2026年1月18日 樸句会報 【第159号】
年改まり、一月十一日と一並びの日に樸ズーム初句会が開催されました。翌週十八日には静岡市にて新年会を兼ねた対面句会が賑やかに催され、年の始めから数多くの佳句、秀句が披露されました。
十八日の兼題は「風花」「水鳥」。
入選三句、原石賞一句、その他に評価の高かったニ句を、紹介します。

活きてある産湯の井戸よ初山河 恩田侑布子(写俳)
○ 入選
風花や山には山の雲の陰
橋本辰美
【恩田侑布子評】
「あっ、風花」と思って見上げると、雲からなのか青空からなのか、繊細なひかりとともに風花がこぼれて来ます。近くの山を見やると、まだ晴れ間の残る山の上に雲が浮かび、その影がくすんだふかみどりの山肌に落ちています。雲と風と日のひかりが定めなく行き交う日本の冬の美しさ。静岡平野にたまさかに降る風花に浮かれない、しずかな写生眼が効いています。
○ 入選
おつかいやひとつおまけの寒たまご
長倉尚世
【恩田侑布子評】
子どものころは、親にいわれて近所によくお使いに行ったものです。この句は、「あ、うっかりしてた。卵がないと、ホットケーキができないわ」とでも母にいわれた子どもでしょうか。近所の養鶏農家かよろず屋でしょう。買い物籠に卵をすくもごと入れてもらうとき「お利口さんだから」と、産みたて卵をおまけされたうれしさ。ひらかな表記の柔らかさにリズムが弾んでいます。漢字の「寒」一字に、冬の透き通る日も感じられます。昭和の光景となったなつかしさ。
○ 入選
言の葉におもし付けたし冬の風
星野光慶
【恩田侑布子評】
これほど言葉が軽んじられる時代もないでしょう。作者は憤っています。この間まではSNSに群がる匿名市民の言葉の軽さをやれやれと思いましたが、それでは済まなくなりました。世界の帝王を自認するらしきトランプ大統領の放言と脅し文句は止まるところを知りません。言葉を虐待するものは、人権も侵害することを如実に感じさせられる日々です。「おもし付けたし」の措辞にはプロパガンダにはない重みがあります。果たして「冬の風」に春は来るのでしょうか。
【原石賞】湖畔の湯われもまどろみ浮寝鳥
金森三夢
【恩田侑布子評・添削】
湖のほとりの露天風呂でしょう。湯船から湖上の水鳥たちを見張るかすことができます。温かい温泉に四肢を伸ばしながら、つれづれにみずからの越し方行く末を思います。私もあの浮寝鳥とほんとうは変わらないんだな。どこから来てどこへゆくのか。内容がいいのに、「湖畔の湯/われもまどろみ/浮寝鳥」と三段切れは残念です。上五ではっきり切りましょう。中七を「む」の連体形にすれば、「まどろむ浮寝鳥」とひとかたまりになり、茫茫たる漂泊の思いへさそう余韻が生まれます。
【添削例】湖畔の湯われもまどろむ浮寝鳥
【その他に評価が高かったのは次の二句です。】
焼骨は塵とも光とも 風花
古田秀
冬日など届かぬ摩天楼の底
小住英之
【後記】
新年会は幹事お二人の細やかな心配りと大活躍により、福引あり、合唱ありの楽しい集いとなりました。特筆すべきは岸裕之氏の小唄披露と益田隆久氏のスピーチでしょう。岸氏の芸達者ぶりに大いに驚くと共に、小唄とはこんなにも風情あるものかと感嘆。益田氏の「良き句友があれば俳句は続けられる」というメッセージに、一同深く頷きました。
私自身、益田氏のお話の中にあった「俳句を止めたくなる三年目」なのですが、幸いにも「止めよう」と思うことなく、楽しいばかりで三年が過ぎようとしています。これも恩田先生の熱血指導と樸の皆様の暖かい笑顔あればこそ。まさしく人に恵まれる幸福をしみじみ感じた新年会でした。
(成松聡美)
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

地平線やはらかにして恵方かな 恩田侑布子(写俳)
====================
1月11日 樸俳句会
兼題は御降、鏡餅。
入選5句、原石賞1句、その他に評価の高かった二句を紹介します。
○ 入選
紙垂を折る半紙ざらりと去年今年
成松聡美
【恩田侑布子評】
町内で氏神様の年用意をしたときの感触が新年になって、ふと蘇ります。神棚や三宝に垂らす紙垂を折っていた時、和紙の手触りにはっとしたのです。コピー用紙はツルツルですが、和紙はぼうっとひかりがにじみ、微細な隙間が指の腹になつかしいもの。「ざらりと」の擬音語は、現代人が失って顧みなくなってしまった手触りや肌合いの深さを問いかけて来ます。
○ 入選
御降りに濡れたし土へ還りたし
川崎拓音
【恩田侑布子評】
正月ののんびりした昼間にお湿りの雨が音もなく降っています。暖房の室内に居ながら、なんとなく歳の初めの雨に触れてみたくなり、あてどもなく、こんな静かな真冬、土に自然に還ってゆけたらいいなあと思います。太古から続いてきたあめつちに赤子のように甘えているのです。死の前にある老いや病を超えて、一息に正月の土になりたいと願うのは、あまりに天地が静まり返っているからでしょう。「たし」のリフレインによる後半の転換が効いています。
○ 入選
畳のない家よ硝子の鏡餅
成松聡美
【恩田侑布子評】
六畳間や八畳間の炬燵に寝そべった記憶は遠く、どの家もエアコン完備のフローリングのリビングに変わりました。つきたての大きな鏡餅こそ和風建築の正月の象徴だったかもしれません、青畳にも、餅粉をまとう鏡餅にも、手触りというものがまといついていました。すべすべした床の上のボードにガラス細工の鏡餅の飾りものを置く時、失われたふくよかな手触りの世界が脳裏をよぎります。
○ 入選
東京の灯はみな去年の忘れもの
古田秀
【恩田侑布子評】
大晦日の夜が更けて、新年に変わった瞬間、カーテンを開けると、東京の街にはまだ無数の明りが灯っています。それをことごとく「去年の忘れもの」と感じたところに詩の発見があります。林立する高層ビルもみな過去に造られたもの。未来を手繰り寄せることはない遺失物なのだという閃きが吐息になり、実があります。
○ 入選
御降の髪へ踵へ襷つぐ
長倉尚世
【恩田侑布子評】
二日と三日の箱根駅伝でしょう。私も一度、箱根山中で応援したことがありました。山坂の上に走者の頭が現れるや、ぐんぐんと近づいて来、わが動体視力の鈍さを笑うかのように、一瞬で背中を見せて駆け去っていきます。その全力疾走に比して、この「御降」は、なんとゆるやかにしめやかに辺りを濡らしていることでしょう。烏の濡れ羽色になった髪と、引き締まった踵の若さが見えて来ます。
【原石賞】七草をそらんじる若かりし母
佐藤麻里子
【恩田侑布子評・添削】
せり、なずな、ごぎょう、はこべら、仏の座、すずな、すずしろ、と薺粥の七種を空でいいながら、家族のために薺粥を炊いてくれる母はステキな自慢の母です。ただ、句跨りが効果的ではなく、もたつきになっているのが残念です。五七五の定型に調べるだけで、リズムが歯切れ良く弾み、その日、その場の幸せな家族の食卓が目の前にくっきりと甦ります。
【添削例】七草をそらんじる母若かりし
【その他に評価が高かったのは次の二句です。】
耕耘機五日の土のかがやけり
前島裕子
「鍬始」や「農始」の季語をつかわず、「五日の土」に焦点を当てた手柄。腐葉土や牛糞など、有機肥料たっぷりの黒々とした土の艶が思い浮かびます。耕耘機の音も頼もしく聞こえてきます。
御降や京に茶粥の古暖簾
小松浩
茶粥は奈良。そう思っていた私は古いのかもしれません。京都の老舗も茶粥を出すようです。もっとも「御降や奈良に茶粥の古暖簾」ならば、句も古臭くなったことでしょう。「京」だからこそ、季語がしっとりとした新年の祝意を帯び、濃やかなひかりとかげを帯びたのでした。

くろかみのうねりをひろふかるたかな 恩田侑布子(写俳)