
山本綾子 樸会員
牧之原の茶畑を雨粒がしっとりと濡らす令和7年11月9日。ふじのくに茶の都ミュージアムにて熊倉功夫館長と恩田侑布子先生による対談「茶の湯と俳諧」が開かれた。
「静岡が誇る俳人であり文芸評論家である——」。熊倉館長による恩田先生の紹介から会は始まった。 続いて、事前公募で投句された75名265句の中から選ばれた特選3句、入選12句が1句ずつスクリーンに映し出された。兼題の「茶」「茶の花」「富士」の斡旋により風土が滲む句が並ぶ。
ご自身の鑑賞をまとめたメモが行方不明になるという小さなハプニング。静岡弁で慌て者を意味する「あわっくい」という言葉も飛び出し、恩田先生の飾らないお人柄に会場の空気が和んだのち、1句ずつ選の理由が披露された。
深い共感性、郷土愛、人間愛による鑑賞が瑞々しい言葉で紡がれる。私自身日頃感じている静岡への敬慕をますます募らせる時間となった。
また、句の中にある、切れによる余白、時空を超えた句柄の大きさ、言葉選びの盤石さなど、俳句文芸特有の表現法にも触れた。学んでいる人にもそうでない人にも、その奥深さや面白さが伝わるお話だった。
熊倉館長と恩田先生の対談では「茶の湯と俳諧」の関係性が語られた。
・茶の湯に精通した伊賀の藤堂家に仕えたことによる芭蕉の作句への影響
・茶の湯におけるにじり口、扇など「結界」を意味する様式と俳句の「切れ」の共通性
・茶の湯の「一座建立」、俳句の「座の文芸」に象徴される日本人特有の「衆の文化」
etc.
お二人の知識と考察力により内容は広がりと深みを増し、大変聞き応えのある時間となった。 終了後は恩田先生との記念撮影を希望する参加者の列ができた。
豊かな日本文化の歴史と機微に触れる実り多き会となった。 個人的には樸句会で2年半培った知識により、どうにかお二人のお話についていけた自分に少しの満足感を得た。書き留めた調べるべきことの多さに、底なし沼であがいているような気持ちにもなり、己の無知を知った。勉学心を刺激し続けるだろう俳句と恩田先生に改めて感謝の念が湧いた。

川崎拓音 樸会員
「第16回一茶・山頭火俳句大会」が11月8日(土)、東京都荒川区本行寺(月見寺)にて行われ、恩田侑布子先生が当日投句の選者の一人を務めました。大会の様子や、恩田先生の披講の結果について報告します。樸からは見原万智子さんと川崎拓音が当日参加しました。 金子兜太の提唱により始まったという本イベント。JR日暮里駅から徒歩数分にある本行寺は、小林一茶と種田山頭火の句碑があることで有名で、特に山頭火の句碑は都内で唯一本行寺にのみあるそうです。
冒頭、大会会長を務める月見寺住職の加茂一行氏が「こんなに明るく楽しげな俳句大会を催すことができました」とご挨拶されたように、本イベントは披講に加え、俳句にお囃子を合わせたパフォーマンスが披露されるなど、エンターテインメント要素も満載。「サロンタイム」では、邦楽囃子の演奏家・島村聖歌氏による鼓の紹介、芭蕉・虚子・山頭火・三鬼の句をイメージした和楽器の演奏、大会オリジナルテーマソング「一茶・山頭火讃歌」の合唱などが行われ、披講前にもかかわらず会場は大いに盛り上がっていました。
休憩を挟んでいよいよ披講に移ります。選者は以下の8名で、入選7句、特選1句をそれぞれ講評されました。 【選者(五十音順/敬称略)】
恩田侑布子(「樸」代表)
鳥居真里子(「門」主宰)
土肥あき子(「絵空」同人)
ながさく清江(「春野」顧問)
行方克巳(「知音」代表)
能村研三(「沖」主宰)
麻里伊(「や」同人)
水内慶太(「月の匣」主宰) 披講は前半が事前投句、後半が当日投句で、恩田先生は当日投句の選を担当されました。以下、恩田先生の選と評です。
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特選
寒満月海馬取りだし洗ひたき 石川一猫 私たちの人生は、過去の記憶の蔵と共にある。人は過去の積み重ねの中に生き、記憶を脳の中に溜め込んでいます。この作者は、自分の脳の中の小さな海馬をつまんで、真水で綺麗に洗いたいと言っているのです。さらに、その水に洗われた海馬は、寒満月の下、見事なサラブレッドに変身します。一頭の馬が寒満月の煌々と照る大海原のムーンロードを駆け抜けていくのです。心情の形象化、そしてシュールレアリスティックな幻想。そのダブルイメージの美しさに、しびれました。 入選
返り花佳い人に逢ひに行くのさ 見原万智子 初冬の青空に咲く返り花は、しかし決して実を結ぶことはありません。作者はその返り花に共感しています。「逢ひに行くのさ」という口語表現が、心情を照れ隠しするようで効いています。作者は返り花のようなある種の不器用さを抱えながら、もうこの世にはいない、俗世の汚れに染まらない心の綺麗な人に会いに行こうとしているのでしょう。 待つと言ふほのめく日あり冬樹に芽 若山千恵子 一字ちがえばさらに素晴らしい句です。『ほのめく日あり』が『ほめく日のあり』ならば。「ほめく」はほてること。熱をうちに持つことです。そうして、心の中のひそかな懊悩が表現されていれば、立ちどころに切ない恋の句になりました。特選に選んでいたかもしれません。 ジャムの蓋どうにも開かぬ漱石忌 長尾かおり 漱石の文学に親しんだ方の句だと思います。ご存じのように漱石は自身の兄嫁にプラトニックな恋をしました。その純粋な生涯の恋ゆえに、私は漱石の中にはいつも満たされない思いがあったと思っています。この句は、香り高い薔薇のジャムの蓋が開かない句です。 冬帽のうしろ姿もわかる仲 松居舞 この中で一番明るい句だと思います。愛情があれば、冬帽をかぶっていても、どんな姿であってもその愛する人を気配で見つけられるのです。 茶の花の背中合はせに睦むかな 小泉良子 べたべたしていない、愛の句、いいですね。空気のようにただ居るだけの仲、茶の花のひっそりとした静かな佇まいに、心を通わせる愛を言祝いでいるのだと思います。 北窓を塞ぐ人形老いにけり 日山典子 この人形はきっと目の大きな可愛い妻、もしくは優しい姉。しかし、老いを免れることはできません。この作者はきっと長い間、家族の心に吹きすさぶ北風のついたてのような役割をされてきたのだと思います。 波郷忌や舌頭呪文の霜柱 大熊峰子 ユニークで面白い句です。波郷という人は切れを大切にしました。この作者も霜柱に事寄せて、俳句の切れをとても大事にしている作者だと思います。最高の句というのは、結局呪文の域にまでなるものです。
簡潔でありながら、司会者の方も仰っていたように「熱のこもった鑑賞」。今回は「海馬」の句の鑑賞に特に感じましたが、恩田先生の評を聞いているといつも、そこに書かれている(もしくはひっそりと連なっている)句の言葉一文字一文字を手のひらに載せて目を凝らしている先生の姿を想像してしまいます。「このように書かれているのだからこうも読めるはず」という読むことの無限の愉しさを、身振り手振りも含めて体現しているのが、恩田侑布子の披講なのではないか、とそんなことを思いました。
また、恩田先生の選では、樸から見原万智子さんの句が選ばれていました。見原さんはもう一句、鳥居真里子先生の入選にも選ばれました。以下、見原さんの句と鳥居先生の評です。 はればれと無才のまゝをゆく枯野 見原万智子 共感いたしました。私もほんとうにそうなので。——でも、枯野でもね、はればれとゆく気持ち。その気持ちが素敵だなと思いました。
イベントで披講された句のうち、筆者が印象に残ったのも本句。当日投句した2句とも選ばれず残念な気持ちでいましたが、見原さんの句に「はればれと」したまま、人生初となる俳句大会を楽しむことができました。
樸入会後、Zoom句会に参加して1か月と少し。画面越しにずっとお話ししてきた恩田先生、そして樸の句友に、ようやく生でお会いすることができた記念すべき日となりました。

令和7年11月3日(祝) 於:東京上野・東天紅
現代俳句協会大会
第八〇回協会賞受賞者への祝詞 恩田侑布子 ◎ 現代俳句協会賞 大井恒行様 『水月伝』祝詞
みなさまこんにちは。静岡の山の中から参りました恩田侑布子と申します。過分なことに本賞の選考を八年間務めさせて頂きました。
本年は昭和百年、戦後八〇年。同じく協会賞も第八〇回です。この伝統の節目に選考委員長を拝命しましたことを深く感謝いたします。そして記念すべき年を目覚ましい句集で飾って頂いたご受賞のお三方に、心からお祝いの詞(ことば)を申し上げます。
本年は水準の高い心を打つ句集が目白押しのまさに豊年満作でした。逆にいうと選考委員としては優れた句集にも涙をのまなければなりませんでした。並み居る競豪を押しのけ、満票を獲得し、堂々たる受賞を射止められたのが、大井恒行さんの『水月伝』です。
大井さんは、世の中に発することの叶わない声なき声、死者たちへの共感能力が並外れておいでの方です。そのやさしさをそのまま柔和なかたちにしないところに、すごみがあります。
私事で恐縮ですが、運動神経は3Bのくせに山歩きが大好きです。3Bはニビーなんてもんじゃない。ま、それはともかく、山登りは、緑豊かな樹林帯を抜けて、森林限界も越えて、ガレ場になりますね。大井さんの俳句は、その亜高山帯に立ち上がる、まるで五丈岩やオベリスクのような重量感を持っています。ゴツゴツした巌のような句です。例えば、
凍てぬため足ふみ足ふむ朕の軍隊
除染また移染にしかず冬の旅
ずしーんと来ます。『水月伝』は酸素の薄いところに咲く巌の花です。このやさしいお顔の作者の本質です。「花も紅葉もなかりけり」の岩場の花といえば、無季俳句です。無季は本協会の歴代の猛者たちが、志し、ゆき倒れになった俳句文芸の一つの気高い牙城です。その高みへの登攀の歳月が『水月伝』なんです。
さらに、本句集の奥深さは、亡き俳句の先達に捧げる追悼句に一章が設けられていることです。一昨年東北で客死された澤好摩さんを悼む句は、
極彩のみちのくあれば幸せしあわせ
澤好摩さんの肉声が聞こえてくるようです。俳句表現史という険難な道を歩き、行き倒れになった行者たちへの、この畏敬に満ちた鎮魂の章は胸に迫ります。巌の重量に深い共感が溶け込んでいます。山上の巌と地上の情(こころ)との融和に大井さんの男気を感じます。畏敬する兄と呼ばせてください。恒行アニい!、ご受賞おめでとうございます。
◎ 現代俳句協会賞特別賞 武藤紀子様 『雨畑硯』祝詞
武藤紀子さんの俳人としての大成はひとえに師の宇佐美魚目と出逢われた運命にあったと拝察します。大きな俳句の遺産を私たちに与えてくれた魚目は、生前は俳壇的にも現代俳句協会員としても不遇でした。
しかし、そのいくつかの名句はすでに古典の風格をもっています。死後ますます声価の高い俳人です。武藤さんの俳句は魚目の心眼を継承しておられます。平易で無駄のない措辞はまるで武家屋敷の式台のように清らかです。言葉の空気感を手垢のつかないかたちで表現できる数少ない俳人の一人です。『雨畑硯』には近年にはめずらしいおおどかな心地よい時間が流れています。
春の雨舌一枚をしまひけり
棺の中に白桃のやうなひと
老成が枯れる方へはゆかず、自我を天地に解放する広やかな方向へ歩き出しています。近作を篩にかけた百句の厳選も潔いです。句集は見開きの右に俳句一句、左に短文という余白たっぷりの構成です。句集の新しいかたちといっていいでしょう。短文には俳文の香りがあります。俳文は子規たちの山会ですね。。句の説明に終わらず、自分にベタでもありません。はつらつとしています。無欲な文体から作者の愛すべき人柄が立ち上がってきます。
泉下の宇佐美魚目先生もさぞかしおよろこびでしょう。武藤紀子さん、良いご供養をなさいましたね。誠におめでとうございます。
◎ 現代俳句協会賞特別賞 董振華様 『静涵』祝詞
北京のお生まれ、五三才という若さの董振華さんは越境文学のパイオニアです。散文にも長じられ、いま現在も『語りたい俳人』(コールサック社)という敬愛する物故俳人を俳人が語る聞き書きにも取り組んでおられます。
句集『静涵』は、俳句と漢俳を並列していて、それだけでも驚かされます。しかも日本語の俳句と漢俳は、どちらかを直訳したものではありません。日本語と中国語の二つの言語の根っこから、地べたから、二本の樹木のように立ち上がり、詩歌文学のゆたかな緑の葉を茂らせ合っています。これはまさに特別賞に相応しい新たなフォルムの句集の出現です。
路地裏に父の激励梅雨の月
北京の路地に梅雨時の満月がにじんでお父さんの励ましてくれる声。その空間に擬似的に潜り込んでしまいます。
人間錆びて真冬のまこと崩れそう
屈原を憶(おも)えば夏の月満ちて
繊細でいながら、悠然とした大河のような呼吸が流れています。大陸で涵養された気宇の大きさでしょう。壮観です。前途洋々、これからの俳壇の牽引者となられる大才の登場を心から喜びたいと思います。董振華さん。世界広しといえども貴方にしか書けない句集です。ご受賞、ほんとうにおめでとうございます。
最後に一言。お三方には共通点があります。ふふ。なんだかおわかりですか。俳句で煮染めた顔じゃない。煮染めたお顔をされていらっしゃらない。俳諧自由!です。誠におめでとうございます。拙い祝詞をお聞き頂き、ありがとうございます。
式典会場の末席から 編集委員 馬場先智明
報告というよりも、気ままな印象記という態で、当日、私の記憶に残ったお話や大会風景をいくつか、書き残しておきたいと思います。
まずは高野ムツオ会長、佐怒賀正美副会長らによる開会の辞に続き、現代俳句大賞を受賞された中村和弘さん(現代俳句協会・前会長)のご挨拶がありました。そのお話の枕だったと思いますが、「今日、大会が始まる前、会場の東天紅の前の不忍池を一回りしました。池を一面に覆う敗荷(やれはす)の風情もいいもんだなぁ…と思いました」と、さりげなく季語を入れて話を始められたのです。俳人の挨拶とはかくあるべきものかと、思わず心に留め置きました。
このあと恩田侑布子が〈現代俳句協会賞〉選考委員長として登壇。受賞者3人に熱いエールを贈ります。お話の内容は、いただいたスピーチ原稿を上に掲載しましたので、お読みください。 私たち樸の連衆にはすでにお馴染みですが、虚を衝くような意外性を孕みつつ決して的を外さない比喩表現は健在。そして受賞者とその作品への共感力に満ちた言祝ぎは、ユーモアを交え、跳ねるように楽しげに、若々しい。その口調は、会の重鎮の方々の俳的 “渋み” の良さとはまた対照的で、目が覚めるようでした。
しっかり覚えておこうと心したのも束の間、スピーチの最後、会場を埋める人々に放った謎かけ「このお三方に共通するものはなんだかお分かりになりますか?」に、頭のメモも吹き飛んでしまいました(前掲のスピーチ原稿があって助かりました)。
「俳句で煮染めた顔じゃない。俳諧自由! です」という、私の想像力をはみ出した回答。これには正直驚きました。旧体制に叛旗を翻さんとする革命家の宣言…ではもちろんありませんが、そんなインパクトを感じたのは私だけでしょうか。明るく楽しげに言われたので、これって恩田侑布子独特のちょっと刺激強い系のユーモア文体か、と会場の皆さんも受け取られたとは思いますが……。
それにしても「俳句で煮染めた顔」という卓抜な比喩。ひと昔前の文学青年は、「生きるとは何か…文学には何ができるのか…」と眉間に深い皺を寄せて、まさに(文学で)煮染めた顔をしていましたね。それはともかく、この会場にそのような顔をした方がいはしないだろうかと、ほんの少しヒヤッとしたのでした。 このあとに、評論賞、作品賞、新人賞など各賞の受賞者表彰が続きます。
特に新人賞では、俳句甲子園に出場された若手もいて、ある意味、俳句の世界にもエリートコースができているのかな、とおもしろく思いました。
受賞者のスピーチでは、何人か、似たコメントをされていて、そのいずれも心に残るものでした。曰く「日常のささやかな瞬間を捉えたい、移ろいゆく日々に対する愛しい気持ちを俳句にしたい」。彼らの清新な志は、わが老体の胸にもジーンと沁み入りました。 式典の最後は、高野ムツオ・現代俳句協会会長による記念講演「わたしの昭和俳句」。
昭和22年生まれの高野ムツオが、師との出会いを求めて彷徨した若き日のお話、とても印象的でした。
どの俳人に師事しようか、と考えた時、高柳重信、飯田龍太、金子兜太の3人が候補に上がったそうです。
まずは高柳重信。「カッコよかったなぁ…」と昔日を思い返してか、壇上で何度も繰り返されました。短歌の世界では、塚本邦雄を、まさに同じ言葉で回顧していた歌人(永田和宏さん)がいましたが、旧来の型を破壊する革新的な詠み方は、「カッコいい」という少年言葉でしか言いようがないほど素敵で衝撃的なものだったのでしょう。高野さんは直接、高柳重信に会いに行ったそうです。そんな会見の中で、忘れられないエピソードについても話されました。当時、『富澤赤黄男全句集』が欲しくてたまらず相談したら、「そんなに欲しいなら、自分で作ればいい」と突き放されたと。赤黄男の句を全部収集して、自分の手で一冊の句集を作ればいいじゃないかと言われたそうです。
次に飯田龍太。龍太の句には、そこに住んでいる人の息吹を感じて強く惹かれたが、敬するあまり、逆に近づくことができなかった、と。
そして金子兜太。友人から「金子兜太は、自宅ではいつも裸らしいぞ」というので、まさかと思いながら訪ねると、本当に褌一丁で出てきたのでびっくりしたと言います。結局、のちに師事することになったのが金子兜太ですが、何が決め手になったのかといえば、兜太の中に「俳句の原点を見たから」ということでした。それは、ひと言で言えば “知的野性” だと。この相反する概念の結合、私は初めて聞いたような気がしますが、それが金子兜太なのですね。 あれこれ楽しいエピソードをご披露くださいましたが、演題にもなっている「私の昭和俳句」についての最後のお話は、とりわけ記憶に残るものでした。
「昭和の俳句で一句を選べと言われたら…」と切り出されたので、グイッと身を乗り出しました。
戦争が廊下の奥に立つてゐた
という渡辺白泉の一句でした。
昭和の一句に “無季” の句を選んだわけです。どれを選ぼうかと悩み抜いた挙句、選んでしまうのは、どうしても無季の句なんですね……と、やや苦渋を浮かべた表情で言われたのは、とても印象的でした。ほかにも、
切り株はじいんじいんと ひびくなり 富澤赤黄男
を挙げて、やっぱり無季を選んでしまうご自分の中の揺らぎを扱いかねているふうにも見えました。私には非常に興味深いお話でした。
うろ覚えの記憶に頼って書いたので、きっとスキマだらけですが、いずれどこかの俳誌に掲載されるかもしれません。ご興味があれば、そこで改めて正式版をお読みいただければと思います。
2025.11.10 記

2025年10月26日 樸句会報 【第156号】 十月は五日と二十六日にZoom句会。
五日の兼題は、「秋の川」「秋の湖」「秋の海」。六十句の中から入選一句、原石賞一句が選ばれた。後半は、芭蕉の『笈の小文』購読の第二回目。原稿用紙一枚ほどに芭蕉のエッセンスが詰まっているという冒頭が深く、すんなりと読み進められるものではない。「信じがたいほど濃厚な修辞と思想のアラベスク」の面白さを理解したい一心で、先生の熱のこもった解説を取りこぼさぬよう必死でメモをとる。芭蕉の荘子観、「もの」の理解はたやすくはないが、芭蕉の内心の格闘が読み取れて現代の私たちの心を打つ。
二十六日の兼題は、「肌寒」「林檎」。この日は三島吟行の当初の予定が雨天で延期となり、急きょZoom句会開催となったためか、投句はやや少なめの五十三句。入選句はなかったものの、原石賞に三句が選ばれた。まず総評で、「凝視の足りなさ」の指摘を受ける。「直観把握」、「現実をグリップする」大切さ、俳句の原点と言えそうな点に立ち返らされた。「手垢のついていない発想」が求められる一方、季語は「おもやいのもの」であるから、「先人たちの営為をリスペクトし本意、本情を酌む」ことが必須という! かくして「動かない季語」で詠むというのが、まだ俳句歴半年経つか経たぬ自分のような初心者にとって、登山道の入り口の道標に刻みたいところ。後半は、今後の予定について民主的ディスカッションで時間も押した中、先生の『笈の小文』の惜しみない解説とおさらいがとても有難かった。
一休の「諸悪莫作」や秋の潮 恩田侑布子(写俳)
10月5日の入選1句、原石賞1句、その他評価の高かった句を紹介します。
○ 入選
露の世の薬局あかりジムあかり
古田秀 【恩田侑布子評】 「露の世」で始まる俳句といえば、一茶が幼い娘の死を悼んだ〈露の世は露の世ながらさりながら〉があまりにも有名です。一転してこの句は、現代の都会生活の夜を名詞句だけを並べ、情的にスッキリ乾いた表現にしています。とっぷりと暮れた街路に、青白い薬局のあかりとジムのあかりだけが煌々と灯っていることだよとうたいます。薬漬けの長い老年期と、そうならないようジムに通う中高年層と。対比のようで、半分は重なり溶け合っていることでしょう。並列された二つの建物に深みもあり、世俗のおかしみもあります。日本の現在の超高齢社会の実相が照らされています。
【原石賞】病室に月ありあまる鎖骨かな
小住英之 【恩田侑布子評・添削】 入院されているのでしょう。自句ととれなくもないですが、自分の鎖骨は鏡に映さなければ見えませんから、見舞い、あるいは看護している家族の方でしょう。句会になって、作者がニューヨーク在中の医師とわかりました。痩せ衰えた鎖骨と「月ありあまる」の措辞の取り合わせが出色です。肉付き豊かな姿を知るがゆえのいたわしさに、月光が澄みわたります。語順だけが惜しまれます。「鎖骨かな」という硬い響きが座五に置かれると月光が折れてしまうようです。せっかくの素晴らしい中七の措辞を生かして、結句で余白をひろげましょう。 【添削例】病室の鎖骨に月のありあまり 【その他に評価の高かった句は次の四句です。】
鳥の名を釣り人に問ふ秋の海
岸裕之
なほ続く無人集落うろこ雲
活洲みな子
冷やかや鏡の国として都心
古田秀
対岸も淋しき国ぞ秋の海
小松浩
【後記】
フランスに二十五年暮らす身で作句してみたくなったのは、単なる母語恋しさではない。大人になって移り住んだ国の言葉の獲得も完全ではないので、日本語と外国語のはざまで暮らす私なりの感覚や揺らぐ記憶をことばにのせて人と共有してみたいと思った。もしかすると、「私は = 仏語一人称 « Je » 」で我中心に定義することにやや疲れているのかもしれない。俳句によってものに託す、ものと一体化する、無限のつながりを求めているのかもしれない。
「心は新しく、ことばは古きものを使う」
作句では意識的にパソコンを離れ、紙に鉛筆で縦書きするのが新鮮だ。ひらがなで書くことで解きひらかれ、旧仮名遣いでたおやかさが加わり、漢字の硬質さが特有のリズムや視覚効果を生む。塑像の自在さに石の彫刻を混ぜたような遊びを子供のように楽しんでいる。
嬉しいことに、離れた母国のある種の世相(忖度?KY?)への憂慮が、樸句会の参加によって見事に覆された。独断で選んだ句の拙い擁護も、選ばなかった句に対する自分なりの否定意見も、それが適っていても独りよがりでも、各者の人生が透けて見え、温かに受け止めてくれる土壌が樸俳句会にはある。解釈が浅くても、先人と共有される美意識を取り違えても、発言後恥ずかしながら素直に認められる。対する先生の率直な辛口評も実に軽やか、ドラマチックな解釈で句を高みに導く鮮やかな評も刺激的で、この座の面白さは体験した人にしか分からないだろう。だから時差も厭わず、毎回うきうき句会に臨んでいる。
(佐藤麻里子)
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) 手を触れて水の切れ味紅葉川 恩田侑布子(写俳)
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10月26日の原石賞3句、その他評価の高かった句を紹介します。
【原石賞】赤りんご青空見つめ八十年
岸裕之 【恩田侑布子評・添削】 敗戦の焼け野原に流れていたのは「りんごの唄」。「赤いリンゴにくちびる寄せて/だまって見ている青い空」とうたう並木路子の明るい声だったと、よく両親が言っていました。作者は四歳で終戦を迎え、それから高度経済成長期へ突き進む日本も、ここ三十年の停滞する日本も、戦後八十年の歩みをずうっと見てきました。原句は上五の「赤」と中七の「青」の対比が目立ちすぎるので、抑えましょう。さらに「青空」と「八十年」だけを漢字に、あとはひらがなにひらくと、愛誦性に富んだ平易にして深い句になります。 【添削例】りんごりんご青空みつめ八十年 【原石賞】人は人を忘れて芒原を歩む
川崎拓音 【恩田侑布子評・添削】 発想が非凡です。自分がすすき野をゆく時は、人のこの世を忘れてしまうけれど、それは己だけではない。誰しもがこの一面のすすき原の道なき道をゆくときは茫然として人を忘れてしまうのだ。このせっかくのすぐれた内容が原句では助詞がごちゃごちゃして未整理のため、ギクシャクと落ち着きません。二つの無駄な「を」をとり、季語を座五に据え替えるだけで句が安定し、「芒原」が茫茫たる広がりを見せるようになります。 【添削例】人はひとわすれてあゆむ芒原 【原石賞】乱気流の中掌中の林檎の香
海野二美 【恩田侑布子評・添削】 飛行機が乱気流のスポットに飲み込まれ、機体が揺すぶられてしまうときは、まさかとは思いつつも恐怖感に襲われます。そのたまゆらの不安な心情と、紅い林檎を掌にして祈る姿が印象的です。原句で気になるのは「の中」「中の」の重複感です。また、乱気流のさなかにしてはリズムが落ち着き払っています。上五でしっかり飛行機に乗っていることを示し、漢字表記で危機感を視覚的にも表しましょう。そのぶん、下五はやさしいかわいいひらがなにして、地上の健やかな果実に生還の祈りを託しましょう。 【添削例】飛機乱気流掌中のりんごの香
【ほかにも次のすぐれた二句が発表されました。】
前者はラフな博士のいきいきとした仕草。後者は「露」という日本情緒の十八番の季語を使った和洋混淆の新しみが出色。
「林檎」の作者はニューヨーク在住の医学研究者。「露」の作者は旬日前に訪れたアイルランドはダブリン市街での詠草ということです。
ジーンズに林檎を磨く博士かな
小住英之
露ふるふ大聖堂の鐘の音
見原万智子
わが恋は芒のほかに告げざりし 恩田侑布子(写俳)
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。