あらき歳時記 賀状

photo by 侑布子 2025年1月12日 樸句会特選句   ほそき手の床より賀状たのまるる  長倉尚世  長年にわたって毎年必ず出してきた年賀状を、今年もやめるわけにはいきません。生きている限りは、生きている証の一枚を大切なあの人に送りたいのです。「ほそき手」が差し出す手書きの賀状に、衰えた祖母の気持ちを痛いほど察する作者。胸に抱くようにしてポストに投函に行くやさしさが「賀状たのまるる」の連体形に伺えます。 (選・鑑賞 恩田侑布子)

一句鑑賞 角川『俳句』2025年1月号 恩田侑布子「新年詠七句」より

 
ひらかれてあり初富士のまそかがみ
恩田侑布子
 
「あり」の強い断定と切れが、元旦の清涼感、潔ささえ感じさせ気持ちが良い。

 富士を見たいがため、極寒の朝大勢が山に登ってくる。
雲一つ無い富士を見る時、何とも形容し難い澄んだ気持ちになる。
まそかがみがひらかれてあると俳人は直観する。

諏訪大社の御神鏡は、「真澄」というらしい。
富士を拝する人々の「真澄」の心と富士の「まそかがみ」が照らし合いますように・・・、
という恩田侑布子の祈りがこの1句には込められている。

 「言葉は聖なるものの出来事である」・・ハイデガー
 「お前はそれを訊ねるのか。
  歌のなかにその精神はそよぐのだ、・・」・・ヘルダーリン

まるで、初富士そのものの如く美しいこの1句のそよぎにゆだねる。
そして、「出来事である」の意味がおぼろげに解るのだ。

益田隆久(樸俳句会会員)
 

12月22日 句会報告

2024年12月22日 樸句会報 【第147号】

12月22日の兼題は「ボーナス(年末賞与)」と「鰤」。ボーナス体験は個々人でまさに悲喜交々。「悲喜」どちらを詠んでも、詠み手の想いが伝わってくる句ばかりだが、私などどちらかといえば縁なき者の哀感を詠んだ句に共感してしまうのは、先生同様、その恩恵に浴することのない半生だったからだろう。「鰤」では、季節感を多彩に詠みこんだ多くの句が並んだ。この兼題では詠めなかった私自身の食生活の貧困(無知)を深く恥じると同時に、季語が包みこむ日本人の生活感に疎いのはかなりまずいと反省した。会の後半には、武藤紀子さんの句集『雨畑硯』より先生抄出の15句についてそれぞれ感想を求められた。「どう思いますか」と鋭い刃を突きつけられたように問われ、一同しばし沈黙。私自身言葉が出ない。先生が三行で書かれている評言が全てを尽くしている。それを超える言い方などできようはずもない。鑑賞の言葉(も)鍛えねばならないと切に思った。
入選2句、原石賞1句を紹介します。
 

 

○ 入選
 聖夜来るマッチ知らない子供らに
               成松聡美

【恩田侑布子評】

アンデルセンの童話「マッチ売りの少女」を連想します。少女は貧しさから、年の瀬の雪の中、マッチを売ってくるよう言いつけられ、売り物である小さな火に幻想を見ようとして、すべてを擦って死んでゆきました。
掲句の「マッチ」は、現実のマッチであるとともに、ひと時代前の日用品の隠喩でしょう。現代は手紙の代わりにSNSが、本や新聞の代わりにネット情報が、図書館で調べものをする代わりにチャットGPTが、なんでも教えてくれます。こうした文明批評が底にあることが句柄を大きくしています。はるかな時間の流れの中では、現代人といっても、次から次へ物質文明の奔流をわたり漂う「マッチ知らない子供ら」のように思えてくるのです。二千年前に降誕した聖夜のキリストが、子供たち、即ちわたしたちをひとしなみに見つめています。
 

○ 入選
 煎餅を添へてボーナス渡さるる
               長倉尚世

【恩田侑布子評】

この「ボーナス」の袋はそんなに厚くはなさそうです。袋の上から手で触れて、万札のおおよその厚みがわかった昭和の時代の情景です。夫は「少ないボーナスでわるいね」という代わりに、妻の好物であるに違いないカリッパリッと歯ごたえのいい厚焼きせんべいのふっくらした袋を添えて手渡してくれたのです。なんとやさしい夫婦の暮らしぶりでしょう。心温まる俳句です。
 

 
【原石賞】花八つ手顔より声を想い出す
              成松聡美

【恩田侑布子評・添削】

八手は地味な花。冬日の玄関の脇や、トイレの窓の外にひっそりと白ばんだ花を咲かせます。よく見れば、ベージュがかったやさしいボンボンを思わせますが、ハッと目を引くところはどこにもありません。ただその花がものかげに佇んでいるのを見ると、好きだった人の声を思い出してしまうのです。目鼻立ちはもうぼうっと定かではないのに、声の静かな温もりだけがありありと耳の底に聞こえるのです。原句は「想い出す」で終わり、存在感が弱まります。座五を「花八手」にすることで、その人のかけがえのない声音が印象されましょう。

【添削例】顔よりもこゑおもひだす花八手
 

【後記】
今句会で一際目立ったのが、成松さん句の高評価。3句すべてに先生の「入選」「原石」「サンカク」が付けられ、メダル独占の様相だった。ただ私はこの3句には全く感応せず、先生の講評を聞いてのち、ようやく自分の読みの浅さに気づいた次第。作者の意図を超えて深読みさせたくなるような句を、いつか私も詠んでみたいと心に誓う。先生の講評は毎回一言ひとこと俳句初心者の私の頭と胸に沁み入る。しかし今回は染み入る猶予もなくいきなりグサッと突き刺さった言葉があった。「“他人事” 俳句ではダメ! 最後は自分の足元に着地させること」。ああ痛い! そもそも樸入会のきっかけともなった『星を見る人』に魅了されたのも、行間から同じトーンの叱声が聴こえたからだ。私の中で生活習慣病の如く巣食っている “他人事” ことばの使用。後半生の残り時間で、どこまで矯正できるか……。樸俳句会という虎の穴に足を踏み入れたことは今年一番の収穫だと思っています。
 (馬場先智明)
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
 

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一句鑑賞

『俳壇』2025年1月号 恩田侑布子「新春巻頭作品七句」より

 
鶏旦やガラスの天井破わるかゝと
恩田侑布子
 
 新年詠として爽快な一句だ。
 昭和の時代に仕事を始めた女性にとって、「ガラスの天井」という言葉は嫌というほど身近だ。平成、令和ときて、その言葉は未だ残っている。男女を問わず、人種、雇用、その他マイノリティと、将来に差別を感じている人のすそ野は広い。社会や組織のそんな圧力に臆することなく、自ら蹴破ってやるという気概。句末の「かゝと」にはっとする。

鶏旦やガラスの天井破わるかゝと

 元朝のことを、また鶏旦ともいう。中国由来の季語であろうが、元日の朝に響く鶏鳴の清々しさをも感じさせる。句を声に出してみると「鶏旦」「ガラス」「かゝと」と、重ねられたK音G音が力強い。初日を一身に浴びながら、あとに続く人のためにも理不尽な「ガラスの天井」に風穴をいざ開けん、と踏ん張る姿が浮かぶ。
 師に学んで六年目。俳人恩田侑布子は、やっぱり凛々しい。

活洲みな子(樸俳句会会員)