俳句野あそび  句をつくるということ ・・・安定から不安定へ・・・

 藤村の「初恋」の詩を愛唱したのは、いつのころだっただろうか。農作業の合間に三本鍬を傍らにおいて父がこの詩を口ずさむのを聞いたことがきっかけだった。七五調の調べは、心地よさを感じさせてくれる。幼少期を決して豊かでない農村で、少しだけ文学に興味を持っていた父のもとで育った私にとっては、七五調は、まさにゆりかごのようなものだった。口にして心地よく、気持ちが「安定」し全身が落ち着くのである。

 しかし、数年前に「俳句」に出会い、初めて句を作ってみると、出来たものは安定の中にあり、切れや余白がまったくないものばかりなのである。つまり、説明的になってしまっているのだ。理屈ではなんとなくわかっているように感じてはいるが、いざ句を作ってみると散文調なものになってしまうのである。無意識のうちに俳句の持つ「不安定さ」にしり込みし、ブレーキをかける自分がいるのである。

 たとえば、こんな句を作ったことがある。「菅笠や花野の中に見え隠れ」・・先生のご指摘は、菅笠と花野の中に、という言葉の中に「見え隠れ」する様子はふくまれているのだから、これは必要ない言葉である。このように説明的になるのは「心の中に渦まくような思い」がないからである・・とのこと。しかし、当の私にとっては「見え隠れ」としないと、なんともおぼつかなく、気持ちが安定しないのである。

 俳句を学ぼうとしたのは、その道の専門家になろうとしたのでは勿論ない。これからの人生を少しでも心豊かに過ごしたいと思ってのことである。やや大げさに言うなら精神の高みを求めてのことである。しかし、自分のある部分を変えるということは、人間の「本性」に属するだけに、ややこしいことなのだ。野球のバットの振り方とか陸上の走り方とかいう「属性」に関することなら、練習次第で改善はできるが、その人そのものに関することは難しいものだ。

 わずかでも安定さを打破し、自分自身のものの見方や感じ方などの「ささやかな変化」を求めて、俳句に向き合っていきたいと思う。それが、これからの時間を豊かにしてくれそうだから・・・。(文・松井誠司)

iwayama
                    photo by 侑布子

「俳句野あそび  句をつくるということ ・・・安定から不安定へ・・・」への3件のフィードバック

  1. 樸俳句会に関心があります。句会に参加してみたいとも思います。
    そのために、貴会のことを知りたいので見本誌を購読を希望します。申し込み方法などをお知らせください。

  2. くろかみのうねりをひろふかるたかな に一目ぼれして樸のホームページにたどり着きました。
    ご住所も電話番号もわからず、このコメント欄に書いておりますが、「樸」の俳誌は発行されていないのでしょうか。その見本誌でもあればお送りいただけるのでしょうか。
    俳句の初心者として勉強したいと思います。よろしくお願いいたします。板垣嗣廣

    1. コメントの書き込みありがとうございます。
      樸俳句会では俳誌を発行しておりません。このHPが俳誌代わりとなるよう、編集に取り組んでおります。
      まだまだ力不足ではありますが、より充実していくよう編集部一同取り組んでまいりますので、
      ぜひこのHPに今後も訪れていただき、句座をご一緒に囲むような気持ちで読んでいただければ幸いです。
      また、コメントもお待ちしております!

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