樸(あらき)俳句会 のすべての投稿

静岡を拠点とする、樸(あらき)俳句会です!

あらき歳時記 淑気

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  2021年1月10日 樸句会特選句    ししむらを水の貫く淑気かな                   古田秀  人間の体は七〇パーセント前後が水からできているといいます。作者は元日、ふだんは叶わない朝風呂にゆっくりと入ったのでしょう。そのとき、白いひかりの淑気のなかで自身を「若水のかたまりだ」と思ったのではありませんか。中七の措辞「水の貫く」が秀抜です。体内をはしる水は、山河をはしる水流とかさなって句柄を大きくしています。新年で「貫く」といえば虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」が浮かびますが、この句には三十歳の有無を言わせぬ若さがあります。水から生まれたはち切れる命のいきおい。その切れ味のするどさは古田秀という俳人の呱々の声です。                 (選 ・鑑賞   恩田侑布子)     

「無音の滝」-芹沢銈介美術館を訪ねて-

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          「無音の滝」       ―芹沢銈介美術館を訪ねて―                            田村千春  人は美に憧れ、芸術に触れたいと欲する動物です。時には感動を大勢で分かち合い、明日への活力に変えてきました。まさか新型コロナの蔓延を防ぐため、そうした欲求にまで制限がかかる事態となるとは、誰が予想したでしょう。それ以前に俳句という、限られた条件の下、美を見出す極意そのものに出会えていて、つくづく幸運だったと思います。  今、私の手に静岡市立芹沢銈介美術館からのリーフレットが。「日本のかたち」と銘打ち、芹沢の収集した膨大な工芸品の中から日本の絵馬、玩具、やきもの、漆器、木工、家具、染織品等250点を特集し、2021年3月21日まで展示するとの知らせです。こちらを睨んでいるのは「かまど面」の写真――目は真ん丸、胡坐をかいた鼻、きっと結んだ口、異様なインパクト。かまど面とは何? 調べたところ、家を守る神様を土や木でかたどり、竈近くの柱に祀るという風習が東北地方でみられたようです。初めて見たのに懐かしく感じるのは、頑固親父を連想するからかもしれません。  芹沢銈介といえば、紅型の技術をきわめた、親しみやすくも先進的な作風で知られる染色家。世界の工芸品の収集家としても有名です。素朴な土色のお面を好んだとは意外な気がし、興味をそそられました。これは行ってみなければ。なにしろ月に一度は「一人吟行」に出掛けている私です。  いよいよ2020年12月、車で出発。まず登呂公園にあるという立地の良さ。博物館には弥生時代の住居も復元されていて、機織りなど当時の暮らしぶりもしのべます。そこから脈々と受け継がれる名工の系譜に思いを馳せながら、美術館へ。  特筆すべきは白井晟一の設計した建物――「石水館」の名にふさわしく、自然を生かし精神性を重視した造りは、威容を誇るビルディングとは対極にあります。驚いたことに外からは全容が知れないのです。この不思議をぜひとも体験し、館内をめぐる際には指定された品の県名を書き込むクイズにも挑戦してみてください。出来上がった用紙と引き換えに、芹沢による型染の富士山の葉書をいただけます。  着物や漆絵の色彩の妙、木箱や酒樽の洗練ぶり、かまど面の凄まじいまでの表情。これらに囲まれ、潤いある生活を送ってきたのだと気づかされます。芹沢の物を見る目は温かく、誰よりも確かでした。  この慧眼が彼の美の礎となったのでしょう。芹沢自身の作品も60点、どれも明快にして親しみ深いものばかり。紅型のスタッカートが効いており、時代を超え、世界中の人々を元気にするに違いありません。例えば、屏風の考え抜かれたレタリング――「春夏秋冬」――なんと愛らしいこと、あたかもバレエを観るよう。それぞれ羽をすぼませたり、アラセゴンに広げてみせたり。  自然と一体化して産み出された作品には、明るさの中に何とも言えない静けさがあります。例えば1962年作の「御滝図のれん」。生きている滝に胸を打たれ、能狂言に通じる抑制された美にしばし見惚れました。1948年には既にアイディアがあったらしく、制作に取り掛かるのに長い年月を要し、さらに芹沢邸の訪問客で、図案がどんどん変わっていく様を目撃した方もいたのだとか。時間をとことんかけ、人の反応も参考にしながら完璧を求めるとは、謙虚な姿勢に頭が下がります。伝えられる「自分というものなどは、品物のかげにかくれてしまうような仕事をしたい」との言葉にも考えさせられました。これは無我の境地に至った作家だからこそ口にできるのではないでしょうか。幾多の線より正解を選び取れる芹沢でなければ、一条の滝に命を吹き込むという偉業は成し遂げられなかったのですから。  清新なる世界へといざなう暖簾からは、片時も離れたくなくなります。出口に近い特別室と展示室とを、何遍も行ったり来たりしてしまいました。特別室からは硝子越しに坪庭を眺められます。その坪庭は、まさに白井晟一の手による一幅の絵。枝垂梅が一身に日射しを浴び、何だかあたたかそう。身に余る体験をさせていただいた一日を振り返って、一句。      坪庭の枝におもたき冬日かな  住宅街を駐車場へ向かう途中、何軒も芹沢の暖簾を掛けているのを垣間見ました。愛される人間国宝、今も自らの願いを存分に叶えています。日々なにげなく使う品物に愛情を注ぎ、精魂込めてくれた芸術家がいたことに、心から感謝を。コロナ禍で舞台芸術などの開催が難しくなっても、無限の美を手に入れるための鍵ならば、ここに残されていると確信しました。            (たむらちはる 樸俳句会員)   静岡市立芹沢銈介美術館のホームページはこちらです                     ↑                 クリックしてください

12月6日 句会報告

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令和2年12月6日 樸句会報【第99号】 師走一回目の句会。マスクを着けている鬱憤を晴らすかのように、侃侃諤諤の議論が繰り広げられました。 兼題は「木の葉」「紅葉散る」です。 入選2句を紹介します。 ○入選  「おもかげ」は羊羹の銘漱石忌               前島裕子 【恩田侑布子評】   十二月九日が漱石の命日です。漱石は甘党で「草枕」にもみどり色の羊羹が出て来ます。「おもかげ」の銘といえば虎屋の黒砂糖羊羹です。その黒い表面に漱石が小説で造形したさまざまな人物の面影が映ると見たのでしょう。いろんな人間のおもかげを追い求め、自己を投影した書斎のひと漱石にふさわしい忌日の句です。ふと、「俳句」十二月号の拙文「不可能の恋、その成就」の想い人を「おもかげ」とした唱和かしら、とも思いましたが、たんなるうぬぼれであったようです。 【合評】 漱石は甘いものに目がなかったようで、奥さんが隠すんですよ。そのエピソードと「漱石忌」が響きます。 季語の斡旋が効いている。 下手をすると安っぽくなる句だが、漱石の背景をかぶせて読むととてもいい。「おもかげ」がぴったり。 菓子の名前に頼ってしまうのはいかがなものか。 「おもかげ」の名が作者の琴線に触れたのではないか。一連の心の動きを想像すると味わい深い。       ○入選  灯されてひとりの湯船冬紅葉               古田秀 【恩田侑布子評】   「灯されて」に旅館の露天湯を思います。鬱蒼とした裏山が迫るひとけのない温泉。真っ暗な闇に冬紅葉の黒ずんだ紅が白っぽい灯を浴び、孤独感が迫ります。調べも落ち着いた大人の句の作者が三〇になったばかりの古田秀さんの作品とは驚きました。 【合評】 自分の家ではなく、温泉宿の檜風呂でしょうか。屋内にいる作者から外の冬紅葉が見えて心がほぐれていく。 「灯されて」という受動態がいいですね。一人ということが際立ちます。心象と実際に見えているものが一致している。 寂寥感がある。 強羅温泉に行ったときちょうどこのような感じでした。        「枯葉」「紅葉散る」の例句が恩田によって板書されました。   一ひらの枯葉に雪のくぼみをり              高野素十  枯葉のため小鳥のために石の椅子              西東三鬼  こやし積む夕山畠や散る紅葉              一茶   散るのみの紅葉となりぬ嵐山              日野草城     注目の句集として、宮坂静生 第十三句集 『草魂』(20200901角川書店刊)から恩田が抽出した十二句を読みました。 連衆の共感をあつめたのは次の句です。  冬林檎窓へ子どもの張りつきて    あたたかや半人半(はん)蛙(あ)土器の貌    中村(カカ)の(・)を(ム)じさん(ラド)わつさわつさと大根葉    草を擂りつぶし草魂沖縄忌    わが縄文月下にあそぶ貫頭衣       [後記] コロナに明け、コロナに暮れていく2020年。この疫病は俳句という詩の世界にどんな影響を及ぼすのでしょうか。虚子は「俳句はこの戦争(第二次大戦)に何の影響も受けなかった」と言い放ったそうですが、これはアイロニーではないでしょうか。我らみな「時代の子」たることを免れることはできません。「何の影響も受けな」ければ、それはもはや「詩」ではあり得ないと筆者は思います。 本年、WEBでの投句システムを併用しながら樸俳句会が継続できたのは連衆の熱心な取り組みのおかげです。今年の成果をアンソロジーとしてHPに掲載しました。 「2020・樸・珠玉集」はこちらです                     (山本正幸)   今回は、○入選2句、△2句、ゝシルシ9句、・6句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)  

『イワンの馬鹿の恋』(恩田侑布子第一句集)を読む (四) 平出 隆

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       囲われるエロスの秘儀、息づく起源                    平出 隆  恩田侑(ゆ)布(う)子(こ)の句集『イワンの馬鹿(ばか)の恋』(ふらんす堂)を読んでいたら、大きな時の広がりを感じた。それは「恋」という距離の変幻にかかわっている。ひろがり、というのはひとまずは、他者すなわち「漢(おとこ)の遠さ」である。      みつめあふそのまなかひの青嵐      目のまへの漢のとほさ春の雷    恋人と逢(あ)っているときの充溢(じゅういつ)し、また虚(うつ)ろにもなる感覚として、これらは一般的である。そうした感覚が、しかし別の句では、「自分の遠さ」ともなり変わって、襲い返してくる。      人体は隙間ばかりや春の雨      蝮草知らぬわが身の抱き心地      春嵐千里にべつの吾をりぬ     これらの句は、六章に分かれた最初の「恋 一」の章にある。自分を遠くに投げやる意志が、通俗を遠ざけ、大きな時空を生み出す。この作者の美質だろう。最後の章「恋 二」にはさらにひろがりのある句がある。       吊橋の真ん中で逢ふさくらの夜      千年やうなじさみしき春の浪      秋光の白樺として逢ひゐたり    先のと同様の「自分の遠さ」が、ここではより深く、自然や事物の中に溶かされている。けれども、集中もっとも目を引くのは、別の章にある次の一句だろう。       死に真似をさせられてゐる春の夢    「自分の遠さ」が、ここでは構造化されている。「夢」の中の「死に真似」とは、序文で眞鍋呉夫がいうとおり、「夢魔的な入れ子構造」だろう。恋、夢、死は同心円状に詩の光源を定める。エロスの秘儀を囲うようなその入れ子構造の中には、なにかが破られるまでの息づきが満ちるようだ。  私たちの詩歌がどんな大きな「恋」の時間の中にあるか、示す一例かもしれない。      《出典》     「文芸21 詩歌」     初出年月日:二〇〇〇年(平成十二年)八月三日     初出紙:朝日新聞夕刊           『イワンの馬鹿の恋』(2000年6月 ふらんす堂刊 現在絶版です。)    

『イワンの馬鹿の恋』(恩田侑布子第一句集)を読む (三) 向井 敏

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       エロスの幻想を深々とたたえる                    向井 敏  真鍋呉夫といえば、安部公房や島尾敏雄らとともに文学集団「現在の会」に拠った戦後派作家の一人。幻想的で何かしら不気味な、「奇妙な味の小説」の先駆ともいうべき作風の持ち主だったと記憶するが、この人はまた句作にも堪能で、長い句歴を持つ人でもあったとは知らずにいた。平成四年、その句集『雪女』(初版冥草舎、普及版沖積舎)が第三十回「歴程賞」に選ばれるということがなければ、ずっと気づかずにきたかもしれない。  「歴程賞」は元来、現代詩の分野での業績を対象とする賞で、句集に対する授賞はきわめて異例。興をひかれて一読し、その詠法のあざやかさに一驚した。とりわけ、女人の性の蠱惑(こわく)を、なまなましさを失うことなく幻想的に描きだす独得の句才に。たとえば、こんなふうな。      口紅のあるかなきかに雪女         雪女溶けて光の蜜となり         花よりもくれなゐうすき乳暈(ちがさ)かな         花冷(はなびえ)のちがふ乳房に逢ひにゆく         雪 桜 蛍 白桃 汝(な)が乳房     性的幻想を詠んで余人には模しがたい出来だったが、世間は広い、さきごろ、右の諸作にまさるとも劣らぬ句を詠む女人の俳人が登場した。 俳人の名は恩田侑布子、句集の題は『イワンの馬鹿の恋』。三十余年の句歴から佳什(かじゅう)を選んだもので、題材もさまざまなら、句法も「書くたびに鬱の字をひく春時雨」の機智、「雲の峰かつぐイワンの馬鹿の恋」の諧謔、「会釈して腰かける死者夕桜」の幻想と、まことに多彩。  しかし、この人の本領は恋の句であろう。左にその秀逸を三句ばかり。      吊橋の真ん中で逢ふさくらの夜      蝮草知らぬわが身の抱き心地         告げざれば火のまま凍る曼珠沙華    その恋の句を追ううちに、やがてエロスの幻想をふかぶかとたたえた、絶品二句に出逢うことになる。こういうのである。      あしゆびをそよがせ涅槃したまへり      死に真似をさせられてゐる春の夢    前者は一見したところ、釈迦の涅槃像を写したかのごとくだが、そうではあるまい。 すくなくとも、それだけではない。この涅槃は仏語でいう解脱の境地と、俗語でいう性の陶酔境とを兼ねているのだ。深読みすれば、「あしゆびをそよがせ」る歌麿の春画の一景のようにさえ見えてくる。 後者の句の「死に真似」も、性の陶酔のさまを寓した言葉であることはいうまでもない。  この二句と、『雪女』における「乳房」の句とを読みくらべてみると、一口に性的幻想といってもずいぶん様子が違うことに気がつく。恩田侑布子の句では全身全霊でエロスの世界に没入しているのに対して、真鍋呉夫の句の場合はどこか醒めて、あるいはゆとりをもって観照しているといったふうがある。この違いは男と女の性感覚の差と通い合っているのかもしれない。  ことわっておかなくてはならないが、『イワンの馬鹿の恋』のことをいうのに『雪女』を持ち出したのは、ほかでもない、恩田侑布子も『雪女』の作風に心を奪われ、私淑すること七年、昨年ようやくその「心の師」と相会することができたとあとがきにあったせいである。類は友を呼ぶということであろうか。      《出典》     本と出会うー批評と紹介     初出年月日:二〇〇〇年(平成十二年)九月三日(日曜日)     初出紙:毎日新聞            『イワンの馬鹿の恋』(2000年6月 ふらんす堂刊 現在絶版です。)

『イワンの馬鹿の恋』(恩田侑布子第一句集)を読む (二) 勝目 梓

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          隠喩(いんゆ)――――――恩田(おんだ)侑布子(ゆうこ)                    勝目 梓  単なる俳句ファンに過ぎない私のような者にまで、自作句集を贈ってくださる方々がときにいらして、恐縮しています。  恩田侑布子句集『イワンの馬鹿の恋』(平成十二年 ふらんす堂)もそうした中の一冊です。著者の初句集とのことですが、十八歳で飯田龍太選の「毎日俳壇」で特選を重ねた後に、十年近い中断をはさんで句作を再開、という句歴の紹介が巻末にあります。      死にかはり逢ふ白梅の日と翳と         死に真似をさせられてゐる春の夢        会釈して腰かける死者夕桜       亡き人と摺足で逢ふ日の盛      深い思索と豊かな身体的な感性とを入念に練り上げた末の、見事な結実と言うべき作と思います。一つの情景を捉(とら)えて、それを現実世界と夢幻の領域の間(あわい)に漂わせた上で再度見直す、という手法がこの俳人のきわ立った特性であり、また大きな魅力と思えます。  従って恩田侑布子の句は、写実的に見える作にもどこか現実の地平を越えていくことばのひびきが感じ取れるし、夢幻の中の情景と思える作には逆に一種の現実的なリアリティが生じるのだろうと思うのです。  そうした二重の構造を備えた詩心と手法があればこそ、掲句のような、死者があたかも形あるものの如(ごと)くに生者と混在している句想が自在に生れるのではないでしょうか。  そのように考えると私は、〈死に真似を――〉の句に触れて、死者そのものにも春の夢の訪れがあるのかもしれない、などといった不思議な思いに導かれたり、〈死にかはり――〉という聞き馴(な)れないことばが、「生まれかわり」とほとんど同義語のように使われていることに、目から鱗(うろこ)が落ちるような思いを味わったりするのです。      蹴り初めは母のおなかや夕桜      砂いつか巌にかへらむ夕河鹿      寒紅を引きなつかしやわが死顔    生は即ち死であり、死は新たな生であると捉えれば、時間というものにもまた、現在から未来へ進む一方に、過去に向っていく流れのあることが視(み)えてくる道理です。  生れて初めて蹴(け)ったものの記憶を辿(たど)って胎児期まで遡(さかのぼ)り、河原の砂がかつての巌(いわお)の姿を取り戻すまでの厖大(ぼうだい)な時の経過を軽やかな夢想の裡(うち)に捉え、かと思うと鏡に映る紅を引いた自身の顔をデスマスクに見立てて、それを懐かしいと詠(よ)む作者の、時間というものに対する姿勢、思索が、不思議に心地よい自在な感じの場所に私を立たせてくれる気がします。      手をひかれ冥府地つづき花の山      春嵐千里にべつの吾おりぬ      彼岸より此岸がとほし花の闇      身をよせて日焼子死後を問ひにけり     これらの作も、あの世とこの世を自在に行き来しながら、たゆたうような時の流れの中に軽やかに身と心をあそばせているかのような、この作者ならではの佳句です。      擁きあふ肌といふ牢花ひひらぎ      接吻(くちづけ)はわたつみの黙(もだ)夕牡丹      骨壺の隙間おそろし夕桜      翡翠(かはせみ)や水のみ知れる水の創(きず)    この句集には、印象が明るくて、ことばのひびきも軽快な作が数多く収められています。それでいながらそれらの句にはいずれも、人間の生にまつわるさまざまな切ない真実の相が、あるときは官能的な、またあるときは思念的な巧みな隠喩が用いられていて、それが句に奥行きと底の深さを与えています。恩田侑布子は隠喩の俳人と呼びたいほどです。     《出典》   『俳句の森を散歩する』   (株式会社小学館 二〇〇四年一月一日発行)       『イワンの馬鹿の恋』(2000年6月 ふらんす堂刊 現在絶版です。)

2020 樸・珠玉作品集

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二〇二〇年・樸・珠玉作品集    (五十音順)       ゆくえのしれぬ旅の魅惑 恩田侑布子     二〇二〇年はコロナ・パンデミックにより樸の句会も変更を余儀なくされました。他県から参加して下さる方々のために、春から投句はすべてリモートに切り替えました。そこから一室につどって全句稿を手にナマで談論風発の句評を展開する地元組と、オンラインで選評し合い、メールで全句講評をお返しする遠方組と二手に別れることになりました。こうしてコロナ困難を逆手に、遠近全体で一つの場を構成する「リアル・オンライン融合句会」を築けたのは本年の成果でもあります。いま一つの成果は高齢俳人社会のなか、アットホームな樸に、三十代前半の意欲ある若者が三人に増えたことです。  愛知、神奈川、東京、埼玉と遠方の仲間も、地元静岡の仲間も、老いも若きも同じ日に投句し、俳句を選び遠慮なく批評し合う緊張感とよろこびは斉しく一緒。いつもときめきます。世界を襲うウィルスへの不安に加え、それぞれが職場の変動や家族の介護や自身の病気という鬱屈を抱えながらも、俳句という表現のよろこびをあかあかと灯してまいりました。たとえ風雨が強くて火がかき消えそうになっても、俳句の榾は次なる大いなる火を育てようとします。  上手い俳句ではなく、足元から自分の俳句をつくってゆくことが樸の誇りです。連衆一人ひとりの新鮮で多彩な俳句に、私自身どんなに眼を丸くし、感動をもらって来たことでしょう。それぞれの船頭によるゆくえのしれぬ旅ほど面白いものはありません。  樸十八人衆の熱い精選句。これこそが本年最大の成果です。とくとご高覧いただき、「わたしも仲間になろう」、と思ってくださる方がお一人でもあれば幸甚に存じます。      天野智美      多磨全生園      寒林を隔て車道のさんざめき     ひどろしと目細む海や蜜柑山     なまくらな出刃で指切る日永かな                       猪狩みき     木下闇結界のごと香りけり     秋扇やゆづれぬものを持ちつづけ     鰯雲小屋へ荷揚げのヘリコプタ     予想していたよりも早く、そして急に、母と暮らすことになった。好き放題出かけられた生活は一変。遠くまで出かけることは減り、生活範囲がかなり狭くなった。俳句を作るには少し困る事態かな、と思ったりもした。でも、日々の生活の中から俳句の種は見つけることができることを知った。それに、実際の生活の場は狭くても、言葉を使えばどこまでも遠く広い世界を表現できることも知っている。知っているのと実際に作れるとの間はかなり隔たっているけれど。        伊藤重之   マスクの眼改札口を溢れ出る     這ひ廻る人工知能日短か     未遂なる愛の幾つか冬鷗        海野二美   七種や普段に帰す塩加減     海老蔵の睨み寿ぐ四方の春     鳩追ふ児金木犀の香をくぐり     俳句を詠むことも句会も、段々に私の血となり肉となってまいりました。最近秀句を作れずにおりますが、一向にめげておりません。そこがだめな所だとは思いますが、風物に出会う度、感動を言葉に置き換える時間がとても好きです。これからも、凡人の主婦らしく、日々の心情を詠んで行きたいと思っています。        金森三夢   赤べこの揺るる頭(かうべ)や風光る     早苗舟登呂の残照負うてゆく     天の川みなもと辿る野営かな    昨年の霜月、樸の門を叩き早一年。恩田侑布子という優れた師と素晴らしい連衆に囲まれ、月二回の句会を大いに楽しませていただいております。恩田代表の歯に衣着せぬ一刀両断のコメントに打ちのめされ、少しだけ成長できたと実感しております。句会は修行の道場。二年目は措辞を磨くことを目標にして精進致します。何卒お手柔らかに。        島田 淳   早苗投ぐ水面の空の揺るるほど     年上の少女と追へり夏の蝶     土工らの肩冷やしをり天の川     還暦の友人と「これからは創造的な趣味を持とう」という話になった。消費的な享楽は、いずれ「おもしろうてやがてかなしき」気分になる。「俺は客だ」という驕りがでるかも知れない。創造的な趣味、例えば俳句は、自分の内面と来し方を見つめ、表現する技術と独創性が求められる。点盛りで無点でも折れない心が育まれる。それから…「俺は陶芸をやるわ」と彼は言った。私は、今の気持ちを句にできないか折れない心で考えている。          芹沢雄太郎   冬の蟻デュシャンの泉よりこぼれ     短日の切株に腰おろしけり     鉛筆のみるみる尖り日短か  単身赴任生活が始まって八ヶ月が過ぎた。  家族と会えず、自己と向き合わざるを得なくなった今、ありがたいことに俳句が私のそばに寄り添い、いつも励ましてくれている。  この気持ちを大切に育てて、少しずつ周りの人へ届けられるようになりたい、そんな事を考えながら、今日も句を詠んでいる。        田村千春  早苗田は空に宛てたる手紙かな    ラ・クンパルシータ洗ひ髪ごとさらはれて    よこがほは初めての貌青すすき    樸の会は私にとって発見の場で、俳句以外の話題にも毎回興味津々――例えば本には帯というものがあり、これがあってこそ本といえるのだとか。句集ではたいてい自選句が載っている。  恩田先生の処女句集『イワンの馬鹿の恋』はめったに手に入らない。図書館に予約し、漸くまみえることが叶った時、踊り出しそうだった。ところが、なんと帯がないではないか。喜びと悲しみを行き来する感情を持て余し、一句。  秋寒し帯の散りぬる稀覯本        萩倉 誠   鰤大根妻には言はぬ小料理屋     鬼平の笑ひと涙あさり飯     怪獣図鑑ひろげて眠る小春空     =575はパズルだ= 筆記なしのパソコンでの打ち込文書作成に馴れ、 思考力の低さが加わり、言葉の喪失は増すばかり。 言葉探しと思考力低下の防止も兼ね俳句の手習いを・・・ 俳句道の厳しいこと、(陳腐な貴乃花の相撲道なんかペッ) 待てども待てども言霊は降りず、三駄句の連続。 我が存在は“句会にこびりついた、三等米のご飯粒”。 容赦なく恩田師範の“駄句滅の刃”が一閃、二閃、三閃! ああせめてなりたや“二等米のご飯粒”・・・      林 彰   名をもらひあくびをかへす仔猫かな     桃源に辿り着きしや水温む     ペンを置きカルテを閉じる鰯雲        樋口千鶴子   如何に照るアフガンの地や冬の月     ボランティア震える両手暖めて     お隣は実家へ八十八夜かな        古田秀   マネキンの顔に穴なしそぞろ寒     洋梨の傷かぐはしきワンルーム     それきりのをんな輪切りの檸檬かな    三十歳になった記念というわけではないが、三十歳までしか応募できない石田波郷新人賞に応募した。審査員の一人である村上鞆彦さんの秀逸十句選に一句(「君ずっとしゃべってパセリ皿の上」)を採っていただいたので何となくほっとした。新人賞を取った筏井遙さん『うしろから』からの一句に「全焼ののちの涅槃図見にゆきぬ」。涅槃図と言えば恩田侑布子の「擁きあふ我ら涅槃図よりこぼれ」が印象深い。来年は涅槃図を見に行きたいと思う。        前島裕子   千鳥ヶ淵桜かくしとなりにけり     裸子の羽あるやうに逃げまはる     「おもかげ」は羊羹の銘漱石忌  今年の夏、両親の引っ越しで実家をかたづけたおり、本棚に「陰翳礼讚」を発見。学生のころ読んだのか、色褪せて、小さい文字だ。句会で先生が時々おっしゃる一冊、家に持ち帰り読んだ。何か大事なものがある。  樸に入会してもうすぐ二年になろうとしている。 句会は楽しく、いい刺激を与えてくれるが、句作となると迷い悩む日々である。自分らしい句が詠めるようにと思っている。  「陰翳礼讚」を再度読んでみよう。        益田隆久   つぶらじい月夜の古墳護りたり     寒昴ふるさと発し此処に老ゆ     六十路こそ初投句なれ帰り花    「うしろ手に閉めし障子の内と外・中村苑子」「ピーマン切って中を明るくしてあげた・池田澄子」「酢牡蠣吸ふ天(あま)の沼矛(ぬぼこ)のひとしづく・恩田侑布子」。絶対自分では作れそうもない句ばかり好きになる。好きな服や好きな女ほど自分に似合わないのと同じか。昔茶道を習った。連続した所作が漫然と連続しているので無く、所作の切れを意識しつつも切らさない呼吸が俳句と似ているような気もする。        見原万智子   鰤さばく迷ひなき手に漁の傷     老教授式典に来ず山眠る     春の水洗ふや堰の杉丸太  四切れで九十円のパン不味い  コーヒーを二秒で淹れるな  孵らぬ子それ無精卵朝ご飯  友人から時おり句めいたものが送られてくる。拙句を踏まえたものもある。どれも面白くやがて哀しいと思うのは、私が友人の暮らしを熟知しているから。俳句は個を超えた普遍性が求められる。ではどうすれば面白く哀しい普遍性のある句を詠めるのだろうか。  コーヒーの香りの中で「多作多捨でご健吟くださいね」と微笑む恩田先生の姿が揺れている。        村松なつを   熱気球ゆさり野菊へ着地せり     女湯に桶音しきり椿の夜     手枕のこめかみに聞くちちろ虫    新幹線の中でアナウンスが流れる際に短い曲が流れる。同じ音楽でも壮大な交響曲やソナタなどに比べるこの車内チャイムはなんという小作品だろうか。それでいて聴く人の心へ浸み込むように響いてくる。  旅する人にはその無事の祈りに、新生活の若者へはエールに、傷心の青年には慰めに、疲れたビジネスマンには栄養ドリンクに、寝ていた人にはアラームに・・・。  読み手の心の襞に届いて初めて完成する俳句のようだと思う。        山田とも恵   黒南風や日常に前輪が嵌まる     立ち漕ぎの踵炎昼踏み抜きぬ     湯船ごと銀河の底網に揺るる    世阿弥の『風姿花伝』には次のような記述がある。  トキノマニモ、ヲドキ・メドキトテアルベシ。(中略)コレチカラナキイングワナリ。  ヲドキとは何をやってもうまくいく時期、メドキは何をやってもダメな時期。それは因果なのでどうしようもないらしい。私の句作はただいま超メドキである。しかしこの果てで生まれるのを待つ何かの胎動を感じている。その時を迎えるまで樸の面々の胸を借り、腐らず作り続けるしかない。        山本正幸   過激派たりし友より届く蜜柑かな     突堤のひかり憲法記念の日     短日や匂ひ持たざる電子辞書    一年ほど前、「マスクとり団交の矢面にたつ」を投句し、恩田先生に入選で採っていただきました。しかし、現下のコロナ禍にあっては句の意味が一変しました。マスクを外し口角泡を飛ばせば、経営側・組合側双方のリスクとなり、もはや団交どころではなくなってしまうのです。いのちこそ大事。今回の疫病は俳句を含む詩の世界をいかに変貌させるのでしょうか。      

11月1日 句会報告

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令和2年11月1日 樸句会報【第98号】 “ニューノーマル”な暮らしを余儀なくされつつも、徐々に市民の文化活動がもとに戻りつつあります。本日のみ、会場をアイセル21から静岡市民文化会館に変更しての句会でした。冬が近づく澄んだ風通しのいい部屋で、新しいメンバーも加わり一同新鮮な気持ちで句会に臨みました。 兼題は「刈田」「そぞろ寒」です。 入選2句を紹介します。 ○入選  そぞろ寒有休残し職を退く               見原万智子 理屈がなく、実感のある句です。パンデミックの二〇二〇年は、途方も無い失業者を世界中で激増させています。作者もなんらかの理由で退社することになりました。「職を退く」の措辞に志半ばのさびしさがにじみます。どうせ辞めるなら有給休暇を目一杯取ればよかったと思うものの、現実は甘くなく、言い出せる雰囲気ではなかったのです。男性は二割強、女性は六割近くが非正規が、現在のわが国の労働環境の実態です。早期退職に応ずれば数千万もの退職金が出る会社もありますが、とてもとても。その薄ら寒い心象と、冬に向かう気持ちが季語に自然に籠もっています。この句の良さは一身上の事情がすなわち、現代社会の写し絵になっている重層性にあります。 (恩田侑布子) 【合評】 今はむしろ会社から有休を取らされるものではないか。 若干説明的かもしれないが、現代の雇用状況の厳しさと「そぞろ寒」の実感の取り合わせが良い。   ○入選  マネキンの顔に穴なしそぞろ寒                古田秀 人間は穴の空いた管です。『荘子』でいえば七竅(しちきょう)(両目、両耳、両鼻孔、口)が、ものを見聞きし、匂いを嗅ぎ、食べ、喋っているのです。マネキンにはうらやましいほど大きな瞳があり、すっきりと高い鼻があります。ところが、よく見るとどうでしょう。穴がありません。ふさがっています。当たり前のことに改めてゾッとした瞬間です。一句はわたしたちが穴の空いた管であることを振り返らせ、同時に、いつもきれいと思っているものの非人間的なそぞろ寒さを突きつけて来ます。同じ秋季でも、やや寒・冷ややか・肌寒はより体性感覚に、そぞろ寒はより心象にふれる季語です。感覚の鋭い「そぞろ寒」の句です。ただし、最近のマネキンはのっぺらぼうや、頭部がそもそもないものが多いようです。都会詠、人事句の古びやすさはその辺にあるのかもしれません。 (恩田侑布子) 【合評】 些事に追われ何かに違和感をおぼえても深く考えないようにしている、そんな私の毎日に釘を刺されたように思った。 思い浮かぶマネキンの様子によって大分印象の変わる句。   披講・選評に入る前に今回の兼題の例句が板書されました。  刈田昏れ角力放送持ちあるく              秋元不死男  鶏むしる男に見られ刈田ゆく              大野林火  ぴつたりと居る蛾の白しそぞろ寒              角田竹冷   口笛を吹くや唇そぞろ寒              寺田寅彦   [後記] 私自身も樸に入会してまだ半年ほどですが、新しい方が加わって句会が活性化するのはいつでも良いことのように思います。一方で、俳句を始めよう、学んでみようと思った人に対して俳人・結社側の姿勢は十分に応えられていると言えるでしょうか。俳壇の高齢化が言われ続けて久しい昨今ですが、当然ながら若年層を多く取り込んでいく組織ほど“寿命が伸びる”でしょう。科学の世界では、研究者は自身の専門分野に関して、世間への啓蒙活動に研究の10%程度の時間を割くべきだと言われています。SNS・インターネットや出版物での適切な情報発信はこれからも重要な仕事だと思います。私も30歳になったばかりです。2,30代の若者よ、ぜひ樸に来たれ! (古田秀)   今回は、○入選2句、△3句、ゝシルシ7句、・5句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)   11月25日 樸俳句会 兼題「短日」「帰り花」 入選句を紹介します。 ○入選  短日や匂ひ持たざる電子辞書                山本正幸   金属の辞書はモノとして古くはなっても、紙の辞書のような色つや匂いはありません。ましてや長年の手擦れによる角のまるみや紙のヤケなど、味のあるやつれた表情など望むべくもありません。金属の電子辞書のいつまで経っても怜悧な佇まいに、使い古したつもりでいた自分が、逆にほころぶように老いてゆくことに気づき愕然としたのです。「短日や」の季語に自身の老いが重なり、「匂ひ持たざる電子辞書」が再び「短日や」に返ってゆきます。芭蕉の名言、「発句の事は行きて帰るこころの味はひなり」(「三冊子」)を思い出させる優れた俳句です。 (恩田侑布子) 次回の兼題は「木の葉」「紅葉散る」です。