
◎『俳壇』一月号:特別作品「青女」三十句。 ◎『俳句あるふぁ』冬号:ポール・クローデル『百扇帖』18頁の大特集 ・「仏詩人大使の生涯」恩田侑布子講演より ・『百扇帖』俳句・短歌・詩(恩田侑布子訳) ・芳賀徹先生と恩田侑布子の対談
平成30年12月2日 樸句会報【第61号】 例年になくあたたかな師走の二日目、12月最初の句会がありました。 今回は、入選3句、△2句、ゝシルシ8句、・ シルシ4句でした。 兼題は「鴨」と「冬木立」。 今回は○入選3句いずれも、恩田だけが採ったもので、高点句は全く別という結果でした。 〇大八の幅の隧道蔦枯るる 天野智美 「蔦の細道(東海道五十三次で一番小さな宿場・丸子の宿から岡部へ越える峠)の北側にある明治の隧道を詠んだ句ですね。やっと大八車が通れるほどの幅で、暗いトンネルです。出入り口に枯蔦が迫る山の狭い空も見えてきます。しっかりと写生が効いている。ゆるみのない措辞で、昔の隧道と往時の人々の暮らしを思いやる気持ちが表現されています。今昔の感じが、ものに託してしっかり書いてある。手堅い良い句です」 と恩田侑布子が評しました。 〇石畳当てなく暮るる漱石忌 天野智美 「“石畳”の切れに、近代、イギリスを感じます。漱石は近代と真っ向から取り組んだ人。ロンドンに留学してノイローゼになり、その後ずっと近代的な個人主義のもんだいを考えた。“則天去私”を言いながら、則天去私の生き方はできずずっと近代と戦った人。いまだにわれわれも“近代”をのり超えていませんね。そういう漱石の苦しかった一生、そうして文豪となった漱石への畏敬の念が表れている句です。“石畳”という措辞がとても良い。“自然”の中で生きるのと全く逆の生き方、都市の文明と生活を暗示しています。中七の“当てなく暮るる”に作者は自分の心象を重ねている。うまくて、深い句だと思いました」と恩田が評しました。 〇だらしなき腹筋眺む憂国忌 芹沢雄太郎 「おもしろい句です。自分のたるんだ腹筋と三島の肉体を対比し、自虐し、自己を客観視する余裕がある。その奥にボディビルで肉体改造し自決した三島の生き方への批判もある。つまり二度のひねりが効いています。含みと味わいのある句。振り幅の広い豊かな句だと思います」と恩田の評。 作者は「三島の自己陶酔には批判的だった。もっとゆるくでいいじゃない、と語りかける気持ちで詠んだ」とのことでした。 合評の後に、『石牟礼道子全句集 泣きなが原』からの句を鑑賞しました。 おもかげや泣きなが原の夕茜 さくらさくらわが不知火はひかり凪 来世にて逢はむ君かも花御飯(まんま) などの句が人気でした。 恩田は『藍生』2019年2月号に「石牟礼道子の俳句論」十数枚を寄稿いたします。 『石牟礼道子全句集 泣きなが原』についてはこちら(注目の句集・俳人) [後記] 「うまいけれどよくある句、パターン的によくある句、デジャビュ感のある句」という評が多かった今回。どうやって新たな表現を見いだしていくかは常に課題です。「自分の井戸を掘ることと、万象にオープンマインドでかかわっていくことを同時にやれるのが俳句の醍醐味」との恩田の言葉に、俳句の楽しさと難しさの両方を感じた句会でした。 次回兼題は、「冬至」と「セーター」です。 (猪狩みき)
平成30年11月16日 樸句会報【第60号】 十一月第2回、暖かさが続き秋の訪れの遅い今年ですが、陽を受ける樹に秋らしさが感じられた日でした。 今回は、入選2句、原石1句、△4句、シルシ10句でした。 兼題は「枯葉」と「鍋」。入選句を紹介します。(◎ 特選 〇 入選 【原】 原石 △ 入選とシルシの中間 ゝ シルシ ・シルシと無印の中間) 〇枯葉にも生命線や空真青 山本正幸 合評では、「枯葉の葉脈を生命線とみた目のつけどころが良い」「枯葉は土になって次の命を育むことに役立ったり、葉を広げて虫を温めるなどの生命力を持っている。ただ枯れてもう何もないというのではなく、枯葉の持つ生命力を見つけたことがよい」などが出されました。 「枯葉はどこにあるのか?作者はどこにいて見ているのか?」という問いがありました。空を見ることとの関連から、土に落ちた枯葉という見方と枝にしがみついて残っている枯葉という見方ができるのではという意見が交わされましたが、近くにある枯葉を手に取って、あるいは手に取らずとも近くで見ているととらえるのが自然なのではないかという意見にまとまりました。 恩田侑布子は、「近くの枯葉から空という大景に拡げている達者な句。枯葉がその命を精一杯生き抜いた感じを表現した優れた句である」と評しました。 〇つゆだくの牛丼すする寒昴 萩倉 誠 恩田だけが採りました。 「“つゆだく”という措辞がいいです。寒い中、チェーン店と思われる安いびしょびしょした牛丼をすすっている。とても俗っぽい前半と、店を出て振り仰いだ俗でない宇宙との取り合わせが良い」と講評しました。 【原】悲しきは枯葉と踊る馬券かな 萩倉 誠 この句も恩田だけが採りました。 「おもしろい句です。上五を変えると見違えるように良くなります。たとえば“武蔵野の”とすると、歌枕でもある“武蔵野”と“馬券”の取り合わせになって俳味が出るのではないかしら」との評でした。 俳味という点では △もう少し太れといはれ焼き芋よ 藤田まゆみ もおもしろい句と恩田が評しました。「女性が好きな美味しいけど太る焼き芋が、“太れ”と言われる視点の逆転がいいですね。諧謔が効いています」とのことでした。 [後記] 今回も様々な味わいの句を楽しむことができました。私は「形にすること、何とか俳句らしくすること」に必死で、楽しさや諧謔というものを表現する余裕がまだありませんが、広く深く表現をとらえて作っていくことができればと思います。「上手くなることを第一目標にしないほうが良い。自分という底知れぬ井戸から汲みあげてくる自分なりの表現、その人の気息が通う生きた俳句を作ってほしい。そして句会は、自分の表現を他の人と共感、共振、交響することで自分を高めていく場であってほしい」との恩田の言葉に力づけられました。 次回兼題は、「冬木立」と「鴨」です。 (猪狩みき)
平成30年11月4日 樸句会報【第59号】 11月第1回。「大道芸ワールドカップin静岡」の喧噪を抜けると、句会場のアイセルに着きます。 兼題は「芋」「鹿」「猫」です。 入選◯1句、△6句、シルシ8句という結果でした。入選句を紹介します。 なお、10月19日の句会報は、特選、入選ともになかったためお休みしました。 〇卓袱台の主役は芋茎雨の夜 松井誠司 恩田侑布子だけが採りました。 「芋茎、なんというレトロな食べ物。今日のメイン料理というわけではなさそうです。肴にして夜更けにひとりちびちび飲んでいる。外はしめやかな雨。静かなさびしさが句の底から湧きあがってきます。形容詞がなくても伝わってくるわびしい孤独感があります。座五の“雨の夜”がいいですね。 でも作者の自解によると、信州で育った幼いころの体験だったのですね。戦後間もない頃で、晩秋になると農家に米はあっても、彩りのあるおかずは買えなかったと。この句のいうに言えない冬隣の雨に包まれる気配は、農耕民族のわたしたちが二千年間聞いてきた雨音だと思います。DNAに深く染み込んだものを呼び醒ます俳句といったらいいでしょうか」 と講評しました。 本日投句された中の一句を例に、俳句における「直喩」について恩田から解説がありました。 大道芸ワールドカップin静岡 秋の日の幾何学のごとジャグリング 恩田は、「発想はいいが、“のごと”がもんだい。直喩にするなら思い切って斬新な比喩にしたい。“のごと”は取って“幾何学”で切り、替わりに“◯◯の”と作者の発見を入れたいです」と評しました。 ======= 去る10月21日に静岡市駿河区丸子で開催された「恩田侑布子俳句朗読&講演会」(詩人大使クローデルの『百扇帖』から)には連衆の何人かが参加し、欠席投句者からも挨拶句が寄せられました。 そのなかでも石原あゆみさんの俳句と自註は、恩田をして「誰のこと?穴があったら入りたい」と大いに照れさせました。 バレリーナ指先に呼ぶ秋の虹 朗読パフォーマンスの鈴の音で世界が変わりました。 また木々の借景も加わり、一人のバレリーナを見るようでした。 一つ一つの言葉と一つ一つの動きが相まって、更に世界が変わっていき吸い込まれていきました。指のさきから秋の虹が句とともに伸びているのです。(石原あゆみ) 講演会の句は、ほかに二句あり、思い出に浸りつつひとしきり話題になりました。 「恩田侑布子俳句朗読&講演会」についてはこちら [後記] 丸子待月楼の講演では、詩人ポール・クローデルの像がくっきりと立ちあがり、その短唱の「気息」まで伝わってきました。 恩田は「『百扇帖』にはありとあらゆるものがある。ないものといえば、ボードレールがその批評『笑いの本質について』のなかで述べた、グロテスクな笑い、絶対的滑稽といったものだけかもしれない」と、この二人のフランス詩人の資質の違いを端的に述べました。 また、俳句朗読パフォーマンスにおいては、恩田の句はすべからく声に出して読むべし、その音楽性を味わうべし、との意を強くした筆者です。 延期となりましたパリ日本文化会館でのシンポジウムの日程も決まり次第お知らせいたします。どうぞご高覧ください。 次回兼題は、「枯葉」と「鍋」です。(山本正幸)
平成30年10月7日 樸句会報【第58号】 十月第1回は、なんと真夏日。 特選1句、入選2句、原石3句、シルシ12句でした。 特選句と入選句を紹介します。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) 特選 ひつじ雲治療はこれで終わります。 藤田まゆみ ひつじ雲は季語ではない。無季の句、いや超季の句である。 一読胸を衝かれる。いつか誰もがこう言われる。死の現実が確かにやってくる。でもわたしたちは考えないようにしている。癌は完治するひとも多いが、そうでない場合は闘病生活が長くなった。 「治療はこれで終わります」は医者のことばだろう。あまりにそっけない。だがこれは、すでに、よく診てくれたお医者さんとの間に暗黙の合意がしずしずと築きあげられて来た結果であろう。昨日今日会ったお医者さんはこうは言うまい。 この句の異様さは、無季と口語の上に、最後の句点にある。「。」で終わる句はみたことがない。散文でないのにあえて「。」を打った。そこに医者の宣告を円満にしずかに受け入れる覚悟がある。一期を卒え、すべてに別れなければならない現実の冷厳さ。というのに何なのだろう。どこからやってくるのだろう。この不可思議な明るさは。秋でも春でもない、季節を超えたしずかな白いひかりは。 窓から大空が見える。青空の所 々に、羊がもくもく群れ遊んでいるような高積雲がひろがっている。ああ、ようやく長かった抗がん剤の治療から解放される。そんなに遠くない日、あのまるい柔らかな羊雲のようにわたしは大空に帰ってゆく。風に吹かれて木立をどこまでも散歩するのが好きだったように、天上でもやわらかに風に吹かれていたい。 悲しい、寂しい、苦しい、なにも言わない。人間は生まれて、愛して、死ぬ。それが腹落ちしている。精一杯明るく、甘えず、愚痴もいわず生き抜いてきた自負が、柔らかなひつじ雲にあどけなく輝いている。 現実をしかと見て、どこにも逃げない。毅然と最後まで胸を張って生きる。見事な俳人の生き方である。 (選句 ・鑑賞 恩田侑布子) 〇ハンカチのしわは泣き顔赤とんぼ 天野智美 恩田侑布子は、 「“季重なり”(ハンカチと赤とんぼ)ですが、“赤とんぼ”がしっかり座っているのでいいでしょう。生き生きしています。中七から下五にかけての詩的な飛躍がいいです。顔を埋めて泣いたあとのハンカチを即物的に捉えている。悲しみを押し付けられず、想像力をかきたてられる句ですね」 と講評しました。 合評では、 「乙女チックな感じ」 「かわいい句。“しわ”が泣き顔を類推させる。赤とんぼの取り合わせにノスタルジーを感じる」 「捨てられた女の句じゃないですか?」 「擬人化がよくないのでは」 などの感想、意見が述べられました。 〇受賞者の緩みなき顔秋澄める 猪狩みき 恩田侑布子は、 「いい句です。“緩みなき顔”という措辞、よく出ましたね。受賞者の来し方の“一生懸命さ”と精神性の高さが表出され、季語とよく響き合っています」 と講評しました。 合評では、 「季節としてはスポーツの賞とも文化の賞とも取れるが、この句の受賞者は、長年の文化的な功績を称えられた方のように感じます。“緩みなき顔”に受賞者の真面目な性格を思い起こされます」 との感想がありました。 [後記] 今回も連衆の最高点を集めた句が恩田の特選になりました。選句眼が向上した樸俳句会です。 合評の中で、「季重なり」と俳句で使われる文法を「取り締まる動き」が現代の俳句界にあることを恩田は憂えつつ紹介しました。恩田は「表現の冒険を許さない動きは文学をやせ衰えさせることになる」といいます。筆者も同感です。句作の原則があってもなお、そこから文法的にはみ出した名句は数多くあります。例えば筆者の愛誦する横山白虹の「ラガー等のそのかちうたのみじかけれ」は形容詞の活用誤りと思われますが、その感動はいささかも減ずることはありません。 次回兼題は、「木の実」と「露」です。(山本正幸)
平成30年9月28日 樸句会報【第57号】 九月第2回。夏が戻ったような陽気の日の句会でした。 特選1句、入選1句、△6句、シルシ5句、・1句という結果になりました。 兼題は「野分」「草の花」でした。 特選句と入選句を紹介します。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) この日の最高点句が特選になりました。 特選 爽籟やあなたの鼓動聞分ける 萩倉 誠 恋の句である。 歳時記に「爽籟」は「秋風」の傍題として「金風」や「風の爽か」と並んで載っていることが多い。単独で立項するものに講談社の『日本大歳時記』がある。森澄雄の解説がいい。「秋風のさわやかな響きをいう。籟とは三つ穴のある笛、あるいは簫のことで、転じて孔から発する響き、また松籟などとも言って、風があたって発する響きにもいう」 そのとおり、「爽籟や」の季語の切れによっていのちをもった句である。松林を思わぬまでも、木立を吹き抜けるさわやかな風を感じる。その風のなかに、今はここにいないあなたの胸の搏動が脈うつ。それは眼の前のあらゆるものをゆすいでゆく初秋の涼しい風のなかに、わたしだけが聞き分けることのできる音、この世にたった一つのしらべである。 そもそも鼓動は胸に耳を当てないと聞こえない。臥所をともにしないかぎり聞こえぬ音なのだ。そう思う時、この鼓動は心臓の搏動を超える。足音、息遣い、声、表情、しぐさ、揺れる髪、目の色、あなたといういのちのすべてになる。かつてはげしく恋したひとの、若きいのちの脈打つ気配を、いま作者は衰滅の季節のほとり、大空の下で聴き分ける。 あなたはYouであるとともに、掛詞にもなっていて、遠称の「彼方」でもある。カール ・ブッセの詩を思う。 山のあなたの空遠く 「幸」住むと人のいふ 噫われひとと 尋めゆきて 涙さしぐみ かへりきぬ 山のあなたになほ遠く 「幸」住むと人のいふ (『海潮音』より「山のあなた」(上田敏訳)) 「あなた」はかぎりなく遠い。だのに何十年経っても、万象のなかに一つの鼓動をありありと聞き分けられる。ひとを好きになるということはそういうことだ。 (選句 ・鑑賞 恩田侑布子) 〇シュレッダー野分の夜には強く咬む 山本正幸 恩田侑布子だけが採りました。 「野分の題で、シュレッダーが出てきたのはおもしろい。都会的なオフィスにある現代の“もの”と野分の出会いが新鮮だ。“夜”も効いている。同僚の帰った一人のオフィスでシュレッダーが動いている音が良い。“夜には”の“には”の強調もよく効いている。愛咬の “咬”を使ったところ、シュレッダーが生き物のように感じられる。なかなか斬新な句」 と評しました。 連衆からは、 「“野分”に都会のイメージはない」 「面白いとは思った。野分は外を吹きいろいろなものを流していく。シュレッダーはモノをゴミにする。“咬む”はいい」 「でも破壊力が感じられません」 などの感想が述べられました。 今回の句会では、句の説明くささ、説明的な句ということが話題になりました。 恩田から以下のようなアドバイスがありました。 「牛糞の匂ひ新たに野分あと」は「牛糞の匂ひ新たや野分あと」に変えると、野分あとの臨場感がより強くでて説明的でない表現になる。 「ありがとうと聞こえし口元草の花」は逆に「ありがとうに見えし口元草の花」にすると、説明くささが薄れ、余韻が深まる。 「に」の助詞が必ず説明的になるというわけではない。一句一句呼吸が違う。その内容と調べにふさわしい表現になるように工夫することが大事、とのことでした。 また、今回の兼題(「野分」「草の花」)について、名句の紹介と鑑賞が恩田侑布子からありました。 吹とばす石はあさまの野分哉 芭蕉 象徴の詩人を曲げて野分哉 攝津幸彦 牛の子の大きな顔や草の花 虚子 死ぬときは箸置くやうに草の花 小川軽舟 なお、芭蕉の句は、四回の推敲の末、ようやく掲句が定まったとのことで、次第次第に一句が迫力と大きさを増していく推敲の過程に目を見開かされました。 [後記] 「野分」と「台風」の語感の違い、強さの違いが会で話題になりましたが、台風続きの今年、台風のあいまの句会でした。「説明、理屈でない表現」をするには。まだまだ道は遠そうです。多くの句を読むことで俳句の詩的な呼吸を感じられるようになるといいなと思っています。 次回兼題は、「顔」を使った句と当季雑詠です。 (猪狩みき)