樸(あらき)俳句会 のすべての投稿

静岡を拠点とする、樸(あらき)俳句会です!

あらき歳時記 薫風

腕白が

  2021年5月9日 樸句会特選句     腕白が薫風となる滑り台                          前島裕子     二歳くらいの腕白っ子がおすべりの上からいま一人で滑り降りてきます。ちょっと恥ずかしそうな得意そうな笑顔。つい昨日まではうしろから両脇を抱いてやっと降りてきたのに。初めて自分で上がり、自分ですべって来ます。二回目ときたらもう颯爽と。「おお、やったね」と下から見守り見上げた瞬間、子どもが若葉を揺らして吹き渡る風の精になっていることにハッとしたのです。この子こそ薫風なんだわ。世代交代の歓喜の声です。幼児との神話的一日を活写した俳句。                   (選 ・鑑賞   恩田侑布子)

4月4日 句会報告

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2021年4月4日 樸句会報【第103号】 2021年卯月の句会は、久しぶりのリアル句会でした。本日は「静岡まつり」の最終日。祭りの終わりを告げる花火の音が開け放した窓から入ってきて、最初は春雷かと思いました。 兼題は「あたたか」「柳の芽」「物種蒔く」です。 入選3句、原石賞3句を紹介します。 ○入選  湖出づる川のさざめき柳の芽               猪狩みき 【恩田侑布子評】 湖のひとところから水が流れ出し、川になって流れるところです。たっぷりした湖から狭い川幅に入り込み、流速がまし、水音も高まるようすを「湖出づる川のさざめき」と端的に捉え、そこに柳の芽がしだれて、水につくかつかないかというところ。映像的センスが抜群です。みずほとりに生まれ出る春の清らかな勢いがまさにさざめいて。 あとから聞くと、琵琶湖を訪ねられたとのこと。吟行句がこんなに生き生きとまとめられるのは素晴らしい! 【合評】 湖から川になろうとしている。柳の芽と川のさざめきが響きます。 諏訪湖から天竜川に出るところを見たことがあります。よく見る風景かもしれない。 「湖」では大きすぎませんか? 一読、「きれいだね」で終わってしまいました。     ○入選  あたたかし肩揉む爪の短さよ               海野二美 【恩田侑布子評】 爪を伸ばしてあざやかなマニキュアを塗った指は女性ならではの美しさです。でも、そんな手で肩を揉んでほしいとは思いません。むしろ深爪なくらいの十指が肩揉みやマッサージにはふさわしい。指先のまるさと、指の腹から伝わる力に、あたたかな春光があふれます。座五の「短さよ」に、揉んでくれる人の日頃の家事の甲斐甲斐しさも偲ばれます。「俳句は旦暮の詩」といった岡本眸さんの名言を思い出しました。二段切れですが、もしも「あたたかに」とつなげたらこの句の実直さはこわれてしまいます。まさか、長年のマニキュアが美しく印象的だった二美さんの句とは思いませんでした。ご母堂の介護のために爪を短くされたそうです。心身も部屋の空気もみな暖か。     ○入選  職辞せる妻の小皺のあたたかし               金森三夢 【恩田侑布子評】 今月で、長らく働いてきたお勤めを辞める妻。世の中に出て働くのはなにかと摩擦が多く、心身ともに疲れるもの。お疲れ様。ご苦労さんでしたという、夫からの感謝と労いのやさしさがあふれています。大ジワや深い皺でなくてよかった。「小皺」が愛らしく素晴らしい。愛情がここに通っています。人生の記念になる一句です。 【合評】 「職辞せる妻」に爽やかさを感じました。二人で家計を支えてきた。妻の小皺が頼もしく宝物のように思っている作者がいます。 長年暮らした歳月が感じられる。妻に対するねぎらいの情があらわれています。 「職辞せる」で切れるのではないか?自分が仕事を辞めたと取れる。妻の小皺を羨ましく感じているのでは? 自分のことなら「職辞して」になると思います。     【原】物種撒く終の棲家と決めし日に                益田隆久 【恩田侑布子評】   「物種蒔く」と歳時記の本題にあり、私もそれに倣って出題しましたが、ふつう俳句にするときは、具体的な植物の名前を据えて「あさがほ蒔く」とか、「鶏頭蒔く」とか、「牛蒡蒔く」「花種を蒔く」とかするほうがいいです。また、「撒く」は「水を撒く」のマクです。十七音しかない俳句なので誤字脱字には十分注意しましょう。 【改】あさがほ蒔く終の棲家と決めし日に    なら、「終わりの始まり」が印象的な奥行きのある入選句になります。 【合評】 「種」が持っているのは「終わり」と「始まり」。ここが自分の終わりの家だという感慨がある一方、何かの始まりでもあるということを「種」に託しているのだと思います。     【原】春陰のブロック塀で消す煙草                芹沢雄太郎   【恩田侑布子評】 急速にマイナーな存在になりつつある愛煙家が、人の家を訪問する直前にタバコの火をブロック塀で消すとは、ありそうでなかなか気付かない面白い光景です。「春陰」の季語に、春の薄暗い物陰と心理的な陰翳がかさなって奥行きがあります。惜しいのは「で」です。   【改】春陰のブロック塀に消す煙草  こうすると一字の違いとはいえ、春陰の季語が生きて来ます。句格が上がり入選句になります。 【合評】 この方は紳士で、普段はこういうことはしないのですが、春で自律神経が乱れ、イライラが募ってついやってしまったのでしょう。 ドラマ性が感じられる怪しげな句。ブロック塀の陰で何かアクションをおこすタイミングをはかっているのではないか。 「春陰」「ブロック塀」「煙草」でアンモラルな感じが出ている。     【原】柳の芽くぐりくぐりて車椅子                山本正幸 【恩田侑布子評】 さみどりの柳の芽を空からのやさしいすだれのように思って、車椅子を押す人と乗る人が、ともに頰を輝かせている情景が目に浮かびます。このままでもなかなかの俳句ですが、「芽」と「て」で調べが小休止するのが惜しまれます。   【改】芽柳をくぐりくぐるや車椅子  こうされると一層リズミカルになって、かろやかな春のよろこびがにじみ出ませんか。 【合評】 外に出たかった気持ちがよくあらわれています。一人で乗っているのでしょうか。車椅子は案外安全な乗り物なんです。 いろいろな事を「くぐりくぐりて」ワタシは爺さんになっちゃいました。     句会冒頭、本日の兼題の例句が恩田によって板書されました。 物種蒔く  あさがほを蒔く日神より賜ひし日               久保田万太郎  子に蒔かせたる花種の名を忘れ               安住 敦  死なば入る大地に罌粟を蒔きにけり               野見山朱鳥 暖か  暖かや飴の中から桃太郎               川端茅舎  あたたかな二人の吾子を分け通る               中村草田男  あたたかに灰をふるへる手もとかな               久保田万太郎 柳の芽  退屈なガソリンガール柳の芽               富安風生  柳の芽雨また白きものまじへ               久保田万太郎     合評と講評の後、角川『俳句』4月号に掲載された恩田侑布子特別作品21句「天心」を読みました。 連衆の共感を集めたのは次の句です。下部に連衆の評の一部を掲載しました。    身のうちに炎(ほむら)立つこゑ寒牡丹  虚無僧の網目のなかも花あかり  ふらここの無垢板やせて春の月    やすらげる紙にのる文字春しぐれ    花の雲あの世の人ともやひつゝ 作者の今の心境や生き方を反映している句が多いように感じました。(全体) 私には何のことか分からず情景の浮かばない句もいくつかありましたが、全体的に調べやリズムがよく気持ちよく読めました。(全体) 感覚をはっきり的確に言葉に出している。寒牡丹のあざやかな色をフィルターから外へ取り出す手際のあざやかさ。(寒牡丹の句) 虚無僧すら幻惑されてしまう花なんですね。(虚無僧の句) ふらここに長い歳月を感じます。おおぜいの子どもたちが乗って遊んだのでしょう。静止している一枚の木の板をいま春の月が静かに照らしています。(ふらここの句) 地上にあるものと空の月。季語がふたつですが、逆にそれによって情景がよく見えます。季重なりに必然性があると思いました。(ふらここの句)  [後記] 本日の句会で、投句のひとつに顕われた「マイナス感情」をめぐって、句作のありかたについての議論になり、恩田は「あらゆる感情に付き合っていくのが文学です」と述べました。 たしかに、句を読んでいて今まで味わったことのないような感情に驚くことがあります。いや、本当は未知なのではなく、自分の中で忘れたり隠されたりしていたものが俳句の力によって呼び起こされたのでしょう。たった十七音でそれができるとは!  (山本正幸)   今回は、○入選3句、原石賞3句、△5句、ゝシルシ10句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ●樸俳句会ではリモート会員(若干名)を募集しています。ネット(夏雲システム)を利用して全国どこからでも、投句・選句・選評ができます。投句に対して恩田侑布子が講評・添削をいたします。 リモート会員として入会ご希望の方はこちら   ============================  4月28日 樸俳句会 入選句を紹介します。 ○入選  円陣解く野球少年春疾風               山本正幸    【恩田侑布子評】 五七五の展開の小気味好さ。とくに上五の「円陣解く」と下五の「春疾風」がよく響き合い、一句は大きな時空に開放されます。小学生の男の子たちでしょう。地域の名監督(・・・)が率いる野球団に入って休日の朝から練習に励んでいます。ときどき、よその学区の野球団と他流試合もあります。これはその草野球の開始前。グラウンド中央に全員集合!お揃いのユニフォームで不揃いの背丈が仲良くスクラムを組み、「行くぞ!」の一声で、かけ足でポジションへ散ってゆきます。場外には、下の子を遊ばせながら見守っている父や母や祖母がいます。誰もが青空にヒットの快音を期待しながら、そこは、なかなか。三振やファールが続いたり、たまに川原のやぶ草に飛込む場外ホームランが出たり。以後は春疾風。少年はたちまち青年になり、父になり、疾風怒濤の生涯が待ち構えています。〈竹馬やいろはにほへとちりぢりに〉の万太郎は、ひらがなのやさしさ。正幸さんの作品は、漢字のいさぎよさと言えそうです。

あらき歳時記 新樹

めくるめく

  2021年5月9日 樸句会特選句     めくるめく十七文字新樹光                         前島裕子   俳句を学ぶよろこびがあふれています。前回樸俳句会で紹介した阿波野青畝の名句〈手帖みな十七字詩や囀れり〉の句を換骨奪胎し、自分自身にひきつけて詠んでいます。わずか十七文字にすぎない俳句なのに、探求をはじめると、奥へ奥へと興味が広がり、めくるめく思いがします。俳句も自分もまるで新樹のように感じられます。新樹の枝枝のひかりを仰いだ感動がまっすぐにわが句づくりの日々に重なり、まばゆいばかり。みごとな俳句賛歌です。         (選 ・鑑賞   恩田侑布子)  

リモート会員を募集します

樸俳句会ではリモート会員(若干名)を募集しています。ネット(夏雲システム)を利用して全国どこからでも、投句・選句・選評ができます。 投句に対して恩田侑布子が講評・添削をいたします。 araki.haiku★gmail.com (★を@に変更)へご連絡ください。 その際、お名前、ご住所、電話番号をお知らせいただければ幸いです。詳しいご案内を差し上げます。

3月7日 句会報告

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2021年3月7日 樸句会報【第102号】   2021年弥生の句会は、コロナの影響などにより今回もリモート句会となりました。 兼題は「目刺」「踏青」「春の月」です。 特選1句、入選2句を紹介します。   ◎ 特選  目刺焼くうからやからを遠ざかり              見原万智子  特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記(目刺)をご覧ください。             ↑         クリックしてください       ○入選  可惜夜の添寝をつつむ春の雨               萩倉 誠 【恩田侑布子評】   「添寝」からすぐ赤ん坊の添い寝を思いましたが、そうではないようです。 男女、しかも夫婦ではない恋人同士のようです。それでなければ「可惜夜の」措辞が生きてきません。久々に逢えた愛しい人のとなりで、ただしめやかな春の雨音につつまれてそのひとの眠りを見守っています。春雨とはちがう「春の雨」の微妙な情調が一句全体をひたしています。 【合評】 しっとり感。 詩情あふれる句。最初はなぜ「可惜夜や」としなかったのかと思いましたが、ここに切れを入れると上五の存在感が強くなりすぎ、季語の影が薄くなってしまうのかも知れません。そう考えると、掲句の方がより良い形だと思えました。       ○入選  春の月財布も軽き家路かな               島田 淳 【恩田侑布子評】   省略の効いた句です。さらに、ふつうは失敗しやすい「も」がこの句ではめざましく活きています。「財布も」の「も」に感心しきりです。「財布の」とした場合と比較してみると違いは歴然です。「も」の一字によって作者の足取りも心も軽いことが余白にうかがえます。ほろ酔いの一杯機嫌で家路につく軽やかな満足感。何より素晴らしいのは、おおらかな春の月にみあう恬淡な心境が垣間みえることです。 【合評】 分かりやすい句だが、思わず頬が緩む。長い冬が去り、やっと訪れた春の宵は何となく心が浮き立ち、思わず衝動買いに走る楽しさ。気が付けば散財により軽くなってしまった財布にも溢れる満足感。       学びの庭                      恩田侑布子  リズムは俳句のいのちです。なぜなら俳句は韻文だからです。事務文や日記や小説や評論などの散文は、意味の伝達をなによりも第一に考えます。いっぽう、韻文では、内容と調べは不即不離です。ことに、現代短歌が昭和後期から趨勢として口語散文化へ傾斜してゆき、いまや俳句が日本の韻文の最後の砦ともいうべき状況になりつつあります。わたしたち俳人は韻文としての俳句の固有性と可能性にこれからも果敢に挑戦しつづけて参りましょう。  『去来抄』の名言のひとつに「句においては身上を出づべからず」があります。頭だけの句、想像だけの句、教養にものをいわせた句ほど弱いものはありません。自然、社会、人間という現場のただなかで全人的な俳句を志していきたいものです。       [後記]  個人的な感覚ですが、どこかへ出かけて吟行したとき、その場で句を詠むよりも数日経過してそのときのことを思い出しながらの方が、俳句としての言葉が出てくるような気がします。目の前のものを俳句という型に当てはめてどう詠むかという技術論・形式論ではなく、自分の心に何が引っかかり、本当は何を詠みたいのか、いわば感動の芯のようなものを見つめ返す契機になるからかもしれません。恩田代表の「学びの庭」にもあるように、「自然、社会、人間という現場のただなか」に立ち、本当に詠みたいものは何なのかを問うことから、感動やそれを伝える言葉が生じるのかもしれません。(古田秀) 今回は、◎特選1句、〇入選2句、△8句、ゝシルシ15句、・6句という結果でした (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)     

Yūko ONDA’s Haiku World “Iwan-no-Baka-no-Koi”

Yūko ONDA's Haiku World “Iwan-no-Baka-no-Koi”     To whom it may concern, My name is Machiko Mihara, a member of Araki-Haikukai which chairperson is Ms. Yūko Onda. I have uploaded short videos in order to introduce her first collection “Iwan-no-Baka-no-Koi”. Please take a look the following:          I would be very glad if you kindly give me your suggestion and impression. Especially, I would ...

あらき歳時記 目刺

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    2021年3月7日 樸句会特選句     目刺焼くうからやからを遠ざかり                   見原万智子   うからは親族、やからは族です。作者は、すべての血縁者やともがらから「遠ざかり」、いま、たった一人で目刺を焼いています。脂の乗った目刺のじゅわっと焦げるいい匂い。大海で生きてきたかわいい目刺を皿に載せ、ふと向き合います。そのアッツアツをほおばるとき、腸の苦味はわが腸にまでしみわたります。目刺が作者の孤独と一つになる瞬間です。さりながら句のリズムはさっぱりとして胃にもたれません。春昼の一人の醍醐味がここにあります。                (選 ・鑑賞   恩田侑布子)  

2月24日 句会報告

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2021年2月24日 樸句会報【第101号】 2021年如月の句会は、コロナウイルス第3波を考慮しリモート句会となりました。 兼題は当季雑詠、または「探梅」「寒肥」(前回、急遽休会となったぶん)です。 入選4句を紹介します。     ○入選  探梅や独り上手の万歩計               海野二美 【恩田侑布子評】 ひとり歩きは探梅にこそふさわしい。冬の梅はおもいがけない山かげに真っ白な空間をつくり清香をただよわせています。そのつつしみ深さは独歩のひとの胸にかようもので、複数でおしゃべりしていたら雲散します。この句のよさは、「探梅や」と上五で冬の梅の空間を響かせ、ひとり歩きの人の万歩計に焦点がさだまることです。万歩計にカウントされる歩数を頼りとし、楽しみともして健康を気遣いながらそぞろ歩きする年配者の思いに、冬の梅を探る空気が感じられます。孤独が社会問題の現代にあって、「独り上手」という措辞も気が利いています。          ○入選  風上は南アルプス寒肥す               村松なつを 【恩田侑布子評】 大井川のほとりに山荘をもつ作者は、茶畑や菜園に寒肥をほどこしています。川風もさることながら、吹き下ろす北風はなにより南アルプスの神々の座からやってきます。雪の降らない静岡県中部は冬青空が美しいところです。「南アルプス」の措辞によって、青天の高さはるけさと足元の寒肥との対比が、いちやく勇壮の気を帯びました。 【合評】 大景と手元の作業の対比があざやか。 気持ちのいい句です。吹き来る風は南アルプスから。広い空、遠い山脈を背景にして寒肥作業に精を出す人の姿が見えてきます。 黒い地を耕す小さな人間が白いアルプスを背にした広大な景。       ○入選  探梅や杖に拾ひし棒を振り               村松なつを 【恩田侑布子評】 山坂がちの探梅行です。もっと足元が悪くなると困るから、予備にこの棒でも拾っておこうか。そう思って杖にしたはずの細い木の棒でしたが、気がつけばいつのまにか調子良く振り回して歩いていました。一人の気楽でしずかな梅を探る時間が活写されています。どちらかというと〈風上は南アルプス寒肥す〉の優等生的俳句より、こちらの野趣あふれる無欲な俳句に惹かれます。また、こうしたところにこそ、作者の本来の個性が今後ますますひかり出るのではないかと期待しております。         ○入選  紅梅や晶子の歌碑は海へ向き               山本正幸 【恩田侑布子評】 同じ梅でも白梅とはちがって、紅梅は春浅い空にくっきりと濃厚な輪郭をきざみます。そのあでやかさはまさに近代短歌の女王、与謝野晶子のもの。しかも、大海原にむかう歌碑は晶子という歌人の肺腑の大きさを象徴するようです。「清水へ祗園をよぎる花月夜こよひ逢ふ人みな美くしき」の『乱れ髪』から、晩年の「初めより命と云へる悩ましきものをもたざる霧の消え行く」の『白桜集』まで、旺盛な作歌と評論活動を展開した表現者は終生自己更新をしつづけました。清見寺にある歌碑「龍臥して法の教へを聞くほどに梅花の開く身となりにけり」に触発されたという掲句は、K音の点綴も歯切れよく、高らかな晶子賛歌、紅梅賛歌になっています。 【合評】 輝く才能と、意志を貫く強さの持ち主である与謝野晶子には、狭くて暗い場所は似合わない。今も、広々した美しい世界へ眸を向けている気がします。まだ寒い春先に紅色をほこる梅を思わせるような、凛とした香気を放ちながら。       学びの庭  表現の苦しみとよろこび                     恩田侑布子 今回はリモート句会が続いたせいか、表面的にいいすぎてしまっている句が目立ちました。すべて言ってしまうと大事な詩の余白がうまれません。日常生活はりくつと因果関係からなり立っています。俳句という詩は日常や事実をふまえつつも、そこから自由にはばたいてふたたび着地する文芸です。日常べったりでも、絵空ごとでもない「虚実皮膜(ひにく)」を目指しましょう。 芭蕉の名言、「心の作はよし。詞(ことば)の作は好むべからず」はどんな場合にも肝要です。ことばの上の作意をよしとすれば、器用さでいくらでも七、八〇点の句をならべられるようになるでしょう。となると、将来の俳句宗匠の座はAIが占めることになりかねません。 ソツのないよく出来た句より、破綻をおそれず切実な足元から破行句を!と申し上げて次回を期します。俳句を表現する苦しみこそ、よろこびであり楽しみだと、だんだん思うようになってきます。これは何ものにもおかされないこころの財産になります。         [後記] 今回もリモート句会の後、恩田先生より全句講評と「学びの庭」を送付して頂きました。 連衆の句それぞれに、全人格を持って向き合った先生の講評を読むことは、筆者にとってかけがえのない時間となっています。 講評に散りばめられた箴言を反芻しながら、次回の句会に向けて句作していくことは、独りでは決して設定することの出来ないハードルを、先生や連衆の力を借りて、一つ一つ越えていくような充実感があります。 そして今日もまた、句作をしながら「表現の苦しみとよろこび(恩田)」について思いをめぐらせています。                        (芹沢雄太郎) 今回は、〇入選4句、△5句、ゝシルシ8句、・4句という結果でした (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)