令和2年2月19日 樸句会報【第86号】 如月2回目の句会です。句会場に近い駿府城公園の日差しはすでに春のもの。 兼題は「猫の子」と「椿」です。 入選2句、原石賞1句、△の中から1句を紹介します。 ○入選 泥残る洪水跡のいぬふぐり 松井誠司 茶色のおびただしい泥がまだあちこちに残っています。洪水で決壊した土手の泥。河川が上流から運んできた泥。その無残な堆積に近づくと、おや、もういちめんに犬ふぐりが咲いています。青空のしずくたちが天を見上げているのです。地面から生え出るいのちの鮮烈さが胸を打つ簡明な力のある句です。 (恩田侑布子) 合評では、 「“いぬふぐり”が災害から立ち直ろうという気持ちによく合っています」 「シンプルだけど心に残る句。昨秋洪水があったところに、春になって鮮やかなブルーの犬ふぐりが咲いている」 「“いぬふぐり”にも泥が残っていると、わたしは読んでしまいました」 「“泥残る”と“洪水跡”がくどいような気が…」 などの感想、意見がありました。 ○入選 女湯に桶音しきり椿の夜 村松なつを 「椿の夜」がなんとも匂いやか。壁を隔てた女湯から桶をつかう音が聞こえてきます。男はすでに湯から上がって所在なくくつろいでいます。桶の音だけが聞こえてくる山の湯の静けさ。もうもうと立ち込めているに違いない湯けむりのなかの女体。外には真紅の椿が垂れ込め、春の闇を一層深くしています。エロティシズムの匂う句です。 (恩田侑布子) 合評では、 「聴覚に訴える妖しい感じがいい。女湯の湯煙と“椿の夜”がリンクしている」 「あやしげな“隠れ宿”の感じ。女湯を出るとそこには男が待っていて」 「私の行っているトレーニングジムは温泉付きです。女にはそれぞれルーチンがあって、すごく賑やか。その様子を思い浮かべました」 「“しきり”でなければ特選になったかも」と恩田。 「しきりに耳を聳てているのでは?」 など連衆の妄想?も広がりました。 五感から詠んだ句はアタマではなく直に体に訴える力があります。 (山本正幸) 【原】ぽつくりの行き惑へるや落椿 田村千春 原句は「ぽつくり」の足元にだけ焦点をあてたところが素晴らしいです。ただ、「行き惑へるや」の切れ字は、いささか勇ましすぎるでしょう。幼女ではなく高下駄の年増女を連想してしまいます。「や」を、動作が反復される状態を表す「ては」に置き換えましょう。さらに中七まですべてひらがなにしてやわらかみを表しましょう。 【改】ぽつくりのゆきまどひては落椿 いかがでしょう。かわいい赤いぽっくりの童女が、地に散り敷いた椿の花の迷宮に戸惑い、着物のたもとまで揺れているようすが浮かびませんか。 (恩田侑布子) 合評では 「女の子のぽっくりですね。散歩の途中、椿の花が落ちていてそれを踏みそうになっている姿が浮かんできます」 「赤い鼻緒のぽっくりでしょう。落椿が沢山あって足の踏み場に困っている。椿の赤と鼻緒の赤の対比がいいです」 「 “ぽつくり”だけで女の子が表現されている。散文的な説明はいりませんね」 などの感想や意見がありました。 △ 名をもらひあくびをかへす仔猫かな 林 彰 本日の高点句のひとつ。 「俳味がありますね。名前を付けてもらったら欠伸を返したなんてたいした子猫です」 「子猫の愛らしさが出ている」 「人間の眼から猫を描写する句が多い中で、この句は猫の視点から詠んでいます」 「子は何でも可愛い。しぐさがいっそう可愛い。いい句です」 などの共感の声がありました 恩田は、「発想が素晴らしい。詩的発見のある句です。これは名古屋からの欠席投句で投句用紙は「あくびを」ですが、あとから見ると控え用紙には“あくびでかへす”と記されています。作者の表記ミスですね。 名をもらひあくびでかへす仔猫かな なら口語の飾り気のなさが春日ののんびりしたくつろぎそのもの。猫の目線になった文人の余裕まで感じられ、特選◎でした。惜しい!わたしは「名を」「あくびを」という「を」重なりの瑕(きず)のために△にしたのです。一字の助詞の違いは句を決します」と評しました。 この句は筆者が「を」の緩みに気づかず、特選で頂いた句です。心のなごむ一瞬の情景が切り取られていると思いました。 (山本正幸) 合評の前に本日の兼題の例句が恩田により板書されました。 椿童子椿童女ら隠れんぼ 阿波野青畝 椿落ちてきのふの雨をこぼしけり 蕪村 口ぢうを金粉にして落椿 長谷川 櫂 わが影をいくつはみ出し落椿 恩田侑布子 黒猫の子のぞろぞろと月夜かな 飯田龍太 西もひがしもわからぬ猫の子なりけり 久保田万太郎 投句の合評・講評のあと、恩田が『俳句』2月号から連載を始めた「偏愛俳人館」の「第一回飯田蛇笏」に抄出された蛇笏の句を読みました。句会の時間が押したため、鑑賞を述べ合うことはできませんでした。 連衆の共感を集めたのは次の句です 雪山を匐ひまはりゐる谺かな 『霊芝』 年暮るる野に忘られしもの満てり 『家郷の霧』 春めきてものの果てなる空の色 『家郷の霧』 炎天を槍のごとくに涼気すぐ 『家郷の霧』 [後記] 本日の句会で恩田が力説したのは季語へのリスペクトです。有季定型で詠む以上、句における季語は「添えもの」であってはならない。詠むときの感動の初発から離れてしまうとどうしても季語に「付け足し感」が出てしまう。推敲を重ねることの大切さを改めて学んだ句会でした。 次回兼題は、「春の水(水温む)」と「石鹼玉」です。 (山本正幸) 今回は、○入選2句、原石賞1句、△7句、ゝシルシ12句、・3句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
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かれいどすこっぷ
白い便箋ふちは螢にまかせやる 恩田侑布子 かれいどすこっぷ 見原万智子 樸俳句会への入会当初こそ、hitch hikeのように軽やかに駿府の細道を行こうなどと、今思えば大それたことをのほほんと考えていたが、知るほどに作るほどに、心の枯れ井戸をスコップで掘れども掘れども「筆遅俳苦」な毎日。そこへ師の作品の鑑賞とは、無謀にもほどがある。しかしながら、昨年夏に発表され、冬を越そうという今になっても頭を離れない句について、書いてみた。 白い便箋ふちは螢にまかせやる 恩田侑布子 (『現代俳句』2019年6月号) 便箋を選ぶ際、紙質や罫線の幅と同じくらい重要なのがふちの装飾だろう。罫線が直線で囲まれていたら、あぁこの人は洋服もトラディショナルなデザインが好きだったわ。花があしらってあれば、彼女は相変わらずガーデニングに精を出しているに違いない。行間のそのまた外側で、意外と雄弁に差出人の人となりを語っているのが、ふち。 ところが掲句ではそのふちを螢にまかせやる、とある。螢に、まかせ、やる。 螢は比較的捕獲しやすい昆虫だ。何匹かそおっと素手で捕まえて虫かごに入れ、この世のものとも思われぬ淡い光を楽しんだ記憶がある。しかし次の日、虫かごの中の螢はもう、光るどころか全く動かなかった。 そのように儚い生き物である螢に、本来は本文を補う装飾、動くはずのない便箋のふちをまかせる、いや、まかせやる。やる、が気になる。パッと見は、えぇい、このどうしようもない恋心、どうせ結ばれない定め、という気だるい投げやりな気持ちのようでありながら… え、これが恋文とは限らないですって?恋文です。 このご時世、「初めてメールを差し上げます」と電子メールからビジネスをスタートさせても何ら失礼には当たらない。友人ならば、LINE、電子メール、あるいは電話で事足りる。 今や手紙は、相手が確実に開封するまで他の誰にも見られたくない場合に限り使用される通信手段といえよう。ましてや生き物の螢にふちをまかせてしまう手紙なんて、恋文以外にあり得ない。 もう一つ、どのような恋心が綴られているのかが、気になる。だがこの句を何度暗誦しても、開け放たれた障子、白い指先でつまみ上げた何も書かれていない便箋を透かして光る螢を眺める女、それしか思い浮かばない。 こんな妄想に抗うすべなく引き込んでゆく掲句は、超絶としか言いようがない。しかし文字は見えて来ない。 まかせやる。恋心の行方を螢にまかせやり、手紙が男の元へ届くことがあったとして、首尾よくいくつかの関門をくぐり抜け開封されたとして、果たして文字は必要であろうか。 この便箋は和紙でなければならぬ。光が透けるほど薄いのは土佐の和紙。きちんと折りたたんである。が、差出人は達筆で知られるのに、どうやら何も書かれていないのはどうしたことだ。訝しく思いながら折り目を開いた途端に、昆虫としての螢ではなく、薄黄色い螢の光だけが、便箋のふちにぽおっと浮かんでは剥がれ、後から後からゆらゆらと夏の夜のしじまを漂う。 これほど攻撃的なまでに情熱的な恋文を、私は他に知らない。 男は、早く朝になってこの光が消えるとよいのに、と思うだろうか。 それとも淡い光を捕まえようとするだろうか。一つ残らず。 待ってください。あの恩田侑布子さんが、君が考えるような狂恋の句を詠むでしょうか? あなた、さっきから何ですか。あらやだ。よく見れば私の妄想の中の男。どうしてここに。 僕は恋の相手ではありませんよ。そんなことより僕が君に言いたいのは、恩田さんの句には品があるということです。あれでは蛍が多過ぎる。螢の数はそう、一、二匹。 やはり、あなただわ。 男はそれ以上、否定も肯定もしなかった。 2020年2月 みはらまちこ(樸会員)
藤田まゆみさん追悼特集
藤田まゆみさん追悼特集 二〇二〇年 旧七草の日に 樸の原初会員、藤田まゆみさんは二〇一九年二月一六日、満六十五歳十ヶ月で胆管がんのため逝去されました。一周忌にあたりささやかながら遺句集を編み、樸有志一同心から追悼の句文を捧げます。 最後の入院の十日前まで気丈にも句会に出られて座をはずませてくださり、ふつつかな指導者の恩田侑布子を温かく激励してくださったまゆみさん、本当にありがとうございます。あなたに会えたこと、過ごせた十五年間に心から感謝いたします。これからも胸の中のあなたと会話しながら、あなたが俳句を終生愛したように、わたしたちも俳句とともに生きていきます。天国から見守っていてください。 樸代表 恩田侑布子 藤田まゆみ遺句集『ひつじ雲』四十五句 二〇〇四年四月入会 恩田侑布子選 藤田まゆみさんは「具はお花々昆布梅干し木瓜の花」の愉快な句であざやかに登場されました。黒いカシミヤのセーターが似合う、うりざね顔に中高、大きな瞳の典型的美人でした。前の席に座って話にうなずいてくれる笑顔がいまも美しく甦ります。聞けば藤田米店の奥さんで掛川から通って来てくれるということ。翌年には「ああこれが坂東太郎風光る」をはじめ、伸びやかな俳句で「樸」になくてはならないひとになりました。でも、楽しかった日々は束の間。最愛の伴侶が五〇代で末期がんの宣告をうけます。看病から看取りへ。ふるさと静岡に一人住まいになってからの夫恋の句も胸をうちます。そして今度は気づかぬうちに自身が病魔に侵されていました。末期がんであることをこっそり私にだけ教えてくれた時も、こちらが絶句するほど平静でした。句会では、抗がん剤治療中など露ほども仲間に気取られることなく、お茶目ですっとんきょうな応答で爆笑を振りまいてくれました。 こうして代表句をまとめてみると、生来の天衣無縫さと感覚の良さが相まって、生き生きしたインパクトのある俳句ばかりです。そこに彼女がいるようです。 ひとりでも多くの方にまゆみさんの俳句をお読みいただければ幸いです。 恩田侑布子 『ひつじ雲』 藤田まゆみ 具はお花々昆布梅干し木瓜の花 (二〇〇四年) ああこれが坂東太郎風光る (二〇〇五年) 夜濯やをとこのことば消えもせず 緑陰や見上げしあごのそりのあと いさかひは生命ある事曼珠沙華 病院の隅に陣取り秋行くや 両足をひとにからめて秋暮るる 青色発光ダイオード聖夜来る (二〇〇六年) 寒茜カーラジオのみしやべりけり 諸共と思ふ時あり日の盛り 病院の長き廊下や遠花火 廃業の届けを出して炬燵かな (二〇〇七年) 旧家とは墓守る事椿落つ 逝くひとや病棟の果て凌宵花 雲の峰登山者のごと君や逝く 泡立草由緒正しき無人寺 冬山家裏も表も風の音 (二〇〇八年) 元日の住所寝床と決めにけり 春暮れるおぬしと呼びし夫の亡き 玉の汗拭ひて吾の眼前に 満月や風水火力原子力 (二〇一〇年) 立冬の広き背中に会ひにゆく 夏草や又会ふといふ刻はなし 御守は開けてはならず蝉時雨 (二〇一一年) 昼の虫ジャムバタサンドほヽばりて 祖先より甲高番広春野行く 寒月や夫の背中に追ひつけず (二〇一二年) 深々とヒール吸はるる春の雨 春泥の開かずのお蔵開けず来ぬ クレーン車ランプの赤き無月かな 梅花講鈴振る腕の薄暑かな (二〇一三年) 迎火やあの世に多き家族かな 蜜柑食ふ目の前の席永遠にから 空青く末吉結ぶ初詣 (二〇一四年) 手にぎりしむ湿り気ひたと児のすみれ 夏河原父のズボンの小石落ち 梅雨曇バスケシューズの軋む音 (二〇一五年) ちやんちやんこあだ名で呼ばるしあはせや 二階家の軋む廊下や君子蘭 御便所に起きる子供に夜長かな しあはせか問ふてみたしや月の秋 通されし仏間の脇のからすうり 落葉踏む堤の端にひとりかな (二〇一七年) ひつじ雲治療はこれで終わります。(二〇一八年) (この句の恩田の鑑賞文は こちら) もう少し太れといはれ焼き芋よ 追悼小文 「ふだらく渡海」 恩田侑布子 数回お見舞いさせてもらった年末の病院で、貴女はもう水だけしか口にできなくなっていました。なのにいつものようにわたしを笑わせようと、 「ねえ、見てえ、わたし妊婦さんになっちゃったわ。ほら」 止めるまもなく、仰臥したまま布団とねまきをめくって、腹水でぱんぱんになったお腹へわたしの手をみちびきました。透き通る青白い肌に、出べそになるほど膨れ上がったお腹が現れました。へんな喩えですが、それは梅のつるつるした琅玕のすわえのように清らかでふたり笑ったのです。「遅れてきた妊婦さん」って。まゆみさんは子どもが欲しくて九州や関東まで一〇年も不妊治療に通った話をしてくれました。産み月のようなお腹にかわいい赤ちゃんがいて「お母さん、お待たせー」って出てきてくれればいいのに、わたしたちは本当にその時思ったのです。 年が明けて病室にゆくと、もう冗談をいう体力は残っていませんでした。石原あゆみさんが手作りしてくださったエメラルドグリーンの『藤田まゆみ句集』が枕もとにありました。「夜は長いわ」と、大きなきれいな瞳でいいました。 「いま、なにかんがえてる」 と訊くと、 「なんにもかんがえないわねえ」 しずかな答え。 「夫の十一周忌もすませたし」 ご主人のがんの闘病の一部始終を見てきたまゆみさんは覚悟が出来ていたのでしょう。何が起こってもうろたえませんでした。腕を枕にしようともたげた二の腕が、鶴の趾のように痩せ細っていても隠しませんでした。二人で淡々となごやかなひとときを過ごしたのです。そのむかし、補陀落浄土への往生を願った上人が食絶ちをして、紀州の南端から蒼海へひとり舟で旅立ったことがありました。 こまかい春雨の降るお通夜でした。最後までがんばったのね。おもわず棺の彼女に声をかけていました。家族のないたったひとりの彼女は白い病床から鶴のように虚空へ翔びたったのでした。 床上の渡海上人梅真白 侑布子 紅椿なきがらかくも冷えゐたる 〃 樸 連衆追悼句集 十五年朧となりぬ棺の紅 佐藤宣雄 料峭に細き眉上げ消えにしか 西垣 譲 白梅や夫のむすびの具はおかか 伊藤重之 春の雷淡き句を詠む友は逝き 林 彰 待ち合わせ場所にベレーや春時雨 森田 薫 いつまでも褪せぬ向日葵胸に挿し 芹沢雄太郎 日傘ゆく常世の果ての待ちあはせ 山田とも恵 陽の君たまゆら愁眉冬の夕 久保田利昭 「赤毛のアン」の舞台プリンスエドワード島行きを夢みていた人に アンのこともつと聞きたし冬の星 天野智美 読み止しの句集に挟む冬菫 村松なつを 隣る世へひらりベージュの冬帽子 山本正幸 中学生のデートみたいに公園で待ち合わせ。彼女は私を引っ張ってベンチに座り目を瞑る、私も慌てて同じように。隣りの彼女がいるだけでなぜか違った空気を吸っているようだった。その日は大道芸を観に来ていたのだ。運よく目の前で大道芸が始まり、彼女の笑顔はとびきりだった。徐々に混みだし彼女は少し前に進んだみたいだ、見失ってはいけないと彼女を追って私も。私は芸人よりも彼女ばかり見ていた、不思議な魅力。子供のように可愛くて心配で目が離せない。すれ違うピエロに笑顔で両手を振り、あまりにピュアな彼女に恋でもしそうだった。 冬夕焼道化師の背睡り落つ 石原あゆみ 冴ゆる夜カラリンロンと響ききて 猪狩みき 白息の集ひて行くはひつじ雲 見原万智子 焼き芋を羊も喰むや雲の夢 島田 淳 亡き人は何してをらむ年暮るる 佐藤宣雄 「ああこれが坂東太郎風光る 藤田まゆみ」 まゆみさんが御主人とドライブに出掛けて利根川のほとりで詠まれた句と記憶しています。なぜか、お幸せなお二人が浮びました。お二人で楽しく笑ってくださいネ。 原木裕子 鑑賞 「藤田まゆみさんの辞世」 島田 淳 ひつじ雲治療はこれで終わります。 まゆみ 半年ほど前、友人の外科医にこの句と恩田先生の鑑賞文を読んでもらった。 彼は、がんの患者さんを治療することがよくある。 句と鑑賞文をじっくりと読み、自分に何か言い聞かせるように頷き、彼はゆっくりと口を開いた。 「僕は俳句は全くわからないけれども、この句の言わんとすることはとてもよくわかる。」 「患者さんの残りの人生を苦しい治療で終えてしまっていいのかと考えると、医者が『どこかのタイミングでこう言った方がいいのだろうか』と迷う場面は間違いなくある。」 「ただ、それを患者さんが受け容れられるかどうか、絶望することなく残りの人生と向き合っていけるかどうかは、時間をかけて信頼関係を築いていくしかないと思う。」 そして、まるで患者と医師が晴れた丘の上でひつじ雲を見ながら会話しているようだと彼が感想を述べた。 少し考えて、私は次のように応じた。 「これだけ簡潔な表現で、静かにそのことを受け容れられたというのは、患者さん自身に自分の『いま』を見つめる力が備わっているからかも知れない。うまく言えないが、『諦める』ことと『受け容れる』ことはたぶん違う。その違いをうまく説明することは今はできないが、恩田さんが鑑賞文で述べていることは、そういう事のように思える。」 我々は、そこまで話すと再び黙って酒を飲んだ。 落葉踏む堤の端にひとりかな まゆみさんが頭書の句の十ヶ月ほど前に詠んだ句である。「落葉」は、自分及び人生で関わりのあった人々の記憶の総体なのだろうか。それらをゆっくりと踏みしめて人生を歩み、今ひとりで突堤の先に立っている。過去も、未来も、総てのものを見渡す事ができる場所。さびしさと同時に、ひとりそこに立つ決然たる気持ちも汲み取れる。今となっては想像するしかないが、この時すでに病魔と向き合っていたのかも知れない。そう思うと、その心根の勁さに静かに感服するほかはない。 もう少し太れといはれ焼き芋よ 「ひつじ雲」の句の約一ヵ月後にまゆみさんが詠んだ句である。抵抗力をつけるために栄養を摂って少し太りましょう、とでも言われたのだろうか。「太るイコール焼き芋」という昭和のティーンエイジャーのような連想をしてしまい、しかもそんな自分を笑ってしまっているような下五である。この句を詠んだちょうど三か月後の同じ日に、まゆみさんは旅立たれた。 私は、この文章を書いていてようやくこの句の持つ意味に気づいた。闘病する人は必ずしも「可哀相な人」なのではない。病床にあるときにも、笑いやおかしみは存在する。まゆみさんの句を読んで、私はそう思った。ただ、そのように『生』を全うするためには必要となる『力』がある。人生の後半というものは、そのような『力』を身につけ養っていく時間なのかも知れない。私はまゆみさんの句から、そうした事を教えられたような気がする。 追悼詩と俳句 「今 この別れ」 松井誠司 棺に眠る 紅の女 戸外の雨に 今はもう 応える言葉 口を出ず 片手に日々の 常識を もう片方に 不思議さを ひとつの体に 持ち合わせ 時によりての 句を紡ぐ ある日は 真顔で言い放つ えっ この句が特選句 またある時は 他の人の 心に浸みる 言霊を 今この別れ 雨の夜 最後の最期に 輝ける あの辞世の句に 秘められた 思いの奥が 胸を打つ それぞれに残せし言葉冬の雨 誠司
2月2日 句会報告
令和2年2月2日 樸句会報【第85号】 2月最初の句会。 戸田書店の鍋倉伸子さんが美味しいお菓子を持って飛び入り参加して下さり、いつにも増して賑やかな句会となりました。 兼題は「寒燈」と「春隣」です。 原石賞4句と高点句1句を紹介します。なお今回は特選・入選ともにありませんでした。 【原】すっぴんの青空のほし葛湯ふく 前島裕子 「すっぴんの青空」は、『俳句』一月号の恩田の〈青空はいつも直面(ひためん)年用意〉から触発された措辞といいますが、なかなか面白いです。岩手県の老親の介護に帰られ、雪催いの空の下での実感とのこと。ほしを「星」と解釈した方もいましたので、切れ字を入れて「青空が欲しいことだよ」と、はっきり打ちだしましょう。「欲しや」にすればわかりやすくはなりますが、青空と葛湯の対比の美しさが消えてしまうので、あとは原句のまま、ひらがながいいですね。 (恩田侑布子) 【改】すつぴんの青空ほしや葛湯ふく 合評でこの句を採った筆者は、恩田の鑑賞にあるように「青空のほし」を「星」と捉えてしまいました。それでは全く空の景色が違ってしまいます。全く違う景色を想像して特選に採ることは決して悪いことではないでしょうが、このような誤読は句の本質を見失っていることになります。そのような流れで恩田は阿波野青畝を引き合いに「平明」と「平凡」の違いを連衆に問い掛けました。 (芹沢雄太郎) 【原】寒燈下この石を神とし握る 天野智美 なんの石ともいっていませんが作者の思いのこもった石です。人の一生は百年、石は何千万年です。ただリズムが良くないので散文のように感じられます。語順をひっくり返して定型にすれば石にも寒燈にも存在感が生まれます。山崎方代の名歌〈しののめの下界に降りてゆくりなく石の笑いを耳にはさみぬ〉をちょっと思い出しました。 (恩田侑布子) 【改】この石を神とし握る寒燈下 恩田のみが採った句です。作者はこの句に関して色々なバリエーションを検討したが、上五で場面の設定をしたいという思いに凝り固まり、「寒燈下」の位置を下五に動かすという発想が全くできなかったそうです。助詞・切れ字・語順などは作句の際に「これは動くことはない」と思っていることでも、一度解体再構築してみる必要があると考えさせられました。 (芹沢雄太郎) 【原】恋愛に寒木といふ時間あり 田村千春 詩的発見のある俳句です。ただ「恋愛には寒木という時間があります」という散文構造のママなのが惜しまれます。次のようにすると、情念に耐えている孤独な作者の横顔が寒木にオーバーラップされてきます。ストイックな深みのある恋の句になります。 (恩田侑布子) 【改】寒木の刻恋愛にありにけり 恩田のみが採った句です。恩田は句会中の添削で、「時間」という語句を「刻」と変える際、「とき」「時」「刻」のどれが句に似合うか考えていました。上述の「寒燈下」の句でもあったように、「舌頭に千転せよ」を垣間見ました。 (芹沢雄太郎) 【原】春隣大きな字を書く子どもの手 鍋倉伸子 作者は本日初めて見学参加されました。しかし、「春隣」という季語の胸ぐらをぐいっと掴んだグリップ力は素晴らしい。天性の伸びやかさを思わせる句柄の大きさがあります。ただせっかくの単純化の良さが句末の「の手」で損なわれています。余分なことを言わず定型におさめると、小さな子がノートのマスをはみ出しそうに大きく太く書く鉛筆の2Bの線が迫ってきます。 (恩田侑布子) 【改】春隣大きな文字を書く子ども こちらも恩田のみが採った句です。この句は俳句の省略する美しさを持っています。これを試しに「冬近し」「夏兆す」などに変えてみると、「春隣」という季語が動かないのがわかるのではないでしょうか。 (芹沢雄太郎) ゝ 五島列島オラショ忘れじ藪椿 海野二美 今回の高点句でした。合評では、上五と中七のどちらで切れるべきか。藪椿ではなく別種の椿と取り合わせたほうが良いのではないかなどの意見がでました。さらに鍋倉さんから「オラショ」という言葉の持つ重みを伺い、多くの議論を呼びました。 (芹沢雄太郎) また今回はサブテキストとして、三十代で第65回角川俳句賞を受賞されたお二人のうちの一人、西村麒麟さんの受賞50句「玉虫」を読みました。 今回は句会の時間が押してしまい西村さんの句評が出来ませんでした。五、六十代の受賞者が多い角川俳句賞において、三十代の作者が二人受賞されたことの意義とともに、今後の句会で合評していきたいです。 (芹沢雄太郎) 連衆の共感を集めたのは次の句です。 平成は静かに貧し涅槃雪 後列の頑張つてゐる燕の子 星涼し眠らぬ魚を釣り上げて 月光を浴びて膨らむ金魚かな 青白き水舐めてゐる冬の鹿 いつまでも蝶の切手や冬ごもり [後記] 今回は16名の連衆が集まりました。特選・入選が出ず、恩田からは「もう一歩踏み込んで、句に自分の手触りを出せるようになりましょう」とアドバイスがありました。季語を説明しないこと、書ききれていないゆえの「謎」の句は宜しくない、など多くの学びのある句会となりました。 (芹沢雄太郎) 次回兼題は、「猫の子」と「椿」です。 今回は、原石賞4句、△3句、✓シルシ13句、・2句でした (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
1月19日 句会報告
令和2年1月19日 樸句会報【第84号】 大寒前日の句会。穏やかに晴れた静岡です。本日は高校生が一人、清新な風を連れて参加されました。 兼題は「手袋」と「蜜柑」です。 入選5句を紹介します。 ○入選 蜜柑むきつつ相関図語りをり 田村千春 この「蜜柑」はめずらしく淫靡な感じがします。誰とだれとが本当は男女関係にあるんだとか、あの人とあの会社の利害がこれこれ絡まっているんだとか。スキャンダラスな内容が「相関図」にこめられています。三字熟語は週刊誌的なエゲツナサをなまなましく臭わせます。皮から剥かれたばかりのやわらかなオレンジ色の実が俗世のどろどろした滑稽感を出している面白い句です。 (恩田侑布子) 合評では 「日だまりでオバさんたちがしゃべっている。きっと大勢で、近所の下世話な話を」 「XとYの相関についての問題を解いている学生かと思いました。蜜柑を剥きながら少し力を抜いて…」 「辞書を引くと“相関図”は一義的には、縦軸と横軸のグラフのようです」 「学問のことだったら“語りをり”ではなく“論じをり”でしょう」 など見方は様々でした。 ○入選 ひどろしと目細む海や蜜柑山 天野智美 「ひどろしい(※眩しい)」という静岡の方言を一句の中に見事に活かした俳句です。作者は蜜柑山に立っています。まぶしいほどねと眼を細め眺めているのは、真冬でもおだやかに凪ぎ渡った駿河湾のパステルブルーでしょう。暖国静岡の冬のあたたかさ、風土の恵みのすがたが活写された地貌俳句といっていいでしょう。蜜柑山もきらきらたわわに海の青と映発しています。 (恩田侑布子) 選句したのは恩田のみでした。 合評では 「俳句における方言の是非ですね。いいのかな?」 「“ひどろしい”という言葉は最近知りました」 「私は子どもの頃からまぶしいことを“ひどろしい”と言ってましたのでよく分かる句です」 など方言を使うことをめぐる発言が続きました。 (山本正幸) ○入選 蜜柑剥く訣れを口にせしことも 山本正幸 若き日、「もうこれっきり訣れよう」と喧嘩した男女が、いまは暖かな部屋で静かに蜜柑をむいてくつろいでいます。あのまま別々の道を歩き出していたら、いまごろどうなっていたことか。いや、「別れちゃえばよかった」と、ほんの少し思わせるところに大人の味があります。「口にせしことも」という句またがりのもったりしたリズムと、いいさしで終わるところ、なかなかの俳句巧者です。 (恩田侑布子) 恩田のみ採った句。 合評では 「よくありそうなこと。新鮮さを感じない」 と厳しい意見も。 (山本正幸) ○入選 過激派たりし友より届く蜜柑かな 山本正幸 ドラマのある俳句です。昔、ゲバ学生で有名だった学友が、いまは故郷の山で蜜柑農家になっています。上五の「過激派」から下五の「蜜柑」にいたるひねりが出色です。温暖で陽光あふれる地を象徴する果実である蜜柑と、風土に根付いた友の変わり方をよかったなと思いつつ、内心の苦衷を友だからこそ思いやる作者がいます。 (恩田侑布子) この句も恩田のみ選句。 合評では 「“蜜柑”である必然性は? 林檎じゃダメですか?」 「蜜柑には安っぽさがあって、そこがいいと思う」 「ひょっとして“みかん” は“未完成”ということを言いたいのでしょうか…?」 などの感想が飛び交いました。 (山本正幸) ○入選 冬の蟻デュシャンの泉よりこぼれ 芹沢雄太郎 二十世紀現代美術の問題作であったオブジェ「泉」は男性小便器でした。この句の弱さは現実の光景としてはありえないことです。一言でいって頭の作です。ただし、作者は確信犯なのでしょう。美点は、現代アートのメルクマールに百年後のいま、果敢に挑戦したところ。レディメードのオブジェの冷たさが幻想の冬の蟻によって際立ちます。冬眠しているはずの蟻が、小便の代りに便器を次々に黒い雫のしたたりとなってこぼれ落ち続ける。これは今世紀の新たな悪夢です。分断され孤独になった分衆の時代の象徴でしょうか。 (恩田侑布子) 合評では議論百出。 「黒い蟻がうじゃうじゃ湧いてくる。それを便器が耐えている。白黒の画面が目に浮かぶ」 「これは本当に冬のイメージでしょうか。また、蟻の生態との関係はどうなんでしょう?」 「幻の蟻かもしれない」 「センスはとてもいい句だと思います」 「“泉”は夏の季語ですけれど、ここは“デュシャンの泉”イコール“便器”だから問題ないのですね」 「デュシャンの作品は室内に展示されているはず。そこに蟻がいるのかな?」 (山本正幸) 投句の合評・講評のあと、恩田が俳句総合誌(『俳句』『俳壇』『俳句α』)に発表した近作を鑑賞しました。 連衆の共感を集めたのは次の句です 凧糸を引く張りつめし空を引く 『俳壇』1月号 身体髪膚鏡に嵌まる淑気かな 『俳句』1月号 神楽太鼓撥一拍は天のもの 『俳句α』冬号 梅花皮(かいらぎ)の糸底を撫で冬うらら 『俳壇』1月号 ふくよかな尾が一つ欲し日向ぼこ 『俳句』1月号 「凧糸」の句が一番多く連衆の点を集め、「新春の清新な空気と抜けるような青空が伝わってきます。“引く”が繰り返されることで、上空の風の強さも伝わってきます。“張りつめ”ているのも、凧糸だけではないのでしょう」との鑑賞が寄せられました。 [後記] 兼題「蜜柑」は産地で身近にある題材のため、句にし易かったようです。日々の暮らしや蜜柑にまつわる様々な思いが詠まれました。かたや「手袋」に恋心を忍ばせたいくつかの句には点が入らず苦戦しました。でも、高点句に名句なし。季語の持つ多面性を感じることのできた楽しい句会でした。 次回兼題は、「寒燈」と「春隣」です。 (山本正幸) 今回は、○入選5句、△4句、ゝシルシ4句、・8句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) なお、1月8日の句会報は、特選、入選、原石賞がなくお休みしました。