
平成31年3月31日 樸句会報【第67号】 駿府城址公園の花が四分咲きの弥生尽。静岡にはめずらしい春疾風に「自転車を漕いで来るのたーいへん」といいながら集まったら、ちょっとドラマチックな句会になりました。 兼題は「花」と‟色名‟を入れた句でした。 ◎特選1句、○入選2句、原石賞1句を紹介します。
◎特選 花の世へ公衆電話が鳴つてゐる 村松なつを
一読、凶々しい句です。「花の世へ」という大胆で巨視的な掴みにインパクトがあります。対比的に「公衆電話が鳴つてゐる」という小さな個人的な緊急事態の逼迫感は切実です。「悲鳴が上がつてゐる」と書かれるよりずっとナマナマしい存在感です。警察からの電話でしょうか。それとも消防署からの折返しなのか。いずれにしろ直面したくない非日常の事態が、血を噴くように、花の世と対置されています。事実だけを投げ出している口語調が効果的です。無表情の恐ろしさといっていいでしょう。わたしたちが安閑と過ごしているこの俗世間の日常の危うさ、脆さをけたたましくあぶり出しています。心ここに切なるものがあり、表現技法上も間然するところのない一句です。
(選 ・鑑賞 恩田侑布子)
○入選
色抜きのジーンズ洗ふ花の昼
萩倉 誠
合評では、「‟色抜きのジーンズ‟と‟花の昼‟がとてもよく合っている」「色の組み合わせにさわやかさを感じる」「若さを感じる気持ちのいい句」などの感想がありました。
恩田侑布子は
「ブリーチアウトジーンズを、“色抜きのジーンズ”と言い換えただけで、見違えるような含蓄と含羞が生まれたことに驚かされます。いろはうたに始まって、色どり、色好み、色気、色欲などなど、“色”の一文字がひろげる連想はかぎりないものがあります。日本語に熏習されたそれこそいろつや(❜ ❜ ❜ ❜)でしょう。灰味がかったうすい水色のジーンズの向こうに、かがやかしい薄桃色の花の枝が見えて来ます」
と評しました。
○入選
花予報線量数値一画面
猪狩みき
恩田だけが採った句でした。
「桜の開花情報と地域別の放射線量の数値が、同じ画面に並んでいます。福島県のテレビは、今も天気予報の時に放射線量の数値を知らせるのでしょう。極めて現代的な日常風景を情緒のつけ入る隙なく、すべて漢字で表現しています。除染水も汚染袋も累々と遺跡を築きつつある重苦しく、行き詰まった状況のそばで生活をしていかなければならない現実の重みがあります」
と評しました。
【原】茶色の斑浮きて安堵も白木蓮
天野智美
恩田は
「無傷のはくれんの清らかさ、美しさを謳う俳句はたくさんありますが、茶色の斑に安堵するはくれんの句は初めて見ました。着眼に詩があります。ただ、このままではリズムが悪いですし、“も”がネバリます。せっかくの作者の独自な感受性を活かしてみましょう」
と評し、次のように添削しました。
【改】安堵せりはくれんに斑の浮き立ちて
今回の兼題の例句として、恩田が以下の句を紹介しました。
<花>
火を仕舞ひ水を仕舞ひし夜の桜 山尾玉藻
古稀といふ発心のとき花あらし 野沢節子
さくらさくらわが不知火はひかり凪 石牟礼道子
西行忌花と死の文字相似たり 中嶋鬼谷
紙の桜黒人悲歌は地に沈む 西東三鬼
老眼や埃のごとく桜ちる 西東三鬼 <色を使った句>
赤き火事哄笑せしが今日黒し 西東三鬼
元日を白く寒しと昼寝たり 西東三鬼
合評の後は、現代詩で色をテーマとした作品として、石牟礼道子の『紅葉 』を読みました。さらに、石牟礼道子の研究家でもある岩岡中正氏(「阿蘇」主宰)の「心の種をのこすことの葉」という題のエッセイと近詠句を皆で味わいました。
次回は、駿府城公園や浅間神社、谷津山など、市内中心地の緑ゆたかな場所で自由に俳句をつくる吟行句会です。静岡駅から徒歩十分の「もくせい会館」(静岡県職員会館)が句会場です。
(恩田侑布子・猪狩みき) [後記]
「花」と「色」という大きなお題の今回。それぞれの視点のおもしろさを感じることができた句会でした。「色」からイメージできることの大きさ、広さ、深みを表現に活かしていくようなことを意識して句を作りたいと思わされました。(猪狩みき) 今回は、◎特選1句、○入選2句、原石賞1句、△2句、ゝシルシ9句、でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) なお、3月8日の句会報は、特選、入選がなくお休みしました。

2019年4月2日、第1回 たしなみ 「時の川をわたるマナー」が掲載されます。
火曜日夕刊に4週毎の1年間連載予定です。2回目はGWのため、5月7日です。
たしなみのない人間が、世の中のたしなみをどう見たり感じたりしているか、
ご高覧ご支援いただければ倖いに存じます。どうぞよろしくお願いいたします。
恩田侑布子

平成31年2月24日 樸句会報【第66号】 如月第二回目の句会です。 兼題は「春雷」と「蕗の薹」。 ○入選2句、原石賞1句を紹介します。 ○入選
春雷や午後の微熱をもてあまし
猪狩みき
合評では
「ありそうな句。流行のインフルエンザからの快復期の人でしょうか。ことしの時事俳句?」
「春の物憂い感じが出ている」
「微熱くらいなら、ワタシはもて余しません!」
などの感想が述べられました。
恩田侑布子は
「入選でいただきました。治りそうなのにまた午後になって上がってきた熱。“また今日も”という気だるさが春の午後の物憂い感じとよくつり合っています。第二義的には、心象を詠んだ恋の句とみることもできます。相手にぶつけられない内心の懊悩が“午後の微熱”という措辞にこめられていて、そこに春雷がかすかに轟きます。やや技巧的ですが詩のある俳句ですし、愛誦性もありますね」
と講評しました。
○入選
天地の睦むにほひや春の雷
村松なつを
合評では
「萌え出す春の色っぽさを感じる。春の雷を聴くとギリシャ神話のゼウスを思います」
「“睦む”と“にほひ”の結びつきがよく分からないけど、何かが生まれるような感じがある」
「激しく成長をうながす夏の雷と春雷は違いますね」
「雷が鳴って、雨が降って、それで匂いがするというだけの句ではないですか?」
など感想や辛口意見も。
恩田は
「秋の雷光は稲を孕ませるものとされ、稲妻ともいなつるびとも言われてきました。ですから季節はちがっても、春雷に天地の睦み合いを感じるのは自然です。冬の間は、天も地もカキーンと凍りついて、地平線や水平線に画然と対峙していたのに、“春の雷”が轟くと、まるで天の男神、地の女神が睦み合うようにつややかに交歓を始めます。“にほひ”は嗅覚つまりsmellではなく、色合いや情趣、余情であり、ゆたかで生き生きした美しさです。源氏物語の“匂宮”を想起しますね。天地有情ともいうべき句柄の大きな句です」
と評しました。
【原】蕗の薹逢へぬ時間の知らぬ顔
海野二美
合評では
「“逢へぬ時間”に切なさを感じます。ただ“知らぬ顔”って何? 恋の相手が知らぬ顔をしているのか、知らぬ顔をしているのは蕗の薹? いろいろ考えられて面白い」
「作者である自分の知らない顔を相手が持っているということなのでは?」
などの感想がありました。
恩田は
「推敲すれば特選クラスです。“知らぬ顔”の主体が三つにブレるのです。つまり、蕗の薹、相手、自分です。また、“逢へぬ時間”は“逢へぬ日”にしたほうがより切なさが増します。“時間”は短いので切実感がなくなってしまいます。上下を変えると品のいい切ない恋の句になるのでは」
と評し、次のように添削しました。 【改】逢へぬ日の知らん顔なり蕗の薹
「蕗の薹は震えるような葉っぱ、恥じらっているようなちぢれ方をしています。こうすると透明感のある萌黄色の姿が際立つ清冽な恋の句になりませんか」
今回の兼題の例句が恩田によって板書されました。
特に中村汀女の句については、「万人受けのする句です。この句を嫌いな人はいないのでは?失われた日々への愛惜、清らかな淡々とした抒情があります」との解説がありました。 蕗の薹おもひおもひの夕汽笛 中村汀女
蕗の薹古ハモニカのうすぐもり 恩田侑布子
(『イワンの馬鹿の恋』)
春の雷鯉は苔被て老いにけり 芝不器男
あえかなる薔薇撰りをれば春の雷 石田波郷
投句の合評・講評のあと、去る2月5日にパリで開催されたポール・クローデルをめぐる俳句討論会(恩田もシンポジストとして登壇)のレジュメが配布され、恩田から解説がありました。 クローデルは、
「日本人の詩や美術は(中略)もっとも大切な部分は、つねに空白のままにしておく」
「俳句は中心イメージを取り囲む精神的な暈(かさ)によって本質が作られる」
と述べています。 想像力の反響作用によって本質が作られるという俳句論は、恩田の「俳句拝殿説」に重なります。恩田は「俳人が造れるのは拝殿まで。作者は読者に拝殿の前に一緒に立ってくださいと誘う。短歌は本殿を造りそこに読者を招じて座らせることができる。しかし、俳句は本殿は造れない。拝殿の向う、時空が畳みこまれた余白に、読者は自己を開いて他者と交感する」と『余白の祭』に書いています。 俳句討論会についてはこちら
[後記]
今回の句会で筆者が触発されたのは、「類句」「類想」についての恩田の指摘です。
「類句」「類想」の問題とは他人の俳句と似ていることではなく、自分の昔の句に似ているのがダメということ。すなわち、戦う相手はおのれの中にある。自分の固定観念を打ち破ることが必要。クローデルと姉のカミーユが師と仰いだ北斎も、死ぬまで脱皮していったことを恩田は強調しました。筆者も「自己模倣」に陥らぬよう句作に取り組みたいと思います。 次回兼題は、「朧」と「雛」です。(山本正幸) 今回は、○入選2句、原石賞1句、△2句、ゝシルシ5句、・1句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

平成31年2月18日 樸句会報【第65号】 二月第一回目の句会です。
兼題は「梅」と「下萌」。
○入選2句、原石賞2句を紹介します。
○入選
行き先も言はずに乗りし梅三分
石原あゆみ
「急に思い立って行ってみたくなった気分と下五の梅三分の咲き具合が合っている」という感想がありました。
「詩情のある、リリカルな句です。まだ風は肌寒いけれど、佐保姫(春の女神)に心誘われてどこかに行ってみたい気持ち、遠くではなくて、ちょっとした小さな旅に出かけずにいられないという気持ちが表現されています。日常茶飯とは何ら関係のない旅であるところに清らかさが感じられます。浅春のリリシズムですね」と恩田侑布子が評しました。
「どこということもなく、という思いを“三分”にのせました。賤機山(しずはたやま※)のふもとの梅から思いをひろげました」と作者は述べました。
※ 静岡市民に親しまれている葵区にある標高170mほどの山。「しずおか」の名もここに由来し、南麓には静岡浅間神社がある。
○入選
その人のうすき手のひら梅の径
山本正幸
合評では「梅を見ながら手をつないで一緒に歩いている状況。相手は華奢なひと。相手の手の薄さとこの季節の感じが合っている」「“その人の”というはじまりも想像をそそってよい」「年老いた母親かもしれない!?」などの意見がありました。果たして二人は手をつないでいるかいないか。で連衆間で句座はカンカンガクガク盛り上がりました。
恩田は
「感覚の優れた句です。私は手をつないでいないと読みたいです。その方が清らかです。谷間の人気のない弱い日射しの梅の径を、翳りのある関係の二人が歩いていると読みました」と述べました。
原石賞の二句について、恩田が次のように評し、添削しました。 【原】紅梅の香の蟠る夜の不眠
伊藤重之
「紅梅の香にはどこか動物的な生臭さがあり、“蟠る”の措辞はスバラシイです。ただ“夜の不眠”はくどいので“不眠かな”にしましょう」
↓
【改】紅梅の香の蟠る不眠かな
「このほうが切なさが出ませんか」
【原】草萌ゆる目で笑ひゐる緘黙児
猪狩みき 「素材がよく、鮮度があります。緘黙という難しさをもっている子を見守っているやさしさが出ていますね。“草萌や”と切り、“で”を“の”に変えてみましょう」
↓
【改】草萌や瞳の笑ひゐる緘黙児
「中七の動詞が生き、瞳の光が感じられるようになったのではありませんか」
合評の後は、第三十三回俳壇賞受賞作『白 中村遥 』の三十句を鑑賞しました。
糸を吐く夢に疲れし昼寝覚
音たてて畳を歩く夜の蜘蛛
蓮の花人の匂ひに崩れけり が好まれていました。
「独自の視点があって、不安で不気味な感じを表現できるのが、この作者の持ち味ですね」と恩田が評しました。
[後記]
句会の数日前に会員のお一人が亡くなられました。病をもちながら句作に取り組まれていたとのこと。今回の句会には弔句がいくつか出されました。俳句での表現という場があったことが彼女の時間を充ちたものにしていたのではないか、そうだったらいいと思っています。(猪狩みき)
「記」
2018年10月7日の特選句である
ひつじ雲治療はこれで終わります。
の作者、藤田まゆみさんが、2月16日胆のう癌のため65歳で逝去されました。12月2日の句会まで楽しく句座をともにし、最期まで愚痴一ついわなかった彼女の気丈な生き方に心からの敬意を捧げます。16年に及ぶ親交の歳月を銘記し感謝いたします。まゆみさん、ありがとう。貴女からいただいたエールをこれからも温めて参ります。
恩田侑布子
次回兼題は、「蕗の薹」と「春雷」です。 今回は、入選2句、原石賞3句、△1句、ゝシルシ9句でした。みなの高得点句と恩田の入選が重ならない会になりました。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

川面忠男様がブログの転載をご快諾くださいました。川面様、厚くお礼申し上げます。
ご執筆の日は石牟礼道子さんの一周忌にあたります。
黒田杏子さんが主宰の俳句結社「藍生」の俳誌2月号は石牟礼道子の追悼特集を組んでいる。俳人、作家、学者、写真家の6人が寄稿しているが、その1人は俳人・文芸評論家の恩田侑布子さんで石牟礼道子の俳句を鑑賞している。それを読んでAI(人工知能)のレベルが上がっても石牟礼道子の俳句を作ることは難しいだろうと思った。
石牟礼道子は詩人・小説家だが、2018年2月10日に亡くなった。生前は熊本で水俣病を文明病として訴え、それを文学活動にした。 恩田さんは石牟礼を「みっちん」と親しみを込めて呼び、『石牟礼道子全句集 』から恩田侑布子選として23句を挙げている。これらの中から7句について「石牟礼道子の俳句 ふみはずす近代」と題して論じている。
石牟礼道子の俳句は、コンピューターが集めたビッグデータの解析から抜け落ちるとし、「常人が感知しえない異形のものを聞き澄ます詩人」だと述べている。それは7句すべてに言えるが、とりわけ以下の2句について自分の句作に関連して感じるものがある。
童んべの神々歌う水の声
無季の句。〈童んべ〉は「わらんべ」とルビが振ってある。恩田さんは「等類がない俳句」と言う。等類は素材・趣向が他の俳句と類似することだ。「現代俳人の句は似通っていて、おうおうにして既視感につきまとわれる。一方、石牟礼の自前の感性と自前の言葉は空怖ろしい」。その自前の感性は個性といった安っぽいものではないとも言う。
さくらさくらわが不知火はさくら凪 「不知火」について恩田さんは両義があるとして次のように言う。「ひとつは別称八代海の名を持つ海の名前。ふたつは神話時代からの海上の怪火を意味する秋の季語」。そのうえで、一句の忘れ難さは「さくら凪」という新造季語の初々しさにもある、と指摘する。「新作季語は、俳人が一生かかっても容易にはつくり得ないもの。二十世紀の悲母からわたしたちはやさしく妖しい季語を頂戴した」と付言する。
そして最後に次のように述べる。〈「いま・ここ・われ」は、近現代俳句の合言葉であった。みっちんの俳句はそこから何という遠い地平、何という広やかな海と山の間にあることだろうか。〉 もし私が「さくら」という春の季語と「不知火」という秋の季語を一句に織り込めば、指導者から注意されるだろう。私のように余生の趣味として俳句を楽しんでいる者から見れば石牟礼道子の俳句は別世界であるが、そこに真実の詩があることは恩田さんの鑑賞に導かれて理解できた。
川面忠男(2019・2・10)
樸俳句会でも取りあげられた『石牟礼道子全句集 泣きなが原 』についてはこちら

俳句討論会「クローデルの日本―『百扇帖』をめぐって」が パリ日本文化会館で開催され、樸代表の恩田侑布子もシンポジストとして登壇しました。 ポール・クローデル(1868-1955)が、日本大使として勤務した最後の年にまとめたフランス語の句集『百扇帖』(Cent Phrases pour Évantails, 1927)について、フランス、アメリカの俳人/俳句研究者と現代日本の俳人、比較文学者が討論しました。
記
俳句討論会「クローデルの日本―『百扇帖』をめぐって」
日時:2019年2月5日(火)18時~
場所:パリ日本文化会館小ホール
座長:杉浦 勉(日本文化会館館長)
シンポジスト:芳賀徹、夏石番矢、
金子美都子、恩田侑布子、
アビゲール・フリードマン(米)
アラン・ケルベール(仏) ↓ クリックすると拡大します (撮影 佐藤麻里子)

平成31年1月25日 樸句会報【第64号】 新年第二回目の句会です。
兼題は「水仙」と「“寒”のつく季語」。
○入選
足先に闇すでにあり寒茜
松井誠司 合評では
「たしかに寒茜はすぐに暗くなってしまいます」
「闇が来ている、という作者の気づきがいい」
「夕刻の時間の経過とともにあたりの色の変化も感じさせます」
「“足元”ではなく“足先”にしたのがよいのでは」
などの感想が述べられました。
恩田侑布子は
「“すでにあり”という措辞を俳句に活かすのは難しいが、この句ではよく効いています。“足先”という語におのれの行方を重ねている。真っ暗になっていく情景に自分が進んでいく先のことを想っているのです。晩年や死のことも見据えた心象がよく描けており、実感のある句です。昔、連句をおそわった草間時彦先生の代表句のひとつに“足もとはもうまつくらや秋の暮”があります。でも季節も違いますし、足もとは佇む感じ、足先は行く末を暗示しますから類句とはいえないでしょう。いい句です」
と講評しました。
○入選
わしわしと湯気もろともにもつ煮込み
萩倉 誠 合評では
「“わしわしと”がいい感じ。もつ煮込を食べている実感がある」
と共感の声。
恩田は
「オノマトペが素晴らしく効いていて、“もつ煮込み”を引き立てています。庶民の生活のエネルギーを感じます。ガッツある主婦が大家族のために厨房でもつを煮込んでいる姿でしょうか。煮ているのではなく、食べている情景ならば“み”は不要です。もつ煮込みそのもののリズム感で愛誦性もありますね」
と評しました。
【原】海風と香もかけのぼる野水仙
松井誠司
合評では
「斜面に群れて咲く水仙の光景が目に浮かぶ」
「“かけのぼる”という擬人化がどうでしょうか」
と感想や疑問がありました。
恩田は
「“海”と“野”がわずらわしい。海というからには野にある水仙に決まっています。“かけのぼる”はいいですね。青空が余白に広がっていきます。“と”も推敲したい」と述べ、次のように添削しました。
【改】海風に香もかけのぼり水仙花
【原】喪の帯をとくや水仙香をほどく
村松なつを
合評では
「女性の喪服には魅力があります。行事が一段落し、ふっと気持ちにゆとりが出たときに水仙の香に気付いた」
「色っぽさに負けて・・(思わず採りました)」(ここまで評者は男性)
「えーっ!色っぽさなんて感じませんよ。ひとつの儀式の緊張感が取れて、水仙のかおりに気がついた瞬間を詠んだのでしょう」(と、女性の評者)
「“香をほどく”という言い方があるのか」
「いや“ほどく”は新鮮ですよ」
「“とくや”と“ほどく”がいかがなものか。“匂ひたつ”くらいのほうがいいのでは」
と感想・意見が飛び交いました。
恩田は
「“香をほどく”は鮮度があっていいです。問題は“とくや”の勇ましいリズムに句の内容が合わないことです。杉田久女の代表句(花衣ぬぐや・・)にインスパイアーされたのでしょうか。もう少し力を抜いて、おだやかな表現にしたい。“香をほどく”に焦点を当てましょう」と評し、下記のように添削しました。
【改】喪の帯をとけば水仙香をほどき
今回の兼題の例句が恩田によって板書されました。
「松本たかしの句については、直喩はこれくらい飛躍しないと働かない。“水仙”と“古鏡”に橋を架けることによって詩の世界が現出している。また昨年逝去された宇佐美魚目の句は、作者の高潔な精神の佇まいまで描き切っています」と、解説がありました。 水仙の花のうしろの蕾かな 星野立子
水仙や古鏡の如く花をかゝぐ 松本たかし
水仙を巖場づたひにはこぶ夢 宇佐美魚目
極寒の塵もとゞめず巌ふすま 飯田蛇笏
寒の月白炎曳いて山をいづ 飯田蛇笏
涸れ瀧へ人を誘ふ極寒裡 飯田蛇笏
大寒の一戸もかくれなき故郷 飯田蛇笏
寒月や貴女のにはとり静かなり 攝津幸彦 合評のあと、注目の句集として宇多喜代子第八句集『森へ 』が紹介されました。
恩田は次の七句を佳句として挙げました。 透明の傘の八十八夜かな
白足袋の白にこころを従えて
つらなりて石鹸玉にもこの重さ
恩師みな骨格で立つ花野かな
春寒や正岡子規の大頭
永き昼硯の川を渡りゆく
夏木立先生のこと一入に
[後記]
投句の不調もなんのその、合評は侃侃諤諤、丁丁発止。バレ句に近いものもあったりして、爆笑することも度々。句会が了ったのは会場の借用時間ギリギリの午后5時でした。今年も熱く和やかな樸俳句会です。
恩田は「今日は理屈の通った、頭でつくったような句がちょっと目立ちました。理屈から出てくる擬人化は句を安っぽくしてしまいます。理屈で意味は通っても、そのとき“詩”は消えます。また、季語と合っていない句や予定調和的な句も散見されました」と少々苦言を呈しました。
この指摘はまさに今回の筆者の投句に当てはまり、自らの句作と選句を省みながら帰途につきました。
次回兼題は、「下萌」と「梅」です。(山本正幸)
今回は、○入選2句、原石賞2句、△2句、ゝシルシ10句とやや低調でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

平成31年1月6日 樸句会報【第63号】 新年第一回目の句会は、まだ松の内の6日に行われました。埼玉からも名古屋からも、遠距離をものともせず集う仲間がいてホットで楽しい初句会になりました。
兼題は「初景色」と「宝船」。
○入選1句、原石賞2句を紹介します。
○入選
宝船帆の遠のくなとほのくな
石原あゆみ
「夢の世界に入る様子、意識が遠のいていく感じが表現されていてよい」
「明恵上人の“夢日記”を想いました」
「遠のくなとほのくな、のリフレインが快い。ひらがなの眠気を誘うような言葉もいい」という感想がありました。
「夜の夢の中で宝船が遠くに行ってしまうのを惜しんで遠のかないで欲しい、と言っている句。人間の欲を相対化している俳味があります。客観化したことで句柄が大きくなりました。夢の中の宝船を実感で書いているところもおもしろい。また、リズムがとても良い。駘蕩たるリズムですね。しかも、座五のリフレインをひらがなに開いたことで、意識が眠りに吸い込まれてゆくリアルな感じがします。景色も初凪のさざ波まで見えてくるようです」と恩田侑布子が評しました。
今回の原石賞の二句は、季語や語順を変えるだけで格段に変わると恩田が評し添削しました。
【原】初化粧とは名ばかりの薄化粧
樋口千鶴子
↓
【改】初鏡とは名ばかりの薄化粧
「“化粧”を二つ重ねずに“初鏡”に変えると、楚々とした薄化粧の様子が表されて、ハッとするようなみずみずしい句になります。清潔な色気、美しさが出てくると思いませんか。散文的でなくなって、俳句という詩になります。千鶴子さんの飾らない本質が出たいい句ですね」とのことでした。
【原】大漁旗の群れ抜けて富士初景色
見原万智子
↓
【改】初富士や大漁旗の群れを抜け
「“富士”と“初景色”が重なっているのを解消すると見違えるような佳い句になります。カラフルな旗の奥に白雪の富士が見えてきます。情景が鮮やかになると思いませんか」と問いかけました。
合評の後は、『俳壇』2019年1月号に掲載された恩田の「青女」30句(季 新年)を鑑賞しました。
絶壁の寒晴どんと来いと云ふ
よく枯れて小判の色になりゐたり
淡交をあの世この世に年暮るる
が多くの連衆に好まれました。
[後記]
新年の句会。「いのちを喜び合うのが新年の句である」と聞きました。その時々の季を十分に受けとめ味わい日々を喜びの深いものにすることを俳句を通して実現できたら、と思った時間でした。 次回兼題は、「水仙」と“寒”の付く季語です。(猪狩みき)
今回は、○入選1句、原石賞2句、△5句、ゝシルシ10句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。