
2月句会報告特別編で、樸代表の恩田侑布子が釧路へ招かれ、あたたかい歓迎を受けた様子をお伝えしました。 その折にお邪魔した「幻日」(主宰 石川蒼狼様)の皆様が、恩田侑布子 第四句集『夢洗ひ』の一句鑑賞をしてくださいました。 当会のホームページに公開させていただけますこと、大変ありがたく、会員一同、心より感謝申し上げます。(以下、敬称略) 霧幻RO会 俳句研究 NO. 141 (2026.02.12) 〜 現代の俳人 恩田侑布子 一句鑑賞 〜 荒星のはなれ離れの故山かな 菅原釈子 冬の冷たい風の吹く夜、ふるさとの山のむこうに星が輝いている。はなれ離れの星のように、ふるさとの仲間は皆ちりぢりに遠く、ふるさとは寂しい景色をしている。はなれ離れのその場所で、皆強く生きていてほしいと願う。ふるさとの山はいつでもここにあるのだから。 筆筒に孔雀の羽や冬深し 西村奈津 筆筒はその名の通り、筆を入れる筒のことであるが、単に筆を保管する為の道具ではなく、文化的、芸術的な文房具である。文人は書斎にお気に入りの文房具を並べ、それらを使って仕事をするわけだが、その一つひとつに愛着とこだわりがあるのだ。竹、陶器品、木、石などが考えられるが、その筆筒には、孔雀の羽が無造作に、いや、こだわりの文人であるから、角度など綿密に考慮され、筒に収められている。孔雀の羽には、富と繁栄、幸運、浄化、不死、魔除けという多様な意味があるらしい。確かに扇状に広がる飾り羽は「末広がり」の吉兆を表わす。作者は、日常生活や仕事に行き詰まりを感じた時に、飾り羽の大きな目と対峙することで、何か偉大なる存在、(例えば〝神〟)と会話しているのかもしれない。孔雀の羽の〝美〟を最大に引き出す筆筒は、成熟した〝枯〟を表現する竹や土の焼き物ではないか?。辺り一面冬一色の寒々しい景色の中に、場違いのように孔雀の鮮やかな大きな羽が浮かび上がり、それは〝対比の妙〟という感覚を超越して、もはや唯美的という他はない。作者の心は今、冬の真っ只中に在る。 冬川のゆくどこまでも天とゆく 斉藤郁子 冬の川は水かさも少なく、流れには勢いもなく草も枯れて荒涼とした地を細々と流れてゆく景色が見える。冬川と天以外は平仮名による表記で、「ゆく」がくり返されることによって川が天の方向にともに進んでゆくという感覚が際立つ。それは、目に見える実感でありながら川の流れは人の生きてゆく様であり、天という終着のない高みにゆこうとする魂の姿のようだ。韻の組み立てや、季語の硬くはない柔らかい言葉の中に作者の強い意志ではないのだが、一本キリリと筋の通った心情がとてもよく表れている。 石川雅々 この句を読んで、まっ先に岩保木(いわぼっき)の上から見る釧路川を連想した。まっ青な空の下、一面の雪原。静寂そのものの中を行く釧路川。どこまでも一面人工物は皆無。車を降り、登って三十分もかからない頂上からの眺めは、そうそうあるものではない。運が良ければ釧網線のかわいい列車が小さく細く行き過ぎて行くのを見れるかもしれない。掲句の冬川のように、この汽車も天を目指して消えてしまうかもしれない。なんとも想像力をかきたてる句である。 男来て出口を訊けり大枯野 清水健志 来た道を外れたりすると方向を見失いかねない大枯野。木道や登山道でもない限り出口などないだろう。訊かれた者がこの辺りの者なら道を逸れたとしても山さえ見えればおおよその方向は分かる。しかし天候の急変で視界不良ともなればそうはゆかず油断は禁物。そんな殺風景なところで出口を訊かれるとは想定外である。そもそも人に遇うことすら殆どない荒野なのだ。とぼとぼと近づいてきたその男は坊さんを思わせた。杖を持ち侘しい黒衣に編笠、草履姿。近くには寺はおろか人家すらない。まるで悪夢の中から這い出してきたかのようである。夢ならばこの男は芭蕉翁かもしれない。死を間近にして苦界の出口を探しているとでもいうのだろうか。しかし一体なんと答えよう。 鮒橋郁香 「男」という言い方から、かなりの親密さが伝わる。もちろん兄弟などではなく、いわゆる彼氏よりは近い関係だろう。しかも別れが近づいているのだ。口には出さないがお互いにそう感じているとき、とうとう男のほうからはっきりと切り出してきた。二人のその出口の向こうにはだだっ広い枯野しか見えないのだが、それでも行かなければならない。中七の「訊けり」は断定・完了の意味を持つ。だからこの瞬間、作者の気持ちがはっきりと決まったに違いない。今は荒涼とした枯野でしかないが、そこは時間が経てばまた青々とした春野になり、花が咲くこともあるだろう。それを信じて、作者は顔を上げて枯野へと足を踏み出すのだ。 越え来るうゐの奥山湯婆(たんぽ)抱く 佐藤かよ子 「越え来るうゐの奥山」という、迷いや苦しみの多い精神的に厳しい、あるいは遠い場所を越えて来た感覚、幻想的な響きがあるが、「湯婆抱く」と日常的で即物的な生々しい身体性を感じさせる温もりに、読む者をも安心させ、深い情緒と余韻が残る。 ゆきゆきてなほ体内や雪女 中村きみどり 雪が大地を行進する。ひらがなのかわいい世界ではあるが、行っても行ってもなお雪の世界が広がる。ふいに『西遊記』を思い出した。「お釈迦様の手のひらから飛び出すことができれば、悟空の勝ち」という勝負で、きんと雲に乗り、どこまで逃げても、結局はお釈迦様の手のひらの上だった。雪女も大地と一体化していて、どこまで行っても、逃げることができない。ただ大地に雪が降り続けるのである。 くろかみのうねりをひろふかるたかな 小飼紫香 現在の「かるた」というと思い浮かぶのは映画化された、枕詞「ちはやふる」の勢いのある激しいスピードで繰り広げられる様子であるが、掲句のひらかなだけの表記は、ゆったりとした柔らかい印象である。美しく艶やかな所作の女性の黒髪がゆるやかに曲線を描いている情景が見えてくる。その黒髪のうねりは、かるたを拾う動作により生まれているのであるが、あたかも黒髪がかるたを取っている動きのようにも見えてくる。百人一首の中の黒髪と心のふたつの乱れの意味を表現した歌と重なり、平安の風雅のさまが感じられる。