7月27日 句会報告

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2022年7月27日 樸句会報 【第118号】 今回の兼題は「炎天」「冷奴」「噴水」――残念ながら、リモート句会となりました。依然としてCOVIDー19という重荷を負わされており、ついシジフォスの神話を思い起こします。ゼウス神をも欺いた狡猾な彼は、大石を山頂へ押し上げる刑罰を永遠に繰り返させられました。人類もさらに長期にわたってこの辛苦に耐えねばならないのでしょうか。そんな中、リモートではあっても、俳句の紡ぎ出す無限の世界に浸れることは、この上もない幸せです。 特選2句、入選2句、原石賞2句を紹介します。 ◎ 特選  炎天や糞転がしの糞いびつ             芹沢雄太郎 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「炎天」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ◎ 特選  寄港地の噴水へ手をかざしけり              田村千春 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「噴水」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ○入選  菜園の薬味を選りて冷奴                金森三夢 【恩田侑布子評】 家庭菜園に精を出している。冷奴の時こそ、まかしとき!本領発揮だ。葱にしようか、青紫蘇もいいな。裏庭にまわれば、そろそろ茗荷も出ているかも。読者にいろいろ想像させてくれる楽しさがある。想像しているうちにひとりでに読み手は作者の暮らしの涼味を味わう。冷奴が食卓をはみ出し清廉な生活まで感じさせる。季語の見事な働きである。 【合評】 丹精の暮らし方がしのばれる。 「選りて」の措辞に菜園の豊かさと料理への心遣いが表現されています。   ○入選  湿布貼る肩のあらはや冷奴                古田秀 【恩田侑布子評】 肉体労働者の夕餉だ。父は木綿のランニングシャツ一枚になってあぐらをかいている。背中から見ると、サロンパス(トクホンという商品もあった)を、何枚もベタベタ痛い方の肩に貼っている。その肩は子どもの目からは、赤銅色に日に焼けてガッチリとたくましい。「でも、やっぱり痛いのかな」。ちょっと心配しながらも、たのしい遅めの夕飯が始まる。冷奴には生姜や細葱や鰹の削り節がたっぷり盛られていよう。晩酌も一本つくのだろう。昭和のなつかしい茶の間、電球と畳の匂いまでしてくる。 【合評】 口当たりの良い冷奴の涼し気な白さにほっと一息つく、肉体労働者の汗と笑顔が見えて来る。       【原】炎天下駆けぬく子らの呵々大笑               望月克郎 【恩田侑布子評・添削】 老いは感じないという人でも、炎天に立たされると参ってしまう。その点、子どもらは別の人種のよう。楽しみさえあれば水を得た魚のように笑いながら平気で走ってゆく。この句は「呵々大笑」という禅的な措辞をあどけない子らの笑い声に援用したのが出色。「炎天」と「呵々大笑」は相性がいい。が、画竜点睛を欠く一点がある。それが為に、途端に「呵々大笑」が空々しく浮いてしまった一字は、「下」である。「炎天下」でもね、という粘りが急に出てしまうのだ。粘りから離れ、カラリと「呵々大笑」しよう。切字一字で世界が変わる。 【改】炎天や駆けぬく子らの呵々大笑       【原】営業車まで噴水のひかり来る               古田秀 【恩田侑布子評・添削】 営業車と噴水の取り合わせは新味がある。ただしこのままでは、「まで」「来る」が説明っぽい。こんな時こそ切字の出番。「来る」を削り、噴水の白いひかりと涼しさが一挙に感じられるようにする。もう一つのやり方はもう少しカメラアイを絞って「まで」「来る」を両方消してしまう。 【改】営業車まで噴水のひかりかな    営業の車窓へ噴水のひかり 【合評】 少し離れた駐車場まで、噴水に揺れる光が届いている。炎天下の仕事で一休みしている人に噴水の涼が届いている様を上手く表現しています。   【後記】 入選句の「菜園の薬味」とは何の植物かと、会員が推理をはたらかせていました。また、前回の入選句「どの向きの風も捉へて三尺寝」には、昼寝に纏わるあれやこれやに座が盛り上がりました。暑中に涼を求める、小さな幸せこそが大きな幸せ。日本人は順応力に長けており、様々な工夫をもって、灼熱の時期も何とか笑顔で乗り切ってきました。分冊の歳時記のうち「夏」が最も厚いのも、わかる気がします。 (田村千春) ...

土の契り 二十一句

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『俳句』2022年6月号に掲載された恩田侑布子「土の契り」21句をここに転載させていただきます。           土の契り      あをあをと水の惑星核の冬     プーチンvs(と) 星のはらから春凍る     ウクライナ爆破菜の花放射状       筍であれよ砲弾保育所に     なあやめそ柳あをめる昼の月     鬩ぎあふ四大プレート龍天に     あきつしま卵膜ならんよなぐもり     はにかみの国のまほらや春落葉        伊豆産の早船、枯野(からの)あり。『古事記』  大しだれざくら枯野の琴になれ     ゆく春へ擬鳳蝶蛾(あげはもどき)の開張す     腐葉土や踵よろこぶ若葉雨      竹葉ちるあるいは空は金無垢か     下へえしたへ大道無芸山百足     まくなぎの変幻自在ポピュリズム     うちよするするがのくにのはだかむし    ※生きものに五虫あり。人間は裸虫。『礼記』      滾つ瀬の音や万緑のぞき込む     南冥へ波上げに行く瀑布かな     三光鳥月日はづます星なれと     早苗籠ひかる不老の谷ならん     ひた向けば大鏡なり青はちす     青人草そよぐ尺玉花火かな    【初出】『俳句』二〇二二年六月号 特別作品二十一句

朝日新聞 (6/25)「折々のことば」にて『渾沌の恋人ラマン』をご紹介いただきました

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本書より「自分がこの世にいなかった、、、、、世界は、あんがい気持ちよかった。」という一文を引用され、『死が「わたし」という幻の解消だとしたら、人は「死ねばこの世になる」ということ。』と鷲田清一氏がご紹介して下さいました。厚くお礼申し上げます。

あらき歳時記 噴水

歳時記「噴水」候補1

  2022年7月27日 樸句会特選句     寄港地の噴水へ手をかざしけり                    田村千春  日本や世界を一周とまではいかなくても、時間のたっぷりした周遊の船旅である。まだ見ぬ港に船体が静かに入ってゆくときの心躍り。作者はしばしばその見知らぬ街の歴史を訪ね、くつろぎ、土地の心づくしの饗応に預かったのだろう。やがて乗船の時刻が近づいてくる。ひと時の風光を愛でた街、名残惜しい公園に噴水が涼しげに上がっている。もう二度と再びこの地を踏むことはないだろう。そう思った瞬間、ひとりでに「噴水へ手をかざし」ていた。永遠に若く美しい噴水に向かって、さようならをしたのだ。初めての遠い土地の噴水へのいつくしみは、ゆきずりのひとの真心にふれた遠い日の記憶も誘う。過ぎゆくものへの清らかな哀惜。                       (選 ・鑑賞   恩田侑布子)

あらき歳時記 炎天

歳時記「炎天」候補3

2022年7月27日 樸句会特選句   炎天や糞転がしの糞いびつ                    芹沢雄太郎  恐ろしいまでに青い炎天。見れば乾ききった大地に一匹の甲虫が糞を転がしている。スカラベだ。古代エジプトでは、獣糞を球にして運ぶ姿を、太陽が東から西に運ばれる姿になぞらえ、太陽神の化身として崇めたという。その再生の象徴は彫刻として今に伝わる。が、この句のスカラベは美術館や土産物屋に置かれた死物ではない。作者の立つ大地に生きて眼前している。その証拠に、糞転がしが取り付いている糞はまだ丸くない。「いびつ」だ。歪んだ糞を日輪の球体になるまで全身で必死に転がしてゆくのだ。紺碧の炎天の一点になるまで。                         (選 ・鑑賞   恩田侑布子)

あらき歳時記 向日葵

歳時記「向日葵」候補1

  2021年7月4日 樸句会特選句     向日葵や強情は隔世遺伝                    海野二美  ゴッホの向日葵のように、一読して強烈な印象を残し、忘れられなくなる句だ。向日葵は真夏の太陽を受けて真っ直ぐ立ち、青空に大きな花冠を向ける。枯れるまで弱音を吐くことのない健気さを作者は自己に投影する。「強情」の措辞で向日葵の本意を受け止めたところが秀逸。卑下と自負の感情がないまぜになっていて意表をつかれる。それが父母由来ではなく、祖父母の一人からもらったものと懐かしむ時間感覚のはるかさもいい。どんな時でもジメジメせず、自分の意思を貫く生き方を、作者はこれでいいのよと肯定している。向日葵の花が大好きで、自分を強情っぱりといえるひとは、本当はかわいい女性にちがいない。向日葵、強情、隔世遺伝、という、三つのタームが思いがけない硬質の出会いを果たして、口遊むたび、夏雲のようなきらめきが立ち上がってくる。                       (選 ・鑑賞   恩田侑布子)