしれません。めぐりめぐって、白龍が今は「黒き龍」と化し、梁を護っているとしたら、こよなく愉快。ちなみに張のいた王朝の名は、「梁(りょう)」です。      出はいりは四足なりぬ蚊帳の口     蚊帳の中は不思議な世界、子供時代が閉じ込められています。「四足なりぬ」には、思わず膝を打ちました。あの夜に溶ける緑色は、夢との境界。四つ足でくぐるにふさわしい。親の目から見ると、蚊帳は子供を守ってくれるもの。そっと裾をもたげ、健やかな寝息に聞き入る時も、四つん這いになっています。俳諧味に富むとともに、心あたたまる作品。    つくも髪花からすうり瞬けば  「花からすうり」を山道で見たことがあります。晩秋の季語である「烏瓜」、あの朱色の実からは想像できない、繊細な白い花弁。夏休み、泊まった宿の近くで、朝、しぼんでいるのを見かけました。暗くなってから開くと聞いて、夕食を終えるや再び観察に。縁がレースのようになっており、闇に浮かび上がる幽玄そのものの美にぞくりとしました。「つくも髪(九十九髪)」は老女の白髪、またその老女のこと。平安時代の作者未詳の歌物語、「伊勢物語」では、主人公(モデルは在原業平)が老女に懸想され、「もゝとせにひとゝせたらぬつくもかみ我をこふらし面影に見ゆ」と詠んでいます。愛を乞われれば、与えてやらないでもないという自信満々な若者の顔が覗く、この和歌を踏まえたものかはわかりませんが、句にも恋の匂いが。相手の情けに縋るしかない、そんな淋しい恋かもしれない。とはいえ、業平ならずとも、凄みを秘めた軽やかな調べには、銀糸のごとく捕らえられてしまいそう。思いのなせるマジックです。    碧玉の恋あり日本川蜻蛉  一般に「蜻蛉」は秋の季語、秋津とも呼ばれます。「川蜻蛉」はもっと早く見られるので、三夏の季語。本州の古称に「秋津島」もあるくらい、蜻蛉とこの国は縁が深い。中でも「日本川蜻蛉(ニホンカワトンボ)」は、名からもそのことを髣髴とさせます。湿原などで、ゆるやかな飛び方をする種です。雄はバリエーションもありますが、たいてい翅が橙色、縁に入った紋は真っ赤と美しく、体は白みを帯びている。雌は翅こそ無色、紋も白と地味ながら、翠色の体はとにかくメタリックで綺麗。なんとも雅びやかな装束、貴人を思わせます。平安貴族は女性は十二単、男性も狩衣に裏地を付け、重ねの色目を楽しむなど、お洒落に手を抜かなかったらしい。ひるがえって現代人の服装は機能優先で、ジェンダーレスに傾いてもいます。古今和歌集の恋の系譜を継ぐ者は、間違いなく、ヒトよりも、ニホンカワトンボですね。ずっと美しい姿を見せ続けてくれますように。    口紅をさして迎火焚きにゆく  「迎火」は盂蘭盆に入る夕方、霊を迎えるために焚く火ですが、この句では、亡くなったのは恋しい相手に違いありません。彼に見せたくて口紅をさす。おそらく命を失ったのはかなり前。しかし、作者は盆が近づくたび、彼岸に我が身の半分を置いているような、不安定な気持ちになります。仕来りにしたがって体を動かすことで、何とかそれを紛らせているのでしょう。口紅の赤は、現世に自分の心を留まらせるよすがになるのかもしれません。遺された者は、盆の最後の夜には送火を焚かねばならない。生きて行かねばならないのです。闇の中の一点の赤が哀しい、「碧瞬」の最後を鮮やかに締める一句。 「碧瞬 十六句」はこちらです。           ↑       クリックしてください

厳冬に、真夏の夜の夢を。    碧瞬 十六句 恩田侑布子

候補1

         恩田侑布子 十六句                           碧 瞬   金色(こんじき)のたまゆら深し夏の蝶      手鏡のかはる代はるの涼しさよ      とことはの初日ありけり夏休     長江や夏あかつきに濁りつつ     其処からは東湖したゝる夏柳     星屑に吊られてありぬハンモック      青嵐おのれを島とせよと釈迦      汝が筆は青芒かと問はれけり      嶽降りしらねあふひの風にかな      黒き龍つがへる梁の涼しさよ      出はいりは四足なりぬ蚊帳の口      万年の山がぐるりと虫送り      つくも髪花からすうり瞬けば      碧玉の恋あり日本川蜻蛉      夕ひぐらし翠巒に骨埋めなむ       口紅をさして迎火焚きにゆく           ―「俳句四季」2021年9月号より転載―  

11月7日 句会報告

20211107-1

2021年11月7日 樸句会報 【第110号】 昼過ぎには雲間にサックスブルーがこぼれ、雨意もすっかり払われました。久々に戻って来られたメンバーを交えて、心躍る句会の始まりです。ちょうど立冬。次回は冬季で詠むのかと思うと、日差しがより一層いとおしく感じられます。 兼題は「新蕎麦」「猪」「草紅葉」――いずれも晩秋の季語ですが、後に載せるそれぞれの例句のうち、「猪鍋」や「山鯨」は既に冬の季語。ちなみに、「蕎麦掻」「蕎麦湯」も冬の季語となります。美味しそうなものばかりですね。 特選句、入選句、原石賞の一句ずつを紹介します。 ◎ 特選  彫るやうに名を秋霖の投票所            古田秀 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「秋霖」をご覧ください。             ↑         クリックしてください     ○入選  小三治の落とし噺や草紅葉            萩倉 誠 【恩田侑布子評】 さきごろ八十一歳で亡くなられた人間国宝の噺家、十代目柳家小三治さんへの追悼句です。小三治さんは、俳句を愛好する「東京やなぎ句会」のメンバーでもありました。作者は小三治贔屓だったのでしょう。芸にいのちを賭けたひとの高座をつらつらと思い出しながら草紅葉を踏んでいます。噺に登場する長屋の誰れ彼れも、郭の花魁も、幇間も、みな草紅葉のように胸にせまり、いとしくなります。 【合評】 渋く落ちました。 語り口から生み出される世界。自分もそこへ引き込まれ、草紅葉として聴き入っている心地になる。 落語と草紅葉は確かに合っている。ただ、小三治でなくて他の噺家でもいいのでは? 追悼句であると前書きを付けてはどうか。 いや、「草紅葉」といったら、落とし噺の名手である小三治しかあり得ない。前書きも不要。     【原】「げんまん」の声こぼれたる草紅葉                田村千春 【恩田侑布子評】 「草紅葉」の兼題に、ゆびきりげんまんをもってきた感性がすばらしいです。弱点は、「こぼれたる」の連体形が草紅葉にかかること。切れをつくりたいです。 【改】「げんまん」の声のこぼれし草紅葉 こうすると、「指きりげんまん」が、過去のあの日あの時の忘れ難い声になり、草紅葉のしじまのなかにいつまでも余情となって残ります。すばらしい特選句になります。 【合評】 幼い頃の約束事は、大人から見ると他愛ないものが多いとはいえ、いたって真剣にかわされる。草紅葉と響き合うし、光景が美しい。 「げんまん」と平仮名だから子供同士とは思うけれど、親と子が唱えている声のような気もしました。 子供の会話を題材にした句というと既視感がある。   サブテキストとして、今回の季語の名句が配布され、各自が特選一句、入選一句を選句しました。     新蕎麦・走り蕎麦  新蕎麦やむぐらの宿の根来椀               蕪村  新蕎麦を待ちて湯滝にうたれをり               水原秋桜子  もたれたる壁に瀬音や今年蕎麦               草間時彦    猪・猪垣・猪道 (秋)  猪の寝に行かたや明の突き               去来  手負猪頭突きて石を落しけり               山中爽  猪垣の中やびつしり露の玉               宇佐美魚目    猪鍋・牡丹鍋・山鯨 (冬)  ゐのししの鍋のせ炎おさへつけ               阿波野青畝    山鯨狸もろとも吊られけり               石田波郷    二三本葱抜いて来し牡丹鍋               廣瀬直人    草紅葉  家なくてただに垣根や草紅葉               松瀬青々  草紅葉焦土のたつき隣り合ふ               幸治燕居  泥地獄とぼしき草も紅葉せる               首藤勝二  好きな絵の売れずにあれば草紅葉               田中裕明   連衆の人気を集めたのは、次の二句です。  もたれたる壁に瀬音や今年蕎麦  好きな絵の売れずにあれば草紅葉 「もたれたる…」の「今年蕎麦」には、食欲を掻き立てられると評判でした。すがすがしい空気、煌めくせせらぎと水の香、蕎麦を打つ音――まさに五感が悦ぶ作品。伊豆の人気の蕎麦処を思い浮かべましたが、名店ひしめく信州かも。今か今かと待ち受ける、その場にいたら、瀬音より大きな音でお腹が鳴ってしまいそう。 「好きな絵の…」は、お気に入りの絵を目当てに通い詰めている画廊へ、足早に向かう人か、あるいは、「よかった、まだあった」と見届けたのち、帰りの路地をたどりつつ、「ほんとは買いたいんだけど…」と溜息をついている人でしょうか? 道端の草の紅いろが目に留まり、絵への愛着は増すばかり。市井をただよう哀歓をそっと掬い上げる、こんな優しい「草紅葉」もあるのですね。           【後記】 本日は、まず恩田より「体験をすぐに五七五にせずに、一回肚のそこに落とし込んで、その人なりの言葉にしているのが共感を呼ぶ句です。読むたびに新たな感動を誘われます」と心得を説かれ、全員の背筋が伸びました。 範とすべき作品として、先ごろ刊行された恩田侑布子編『久保田万太郎俳句集』(岩波文庫)が浮かびます。同書をひもとけば、「珠玉句を一粒ずつあじわう楽しみ」と同時に、「いのちの一筆書きをたどる〝俳句小説〟の愉悦」にも浸ることが叶うのですが、それは、作者が「身體全部で俳句をやった」からに他なりません(「 」内:恩田解説――やつしの美の大家 久保田万太郎――から引用)。 生木のままではない、自らの中で熟成させたのちに昇華されたものだからこそ、当時の色、音、匂いまでもが、生き生きと立ち上がってくるのかと納得しました。      (田村千春)                             今回は、特選1句、入選1句、原石賞1句、△3句、ゝ10句、・8句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) =============================  11月24日 樸俳句会 特選句・入選句・原石賞 ◎ 特選  銀杏落葉ジンタの告げし未来あり             田村千春 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「銀杏落葉」をご覧ください。             ↑         クリックしてください      ○入選  月蝕をあふぐ落葉のスタジアム             見原万智子 【恩田侑布子評】 十一月一九日金曜夜、部分月食が見られました。私も山の谷間で、山の端にうかぶ薄曇りの月蝕をいまかいまかと見上げていました。作者はスポーツか、音楽ライブか、いずれにしても巨大なスタジアムの観客として月蝕を仰いでいます。「落葉の」という限定がきわめて効果的です。野外場の周りは樹木が多く、そこから落葉がスタジアムの客席まで吹き込んでくる光景が想像されます。足元もコンクリの通路に色とりどりの落葉が散り敷いていることでしょう。人間の地上の祭典と天体のショーがひびき合っています。     【原】小夜時雨ペダルふみこむ塾帰り                鈴置昌裕 【恩田侑布子評】 なかなかいいところを捉えています。季語は下にもってゆくとよりいっそう余情が出ます。また「塾帰り」と「小夜時雨」がやや重なるので、「塾の子」と主語を先に明かしましょう。 【改】塾の子のペダルふみこむ小夜時雨     【原】葉脈は骨格となり朴落ち葉                林 彰 【恩田侑布子評】 発見がある句です。朴落葉の来し方行く末をしっかりとよく見ています。朴の木は五月、万緑のなかに、白い大きな芳しい花を冠のように咲かせます。そして、落葉は、ひときわ大きく、茶色の地味なそれは雨風とともに存在感を日々増してゆきます。まさにそれが朴の「骨格」をなす葉脈です。私は一昔前に西伊豆山中で、その骨格の葉脈だけが見事なレース細工のようになった一枚の朴落葉に感動したことがあります。このままでは経過途中です。結果だけを表現しましょう。 【改】葉脈はつひの骨ぐみ朴落葉 こうすると、朴落葉の気品まで感じられませんか。     【原】落ち葉踏み子らの走るや声高き                望月克郎 【恩田侑布子評】 落葉などほとんど眼中になく、公園や校舎裏を走り回る冬でも元気な子らの声。悪いところはないですが、俳句としての魅力がいまいちなのはなぜでしょうか。作者の感動の焦点が那辺にあるか、つかめないからです。「落葉を踏んで子どもたちが走っているよ。声も高く元気だよ。」と見たままの報告に終わっていませんか。話の順番を変えるだけで変わります。 【改】声高く子らの走るや落葉踏み 子どもらと、踏みつけられる落葉の対比がはっきり出ます。そこに、蛇笏の「落葉ふんで人道念を全うす」ではありませんが、元気にかけまわる子らを底で支えながら去ってゆく、声なきもろもろの存在がじわりと伝わります。詩の核心が誕生します。     【原】猫を撮る落葉に膝は湿りつゝ                塩谷ひろの 【恩田侑布子評】   猫好きな作者であることがわかります。しかも美しい猫なのでしょう。三十六歳で死んだ夭折の画家菱田春草の「黒き猫」(明治四三年)が目に浮かびます。ただしこの句はこのままでは、季語の「落葉」より、下五の「膝は湿りつゝ」のほうが目立ちます。座五は抑えましょう。 【改】猫を撮る落葉に膝を湿らせて こうすると、一匹の猫と向き合う静かな空間が立ち上がります。     【原】ふつくらな猫に寄り添ふ小春空                萩倉 誠 【恩田侑布子評】 副詞「ふっくら」は通常は「と」を伴います。同じ意味ですが冬の日にふさわしい微妙に陰影のある「ふっくりと」に変えてみましょう。季語も「小春空」ですと、冬晴れの空へ猫の毛の質感が消えて失くなりそうです。猫のからだのやわらかさを感じさせつつ、このあたたかさや慰安が、つかの間のことであることを感じさせる季語を斡旋し、調べをととのえましょう。 【改】ふつくりと猫に寄り添ふ冬うらら     【原】茶の花のけぶりて白き水見色                益田隆久 【恩田侑布子評】 静岡の奥座敷「水見色」村は、その美しい地名とともに、朝晩の霧の深い本山茶の茶処としても有名です。春は桜、夏は螢や河鹿が棲む、たいへん風光明媚な山里です。けぶりてまではいいですが、「白き」が惜しい。言わでもがなのことを言ってしまいました。ここが、ただの五七五か、俳句という詩になるかどうかの分かれ目です。水見色という清冽な地名を活かすために、朝や午前の日にかがやく清冽な茶の花の光景を描き出しましょう。すばらしい風土賛歌になります。 【改】朝にけに茶の花けぶる水見色