静岡高校の先輩・川面忠男さん(日本経済新聞社友)が、恩田の新著 『渾沌の恋人ラマン』を読み解いて下さいました。川面さんがメール配信されている 『渾沌の恋人』に関する読書ノートを、4回に分けて転載させて頂きます。 読書ノート165 vol. 1 『渾沌の恋人ラマン』 プロローグ 芭蕉の恋 俳人にして文芸評論家である恩田侑布子さんの新著 『渾沌の恋人ラマン』(春秋社)を読んだ。「北斎の波、芭蕉の興」が副題で「恋人」にはフランス語であろう、「ラマン」とルビが振られている。80歳を過ぎた私には難解な内容だったが、二度三度と読み返し何とか理解できたような気がする。本の帯に「八年がかりのたましいの結晶」とあるが、頷けた。 まず「芭蕉の恋」と題したプロローグが私の知識をひっくり返した。 芭蕉は旅の途上、若い頃の愛人とされる寿貞が亡くなったという知らせを聞き、〈数ならぬ身とな思ひそ玉祭り〉と追悼句を詠んだ。句意は「生涯を不仕合せに終わったお前だが、決して取るに足らぬ身だなどと思うでないよ」(『新潮日本古典集成』)といったもので「静かに語りかける口調に、深いいたわりと悲しみがこもる」(同)とされる。 ところが、恩田さんは次のように述べている。 「ねぎらいはあっても、ここに恋慕はない。私が寿貞なら、上から目線のこんな余裕綽々の(しゃくしゃく)慰めなんかいらない。葉先にこすった小指のかすり傷ほどでもいい。血の匂いのにじむ悼句がほしい」。 そして芭蕉が本当に恋した相手は、弟子の杜国だと言う。むろん杜国は男性であり、芭蕉は「市井の女性に燃えることはなかったと思われる」、そう恩田さんは書き、芭蕉の気持ちが伝わる句を挙げている。 それは〈白げしにはねもぐ蝶の形見哉〉という『野ざらし紀行』にある句だ。「白げしの花びらに分け入って蜜を吸っていた蝶が、みずから白い翅(はね)をもぎ、わたしを忘れないでと黙(もだ)し与える」と句意を述べる。「杜国二十七歳、芭蕉四十一歳の恋である」が、「芭蕉の美意識の一つに、清らかなもの同士をエキセントリックに重ねる手法がある」としている。この句の場合、「白昼・白げし・紋白蝶とひかりの多層幻像は、純白のハレーションをひきおこさずにはいられない」と言う。 恩田さんの文により〈雲雀より空にやすらふ峠哉(たうげかな)〉(『笈の小文』)は「いのちのよろこびにあふれている」句と知る。 また〈草臥(くたびれ)て宿(やど)かる比(ころ)や藤の花〉(同)は「芳(かぐわ)しい恋を迎える長藤のゆらぎである」と言い、さらに〈起(おき)あがる菊ほのか也(なり)水のあと〉(『続 虚栗(みなしぐり)』)は「極上のエロティシズムが漂う」句だとしている。 そんな杜国が亡くなると、〈凩に(こがらし)匂(にほ)ひやつけし帰花(かへりばな)〉(『後の旅』)と詠んだ。この句は 「冬麗(とうれい)に狂い咲いた花が,落葉を吹きあげる風に身を揉むさまは、あのときのあの人の匂いを、肌の底に刻むように蘇らせる」 と説明している。 そして 「恋とはつよい自覚をもつ狂気だ。芸術のミューズは、狂おしく揺らぐものに微笑む」 と述べプロローグを締める。俳句だけでなく日本の文化伝統に関心を抱く者は〝恩田ワールド〟に引きずり込まれてゆく。(2022・7・3) 読書ノート165 vol. 2 『渾沌の恋人ラマン』 第一章・上 北斎の「なりかわる」絵と蕪村の俳句 本書の副題は「北斎の波、芭蕉の興」だが、第一章で葛飾北斎の絵と俳句が共通するものであることを説明している。それは北斎が「なりかわる」絵であり、自在な「入れ子構造」を持ち、俳句のこころに通じると言うのだ。 北斎の「青山圓(あおやまえん)座(ざ)松(まつ)」という絵の説明によると、画面右下の菅笠をかぶった童(わらべ)のはずむ足取りとかわいい笠が見るものを絵の中に誘い込むとし、次のように述べる。 「わたしたちは、いつの間にか菅笠をかぶった童子になって風景を眺め、父に手を引かれてうららかな霞の端を踏み、のんびりとした安らぎに包まれる。そう、ひとりでにこの子の気持ちになりかわっているのだ」。 そして、北斎は「見る絵」ではなく共感して画中に入り込んでくれるひとを待つ「なりかわる絵」なのだとする。画中に入り込むものがつまり「入れ子」だ。恩田さんならではのオリジナルな見解であろう。 北斎の「冨嶽三十六景」の一つ、「五百らかん寺さざゐどう」は9人の男女が配置されているが、富士に背を向けているのは1人、顔が見える若い女性の巡礼だ。江戸中期の禅僧で原宿(沼津市)に住んだ白隠(はくいん)は画賛で富士山を「おふじさん」と女性になぞらえて呼びかけた。「入れ子としての世界は融通(ゆうずう)無碍(むげ)である」と恩田さんは言う。「おふじさん」が巡礼の女性であってもいいということだ。 俳句との関連では「なりかわる心身」という小見出しの項で蕪村の〈稲づまや浪もてゆ((結))へる秋津しま((島))〉を挙げ、以下のように書いている。 「天地のまぐわいを暗示する放電現象に、直線と曲線、極大と極微とが交響する。そこに浮かび上がる花綵(かさい)列島は、もはや地勢というより、闇にほの白く弓なりに身をそらせる女身さながらである。この句から女体幻想を消し去ることはできまい。そこに豊葦原(とよあしはら)の瑞穂の国の豊穣への祈りが合体している。雷と海と地の織りなす凄艶(せいえん)なエロティシズムに、稲作民族のはるかな呪言を隠喩(興)として結晶した十七音である」。 この「興」が本書の大きなテーマの一つ。第三章で詳述される。 第一章ではこの他に「二十世紀思想家の時間論」という項で丸山眞男、加藤周一らの見解を紹介している。時間は過去、現在、未来へ一方通行で流れるものではないとし、恩田さんは「わたしなぞ、視線もこころも、絵巻の上を川のようにたゆたい、渦巻き、うねり、時には平気でさかのぼってしまう」と言う。 俳句の初心者は「いま、ここ、われ」と教えられる。しかし、恩田さんは「ここにいない死者や他者を思い、相手の身にやさしくなりかわる(、、、、、)思い、それこそが自他の境界を乗り越える『いま・ここ』からの超出」であろうと言っている。俳句の切れは、そこから時空が展開するのだとわかった。(2022・7・4)
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恩田侑布子『渾沌の恋人』(春秋社)、読書ノート(続)
静岡高校の先輩・川面忠男さん(日本経済新聞社友)が、恩田の新著 『渾沌の恋人ラマン』を読み解いて下さいました。川面さんがメール配信されている 『渾沌の恋人』に関する読書ノートを、4回に分けて転載させて頂きます。今回はその第2回目です。 読書ノート165 vol. 2 『渾沌の恋人ラマン』 第一章・下 入れ子構造の「切れ」をもつ俳句 第一章の後半で葛飾北斎が「なりかわる」絵だと解説し、さらに絵巻と共通する入れ子構造の「切れ」をもつ俳句についても詳しく説明している。「芭蕉―宇宙のエロス」と題した文だが、芭蕉の句について恩田さんの読みの深さを知った。 恩田さんはまず〈馬ぼく/\我をゑに見る夏野哉〉を挙げ「画中の騎手にことよせてかつての自己の体験を見出したことにあった。発想自体が、他者になりかわる入れ子構造をしている」としている。 次に〈命二ツの中に生(いき)たる桜哉〉だが、これは芭蕉が俳句の手ほどきをした伊賀上野藩士の服部土芳と20年ぶりに再会した時の句。「芭蕉・土芳・桜木という三者三様の入れ子構造となって、花明りのなかに変幻し合う」とする。 さらに〈旅寐してみしやうき世の煤はらひ〉は「入れ子の多重構造をなす句ではなかろうか」と以下のように指摘している。 ①まず、入れ子の中心に現実の芭蕉がいる。②それを包む俗世間の「うき世」がある。③さらに一回り大きいのは「旅寝」する漂泊者の眼差しである。非僧非俗を自称する芭蕉は世外(せがい)の者として煤払いの忙(せわ)しさをみている。④芭蕉には天地は万物の宿る旅籠(はたご)との思いがあったはずである。すると、天地そのものが入れ子の四重目になる。こうして掲句がただの「郷愁と旅愁」のエレジーではないことがわかる。 恩田さんは芭蕉の『おくのほそ道』からも句を挙げて言う。〈雲の峯幾つ崩て(くづれ)月の山〉は五つの入れ子構造をなしている。一つは月山、二つは月に照らされた山、三つは麓の刀鍛冶の銘「月山」、四つは天台止観でいう真如の月、五つは女性原理の暗喩だ。果たして芭蕉がそこまで思って作ったか疑問だが、いずれにしろ恩田さんはそこまで読んでいる。 また〈荒海や佐渡によこたふ天河(あまのがわ)〉について「宇宙である天の河と、目の前の海峡に横たわる天の河。永遠の時間と、人間の時間。その入れ子構造は、悲壮な天体のエロスを織りなす」とし、大宇宙は一筋の天の河に姿を変えて流罪となった人々の頭上にかがやこうと言う。さらに「往古の人々の感情はいま、我がこととして胸をゆるがしてやまないのである」と述べるが、これは私にも伝わる。「見えない時空と響き合う」を絵巻の思想の一つとしているが、俳句の実作者なら経験することだ。 最後に芭蕉の辞世句、〈旅に病(やん)で夢は枯野をかけ廻(めぐ)る〉に関連して北斎の、〈飛登(ひと)魂(だま)でゆくきさんじや夏の原〉という句を挙げる。〈きさんじや〉は「気晴らしをしよう」という意味だ。死の旅立ちも遊びの精神で高笑いする北斎を描いて第一章を締めている。(2020・7・9) 『渾沌の恋人』 第二章 定型と呪 第二章「定型と呪」では俳句の神髄を語っている。読み進むと、赤面せざるを得なくなる。私は俳句を作るようになって10年が過ぎ、それなりに分かっているつもりだったが、そうではないと自覚した。 「反転する短小」という見出しの項で「俳句の真価は、見たままを再現する写生にはない。日常のことばでいい得ないものを暗示することにある」という文言を目にした時がそうだ。 また五七五という定型は人の耳に普遍的な快美をもたらす「言語の蜜」ではないか、と言う。それを〈空蝉をのせて銀扇くもりけり〉という宇佐美魚目の句で以下のように例証した。 夏木立を散歩して蝉の抜け殻と出会った。胸に挿していた扇をひらいて載せてやる。瞬時、長く地中に生きていた息と体温がやどった。生と死がゆらぐ。それは白昼のほのかな幻影である。さらに『源氏物語』の薄衣(うすぎぬ)を脱ぎ捨てて去る「空蝉」の女や、扇の影に面(おもて)をくもらせる夢幻能のシテがほの昏(くら)く揺曳(ようえい)する-。 第二章では呪(じゅ)についても述べる。人間の祈りと、その切実な呪とは、科学によって乗り越えられるべきものであろうかとする。「ひとには恋と死がある。恋と死があるかぎり、祈りも呪もほろびようがない」と言い、王朝時代の歌人である和泉式部の歌を挙げる。〈つれづれと空ぞ見らるる思ふ人天降(あまくだ)り来んものならなくに〉で「恋しいあの方が天から神のように降り立ってくださればいいのに、そんなわけはないのに」と訳している。 この呪的な祈りは和泉式部ひとりのものではないとし、「自分や愛する人の死病を宣告されたとき、なんとか生きたい、生きていてほしいと願う」、「人事を尽くせばもうあとは祈るしかない」、「祈りは自我を超え,呪にとどく」と言う。 俳句では飯田蛇笏を「定型の呪力において冠絶した俳人」とし、〈流燈や一つにはかにさかのぼる〉を挙げる。ここは恩田さんの文章をそのまま引用しよう。 (前略)川筋にゆらりと乗った朱(あか)い灯が一つ、うちつけにぐっと遡ってくるではないか。彼方から立ちゆらぎ来るなつかしさ。そのとき、流灯はするりとあのひとになる。この世で出会ったたった一つのたましいに。ふたりだけにわかるまなざし。闇にゆらめくほほえみ。二度とおとずれない交感の瞬間である。 川の流れを灯籠が遡上しようか、と問うひとがいるかもしれない。ありえない事象は「一つにはかに」という決然たる調べによって、現実を超えるのである。 恩田さんは蛇笏の句から生きる力を得た人でもある。(2022・7・11)
恩田侑布子『渾沌の恋人』(春秋社)、読書ノート(第3回)
静岡高校の先輩・川面忠男さん(日本経済新聞社友)が、恩田の新著 『渾沌の恋人ラマン』を読み解いて下さいました。川面さんがメール配信されている 『渾沌の恋人』に関する読書ノートを、4回に分けて転載させて頂きます。今回はその第3回目です。 読書ノート165 vol. 3 『渾沌の恋人ラマン』 第三章 興の俳句 第三章「季語と興」で耳の痛いことを言う。「自句自解ほど危ういものはない。そもそも自句を散文で述べられるなら、最初から俳句をつくる必要などない」。私は黒田杏子さんから俳句を作らず散文に徹しなさいと勧められたことがあるため恩田さんの言葉も大きく響いた。 同書の第三章は、川端康成の〈秋の野に鈴鳴らし行く人見えず〉という句の紹介から述べ始める。川端がノーベル賞を受賞した後の即興句であり、「野」と「鈴」でノオベルと言葉遊びしたのだ。しかし、恩田さんは「この世という目に見える世界から、あの世という眼に見えない世界へと、白装束がすうっと消えてゆく余韻につつまれる。これは幽明界つづれ織りの名句なのだ」と解釈している。なまじ川端が随筆で自句自解したばっかりに読み手が間違ってしまった。 それはさておき第三章は、同書の核心とも言える興について語っている。興は古来の中国で用いられた賦、比、興という修辞区分のひとつ。いろいろ解説を紹介しながら賦、比、興の現代の俳句を挙げて説明している。 賦(正述心緒・かぞへうた・直叙)の俳句は「写生句にほぼ重なる。平明で景が鮮明である」とし、高浜虚子の〈咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり〉が一例だ。 比(譬喩(ひゆ)歌・なずらへうた・直喩)は「独自のイマジネーションを持ち味とする。思いがけないものに類似をみつけだし、附(ちか)づけ、橋が架かるゆたかさがある」。森澄雄の〈ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに〉がそうだ。 興(寄物陳思・たとへうた・隠喩)は「おのおのの感性が多声音楽を生んでいる。それは余白に新たな泉を涌き立たせてやむことがない」という。例句を三十余句挙げているが、その中から以下の通り5句を示そう。 鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女 水枕ガバリと寒い海がある 西東三鬼 父となりしか蜥蜴とともに立ち止る 中村草田男 銀河系のとある酒場のヒヤシンス 橋閒石 吹きおこる秋風鶴をあゆましむ 石田波郷 以上とは別に恩田さんは芝不器男の〈あなたなる夜雨の葛のあなたかな〉についてこう解説している。 この句には、故人の抒情を超えて、葛の生い茂る山あり谷ありのこの世への呪的な反歌の匂いがたちゆらぐように思われる。なつかしいふるさとの山河よ、あたたかい人々よ、どうかいつまでもやすらかでいてください。しずかな声調に「興」の精神の地下水が脈打っている。 同章を読み、拙句も興の句をめざしたいと思った。(2022・7・12) 『渾沌の恋人』 第四章 俳句の切れと余白 第四章「切れと余白」でオリジナリティに富む俳句講座となる。「名句には切れがある」という小見出しの項で「切れとは俳意の別名である。それによって、ちっぽけな俳句は広やかな時空へ開かれるのだ」と述べ、中村草田男の句を例として挙げている。 それは〈松籟や百日の夏来りけり〉だ。〈松籟に百日の夏来りけり〉の定式では「ソツがなく、息が狭くなる」と以下のように解説している。 (前略)不易へのあこがれが「松籟や」の切れとなり、ほとばしった。(中略)さらに、句末「来りけり」の切れに全体重がかかる。精一杯いのちをかがやかし、碧玉のような百日を生き切ろうという決意が、天上の松風と韻(ひび)き合う。 作者が中村草田男で解説が恩田さんだから説得力がある。その通りだと思うが、私たちが上五を「や」で切り、下五を「けり」とした俳句を作れば、句会ではノーと言われる。「や」と「けり」、あるいは「や」と「かな」という切れを一句の中で使うと切れが強すぎるということになり、避けるのが通例だ。 次に挙げた例句、石田波郷の〈雪はしづかにゆたかにはやし屍室〉は「はやし」に切れがあると言う。以下のように解説する。 (前略)息を引き取ったばかりのひとの生の時間は、翩翻(へんぽん)たる雪となって「しづかにゆたかに」虚空に舞い始めるのである。空間も、結核療養所の屍室という特殊な状況を超えて、あらゆる人の死の床に変容してゆく。それこそが「切れ」のもつ呪力である。 以上の一節の前に恩田さんは次のように述べていた。「切れの機能には、感動、詠嘆、強調、提示、疑問、安定などがある。掲句の切れは、感動、詠嘆だが、同時に空間を普遍化するはたらきも見逃せない」。恩田さんはここで俳句の先生になっているわけだが、続きの「読み手はそれぞれの胸のなかに棲んでいる大切なひとの死を思い出すだろう」という文言を読むと人生の指南に思えてくる。 俳句は見た景を描写する写生が基本だが、眼に見えないもの、この世にいない人を詠んでもいい。虚実の間に詩が生まれるが、作った句が独りよがり、作者だけの思い込みであれば、句作ノートに記して句会には投句すべきでないと言われる。恩田さんの話は一定の水準をクリアした俳句について言えることだ。 さらに「俳句の神髄」という小見出しの項では「俳句は、切れの余白のなかで作り手と受け手が出会う。切れとは、互いの記憶や感情や体験が変容しつつ、なりかわり合う時間である」と述べている。要するに通じ合う、共感し合うということであろう。肝に銘じたい。(2022・7・13)
恩田侑布子『渾沌の恋人』(春秋社)、読書ノート(完)
静岡高校の先輩・川面忠男さん(日本経済新聞社友)が、恩田の新著 『渾沌の恋人ラマン』を読み解いて下さいました。川面さんがメール配信されている 『渾沌の恋人』に関する読書ノートを、4回に分けて転載させて頂きます。今回はその第4回目です。 読書ノート165 vol. 4 『渾沌の恋人ラマン』 終章 無常と異界 終章は「水、呼び交わす」と題して「無常と詩歌」をテーマに語っている。西洋では宗教や思想となったものが日本では美術や文学などとして続いて来たと言い、無常や異界がどう表現されたかを具体的に解説している。 露ははかなさの代名詞。まず飯田龍太の〈露草も露のちからの花ひらく〉を挙げる。露草の水は霧や雲や雨になり、やがては海へそそぐが、千変万化して戻って来る。人は水でつながっている。「いのちの曼陀羅の起点には水がある。水は呼び交わす」と言う。龍太の句もその視点から読めということだろう。 上代の倭健命の薨去は『古事記』においてもっとも抒情的な場面とし、〈倭(やまと)は國のまほろばたたなづく青垣山隠(やまごも)れる倭しうるはし〉という歌を挙げている。いまわの息に詠った国偲びの歌だ。そして次のように述べている。「眼前にないもの、触れえぬ非在のものをうたうときに、もっとも詩が昂揚(こうよう)する日本の美の特徴を、この白鳥の歌にすでにみることができる」。 また藤原定家の〈たまゆらの露も涙もとゞまらずなき人こふる宿の秋風〉を挙げて次のように言う。「最愛の母の死を嘆く涙さえ草葉の露のように秋風に散りしく、われこそが無常の正体である、というのだ」。 俳句では阿波野青畝の〈水澄みて金閣の金さしにけり〉を読んで「澄んだ秋の池に泛(うか)ぶ金は聖性を帯びる。俳句が無常に自足するたまゆらといえよう」と述べている。 『渾沌の恋人』の終章は、以下の通り阿波野青畝の80歳代に作った句を4句、さらに90歳になった時の句を1句挙げて締める。 一片の落花乾坤(けんこん)さすらふか 八十三歳作 肉塊に沈没もする神輿あり 八十六歳作 白き息呑むまに言葉逃げにけり 八十三歳作 涅槃図に蛇蝎(だかつ)加へて悲しめり 八十一歳作 それぞれについて恩田さんらしい読み方をし、さらに以下の90歳時の以下の作品を挙げて見立てについて語る。 みよしのの白拍子めく菌かな 「吉野の秋はしずか。ほっそりした軸にまどかな朱の傘をさす菌(きのこ)を白拍子に見立てた洒脱さ。義経と都落ちしてゆく静御前(しずかごぜん)の艶姿(あですがた)が髣髴(ほうふつ)とする」 と解説する。そして 「わたしたちは菌(きのこ)、大根、蛇蝎、落花、そして地球の裏がわのひととも、なり代わりなり変わり合う星の住人である」 と同書を書き終えている。 以上のように『渾沌の恋人』を読んだが、どこまで〝恩田ワールド〟が分かったか、はなはだ心もとない気もしている。(2022・7・14) メールさろん624 一過性全健忘 友人から朝日新聞の「折々のことば」という欄の切り抜き記事のコピーを郵送していただいた。「自分がこの世にいなかった世界は、あんがい気持ちよかった」という文言だ。これは樸(あらき)俳句会の代表、恩田侑布子さんの新著『渾沌の恋人』から引用している。 「折々のことば」の筆者は哲学者の鷲田清一さんで恩田さんの言葉は6月25日付の同欄に載った。以下のように述べている。 死ぬとは「わたしと思い込んでいるちっぽけなあぶくがプチンとはじけるだけ」のことかと、俳人は思った。死が「わたし」という幻の解消だとしたら、人は「死ねばこの世になる」ということ。 以上は恩田さんが胃の内視鏡検診を受けた際、記憶が途絶えた話で『渾沌の恋人』の終章に書かれている。大病院の脳神経科で診てもらったところ脳梗塞などの異常はなく一過性全健忘と言われた。それが恩田さんには「死ねばこの世になる」という実感として残ったのだ。「生は寄することなり、死は帰することなり」という中国の漢代の書『淮南子(えなんじ)』の言葉が思い出されたと言う。 切り抜き記事を送ってくれたのは多摩稲門会の辻野多都子さんで友人から託されたという。友人は結社「古志」の同人だった山田洋さん(故人)の夫人だ。山田さんには『一草』という遺句集があり、「古志」創始者の長谷川櫂さんが帯に「誰も自分の死を知らない。見えざる死と闘った俳句がここにある」と記している。その句集をいただき読後感を綴ったところ夫人は拙文を仏前に供えた。そういう経緯があり、私も山田夫人に『渾沌の恋人』を進呈した。それで夫人が恩田さんの文言を取り上げた「折々のことば」を私に読んでもらおうと思ったのだろう。 それはそれとして実は最近の話だが、私と辻野さんの共通の友人が一過性全健忘になったのだ。その友人はある日、自宅で庭いじりをしていて自分が何をしているか、どこにいるのか、わからなくなったのだという。幸い夫人と娘さんが居合わせて異変に気づき救急車を呼んだ。病院で一過性全健忘と診断され、翌朝には正常に戻り退院できた。つまり辻野さんは一過性全健忘になった方が身近にいるということから自分たちも先行き何が起きるかわからない年齢になった、という気持ちを伝えたかったのだろう。 一過性全健忘になった友人も『渾沌の恋人』を読んでいると承知している。こんど会った際、恩田さんと同じようにあの世とこの世の境を意識したであろうか、尋ねてみたいと思う。(2022・7・23)
朝日新聞 (6/25)「折々のことば」にて『渾沌の恋人』をご紹介いただきました
あらき歳時記 残暑
あらき歳時記 蝙蝠
2022年8月7日 樸句会特選句 母の恋父は知りたり蚊喰鳥 見原万智子 家族の中で完結しない恋愛感情はできれば知りたくないもの。父母のよその異性への恋を子が知ることは気持ちの良いものではない。ましてや父が母の別の男性との恋を知っていて、それを子が理解しているとは複雑だ。俳句を生かすも殺すも助詞助動詞のはたらきである。この句の「は」と「たり」は渋い。父に知られていることに、まだ母は勘づいていないよう。完了の助動詞「たり」で切れ、もう一歩も後に引けない。「知ってしまったのだよ」という含意がこもる。止めに置かれた「蚊喰鳥」は蝙蝠よりも細かく隠微に蠢き羽ばたく。その不気味な感触。 いうまでもなく俳句という詩である。作者のご両親は比翼の鳥。御母堂は遺影の前で三度の食事を召し上がる。いい俳句は必ずしも公序良俗から生まれるというわけではない。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子)
あらき歳時記 噴水
2022年7月27日 樸句会特選句 寄港地の噴水へ手をかざしけり 田村千春 日本や世界を一周とまではいかなくても、時間のたっぷりした周遊の船旅である。まだ見ぬ港に船体が静かに入ってゆくときの心躍り。作者はしばしばその見知らぬ街の歴史を訪ね、くつろぎ、土地の心づくしの饗応に預かったのだろう。やがて乗船の時刻が近づいてくる。ひと時の風光を愛でた街、名残惜しい公園に噴水が涼しげに上がっている。もう二度と再びこの地を踏むことはないだろう。そう思った瞬間、ひとりでに「噴水へ手をかざし」ていた。永遠に若く美しい噴水に向かって、さようならをしたのだ。初めての遠い土地の噴水へのいつくしみは、ゆきずりのひとの真心にふれた遠い日の記憶も誘う。過ぎゆくものへの清らかな哀惜。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子)