
令和2年1月19日 樸句会報【第84号】 大寒前日の句会。穏やかに晴れた静岡です。本日は高校生が一人、清新な風を連れて参加されました。
兼題は「手袋」と「蜜柑」です。
入選5句を紹介します。 ○入選
蜜柑むきつつ相関図語りをり
田村千春
この「蜜柑」はめずらしく淫靡な感じがします。誰とだれとが本当は男女関係にあるんだとか、あの人とあの会社の利害がこれこれ絡まっているんだとか。スキャンダラスな内容が「相関図」にこめられています。三字熟語は週刊誌的なエゲツナサをなまなましく臭わせます。皮から剥かれたばかりのやわらかなオレンジ色の実が俗世のどろどろした滑稽感を出している面白い句です。
(恩田侑布子)
合評では
「日だまりでオバさんたちがしゃべっている。きっと大勢で、近所の下世話な話を」
「XとYの相関についての問題を解いている学生かと思いました。蜜柑を剥きながら少し力を抜いて…」
「辞書を引くと“相関図”は一義的には、縦軸と横軸のグラフのようです」
「学問のことだったら“語りをり”ではなく“論じをり”でしょう」
など見方は様々でした。
○入選
ひどろしと目細む海や蜜柑山
天野智美 「ひどろしい(※眩しい)」という静岡の方言を一句の中に見事に活かした俳句です。作者は蜜柑山に立っています。まぶしいほどねと眼を細め眺めているのは、真冬でもおだやかに凪ぎ渡った駿河湾のパステルブルーでしょう。暖国静岡の冬のあたたかさ、風土の恵みのすがたが活写された地貌俳句といっていいでしょう。蜜柑山もきらきらたわわに海の青と映発しています。
(恩田侑布子)
選句したのは恩田のみでした。
合評では
「俳句における方言の是非ですね。いいのかな?」
「“ひどろしい”という言葉は最近知りました」
「私は子どもの頃からまぶしいことを“ひどろしい”と言ってましたのでよく分かる句です」
など方言を使うことをめぐる発言が続きました。
(山本正幸)
○入選
蜜柑剥く訣れを口にせしことも
山本正幸 若き日、「もうこれっきり訣れよう」と喧嘩した男女が、いまは暖かな部屋で静かに蜜柑をむいてくつろいでいます。あのまま別々の道を歩き出していたら、いまごろどうなっていたことか。いや、「別れちゃえばよかった」と、ほんの少し思わせるところに大人の味があります。「口にせしことも」という句またがりのもったりしたリズムと、いいさしで終わるところ、なかなかの俳句巧者です。
(恩田侑布子)
恩田のみ採った句。
合評では
「よくありそうなこと。新鮮さを感じない」
と厳しい意見も。
(山本正幸)
○入選
過激派たりし友より届く蜜柑かな
山本正幸
ドラマのある俳句です。昔、ゲバ学生で有名だった学友が、いまは故郷の山で蜜柑農家になっています。上五の「過激派」から下五の「蜜柑」にいたるひねりが出色です。温暖で陽光あふれる地を象徴する果実である蜜柑と、風土に根付いた友の変わり方をよかったなと思いつつ、内心の苦衷を友だからこそ思いやる作者がいます。
(恩田侑布子)
この句も恩田のみ選句。
合評では
「“蜜柑”である必然性は? 林檎じゃダメですか?」
「蜜柑には安っぽさがあって、そこがいいと思う」
「ひょっとして“みかん” は“未完成”ということを言いたいのでしょうか…?」
などの感想が飛び交いました。
(山本正幸)
○入選
冬の蟻デュシャンの泉よりこぼれ
芹沢雄太郎 二十世紀現代美術の問題作であったオブジェ「泉」は男性小便器でした。この句の弱さは現実の光景としてはありえないことです。一言でいって頭の作です。ただし、作者は確信犯なのでしょう。美点は、現代アートのメルクマールに百年後のいま、果敢に挑戦したところ。レディメードのオブジェの冷たさが幻想の冬の蟻によって際立ちます。冬眠しているはずの蟻が、小便の代りに便器を次々に黒い雫のしたたりとなってこぼれ落ち続ける。これは今世紀の新たな悪夢です。分断され孤独になった分衆の時代の象徴でしょうか。
(恩田侑布子)
合評では議論百出。
「黒い蟻がうじゃうじゃ湧いてくる。それを便器が耐えている。白黒の画面が目に浮かぶ」
「これは本当に冬のイメージでしょうか。また、蟻の生態との関係はどうなんでしょう?」
「幻の蟻かもしれない」
「センスはとてもいい句だと思います」
「“泉”は夏の季語ですけれど、ここは“デュシャンの泉”イコール“便器”だから問題ないのですね」
「デュシャンの作品は室内に展示されているはず。そこに蟻がいるのかな?」
(山本正幸)
投句の合評・講評のあと、恩田が俳句総合誌(『俳句』『俳壇』『俳句α』)に発表した近作を鑑賞しました。
連衆の共感を集めたのは次の句です 凧糸を引く張りつめし空を引く
『俳壇』1月号
身体髪膚鏡に嵌まる淑気かな
『俳句』1月号
神楽太鼓撥一拍は天のもの
『俳句α』冬号
梅花皮(かいらぎ)の糸底を撫で冬うらら
『俳壇』1月号
ふくよかな尾が一つ欲し日向ぼこ
『俳句』1月号 「凧糸」の句が一番多く連衆の点を集め、「新春の清新な空気と抜けるような青空が伝わってきます。“引く”が繰り返されることで、上空の風の強さも伝わってきます。“張りつめ”ているのも、凧糸だけではないのでしょう」との鑑賞が寄せられました。
[後記]
兼題「蜜柑」は産地で身近にある題材のため、句にし易かったようです。日々の暮らしや蜜柑にまつわる様々な思いが詠まれました。かたや「手袋」に恋心を忍ばせたいくつかの句には点が入らず苦戦しました。でも、高点句に名句なし。季語の持つ多面性を感じることのできた楽しい句会でした。 次回兼題は、「寒燈」と「春隣」です。 (山本正幸)
今回は、○入選5句、△4句、ゝシルシ4句、・8句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
なお、1月8日の句会報は、特選、入選、原石賞がなくお休みしました。

角川「俳句」2月号から恩田の新連載「偏愛俳人館」が始まります。第一回は飯田蛇笏です。お楽しみください。

『現代俳句 』 二〇一九年六月号 五句
青苔 恩田侑布子 『現代俳句』2019年6月号に掲載された恩田侑布子の「青苔」5句をここに転載させていただきます。 青苔 恩田侑布子
淵まつ青生きて忘れしものは何
青苔にはづむや盲蜘蛛の恋
息継ぎのなき狂鴬となりゆくも
立ち入れぬ男心や真菰原
白い便箋ふちは螢にまかせやる

『文藝春秋 』 二〇一九年七月号 七句
水音 恩田侑布子 『文藝春秋』2019年7月号に掲載された恩田侑布子の「水音」7句をここに転載させていただきます。 水音 恩田侑布子
かけ軸は墨の波濤をみどりの夜
死んでから好きになる父母合歓の花
水音の昂まるそびら籠枕
わが恋は天涯を来る瀑布かな
虚空より削ぎ落としたる五月富士
とうすみの息よりかろく汝を訪はむ
瀧しぶき雲深く人尋ねたる

注目の句集
小林貴子 『黄金分割』 (2019年10月 朔出版刊)
句集から感銘句を恩田侑布子が抄出いたしました。著者から恵贈に与りましたことをここに感謝いたします。 ↑ クリックすると拡大します

注目の句集
大石恒夫 『石一つ』 (2019年9月 本阿弥書店刊)
句集から感銘句を恩田侑布子が抄出いたしました。著者から恵贈に与りましたことをここに感謝いたします。 ↑ クリックすると拡大します

『俳句』1月号(KADOKAWA)、『俳壇』1月号(本阿弥書店)、『俳句あるふぁ』冬号(毎日新聞出版)の俳句総合誌三誌に恩田侑布子の俳句が掲載されております。ご高覧いただければ幸いです。

令和元年12月25日 樸句会報【第83号】 本年最後の句会はクリスマスの日。
兼題は「枯野」と「山眠る」です。 入選句と△の句のうち高点2句を紹介します。
○入選
老教授式典に来ず山眠る
見原万智子 老教授個人を表彰する式ではないにしても、その業績によるところ大の顕彰式典と思われる。ところが、いちばんの功績者が出席されない。体調がいま一歩というのは表向きで、最初から式典など晴れがましいところには出たくないのかもしれない。しかし、教授が一生をかけてきた仕事の成果は冬山のように静かに大きくそこに存在している。「山眠る」という季語が底光りしてわたしたちを見守る。渋い句である。
(恩田侑布子) 合評では
「着想が面白いですね。それだけで頂きました」
「なぜ来られなかったのか考えさせられます。体調が悪かったのか、それとも反骨心から出席を拒否したのか」
「“式典に来ず”と“山眠る”が響き合っています」
「教授の信条と冬の山の雰囲気がよく合っています」
「分かりにくい。老教授が来ないとなぜ“山眠る”なのか?」
「山が見えるところで式典が行われているとすれば、“来ず”でなく“来る”もアリか?」
など共感の言葉や疑問、意見が飛び交いました。
(山本正幸)
△ 山眠る緞帳おもき大広間
田村千春 合評では
「いかにも深い山の静けさが伝わってきます」
「温泉ホテルの舞台の緞帳かな」
「そう、さびれた温泉宿でしょう」
「“おもき”と“山眠る”がとても合っている」
「いや、逆に“緞帳おもき”と“山眠る”はツキ過ぎじゃないですか」
「大広間ではなくもっと広いところ、歌舞伎座のようなところを想像しました」
「場所は田舎で、町内か何かが持っている〇〇会館のホールの緞帳かもしれません」
「緞帳の柄が山ってことですか? この句、どうやって読めばいいのでしょう?」
などの感想、疑問が出されました。
恩田は
「大きなガラス窓から山々が見えている温泉旅館の舞台を思いました。歌舞伎座などの都会ではなく、古い懐かしい光景。新し味はないが、表現が手堅く、しっかり描きとっています」
と講評しました。
(山本正幸)
△ 晦日蕎麦兄の齢をいくつ越し
萩倉 誠 合評では
「年越しそばですね。亡くなったお兄さんを偲んで食べているところ」
「しみじみと兄のことを想っている。仲の良い兄弟を連想しました」
「誰かの歳を越えるというのはよくある表現ではないか。母の歳を越す、父の歳を越す…。陳腐な形だと思う」
「父母ならそうかもしれませんが、ここはお兄さんのことだから親とは違った感慨があるのでは?」
などの感想、少し辛口の意見も述べられました。
恩田は
「年越しの夜にお兄さんの享年を考えている実感が胸に迫ります。でも、Nさんのおっしゃるように、類想は多いですね」
と講評しました。
(山本正幸)
投句の合評・講評の前に、芭蕉の『野ざらし紀行』を読み進めました。 伏見西岸寺任口上人(さいがんじにんこうしやうにん)にあふ((う))て
我(わが)衣(きぬ)にふしみの桃の雫(しづく)せよ
大津に出(いづ)る道、山路(やまぢ)を越(こえ)て
やま路(ぢ)來てなにやらゆかしすみれ草 恩田から
「『野ざらし紀行』には芭蕉のエッセンスが入っています。伏見の句は調べが美しく、挨拶句として鮮度が高い。“すみれ草”の句はひとつの冒険句です。それまでの和歌では“野のすみれ”を詠む伝統がありましたが、芭蕉は山道のすみれを詠んだ。“歌の道を知らない奴だ” との批判もありましたが、芭蕉は手垢のついた野のすみれではなく、ひとの振り向かない山路のすみれにこころを惹かれたのです。蕉風確立寸前の句ですね。平易、平明な措辞は“道のべの木槿は馬に食はれけり”と並んで『野ざらし紀行』中の秀逸と評する人もいます」との解説がありました。
注目の句集として、小林貴子『黄金分割』(2019年10月 朔出版)。
このなかから、帯より十句と恩田が抄出した十句が紹介されました。
連衆の共感を集めたのは次の句です 学僧の音なき歩み春障子 花びらを掬ひこぼしてまた迷ふ 大阪の夜のコテコテの氷菓かな 岩塩は骨色冬は厳しきか 月今宵土偶は子供生みたさう
[後記]
平成から令和にかわった年の暮の句会は議論沸騰、散会は午後5時となりました。
今年も和気藹藹、盛り上がった一年でした。風通し良く、自由に発言できるのは樸俳句会の真骨頂と思います。
筆者にとっては、実体験に基づいた俳句には力があるということを再認識した年となりました。アタマで作った俳句はことごとく恩田代表の選から落ちたのです。たとえ実体験を伴わなくとも「詩的真実」があれば選に入るのでしょうが・・・。まだまだ道遠しです。 次回兼題は、「初」と「新年の季語」です。 樸ホームページをご高覧いただいた皆様、本年もありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。
(山本正幸) 今回は、○入選1句、△6句、ゝシルシ6句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。