
恩田侑布子「戦争とエロスの地鳴り−三橋敏雄」(『証言・昭和の俳句 増補新装版』第Ⅱ部所収 コールサック社、2021年8月15日刊)を読んで 新たな三橋敏雄像の描出 編者の黒田杏子が第Ⅰ部のインタビューで明らかにした三橋敏雄像と恩田侑布子が第Ⅱ部で描き出したそれはおのずと違うものになっています。
インタビューを録音し文章化する場合、第一の読者はインタビューの対象、ここでは三橋自身です。三橋が「私の生き様、私の思いを私以上に表している」と感じとれば、そのインタビューは成功し、最高の読者を勝ち得たことになります。 「未来への予言」の語り部 黒田は、第Ⅰ部のあとがきで、三橋の「・・・戦争体験の真実の一端なりとせめて俳句に言い残しておきたい。単に戦争反対という言い方じゃなく、ずしりと来るような戦争俳句をね」という言葉を引用しました。そのうえで、13人のすぐれた先達の証言を「未来への予言」と呼び、この予言集が、地球上の多くの人々と出会うことを希う旨をもって筆を置きました。
黒田は、この予言集が戦争をまったく知らない新しい世代に、さらには全地球的規模で発信されることを希い、その担い手となる「2020年代の語り部」の登場をも期待して、第Ⅱ部を設けたのではないでしょうか。
新たな語り部に求められる感性と情熱、力量を備えている現代の俳人の一人が恩田です。
恩田は、今回の執筆にあたり、現代を生きる新たな世代、世界に出てその地に生活基盤を築いている人たち、国境や民族を越えて俳句を人類共通の文化として受け入れようとする人々をも念頭においていたはずです。
恩田は若い世代の育成と海外に拠点を置く会員の指導にも力を注ぎ、自身、パリ日本文化会館客員教授として、フランスの大学で俳句と日本文化についての講演を行ったという活動歴を有しています。 生命をつないでいく本源的欲求から 恩田は、三橋の歩みを「俳句による戦争体験の昇華と昭和の反省に生涯をかけた高潔なたましいのみちのり」と呼んでいます。そして、「三橋がイデオローグの平板に陥らず文学の成熟を遂げたのは、エロス的人間の足元から俳句を立ちあげ得たからで」あると明言しています。
ここでいうエロスは、人間が生命をつないでいくうえでの本源的欲求、喜怒哀楽の原点、人間の尊厳そのものといったことを意味しているのではないでしょうか。そうであるならば、エロスは、時代と世代、国境と民族を越えて、人間に普遍的に存在し、かつ、その有り様は一人ひとりの個人によって異なってくるはずです。
それを有無を言わせず一瞬のうちに暴力的に奪いとり、その後も耐え難い痛みを残し続ける戦争の非人道性を、三橋は俳句という文学を通して訴えている、と恩田は読みとったのだと思います。
恩田自身エロス的人間を描いた句をつくり、現代社会を洞察したクリティシズムの句を評価しています。反面、安易な性的表現や自らの生き方を脇においた時流的言辞には厳格であり、「反戦・非戦」といった言葉の使用にも慎重であることの本意が、こうしたところからも見えてきます。 生身の自己を晒しながら 前半部分の「酔眼朦朧湯煙句会」での、生身の自己を晒しながら三橋という俳句の巨人に真正面からぶつかり、教えを乞う姿勢にも深い共感を覚えます。
恩田は、樸俳句会においても、連衆と同じ目線で学び、歯に衣を着せぬ時もあれば、子どものような振る舞いを見せることもあります。その生き方には、裏も表も、虚勢も力みもありません。
「俳句のつくり方を教えてください」と恩田が「ぬかし」た「たわごと」を三橋は一言のもとに撥ねつけます。しかし、恩田は三橋との会話やその生き様からも学び、30年近くかけて自らの「俳句のつくり方」を打ち立ててきたのだと思います。
田村千春は、植物の句に対する恩田の挑み方に言及して、「対象に入り込み、自分と同化させる」という「おそらく誰にも真似できない方法」(「天心への旅―恩田侑布子「天心」を読む―」)と述べています。明晰な洞察に基づく的確な表現だと思います。
* * * 9月15日、恩田侑布子編『久保田万太郎俳句集』が岩波文庫から刊行されました。そこで、どのような新しい久保田万太郎像が描き出されているのでしょうか。
つねに全力投球、直球勝負の恩田の人と文に接する時と同様、今回の著作においても、読み取る側に、ずしりと重いボールを受けとめる覚悟が問われてきます。
鈴置昌裕(樸会員)

2021年8月25日 樸句会報 【第107号】
8月20日から静岡にも緊急事態宣言が出され、急遽リモート句会となりました。COVID-19が世界中に広がってから1年半が過ぎ、実社会においてもリモートワークやオンライン授業などが当たり前に導入されています。技術革新に感謝したい一方、皆が一堂に会する場の空気や手触りが恋しくなるのはないものねだりでしょうか。
兼題は、「墓参」「花火」「芙蓉」です。
◎ 特選
安倍川に異国に慰霊花火降る
鈴置昌裕
特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「花火」をご覧ください。
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○入選
からだぢゆう孔ひらきだす虫の闇
古田秀
【恩田侑布子評】 「孔ひらきだす」になまなましさがあります。季語と相俟って、ねとつくような蒸し暑さが残る深い闇を感じさせます。生きているからこそ人間には孔があり、虫には翅音があるのに、地中深く黄泉の国へ引きずり込まれてゆくかの不安感は、生と死が溶け合うようです。やや不気味な読後感は、生きていること自体得体が知れない、という思いへ人を誘います。
【合評】 縁側に坐し、真っ暗な庭から響く虫の声に秋の到来を感じ、聴覚、視覚に加え全身の孔が研ぎ澄まされるように全開する肌の感覚を巧みに表現した秀句。
「全身を耳にして」とはよく聞きますが、「体中の孔が開く」という表現に驚きました。眼、耳、口、鼻、肛門…。汗腺まで入れれば本当に人間の身体は孔だらけ。孔は外界と交信する器官です。虫のすだく闇に呼応するように、全身の孔という孔が一斉に開いていくという感覚はとてもシュールで面白い。漢字は孔、虫、闇のみで、あとはひらがなという表記も効果的と思います。
○入選
眼鏡つともち上げもどす夕芙蓉
見原万智子 【恩田侑布子評】 近視用ではなく老眼鏡ではよくこんなことをします。年配者が焦点距離を少し合わせるための仕草です。古希前後の余裕のある日常の感じと夕芙蓉との取り合わせが絶妙です。それといった意味もないのに、たゆたいの情が匂う感覚の優れた句です。
【合評】 読書に余念のない作者が、涼しい風と辺りが薄暗くなってきたことを感じ、眼鏡を持ち上げ庭に視線を移すと、酔芙蓉は白からピンクに色を変えています。花の色に目を休めた作者は、眼鏡の位置を戻し、再び本に視線を落とします。晩夏から初秋にかけての季節感を静かに感じさせ、今の先行きの見えない閉塞感を一瞬忘れさせてくれるとてもよい句だと感じました。
○入選
墓参てきぱきと骨になりたし
見原万智子 【恩田侑布子評】 「てきぱきと」仕事をこなす作者が、「てきぱきと骨になりたし」と思っておられたとは。ただ、全国にぽっくり寺があるくらいなので、老耄の身を晒して長々と子や孫に下の世話にまでなりたくないという思いは、珍しいわけではありません。手柄は「てきぱきと骨になりたし墓参」をひっくり返した五五七の破調の工夫にあります。宙吊りの余白が斬新です。しかし、作者コメントによると、「自分の焼骨はあまりお待たせしたくない」という火葬場での即物的希望を詠んだものと発覚。バラさないで欲しかったと思うのは私一人ではないでしょう。
【合評】 まさに近頃の己が思いを代弁してくれているように思いました。
普段からてきぱきと物事を進める方なのでしょう。他人に迷惑をかけず。自分の最期の時にまでそうありたいという切実な思い。そして墓参の際にもそう考えてしまう「性分」の可笑しみ。「てきぱき」の音が、骨の音に聞こえてきます。
墓に参ると諦念に襲われます。もう存分に生きたから、いや、そんなに生きていないけど、そろそろオサラバしてもいいかな。「ホラホラ、これが僕の骨」(by中也)
【原】亡き人よ見えわたるやと問ふ花火
見原万智子 【恩田侑布子評】 「姑が最後に見た焼津海上花火大会のひとコマ。車椅子に座り亡き舅の写真をしっかり抱いていました。「お父さぁん、見えるかね〜?」という呼びかけが、空へ向けて何度も放たれるのでした。」
以上が作者の弁。体験の刻まれた胸を打つ光景です。なるほど、思いが余って「亡き人よ」と呼びかけ、さらに「見えわたるや」とせずにはいられなかった気持ちはわかります。でも俳句表現としてみるとどうでしょうか。お姑さんの行動を横から見ている描写にとどまり、作者との一体感がイマイチです。ここはお姑さんの気持ちになりかわりましょう。 【改】亡き人に見えわたるやと問ふ花火 一字の違いで、中七の「見えわたる」という措辞がいっそう生きて来ましょう。
【合評】 花火を観ることが好きだった故人を偲ぶ思いがよく伝わります。「見えわたる 」に、空に広がる花火の壮大さがよく表現されています。
【後記】
兼題のこともありますが、近しい人の死、自己の死を想う句が多く、リモートゆえ孤独な選句であってもどこか会員同士輪になってともに句を読み進めていくような感覚がありました。ともすれば分断を煽られがちな異なる社会属性や世代が、対等に何かについて話し、評することができる場は本当に貴重です。ワクチン接種が進み、COVID-19の早期収束を望む一方、次々と出現する変異型に社会はまだ振り回されています。疫禍がもたらした予期せぬ“ニューノーマル”な暮らしの中で、奔流に抗う一本の自己の根を下ろすことが、俳句、ひいては文学の役割かもしれません。
(古田秀) 今回は、特選1句、入選3句、原石賞2句、△2句、ゝ14句、・12句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
============================= 2021年8月8日句会 入選句 ○入選
瓜揉や食卓に小ぶりの遺影
見原万智子 【恩田侑布子評】 暑い盛り。瓜揉が主役の簡素な昼餉でしょう。テーブルには遺影が置かれています。豪華な写真立ではなく、小ぶりのつつましい写真立に入っているいとしいひとの笑顔。「小ぶり」の措辞が素晴らしく働いています。生前もいつもここで一緒に食べていたが、亡くなっても一緒に食事をしているのです。仏壇のなかの位牌を拝むだけでは足りない親しさなつかしさ。瓜揉の翡翠色が、ひときわ涼しく哀しい。きっとひとり住いなのでしょう。清らかな故人への思いが、その亡き人のお人柄まで想像させる心打たれる俳句です。
○入選
夏草を漕ぎ湿原の点となる
海野二美 【恩田侑布子評】 高地の湿原をゆくここちよさ。茅や蒲や、かやつり草、わたすげなどの群生する青々とした天上の草原で、いま私は、どこの誰でもない、男でも女でもない。もはや人間であることも忘れて、天地の間のただ一点になります。大自然に抱かれる夏の歓喜です。やぶこぎの「漕ぎ」と、座五の「点となる」によって、景が鮮やかに浮かぶ句になりました。

2021年8月25日 樸句会特選句
安倍川に異国に慰霊花火降る 鈴置昌裕
太平洋戦争の犠牲者への慰霊に、昭和二十二年から始まった安倍川花火大会。コロナ禍で今夏も中止でしたが、川原での慰霊祭が済んだあと、短い時間に慰霊花火がひっそりと揚げられました。偶然、私はスーパー買い出しの帰り、安倍川橋の上で揚花火に気づき、驚いて土手に車を停めました。町内の十人余りの方と、広河原の対岸に揚がる花火を風に吹かれて見つめていました。梅雨明けの細い水面に火の粉は映って音もなく消えてゆきました。この句のよさは「異国」にも「降る」と感じたことです。中国やシベリア、アッツ島やサイパン島など、大日本帝国が起こした戦争の無残さへ一気に思いを広げます。従軍した若者も、殺された現地人も、いまや狭くなった地球上の同胞です。「降る」の句末にいいえぬ余韻があります。静岡平野に住まう人々の風土の秀句にして普遍性をもつ句です。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子)

恩田侑布子 2021年夏の作品 ↑ クリックすると拡大します 『ウエップ俳句通信』122号 2021年6月

2021年7月4日 樸句会報 【第106号】
ここ何年も記憶に無い七月上旬の大雨。
被害に遭われた皆様には謹んでお見舞い申し上げます。
雨もようやく小降りになった七月四日。リアル参加とリモート併せて16名の連衆が句座を囲みました。 兼題は「茅の輪」「雷」「半夏生(植物)」です。
特選3句、入選4句を紹介します。 ◎ 特選
八橋にかかるしらなみ半夏生
前島裕子
特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「半夏生」をご覧ください。
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◎ 特選
一列に緋袴くぐる茅の輪かな
島田 淳
特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「茅の輪」をご覧ください。
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◎ 特選
言はざるの見ひらくまなこ日雷
古田秀
特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「日雷」をご覧ください。
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○入選
雷遠く接種の針の光りけり
山本正幸 【恩田侑布子評】
貴重な時事俳句。コロナワクチンの接種をする。明日、痛みや副反応は軽くすむだろうか。本当に効くか。遠雷のひびきとあいまって不安がよぎる。日本は、世界は、今後収束局面に入っていけるだろうか。このゆくえは誰にもわからない。針先のにぶいひかりと遠雷の聴覚のとりあわせが、さまざまな感情を呼び起こします。
○入選
かへり路迷ひに迷ひ日雷
田村千春 【恩田侑布子評】
帰りたくない気持ち。どうしたらいいかだんだん自分でもわからなくなる切迫感。日雷が効いています。絵にも描けないおもしろさ。
○入選
白き葉のゆかしく揺れて半夏生
猪狩みき 【恩田侑布子評】
平凡という批判もきこえますが、むずかしい一句一章の俳句が、いたって素直。「ゆかしく揺れて」が半夏生のしずかさを表して、しかも清涼感がある。句に清潔なかがやきがあります。
○入選
躙口片白草へ灯を零し
田村千春 【恩田侑布子評】
草庵の茶室での夏の朝茶。そんなに本格的でなくても、夕涼みの趣向のお茶かもしれません。躙口のあたりの小窓から漏れる灯が、露地の脇に生えている半夏生の白い葉にかがよう繊細な光景。いかにも涼し気な日本の情緒。半夏生でも三白草でもなく「片白草」の選択が秀逸です。
本日の兼題の「茅の輪」「雷」「半夏生(植物)」の例句が恩田によって板書されました。 半夏生
今回の兼題の一つ「半夏生(植物)」について、恩田から補足説明がありました。ドクダミ科の多年草。半夏生(七月二日)の頃、てっぺんに反面だけ粉を吹いたような真っ白な葉を生ずる。半化粧の意味もある。片白草。三白(みつしろ)草ともいいます。ハンゲと呼ばれるのはカラスビシャクというサトイモ科の別の植物。これとは別に時候としての「半夏生」もあり、句作にも読解にも注意するようにと、それぞれの例句を挙げて恩田は説明しました。 同じこと母に問はるる半夏生 日下部宵三 亡き人の夫人に会ひぬ半夏生 岩田元子 いつまでも明るき野山半夏生 草間時彦
からすびしやくよ天帝に耳澄まし 大畑善昭
茅の輪 ありあまる黒髪くぐる茅の輪かな 川崎展宏 空青き方へとくぐる茅の輪かな 能村研三 雷 昇降機しづかに雷の夜を昇る 西東三鬼
遠雷や舞踏会場馬車集ふ 三島由紀夫
【後記】
今回の連衆の投句には、意図せず時候の半夏生になってしまっていた句が多かったと恩田は講評しました。そのうえで特選句と入選句について、「半夏生(植物)」を素直に丁寧に描写することで、それを見つめる自分の心のあり様を読者に伝えることが出来ていると評しました。
筆者の個人的見解ですが、恩田の出す「兼題」には、初学者が句作に頭を悩ますものが必ずと言っていいほど一つ含まれています。筆者にとっては今回であれば「半夏生(植物)」であり、次回では「甘酒」がそれに当たりました。それらはこの半世紀ほどで急速に身の回りから消えつつある環境であったり生活文化であったりするものです。筆者は東京近県の郊外に住んでいますが、こうした自然環境や文化的蓄積の残る静岡に羨望を禁じ得ません。
今回、連衆の投句から筆者が学んだのは、自分の感情や意識を殊更書こうとしなくても、対象をしっかりと描写することで読む者の共感を呼び起こすことができるということです。筆者の場合、「われ」と「季物」のうち「われ」が前に出過ぎているため、感覚的に描写しやすい「半夏生(時候)」の句になってしまっていたようです。
以前の樸俳句会で、芭蕉の言葉についてテキストを用いて恩田が解説するシリーズがありました。
「物の見えたる光、いまだ心に消えざる中(うち)にいひとむべし」
「松のことは松に習へ、竹のことは竹に習へ」(いずれも「三冊子」)
初学者にとって、兼題に真正面から取り組むことが俳句の面白さを知る王道なのだと痛感した句会でした。筆者はずっとリモート投句が続いていますが、実際に句会に出られればさらに多くの薫陶と刺激を恩田と連衆から得られるのにと思う日々です。
(島田 淳) 今回は、特選3句、入選4句、△7句、ゝ11句、・7句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
============================ 7月28日 樸俳句会 入選句を紹介します。
○入選
向日葵や強情は隔世遺伝
海野二美
【恩田侑布子評】
向日葵のように明るく美しく、すっくりとお日様に向かって立っている作者。でも強情っぱりなの。この一本気は大好きだったおじいちゃん(あるいはおばあちゃん)譲りよ。へなへななんかしないわ。「隔世遺伝」という難しい四字熟語が盤石の安定感で結句に座っています。十七音詩があざやかな自画像になった勁さ。
【原】ドロシーの銀の靴音聞く夏野
山田とも恵 【恩田侑布子評】
「夏野」の兼題から「オズの魔法使い」を思った作者の想像力に感服します! 主人公の少女ドロシーは、カンザスから竜巻で愛犬のトトと飛ばされます。私も幼少時、大好きな童話でした。ブリキのきこりに藁の案山子、臆病なライオンとのちょっと知恵不足のあたたかい善意の支え合い。エメラルドの都へのあこがれと、故郷カンザスへの郷愁。それら一切合財を「銀の靴」に象徴させた作者の詩魂は非凡です。ただし、表現上は「靴音聞く」が惜しい。「靴音」といった時点で、俳句に音は聞こえています。 【改】ドロシーの銀の靴音大夏野 または 【改】ドロシーの銀の靴ゆく夏野かな など、「聞く」を消した案はいろいろと考えられましょう。
【原】いつからか夏野となりし田は静か
望月克郎
【恩田侑布子評】
地方都市の郊外のあちこちでみられる憂うべき光景です。無駄のない措辞に、本質だけを剔抉してくる素直な眼力が窺えます。それをいっそう際立たせるには、 【改】いつからか夏野となりし田しづか 字足らずが効果を上げることもあります。

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吾よりも高きに蝿や五(こ)六億七(ろ)千萬年(な)後も
弥勒菩薩の衆生救済までの時間と、コロナウィルスとに架橋したとんでもないルビに思わず笑わされる。 そして粛然とさせられる。 人類は地球を汚しデジタルマネーで文化の均一化までも目論んでいる。コロナ禍は地球からの逆襲である。はるかな未来の人の頭上にも一匹の蝿は悠然と飛ぶであろう。人間の卑小さへの洞察が悠久の文明批評となったポストコロナの秀句である。
未知の大きさをもって、堀田季何はしなやかに走り続けるであろう。現実は完結しない。そのリアルな切断から目が離せない。 堀田季何第四詩歌集/人類の午後
枝折『畫想夜夢』 恩田侑布子「夢魔の哲学−ポストコロナへ」より抜粋

恩田侑布子「戦争とエロスの地鳴り−三橋敏雄」を読んで
(『証言・昭和の俳句 増補新装版』コールサック社、2021年8月15日刊) 本書は、前半が昭和を代表する俳人へのロングインタビューおよび自選50句(聞き手・黒田杏子、全13章)、後半が令和を生きる俳人20人の書き下ろし原稿という二部構成。
さっそく恩田の「戦争とエロスの地鳴り – 三橋敏雄」から読み始めました。酔眼朦朧湯煙句会での交流を中心に始まり、恩田の<擁きあふ肌といふ牢花ひひらぎ>に対し、三橋敏雄が「無季にすべきだ。さらに句が大きくなる」と説く場面が出てきます。
続いて「第13章 三橋敏雄」を読み、無季句探究の原点に戦争があると知りました。それは「無季でなければ言えない世界」だというのです。
戦争体験者の中には当時の多くを語ろうとしない人が少なくありません。三橋敏雄も本書のインタビューの中で生々しい表現はいっさい使っていません。
しかし、十七音の最奥からこちらを見つめるどんな感情、どんな告発をも逃さない恩田の比類なき鑑賞によって、魂は生きたいのに身体は砕け散ってしまった理不尽な数百万の死が胸に迫り、涙が溢れました。
三十数句の「戦争の世紀を刻印する秀句」が無季、有季を問わず掲げられていますが、ここでは次の一句を挙げます。 純白の水泡(みなわ)を潜きとはに陥つ 『巡礼』 第13章冒頭に、三橋敏雄の出身地 八王子は東京西部の多摩に位置し、剣術が盛んで、祖父は近藤勇や土方歳三と同じ天然理心流を習っていた、とあります。
その道場は、現存します。もう15年くらい前になりましょうか、多摩地区実業団剣道大会五十周年を記念し、模擬刀による天然理心流の型が披露されました。
当日、遅刻した私はすごいオーラを放つ二人組とすれ違いました。一人は銀のバレッタで長髪をまとめた細身の五十代男性、いま一人は刀を担ぎ黒髪をなびかせ颯爽と去る三十代の美女。彼らこそ、新撰組の後継者でした。
出場選手の一人として型を目の当たりにした夫は「剣道の北辰一刀流とまるで違う。徹底的な省エネ。実戦向き。一例を挙げると、鍔競り合いになったら相手の鍔を支点に刃の向きを変え頸動脈を斬る」と驚嘆していました。
十代にしてかなりの遣い手だったという三橋先生の御祖父様。「ただの田舎と思ってもらっては困る」という多摩の気風が、三橋先生のお心のどこかにあったりするかしら、いやいやそんな狭いお心でいらっしゃるはずないか、などと思いは巡ります。 見原万智子(樸会員・編集委員)

天心への旅
――恩田侑布子「天心」を読む――
田村千春
旅に出ると時間の流れ方が違う。一分一秒が濃い。美しい景色をいそがしく胸に刻み込みながら、これまでの軌跡を振り返ったりもする。もしかしたら自分と向き合うために、人は初めての地を訪れようとするのかもしれない。
俳句が詠めるまでの試行錯誤は、そうした旅と似ている。樸の会に入って、この喜びと出会った。兼題がホワイトボードに書き出されると、心ときめく。これは次の句会のテーマを指し、たいてい季語が選ばれる。新たな旅のパートナーと呼べるだろう。その日を迎え、兼題にまつわる各々の体験が披露される。選句をし、解釈を述べる。俳句を「読む」とは、「あなたはどんな旅をしてきたのですか」とたずねる行為にほかならない。
今回、とっておきの旅を紹介したい。樸の会の指導者である恩田侑布子の「天心」――角川「俳句」2021年四月号に掲載され、樸の会では四月の句会において取り上げられた。その二十一句から、まずは「山茶花」と「寒牡丹」の冬の二句を。
植物の句は難しい。取り合わせで作れば、ともすれば季語が動く。一物仕立てでは季語の説明に陥りがちに。それに対し、おそらく誰にも真似できない方法で挑んでいる。対象に入り込み、自分と同化させるという――鮮やかな仕上がりに、思わず息をのむ。 山茶花や天の真名井へ散りやまず
「真名井」は古事記にも記載のある聖なる井戸のことで、「天の真名井」とは最高位の呼称。神々の水を賜った湧水として、高千穂や米子市高井谷のものが有名だ。遠州森町にもあるらしい。なぜか私には月光にきらめく流れが浮かび、実景か幻想かはどちらともつかない。山茶花の樹間より瀬音がこぼれている。おもむろに水面に歩み寄る作者。我が身を投影させるうち、意識はいつしか水の循環へ。すべての雫がまばゆい光となる。神の恩寵に感謝し、「山茶花」は豊かに湧き出る水のように、惜しみなく花びらを散らす。 身のうちに炎(ほむら)立つこゑ寒牡丹 冬の牡丹には二種類ある。春咲き品種を温室などを利用して「春が来た」と勘違いさせ咲かせているものと、春だけでなく初冬にも咲く「二季咲き」という性質を持ち合わせているもの。後者が「寒牡丹」で、冬とわかっていながら健気に花をつける。作者の身のうちの炎、葉を捨ててまで寒牡丹がからくも灯す炎、この二つを繋ぐのが「こゑ」。炎を詠み上げるのに色、揺らめき、温度、匂いを題材にするのはしばしば見かけるが、聴覚に訴えるとは――作者が炎そのものとなっている証といえよう。寒牡丹の背後に雪が見える。吹き荒ぶ雪風へ、作者の眼差しも凛として向けられ、少しもたじろがない。
「山茶花」の句が一句目、そして「寒牡丹」の句で、冬は終りを告げる。では、つづいて春の旅へ。例えば、次の一句はいかが。 花の雲あの世の人ともやひつゝ 「舫う」(舫ふ)とは「もやい」で船を他の船や杭とつなぐこと。「もやい」とはそのための綱である。強固につなぎ留められているようでいて、波に弄ばれ心許ない。まして此岸と彼岸、それぞれに浮かぶ魂を、茫漠たる境界をゆく道連れにさせようというのだ。切ない、しかし何とも美しい旅路への誘い。誰もがつい引かれてしまうのではないだろうか。今、作者はその境界――「花の雲」に身を任せたままでいたいと、ぼんやり願っている。永遠に慕い続ける相手と共有する、羊水の如くほのあたたかい空間。 天心のふかさなりけり松の芯 晩春の松の芽は蠟燭のような姿で、「松の芯」として俳人たちに愛されてきた。「若緑」という季語も、松の新芽や若葉を色で表現したものである。まさに生命の色。松の芯を志に見立てる句など、清新な気配に充ちた例句がならぶ。しかし、するりとそこに入り込み空を仰いだ作品というと類をみない。小さな若芽は天心の深さに打たれつつ、よろこびに震えている。
思えば壮大な旅は、真名井の聖なる水より始まった。その一滴から木の道管を経て花弁へ、雪へ、炎へ――自在に姿を変えてきた作者が、ついに天に至った瞬間。ここでは六句のみの紹介にとどめるが、「天心」は全句が前に述べた独自の方法に則る、記念碑的作品だ。舞台は限りなく広く、この世ならぬ場所にも及ぶ。桜の繚乱に彼岸の人との交信を果たした作者は、命のもつ哀しみや美しさと常に向き合う道を選んだのだろう。特筆すべきは、考え抜かれた並びであること。それによって生命の根源が水にあると、あらためて気づかせる仕掛けである。最後に置かれたのは、次の一句。 山藤の帰途なき空を揺らしては どうやらこの旅は終わらないらしい。道なき道をたよりなく進む。「山藤」は庭の藤よりも香りが強く、他の木々に巻き付き、びっしりと花房を垂らし、隙間に見え隠れする空までも昏ませる。猛々しいほどの美しい紫に囲まれているが、これもまた水から生まれたものである。もしここで果ててしまうとしても、出発点に帰るだけ。幽玄の美に抱かれながら、輪廻に取り込まれる幸せを甘受すべきかもしれない。恩田侑布子という無二の師により導かれる俳句の旅も、どうか永遠であれ。
いつもの句会に向かうとき、駿府城のお堀に沿った道を歩くのが好きだ。いかにも静岡らしい道、ことに富士山が見えれば、古の人々とも気持ちが通い合う気がする。何にもまさる日本人の心の拠り所であろう。そこで「天心」の唯一の新年の季語を扱った句を掲げ、拙稿の締めとしようと思う。「初富士」がはらう雪は、作者自身が身にまとっていた雪でもある。 初富士や大空に雪はらひつゝ
(たむらちはる 樸会員・樸編集委員) ※ 恩田侑布子「天心」21句はこちらからどうぞ
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。