1月27日 句会報告

2024年1月27日 樸句会報 【第136号】

 2024年は、能登半島地震の発生に始まり、正月だからといって平穏ではないという自然の厳しさを突きつけられた気がします。
 安否を気遣う、支援に協力するといったことの他に、忘れずにいるということも私たちにできることの一つ。俳句という表現を借りて、今の想いを心に留め置くことも必要なことだと感じています。
 1月27日の句会は静岡市でのリアル句会となりました。参加者からも欠席投句からも力作が寄せられました。
 兼題は「春待つ」「鯛焼」「笹鳴」、特選1句、入選4句を紹介します。

   

里神楽星へつがへる白羽の矢

里神楽星へつがへる白羽の矢  恩田侑布子(写俳)


 
 

◎ 特選
 鯛焼のしつぽの温みほどの恋
             小松浩

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「鯛焼」をご覧ください。
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○入選
 文具屋に桃色多し春を待つ
               星野光慶

【恩田侑布子評】

 「文具屋に桃色多し」は端的かつ印象鮮明です。書店と同じように、街の文房具屋もいつの間にかめっきり減ってしまいました。そんなご時世でも、この文房具屋さんはがんばっています。明るい桃色のポップ手書きがそこここに貼ってあったり、立っていたりします。自然の中ではなく、都会の中で見つけた待春の情景が生き生きしています。調べも上品です。

  
○入選
 抱きしめるだけの介護や春を待つ
                活洲みな子

【恩田侑布子評】

 病床にある肉親でしょう。抱きしめてやることだけしかできない介護。切ないですね。でも、介護される方にとっては、きっとそれ以上安心できるひとときはないでしょう。春が来れば、車椅子でも外に連れ出してあげられそう。早く春の暖かな日がやって来ますように。心を合わせて待っている二人の姿が彷彿とします。

  
○入選
 テトラポッドひとつに一羽冬鷗
               長倉尚世

【恩田侑布子評】

 冬の真っ青な海原を背景に消波ブロックが突兀と横たわっています。よく見るとその一つ一つのツノに冬鷗が止まっているではありませんか。はっきりと目に見えてくる映像です。かつての白砂青松が失われて久しい、渚の痩せた日本の浜辺の、乾いた冬の抒情です。

  
○入選
 山里のリハビリ棟や雪笹子
               都築しづ子

【恩田侑布子評】

 山里にある静かなリハビリ専門の病棟です。長期入院者、あるいは長期通院者が多く、身体機能の回復訓練をする患者さんの地道な努力の暮らしが営まれています。「雪笹子」の季語が美しく効いています。夜来の雪に薄化粧をした裏藪からチャッチャッチャッと、足踏みするような笹鳴が聞こえてくるのです。すこしさみしいけれどやさしい、山里のたしかな応援歌です。

 
     
【後記】
 樸では3ヶ月に一度リアル句会を行っています。今回は静岡市の小料理屋を会場に新年の句会が開かれました。一人二人と会場に集まる毎に自然と会話が生まれ、掘り炬燵に足を入れての句会は和気あいあいと始まりました。
 今回の兼題「笹鳴」は、街中ではなかなか体験することの少ないお題です。難しかったという参加者の多い中、「ビル風の奥底に聴く笹鳴よ」と詠まれた方がいらして、師の目にとまりました。東京の中心地にお勤めの方の句で、お話を伺っていると、摩天楼のような都会の景色の中にふと私にまで笹鳴が聞こえてきそうな感覚になりました。
 樸には少しずつ遠方の会員が増え、詠まれる景色も広がっています。いつか一堂に会して句会が開けたら楽しいなあと思っています。

 (活洲みな子) 

(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

獅子舞や大空にある嚙み応へ

獅子舞や大空にある嚙み応へ  恩田侑布子(写俳)

  

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1月13日 樸俳句会
兼題は「叔気」「初暦」「獅子舞」です。
入選2句、原石賞5句を紹介します。
 
 

○入選
 獅子舞に噛まれしと児のよくしやべる
               活洲みな子

【恩田侑布子評】

 瞬時に、獅子舞に噛まれて興奮冷めやらないおさな児の姿が浮かび上がります。去年なら、ただ泣き叫ぶばかりだったかもしれません。怖かったのに泣かずにその時のことを伝える成長ぶりに親は目を細めます。ふだんは訥弁の子が、今、自分の知っている最大限の言葉を使って、食われるほど大きく感じた獅子の金歯を、その硬さを、夢中で両親や祖父母に訴えている微笑ましさ、めでたさ。

 
        
○入選
 倒壊の家にもありし初暦
               天野智美

【恩田侑布子評】

 二〇二四年は震度七の能登半島地震で明けたようなものです。画面に流れる家屋倒壊と、大火災、津波の映像に胸を潰しました。作者はそこに今まで穏やかな日常を営んでいた人々の暮らしを思いやっています。梁や屋根に押し潰された居間にかかっていたに違いない初暦が何と生々しく無残に感じられることか。一瞬にして断たれた平穏な暮らしの象徴としての「初暦」です。
将来句集を編むときには、「二〇二四年を迎ふ」という前書きがあるとなお良いでしょう。

 
       久能山東照宮
【原石賞】千百段昇りきりたる淑気かな
              活洲みな子
 
【恩田侑布子評・添削】

 他県から来る観光客は久能山東照宮を参拝するのに、よく日本平からロープウェイに乗ります。地元の作者は久能の有度浜側から九十九折の石段を上ったのでしょう。「いちいちごくろうさん」と覚えられている一一五九段を「千百段」とすっきり省略したのも手柄です。ロープウェイではなく自分の足で社殿まで行けた初詣のよろこびをさらに躍らせるには、「きりたる」の固い文語表現を、「きつたる」という弾む息遣いにしましょう。俳句は韻文なので、気息が大事です。内容はおなじでも迫力が変わります。

【添削例】千百段昇りきつたる淑気かな

 
 
【原石賞】 義母 ははとゐて母を思ふる初明り
              山本綾子
 
【恩田侑布子評・添削】

 古語の「思ふ」は「はひふふへへ」と活用しますから「思ふる」は誤り、正しくは「思ふ初明り」です。
連れ合いのお母さんと一つ屋根の下で新年を迎え、自分の母とではないことをしみじみと実感します。自分を産み育ててくれたこの世でたった一人の女性を恋う思いが泉のように胸をひたすのは、清らかな「初明り」のなせるわざでしょう。

【添削例】義母ははとゐて母を思ひぬ初明り

   
【原石賞】玉砂利を靴底に聞く淑気かな
               島田淳
 
【恩田侑布子評・添削】

 神社の境内を神籬ひもろぎといい、拝殿までよく玉砂利が敷かれています。その美しい小石を踏み鳴らす瞬間を「靴底に聞く淑気」と捉えた感性は見事です。ただ微妙なことを申すと、もったいなさがあります。原句ではまず「玉砂利」が出て次に「靴底」となるので、せっかくの玉砂利の明るい清らかさが濁ってしまうのです。そこで、まず「ふみゆける」と、足元に神経を集中させ、次に「玉砂利」の白さを出し、畳み掛けるように細石の鳴る音を「聞」けば、まさに淑気が四囲に響きわたるではありませんか。

【添削例】ふみゆける玉砂利を聞く淑気かな

 
【原石賞】その人は赤のカシミアその淑気
                 林彰
 
【恩田侑布子評・添削】

 意外な場面の淑気。句に鮮度があります。ただし、「その」「その」のリフレインはたどたどしい。なんといってもこれは恋の句。「赤のカシミアの」映える女性の佇まいに「淑気」まで覚える作者です。非の打ちようもない美しさに圧倒されているのです。いつも胸の底に住まう人であることも暗示して「かの」とするだけで、何もいわなくても、しじまに情熱は燃え上がります。

【添削例】かの人は赤のカシミアその淑気

 
【原石賞】獅子舞に灘の菰樽噛ませおり
              金森三夢
 
【恩田侑布子評・添削】

 「おり」の正しい歴史的仮名遣いは「をり」です。
新年詠ならではのめでたい光景です。原句は、そのままの状態を表す「をり」を使っています。獅子舞の活発な動きの面白さ、噛んだ瞬間の感動を一句に定着させるには「噛ませたものだよ」という詠嘆の「けり」がよりふさわしいでしょう。一字のちがいで、「獅子舞」の嚙む「灘の菰樽」に御神酒の霊気があふれ、今年の吉兆をここに集う人々と会全体に呼び寄せる切れ味のいい句になります。

【添削例】獅子舞に灘の菰樽噛ませけり

        

今宵こそ蓬莱山に登らなむ

今宵こそ蓬莱山に登らなむ  恩田侑布子(写俳)

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