樸(あらき)俳句会 のすべての投稿

静岡を拠点とする、樸(あらき)俳句会です!

あらき歳時記 烏瓜

烏瓜2

2022年10月9日 樸句会特選句  道聞けば暗きを指され烏瓜                      古田秀  谷間の集落だろうか。目当ての場所を道端の人に聞くと、「この奥だよ」と指差して教えてくれた。みれば山肌の迫る切り通し。烏瓜がゆうらり一つ垂れている。早くも山すそには夕闇が迫って。谷間の薄い秋夕焼を一身に凝らせたような烏瓜の朱。夏の夜には純白のレースをひろげていたのに、なぜお前はそんなにも変わってしまえるのか。作者には焦燥感があるらしい。このままでは「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」(『論語』里仁)の逆になるかもしれない。不安感が、黒く沈んでゆく山の闇を背にした烏瓜になまなましいほどの存在感を与えている。                         (選 ・鑑賞   恩田侑布子)

9月4日 句会報告

9月上

2022年9月4日 樸句会報 【第120号】 今回は樸はじめてのzoom句会となりました。普段静岡で行われているリアル句会に来ることができない県外の会員はもとより、インドから参加される方もおり、画面上は一気ににぎやかに!新入会員おふたりとも初の顔合わせとなりました。まるでリアル句会さながらの臨場感に、場は大いに盛り上がりました。 兼題は「秋灯」「芒」「葡萄」です。 特選1句、入選1句、原石賞3句を紹介します。 ◎特選  花すゝき欠航に日の差し来たる              古田秀 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「花芒」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ○入選  病中のことは語らずマスカット               活洲みな子 【恩田侑布子評】 闘病中、もしかしたら入院中、作者には体の不調がいろいろとあった。痛みや、慣れない検査の不安や、初めての処置の不快感など。でもこうして愛する家族とともに、あるいは気の置けない友とともに、かがやくようなマスカットをつまんでいる。しずかな日常。いまここにある幸せ。     【原】 群れてなほ自立す葡萄の粒のごと               小松浩 【恩田侑布子評・添削】 言わんとするところはいい。表現に理屈っぽさが残っているのは、作者自身、まだ心情を整理し切れていないから。一見、群れているようにみえるが、黒葡萄は一粒づつ自立している。その気づき、小さな発見を活かしたい。「群れてなほ」は俳句以前の舞台裏に潜めよう。 【改】 一粒の自立たわわや黒葡萄 【改】 自立とや粒々辛苦黒ぶだう         【原】 ぐるぐると小さき手の描く葡萄粒               猪狩みき 【恩田侑布子評・添削】 くったくなく一心にクレヨンで葡萄を描く子ども。そこから生まれてくる葡萄のダイナミズム。情景にポエジーがある。しかし、このままでは中七の小さい指先の印象と季語の粒がやや即きすぎ。そこで。 【改】 ぐるぐるとをさな描くや黒ぶだう      【原】 深刻なことはさらりと花薄              活洲みな子 【恩田侑布子評・添削】 「さらりと花薄」のフレーズは素晴らしい。「深刻なこと」は抽象的。自分自身に引きつけて詠みたい。直近の深刻なことかもしれないが、作者の境遇を存知しないので、ここでの添削は、生い立ちの不遇を窺わせる表現にしてみた。 【改】 幼少の身の上さらり花すゝき      また、今回の例句が恩田によって紹介されました。   秋灯を明うせよ秋灯を明うせよ               星野立子   白川西入ル秋灯の暖簾かな               恩田侑布子   たよるとはたよらるゝとは芒かな             久保田万太郎   新宮の町を貫く芒かな             杉浦圭祐   わが恋は芒のほかに告げざりし            恩田侑布子   葡萄食ふ一語一語の如くにて              中村草田男 【後記】 夏雲システムとzoomのおかげで遠隔地にいながらにして臨場感たっぷりの句会ができるようになりました。物理的距離を越えて顔を見ながら会話できるというのは想像以上に良いものですね。これからの“ニューノーマル”な句会のかたちにも思えました。テクノロジーの進歩は人間関係を希薄にもしましたが、繋ぎ止めもしてくれました。不確実性・予測不可能性がますます高まる現代において、社会の表層を漂うように点在する私たちが感動と内省を繰り返して詠んでいく言葉こそが互いを舫う紐帯になるのかもしれません。 (古田秀) ...

あらき歳時記 花芒

はなすすき特選

2022年9月4日 樸句会特選句  花すゝき欠航に日の差し来たる                      古田秀  欠航の理由にはさまざまがあろう。気象上なら台風、火山の噴火もある。社会的事由には、コロナ感染者の激増、世界に目を馳せれば無惨な戦争さえある。何にしても航空機か船舶の定期便が運休となった。作者は飛行場か港湾近くでそれを知ったのである。  欠航という世の出来事を花すゝきが静かに見つめているのがいい。しかも穂すゝきの背後には秋の日がやわらかに差し初めて。いままで芒の季語には淋しいイメージが付き纏ってきた。こんな泰然自若とした花すゝきに出会うのは初めてである。時間の流れのはるけさを感じさせ、句姿も美しい。                         (選 ・鑑賞   恩田侑布子)

樸(あらき)新入会員のお知らせ

小松様写真1

🌸慶祝 樸新入会のお二人を心より歓迎いたします🌸                       2022年8月吉日 🌸前毎日新聞主筆の小松浩氏を樸編集長にお迎えします。日本を代表するジャーナリストの大局観を、当俳句web誌の編集にも生かし、多くのビュアーのみなさまに愛され、俳句実作・鑑賞に役立てていただける新局面を拓いてくださいますようお願いいたします。  俳句実作を全くの初歩から始められるのもうれしいことです。リタイア後に俳句を手掛けられる日本中のロマンスグレイ俳人の希望の星になってください。ほどなく俳句評論や随筆にも健筆を奮っていただけることを大いに期待しております。 代表・恩田侑布子 『渾沌の恋人』に魅了され、皆さんの仲間に加えていただくことになりました。恩田さんの時空を超えた文章の切れ味に、今も軽い酔いのような読後感が消えません。実用本位の散文の世界に長く身を置いてきた自分ですが、十七音の最短詩への関心と憧れは、いつも心の奥底にあったのです。それを引きずり出してくれた恩田さんには、感謝しかありません。酩酊したまま始めたリタイア俳句人生は、あるいは「胡蝶の夢」のようなものかもしれませんが、皆さんから沢山のことを学び、俳句という文学をもっと深く知りたいと思っています。騒々しい現代社会にあって、言葉を捨て去り、削ぎ落として生まれる表現の豊潤さが、人々の心を落ち着かせることを願いながら。 小松浩・プロフィール 1957年生まれ。千葉県市川市在住。 1980年毎日新聞入社。ワシントンとロンドンの特派員や政治部長、論説委員長、主筆を務め、2021年春退社。現在は論説特別顧問。 日本ニュース時事能力検定協会理事長。北里大学客員教授。 *** 🌸第六回芝不器男新人賞受賞者、田中泥炭ピート氏のご入会おめでとうございます。樸の新時代の到来を予見させます!「長い目でみて、真に次代の俳壇を担う本格俳人を育てたい」。これが樸創刊当初からの恩田の悲願です。一瞬ときめいて駆け去る彗星に終わらないたしかな膂力を当会で蓄えてください。泥炭さんの受賞作は詩的感性の秀逸さと、俳句叙法の揺れとが同居し、未知の可能性に溢れています。私は貴方の手付かずの可能性に期待します。当会には、芹沢雄太郎、山田とも恵、昨年北斗賞準賞に輝いた古田秀、休会中の大井奈美と、有為の若手がおります。ともに、時流に流されない深く大きな俳句を志向して参りましょう。 恩田先生の句集や評論に感銘を受け「樸」俳句会に入会しました。人に誘われて始め、次第に自身の一生の表現型式となり、遂には師を持つに至ったこの詩型との出会に感謝し、その不思議な魅力の容積を少しでも増やしたい。その為に自己倒壊を恐れずに俳句の基礎を見つめ直し、個人の詩を超えた共同体としての詩、ある種の普遍性に繋がるような俳句が作れれば、と未熟ながらに思う次第です。皆様と一緒に切磋琢磨しながら成長していきたいと考えております。改めてよろしくお願い申し上げます。 田中泥炭・プロフィール 1981年山口県長門市生まれ。愛媛県松山市育ち。平成27年より作句開始。第1回G氏賞、第6回芝不器男俳句新人賞を受賞。

思わず引き込まれる『渾沌の恋人ラマン』の読書案内です!

坂田昌一様(関西在住)のブログをどうぞ!

隣合ふとは薫風の中のこと

真剣に綿密に思考を重ねられた坂田様の本気にグイグイ引き込まれます。本書に登場する絵画のカラー図版が随所に添えられ、実感のこもった力作長編読書案内です。坂田様、ありがとうございます。 俳句の本質に向かって、時空を縦横に渉猟し−恩田侑布子『渾沌の恋人ラマン  北斎の波、芭蕉の興』備忘メモ− ◈2022.8.26   ワンクリックでご覧いただけます。↓ (1):http://bibou726-49.jugem.jp/?eid=401 (2):http://bibou726-49.jugem.jp/?eid=402 (3・完):http://bibou726-49.jugem.jp/?eid=403   

8月24日 句会報告

八月句会報_上2_松林から

2022年8月24日 樸句会報 【第119号】 今回の兼題は「残暑」「流星」「白粉花」――今回は念願のリアル句会で、さらに恩田より今回1名、次回1名、計2名の新入会員のお知らせがありました。新しい息吹のちからで、ますます句会が熱を帯びてくる気配がします。そのおかげもあってか、特選・入選・原石賞が生まれる豊作の句会となりました。 特選2句、入選1句、原石賞3句を紹介します。 ◎ 特選  初戀のホルマリン漬あり残暑             見原万智子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「残暑」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ◎ 特選  斎場へ友と白粉花の土手              島田 淳 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「白粉花」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ○入選  点滴をはづせぬ母の残暑かな                猪狩みき 【恩田侑布子評】 入院して日が浅いわけではないことを季語が語っている。長い夏のあいだじゅうじっと入院生活を耐えてきたのに、秋になっても、法師蝉が鳴いても、まだ刺さっている点滴の管。母の痩せた身体に食い入っている針を今すぐはずし、手足をゆったり伸ばしてお風呂に入れてあげたい。しかし、食が細っているのか、「はづせぬ母の残暑」。共感を禁じ得ない句である。 【合評】 もどかしさ、鬱陶しさが季語と響き合います。         【原】逢坂はゆくもかえるも星流る               益田隆久 【恩田侑布子評・添削】 百人一首の「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関  蝉丸」の本歌取りの句。惜しいことに「は」でいっぺんに理屈の句になってしまった。しかも句末の動詞で句が流れる。流さず、一句を立ち上がらせたい。 【改】逢坂やゆくもかへるも流れ星           【原】残暑をゆく壊れし天秤のやうに                古田秀 【恩田侑布子評・添削】 上五の字余りと句跨りは疲れた心身の表現だろうか。気持ちはわかるが、このままでは破調の句頭だけが目立ち、中七以下せっかくの詩性が押さえつけられてしまう。「残暑」の中をえっちらおっちら「壊れし天秤のやうに」ゆく、よるべない思いと肉体感覚は素直なリズムに乗せ、臍下丹田に重心をおきたい。残暑が逝くのと、残暑の中を自分が行くのと、ダブルイメージになればさらに面白い。 【改】残暑ゆく壊れし天秤のやうに 【合評】 うだるような残暑の中を辛そうに歩いている自分(もしくは他人)の姿を「壊れし天秤」と表現したのが新鮮です。        【原】同じこと聞き返す父いわし雲               前島裕子 【恩田侑布子評・添削】 晩年の笠智衆を思い出す。少しほどけて来ていても、どことなく憎めないいい感じの父である。「聞き返す」は「同じこと」なので、少しつよめた措辞にすると調べも良くなり、すっきりと「いわし雲」が目に浮かんでくる。 【改】一つこと聞き返す父いわし雲 【合評】 人生の終盤を迎えた父親。同じことを何度も聞き、何度も話しているように見える。それは父がその都度大事だと思った事を新たに問い、噛みしめているのかも知れない。      また、今回の例句が恩田によってホワイトボードに記されました。       残暑    秋暑し癒えなんとして胃の病               夏目漱石    口紅の玉虫いろに残暑かな               飯田蛇笏       佐渡にて               膳殘暑皿かずばかり竝びけり             久保田万太郎         流星    星のとぶもの音もなし芋の上             阿波野青畝    流星や扉と思ふ男の背   恩田侑布子『イワンの馬鹿の恋』         白粉花・おしろい    おしろいや屑屋が戻る行きどまり               佐藤和村    おしろいのはなにかくれてははをまつ      恩田侑布子『振り返る馬』 【後記】 筆者は現在インドに在住しており長らくリアル句会には参加できていません。ですがこうやって月に2度、会員の俳句をじっくりと読むことで、ある意味家族以上に近い存在に思えてくるから不思議です。インドで生活しながら、そんな俳句の力をしみじみと感じています。 (芹沢雄太郎) ...

あらき歳時記 白粉花

斎場へ

2022年8月24日 樸句会特選句   斎場へ友と白粉花の土手                   島田 淳  斎場は市街からすこし離れた河畔にある。葬儀が執り行われるのは作者と「友」にとって、共通の友人だろう。それも幼馴染とわかる。二人語りながらゆく「土手」に、「白粉花」のあどけない赤が点々と咲いているから。肩を並べて夕暮れ迫る「土手」を歩いてゆくと、亡き友までがそばにやって来るよう。みんないっしょに幼きあの日に帰ってゆくようだ。待っている先が、友だちのお母さんのやさしい笑顔のある家ではなく、斎場であることが悲しい。しみじみとした俳句。                         (選 ・鑑賞   恩田侑布子)