2022年6月22日 樸句会報 【第117号】
樸俳句会のメンバーの中には、連れ立って、兼題の季物を見に出かける方も。たとえ本命に巡りあえずに終わったとしても、他の句材を得たり、さらに友情を深めたり――そうした裏話を伺うたび、あらためて俳句の素晴らしさを思います。コロナ禍でつい家に籠りがちになりますが、やはり季語の現場へ繰り出し、五感をフルに躍動させてこそ作品に命を吹き込めるのですね。
兼題は「夏の川」「亀の子」「夏木立」です。
入選1句、原石賞2句を紹介します。
○入選
屋久のうみ亀の子月と戯れる
林彰
【恩田侑布子評】
屋久島の夜の海辺で目にしたさりげない光景です。やさしいしらべは凪いだ海さながら。屋久杉の生い茂る円かな島にひたひたと打ち寄せる藍色の海。波間には月光が散らばり、亀の子がやわらかな手足を伸ばしています。それを「月と戯れる」と把握し、うたいおさめたところに虚心な詩が生まれました。旅先のくつろぎのひととき、肩から力の抜けた小スケッチが永遠に通じています。
【原】底に臥し太陽見上ぐ夏の川
鈴置昌裕
【恩田侑布子評・添削】
プールで泳ぐより、川泳ぎが好きな人の俳句。静岡県下の河、安倍川、藁科川にはじまり、大井川、天竜川、富士川で泳ぎまくった少女時代を持つ私は大いに共鳴します。同時に、老婆心ながら「太陽見上ぐ夏の川」はゲームばかりしている現代っ子には一生詠めないのでは、と心配になります。川底の清らかな砂礫に腹を擦り付けるように潜り、そこから反転して浮かび上がる刹那にきらめく太陽の光こそ夏の醍醐味です。添削したいのは上五「底に臥し」の硬さです。
【改】潜りこみ太陽見上ぐ夏の川
【合評】
- 水面を透かして見る陽光にうっとり。
- 私の住む町の川は市民から親しまれているが、夏には水量が極端に減り、岸でバーベキューというのが定番。この「夏の川」はどんな状態なのか、「底」にどう寝ているのか、原句ではわかりにくい。
【原】還暦の洟たれ小僧夏河原
林彰
【恩田侑布子評・添削】
ちょうど還暦を迎えた作者でしょう。六〇歳は、壮年期の終わりを告げられるようで、今までの誕生日とはちょっと気分が違います。しかし作者は、俺はまだ「還暦の洟たれ小僧」にすぎないと言い聞かせ、夏河原をほっつき歩いています。このままでも十分気持ちは伝わります。が、たった一字の助詞を変えるだけで、「俺」という自意識から解放され、句柄が大きくなります。季語も生きてきます。
【改】還暦は洟たれ小僧夏河原
【合評】
- こういう自虐めいたことを言える還暦の大人になりたいです(笑)。私は三八歳ですが、十代の記憶を持ったまま還暦になるような気がします。
- 傍題の「夏河原」を選んだのがいいですね。具体的な場所に自分を置き、客観視している。
今回の例句が恩田によってホワイトボードに記されました。
なお、最後の句(付)は兼題そのものではなく、「夏の川を詠んだ」作品として紹介されています。
亀の子
子亀飼ふ太郎次郎とすぐ名づけ
皆吉爽雨
夏木立
夏木立伊豆の海づらみえぬなり
大江丸
井にとゞく釣瓶の音や夏木立
芝不器男
夏の川・夏川・夏河原
夏河を越すうれしさよ手に草履
蕪村
付
渓川の身を揺りて夏来るなり
飯田龍太
【後記】
入選句について「気負いのない作品の良さ」が話題になりました。愛唱句の条件でしょう。万人に愛されるといえば、前回の句会報の後記で取り上げた「馬ぼく/\我をゑに見る夏野哉」。ふうふう息をつきながら馬に揺られている作者・芭蕉翁が浮かんで、微笑みを誘われます。実は縦書きで紹介したかったのですが、この句会報はスマホに合わせているので、ほとんどが横書きです。最近買った本、『松尾芭蕉を旅する:英語で読む名句の世界』では、著者ピーター・J・マクミラン氏が以下のごとく英訳していました。
Ambling on a horse
through the summer countryside―
Feels like I’m moving through a painting.
これなら横書きがふさわしい、芭蕉の旅がアップデートされたように感じます。ところで俳句はなぜ縦書きなのでしょう。思わず膝を打ちたくなる答が、恩田侑布子の新著『渾沌の恋人(ラマン):北斎の波、芭蕉の興』に載っております。ぜひ、ご一読のほど賜りますよう。
(田村千春)
今回は、入選1句、原石賞3句、△4句、ゝ7句、・7句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
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6月5日 原石賞紹介
【原】清流浴鮎に私にプリズム光
海野二美
【恩田侑布子評・添削】
「森林浴」という言葉があるので、「清流浴」と言ってみたくなったのでしょう。しかし、「鮎」は清流にしかいない魚ですから、念押しは野暮です。それに引き換え中七以下「鮎に私にプリズム光」は素晴らしいフレーズです。清流に潜った人の臨場感あふれる措辞です。ここを最大限生かすには、上五はあっさり動作だけにする方がいいです。それこそ清らかな水と一体化する感じがしますよ。
【改】泳ぎゆく鮎にわたしにプリズム光
【原】野糞すや旱の牛に見られつつ
芹沢雄太郎
【恩田侑布子評・添削】
「旱の牛」で野外ということが十分にわかります。「野糞すや」は俳諧味を狙ったとしても強烈でくどいです。「くそまる」といういい措辞があります。
【改】糞りぬ旱の牛に見られつつ
こうすれば、恥ずかしさと、開放的な気分がともに表現されます。旱の牛との共生感覚が立ち現れ、光彩陸離たる野糞のインド詠に早変わりです。
砂いつか巌にかへらむ夕河鹿 俳句photo by 侑布子