あらき歳時記 辛夷

photo by 侑布子 2025年2月23日 樸句会特選句  暮れてなほ弾む句会や花こぶし  益田隆久  句座はいつもながら俳句談義に盛り上がり、締めの時刻が過ぎても終わる気配がありません。日永とはいえ、外には夕闇が迫ります。窓辺の白いこぶしの花が残んの青空を背景に、白くちらちらと光を留め、かがやきます。その姿はまるで私たちのよう。俳談が尽きないのは、欲も得もなく一句に共鳴して、自分がまるで作者になり変わったかのように俳句の世界に入り込んでしまうから。俳句を楽しむ純粋な思いを春風に揺れる花こぶしによそえて、思いを分かち合う清談のよろこびを伝えます。句姿も内容に沿ってじつに美しい。 (選・鑑賞 恩田侑布子)

AIと俳句、または現代社会にとって俳句とは

 
AIと俳句、または現代社会にとって俳句とは
益田隆久
ダニエル・L・エヴェレットという言語人類学者が、『ピダハン』という本に書いている。「アメリカ人は(ありがとう)を言いすぎる。」
よくブラジルの人に言われるそうだ。
ピダハン(アマゾンの原住民)は、感謝の気持ちは、行為で表す。
罪悪感は、行動で償う。
なので、彼らには、「交感的言語使用」は無い。
つまり、「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」「すみません」など。
言葉というものの、詐欺性、ごまかしの本質を考えさせられる。

先日の句会後の討論はとても有意義な時間だった。
戦争と分断、不安の時代に「俳句」の意味とは?
AIの時代に「俳句」の存在意義とは?

ピダハン語には11ほどしか音素がない。
「オイー」「ビギー」だけで、何百もの意味がある。

そもそも、人類の誕生した頃、動物の鳴き声、鳥の鳴き声、雷や風の音、海の音などを真似して音の高低差、伸ばす、詰める、などで表現していただろう。

何万年かけ、細分化、複雑化し、その分感情を誤魔化し抑圧してきた。
その先にあるのが、AIだ。細分化、選択、組み合わせの最良化。
そこに心の「叫び」は無い。本心の隠ぺい。心と言葉の分離。

ウクライナのこと、テレビでしか見ない者が「俳句」をかるがるしく作るべきではないのか?・・・そうでは無い。

樹々は、粘菌という媒体によって、コミュニケーションする。
「鳥の大群がくるぞ」「北風がくるぞ」「人間がきたぞ」って。
人間だって、深層で意識がつながっているのだ。死者でさえ。
「ウクライナ」とも、「ガザ」ともつながっている。テレビなど無くとも。

言語の本質は、「叫び」なのだ。散文化するほど遠ざかる。
その叫びを表現するのに、17音の詩に可能性があろう。
飼いならされ、「叫び」が隠ぺいされる時代にこそ。
以上
 
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ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観
ダニエル・L・エヴェレット著 屋代通子訳、2012年 ㈱みすず書房
 

1月26日 句会報告

2025年1月26日 樸句会報 【第148号】

1月2回目の句会は静岡市内での対面句会となりました。雪化粧の富士山を窓の端に置きながら、普段のZoom句会とは違う刺激に、鑑賞も議論も心なしかヒートアップしていました。聞くところによるとZoomと対面のコミュニケーションでは刺激を受ける脳の部位が異なるそうです。
兼題は「氷柱」「冬菫」です。特選1句、原石賞2句を紹介します。
 

白鳥の胸裹(つつ)まむとうるし闇    恩田侑布子(写俳)
 

◎ 特選
 寒声や師匠口ぐせ「間は魔なり」
             岸裕之

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「寒声」をご覧ください。

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【原石賞】空と吾が語らふさんぽ冬菫
              山本綾子

【恩田侑布子評・添削】

「ソラトアガ」または「ソラトワレガ」と訓ませるのでしょうか。内容にふさわしいリズムにするにはギクシャクした「ガ」を外して内容の繊細さを生かしましょう。一音の違いで雰囲気が一変し、冬青空がさあっとひろがります。

【添削例】空と吾の語らふさんぽ冬菫
 

【原石賞】なりゆきのままに一世や大つらら
              活洲みな子

【恩田侑布子評・添削】

ユニークな把握を買います。上半分はズボラっぽい生き方。ところが、つもり積もってというか、垂れしたたってというか、結果は「大つらら」になりました。変身ぶりに驚かされます。せっかく句の捻りに力があるので、ひらがなでやさしく流してしまわないで、漢字表記でキリッと納めればおおらかな作者の存在感が出て出色の句になります。

【添削例】なりゆきのままに一世や大氷柱
 

【後記】
句会のあとは懇親会。持ち寄りの紹興酒や世界一周旅行のお土産つき抽選会を楽しみながら、俳句談議に花を咲かせます。年齢も性別もバラバラで、芸能や流行の話は通じ得なくても俳句の話は延々としていられます。個人的なことですが、北斗賞受賞の祝賀会を兼ねた場でもあり、「俳人の価値は現世の俳壇スター的活躍ではなく、どんな句集、どんな一句を遺せたかがすべて。死後読み返される俳人にならないと」との言葉に思わず背筋が伸びました。マンネリズムや自己模倣に陥らないよう、新しさとシビアさをもって今の時代を書いていきたいです。
 (古田秀)
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

金平糖角の頂冬うらら    恩田侑布子(写俳)
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1月12日 樸俳句会
兼題は食積、初詣でした。
特選1句、入選2句、原石賞1句を紹介します。

◎ 特選
 ほそき手の床より賀状たのまるる
             長倉尚世

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「賀状」をご覧ください。

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○ 入選
 床の間に祖母てづくりの手毬かな
               前島裕子

【恩田侑布子評】

彩とりどりの絹糸で手毬をつくられるとは、誠実に生きて年を重ねられた祖母の端正な佇まいを彷彿とさせます。そのおばあちゃんの丹精こめた手毬を家のいちばん大事な床の間に飾る家族じゅうの敬愛の情。品格あふれる新年詠です。
 

○ 入選
 紅白なます太箸の棹さすごとし
                古田秀

【恩田侑布子評】

紅白膾を豊かな海波に見立てた意外性。しかも新年の、柳箸とも祝箸ともいう「太箸」を「棹さすごとし」とみた大胆な直喩の面白さ。蛋白質主体のご馳走責めの中で、大根とにんじんを細く切った清らかな酢の物はさっぱりとして、箸が進みます。気持ちの良い食欲と相まって健やかな新年詠です。上五の字余り七音と中七の句またがりにクセがありますが、それも作者のいい意味の個性が出たおおらかさでしょう。
 

【原石賞】三方は杉の香潔く鏡餅
              林彰

【恩田侑布子評・添削】

杉の香りは檜の香りとまた一段違います。上質な杉の白太でできた古式ゆかしい三方でしょう。ただ、潔いは、美しい、淋しい、悲しいと同じく、感想を「謂い応せ」てしまった感があります。また「潔く」は形容詞の連用形で鏡餅を修飾してつながるので、中七に切れが欲しいです。修飾語ではなく動詞にすると歯切れも良く、格調も高くなります。

【添削例】杉の香のたつ三方や鏡餅
 

わが視野の外から外へ冬かもめ    恩田侑布子(写俳)
 

乞うご期待!2月25日発売 『俳句』

昭和の大俳人岡本眸に捧げる侑布子渾身のオマージュ「死者と照応する愛」。

眸俳句に若き日より慈しんできた恩田侑布子が、昨夏出版の『岡本眸全句集』(ふらんす堂)を新たに読了し、衷心から捧げる俳句評論。角川『俳句』3月号に10ページ掲載!ぜひご高覧ください。

『俳句』2025年3月号のご購入はこちらから

百八日の船旅に発つ盆の朝

百八日の船旅に発つ盆の朝
金森三夢
一昨年の夏に癌の手術を受けましたが、お陰様で経過が良好の為思い切って冥途の旅クルーズにチャレンジし、十二月一日に無事帰還致しました。三か月半(108日)で赤道を四回も通過するという破天荒とも云いたくなるような旅でした。
盆の出発という事で一日一日を輝かせ日々百八の煩悩を消し去りたいと目論んでおりましたが、地震と颱風に阻まれ見事に出航が遅れ、スエズ運河の通航が諸事情で不可能となり寄港地も大幅に変更され、日頃の行いの悪さを改めて痛感。煩悩✕∞という素晴らしい旅立ちと相成りました。やれやれ・・・。

今回の船旅で俳句の海外詠にも挑戦したいと思っておりましたが、夏に出航しインド洋までは夏、南半球のため喜望峰は春(七十一年の人生で夏の次に春は初体験)、アフリカを北上して赤道で今年二回目の夏、カナリア諸島は常春、カサブランカで三度目の夏、ポルトガル、イギリスでやっと秋に辿り着いたもののアイスランドは極寒。ニューヨークで秋に戻った矢先にカリブ海で四度目の夏。パナマ、ペルー、イースター島、タヒチ、サモアそして小笠原までは何と五回目の夏、横浜でいきなり冬という気候の不規則変化の洗礼を受け四季の感覚は完全にぶっ壊れ、俳句どころではなくなりました。

それでも樸で俳句を学ぶ者としての意地で各寄港地や洋上で俳句の悪あがき。今回のクルーズの目玉は何といってもオーロラです。《オーロラや緑帯成す星月夜》《巻きあがる赤きオーロラ海凍る》と駄句を蘿列しました。帰宅して部屋に溜まった埃にびっくり仰天し大慌てで早めの大掃除、すっかり廃人化して新年を迎えました。煩悩は消えませんでしたが、命の洗濯は出来たので何となく人生の宿題を一つやっつけた気分です。

船は亀われは浦島山ねむる 
熱帯より戻り暖冬肌を刺す 

現在は、退屈な日常を取り戻すのに一苦労しております。

世界地図一筆書きし雪の富士 三夢