
平成30年3月4日 樸句会報【第44号】 彌生三月第1回。少し窓を開け、春風を呼び込んでの句会です。
特選2句、入選2句、△3句、シルシ8句という実りゆたかな会でした。
兼題は「踏青」と「蒲公英」です。
特選句と入選句を紹介します。
(◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間
ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) ◎合格や不合格あり春一番
久保田利昭 ◎「ヤバイ」ほろ酔いの 掌(て)が触れ春ぞめく
萩倉 誠
(下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ)
〇蒲公英を跨ぎ花一匁かな
芹沢雄太郎
合評では、
「かわいらしい句。思い出かな?こういう句は大好きです」
「かわいい。“花一匁”にノスタルジアが感じられる」
「うまくまとまってはいる。“跨ぎ”がもっと能動的であれば採りましたが」
「あちこちに咲いているたんぽぽは“跨ぐ”には小さすぎませんか?子どもの歩幅と一致しないような気がして・・」
などの感想が述べられました。
恩田侑布子は、
「一読して、たんぽぽと花いちもんめは即きすぎかとも思った。でも花いちもんめの歌を思い出すと、“あの子がほしいあの子じゃわからん”と、浪のように手をつないで歌いながら、鮮やかな黄の蒲公英をひょいとまたぎ越す子どもの無邪気さが感じられた。子ども時代の余燼がまだ身のうちに残っていなければつくれない俳句。若草と蒲公英。その上にゆれる赤いスカートや半ズボンの戯れは春日の幸福感そのもの」
と講評しました。
〇犬矢来こえて行くべし猫の恋
林 彰 合評では、
「“犬矢来”ってなんですか」
「市内では見かけないですね。よく言葉を知っている作者ですね」
との質問や感想。
恩田侑布子は、
「“矢来”は遺らいであり、追い払う囲い。竹や丸たんぼを荒く縦横に組んでつくるもので“駒寄せ”と同義。犬のションベンよけ、埃よけともされ、最近は和風建築の装飾化している。この“犬矢来”という死語になりかけた措辞を活かした手柄。しかも犬なんかに負けるんじゃないぜ、猫の恋よ、の思いも入ったところに俳諧がある」
と講評しました。 投句の講評の中で、今回の兼題について例句の紹介と鑑賞が恩田侑布子からありました。 来し方に悔いなき青を踏みにけり
安住 敦
たんぽぽや長江濁るとこしなへ
山口青邨
蒲公英のかたさや海の日も一輪
中村草田男
[後記]
本日は「静岡マラソン」の日。走り終えたランナーたちとすれ違いましたが、みな爽やかな感じ。達成感・充実感があるのでしょう。句会のあとの連衆も同じような表情をしているのかもしれません。
次回兼題は「菜飯」と「“風”を入れた一句」です。
(山本正幸)
特選 合格や不合格あり春一番 久保田利昭 大方のひとにとって人生の始めの頃の喜び哀しみは受験にまつわることが多い。同じクラスでいつも軽口を叩きあっては笑いこけていた友人が、高校受験や大学受験で一朝にして合格者と不合格者の烙印を押されてしまう。それを春一番の吹き荒れる様に重ねた。この春一番はまさにこれから二番三番とかぎりなく展開する嵐の道のりを暗示する。それが合格やの「や」であり不合格「あり」である。が、いずれにせよまばゆさを増す春のきらめきのなかのこと。泣いても笑っても船出してゆく。さあこれからが本番だよと作者は懐深くエールを送る。
特選 「ヤバイ」ほろ酔いの 掌(て)が触れ春ぞめく
萩倉 誠 独白をうまく取り入れた冒険句。句跨りだが十七音に収めた。ほろ酔いの掌は思わずどこに触れたのか。手と手かしら?もしかしたら胸元にタッチ?「ヤバイ」。よこしまな関係になりそう。一瞬のたじろぎ、期待、春情。交錯する感情が生き生きと伝わってきて面白い。なんといっても座五の「春ぞめく」が出色。①群がり浮かれて騒ぐ。②遊郭をひやかして浮かれ歩く。の辞書にある語義に身体感覚が吹き込まれ、それこそザワザワ身内からうごめくよう。
(選句・鑑賞 恩田侑布子)

平成30年2月23日 樸句会報【第43号】 如月第2回の句会です。
投句の結果は、入選1句、△5句、シルシ6句。
兼題は「寒明」と「春炬燵」です。
入選は当季雑詠の句でした。
(◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間
ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) 〇冬桜スマホにこぼす想ひかな
萩倉 誠 この句を採ったのは恩田侑布子のみでした。
合評では、
「“こぼす想ひ”は技巧的だが、いかにも、という句」
「“冬桜”と“スマホ”の取り合わせはいい」
「最初は採った。“こぼす”は良かったけど、“想ひ”がチョット・・」
「高校生なら得意になってつくるような句」
といささか辛口批評も混じりました。
恩田侑布子は、
「斬新です。“こぼす”はいいと思う。“スマホ”という現代の流行アイテムを使った風俗俳句であるが、きわめてリリカル。スマホと冬桜の季語の取り合わせが秀逸。スマホの画面に指先で打つ一字一字がはらはらと花びらのように散っていく幻想。でも恋する人には読んでもらえないかもしれないという切ない心が感じられる。冬桜に実らぬ恋を象徴させた」
と講評し、「もし推敲するならば」と次のように添削しました。 冬桜スマホに想ひこぼしけり 「“想ひかな”だと片思いの気持ちに陶酔したままだが、こうすることによって淋しさが嫌味でなくなるのでは」
と問いかけました。
投句の講評の中で、今回の兼題について例句の紹介と鑑賞が恩田侑布子からありました。 川波の手がひらひらと寒明くる
飯田蛇笏
寒明けの日の光りつゝ水溜り
久保田万太郎
春炬燵あかりをつけてもらひけり
久保田万太郎
ぜいたくは今夜かぎりの春炬燵
久保田万太郎 [後記]
今回の句会で恩田侑布子が強調したのは、「ストーリー(あらすじ)を作ってはダメ」ということでした。物語的になってしまうと「余白」は生まれないとのことです。恩田の評論集『余白の祭』を再読したいと思います。
また、蛇笏の漢文脈と万太郎の和文脈を対比させての解説もとても興味深く聴いた筆者です。
次回兼題は「踏青」と「蒲公英」です。(山本正幸)

樸俳句会は毎月第1日曜、第4水曜日に開催しております。
日曜と水曜の午後のひとときを恩田侑布子と一緒に俳句を楽しみませんか?
新会員募集中です。平日お仕事や学業で忙しい若い方大歓迎!
句会は、投句作品の合評と恩田侑布子による講評のほか、名句鑑賞、注目の句集の紹介など多彩な内容です。
雰囲気は、なごやか、ほんわか、にこやか、のびやか、そして時に熱い!
楽しく自由な樸の仲間があなたを心よりお待ちしています。 【樸(あらき)俳句会】
日 時 毎月 第1日曜日・第4水曜日
13:30~16:30
会 場 静岡市葵区東草深町3−6 アイセル21
※ 月1回のみの参加も可能です。 ※入会はこちらにメールでお願いいたします。

おかげさまで、伊丹市での桂信子賞受賞記念講演に思いがけないご好評を頂き、「ぜひ東京でも」と黒田杏子先生(桂信子賞選考委員)よりお誘いを受け、以下のように藍生俳句会の皆さまのお力添えによって再演させていただく運びとなりました。
講演内容は、フランス3都市で好評を博した講演の東京初演となります。
お忙しいところ恐縮ですが、ご光来いただければ幸甚に存じます。
恩田侑布子 演題 「花と富士 日本の美と時間のパラドクス」
講師 恩田侑布子
俳句朗読と、パワーポイントによる講演
と き 平成30年4月8日(日) 15時〜16時半頃
ところ 文京シビックセンター3階 会議室
〒112-0003
東京都文京区春日1丁目16-21
東京メトロ後楽園駅・
丸ノ内線(4a・5番出口)
南北線(5番出口) 徒歩1分
都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線
(文京シビックセンター連絡口)
徒歩1分
JR総武線水道橋駅東口 徒歩9分
主 催 「藍生」俳句会(黒田杏子主宰)
聴講料 一般無料 ◯ おんだ・ゆうこ プロフィール
昭和31年静岡市生まれ。俳人・文芸評論家。2013年芸術評論『余白の祭』で第23回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。翌年1月パリ日本文化会館での記念講演「感情の華 恋と俳句」が好評を博す。同12月、パリ日本文化会館客員教授として再渡仏。コレージュ・ド・フランスでの講演「俳句・他者への開け」、リヨン第Ⅲ大学・エクスマルセイユ大学・パリ日本文化会館での講演「花の俳句 日本の美と時間のパラドクス」が熱く迎えられる。2016年度芸術選奨文部科学大臣賞を句集『夢洗ひ』で受賞。2017年現代俳句協会賞、2018年桂信子賞を受賞。他句集に『イワンの馬鹿の恋』『振り返る馬』『空塵秘抄』。「樸(あらき)」代表。現代俳句協会賞選考委員。日本文藝家協会会員、国際俳句交流協会会員。

平成30年2月11日 樸句会報【第42号】 如月第1回の句会。名古屋と市内から見学の男性お二人が見え、仲間のふえそうなうれしい春の予感です。
特選1句、入選3句、原石賞3句、シルシ5句でした。
兼題は「息白し」と「スケート」です。
特選句、入選句及び最高点句を紹介します。
(◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間
ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) ◎スケートの靴紐きりりすでに鳥
松井誠司
(下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ)
〇白息を残しランナースタートす
石原あゆみ 合評では、
「まさに冬のマラソンの情景。選手の意気込みが映し出されている。垢ぬけている句」
「息を残しておきながらランナーはスタートしている。対照の妙がある」
「句の中に短い時間的経過が感じられる。箱根駅伝の復路でしょうか。白息のある場所にもうランナーはいない」
との共感の声がきかれました。
恩田侑布子は、
「発見がある。白息だけがスタート地点に残った。白息を吐いた肉体の主はすでにレースの渦中に飲み込まれた。その瞬間のいのちのふしぎを表現しえた句。ただ句の後半すべてがカタカナになって、ランナーとスタートの境がなくなり緊張感がゆるむのが惜しまれる」
と講評しました。
〇群立ちてわれに飛礫や初雀
西垣 譲 この句を採ったのは恩田侑布子のみ。
恩田は
「作者が歩いてゆくと前方の群れ雀がおどろいて一斉にぱあっと飛び立った。一瞬、つぶてのように感じた。着ぶくれてのんびり歩いている自分に対して「もっときびきび生きよ」という励ましのように感じたのだ。新年になって初めてみる雀たちからいのちのシャワーを浴びた八十路の作者である。このままでも悪くないが“群れ立つてわれに飛礫や初雀”とするとさらに勢が増し、いちだんと臨場感がでるでしょう」
と講評しました。
【原】湯たんぽや三葉虫に似て古し
久保田利昭 本日の最高点句でした。
合評では、
「西東三鬼の“水枕ガバリと寒い海がある”の句を思い浮かべました。気持ち良く夢の世界に入りこめそう」
「時間が止まったようだ。また人もいないような感じがする。“古し”にアルカイックなものを感じた」
「素直な句。こねくり回しておらず、何の気取りもない」
「湯たんぽを使っているという“自嘲”もあるのでは?」
などの感想、意見が述べられました。
恩田侑布子は、
「感性と把握が素晴らしい。太古の生命の面白さが出ていて、“場外ホームラン”級の発見。ただし“古し”はよくない。芭蕉の言葉“言ひおほせて何かある”(『去来抄』)ですよ。言い過ぎで、意味の世界に引き戻してしまった。感性の世界のままでいてほしいのです。句は形容詞からそれこそ“古びて”いくのです」
と講評し、次のように添削しました。 三葉虫めく湯たんぽと寝まりけり
または
湯たんぽの三葉虫と共寝かな
〇重心の定まらぬ夜と鏡餅
芹沢雄太郎 合評では、
「定まらない心とどっしりした鏡餅との対比が面白い。“夜と”と並べず“夜や”と切ったらどうでしょう?」
「句から若さを感じました」
との感想がありました。
恩田侑布子は、
「自己の不安定さとどっしりと座った鏡餅との対比。“青春詠”のよさがある。“と”だから、揺れながら生きている実感がある。この不安感はみずみずしい。夜の闇のなかに鏡餅のほのぼのとした白さが浮き立つ。うつくしい頼りなさ。作者のこれからの可能性に期待するところ大です」
と講評しました。
投句の講評の中で、今回の兼題について例句の紹介と鑑賞が恩田侑布子からありました。 息白くはじまる源氏物語
恩田侑布子
この亀裂白息をもて飛べと云ふ
恩田侑布子
スケート場沃度丁幾の壜がある
山口誓子
スケートの濡れ刃携へ人妻よ
鷹羽狩行
[後記]
今年から始まった日曜句会の2回目です。新しい参加者を迎え、新鮮な解釈が聴かれました。
次回兼題は「春炬燵」と「寒明け」。春の季語です。(山本正幸) ※ 恩田侑布子は昨年の芸術選奨と現代俳句協会賞に続いて、この度第9回桂信子賞を受賞しました。1月28日の“柿衛文庫”における記念講演が好評を博し、4月8日に東京でアンコール講演が予定されています。
追ってHP上でお知らせします。
特選 スケートの靴紐きりりすでに鳥
松井誠司 フィギュアスケーターは氷上で鳥になる。まさに重力の桎梏を感じさせないジャンプと回転。それはスケート靴のひもをきりりと結んだ瞬間に約束されるという。白銀の世界にはばたく鳥の舞。その美しさを想像させてあますところがない。「すでに鳥」とした掉尾の着地が見事である。折しも冬季オリンピックの前夜。作者のふるさとは信州で、下駄スキーに励んだという。土俗的なスキー体験がかくもスマートな俳句になるとは驚かされる。体験の裏付けは句に力を与える。
(選句・鑑賞 恩田侑布子)

平成30年1月19日 樸句会報【第41号】 新年2回目の句会です。入選4句、△1句、シルシ3句、・3句という結果でした。
兼題は「新年の季語を使って」です。
なお、1月7日分は特選、入選いずれもなかったため句会報はお休みさせていただきました。
今回の入選句を紹介します。(◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間
ゝシルシ ・ シルシと無印の中間)
〇初詣卯杖確たる師の歩み
杉山雅子 合評では、
「難しい言葉を使った、格調のある句」
「共感します。元気な師匠と一緒に初詣に来た。おめでたい情景」
「先生の人となりまで想像される。頑固な怖い先生だったのかな?でもそういう先生こそ慕われる」
「書道や技藝の先生でしょうか?」
「俳優の笠智衆を思いました」
などの共感の声がありました。
恩田侑布子は、
「うづゑは、卯の杖、初卯杖ともいう新年の季語。元は、正月初卯の日に地面をたたいて悪鬼をはらう呪術的なもので、大舎人寮から天皇へ献上した杖というが、今は初卯に魔除として用いる杖で、柊・棗・梅・桃などで作る。大阪の住吉大社、伊勢神宮、賀茂神社、太宰府天満宮の祭儀が有名です。静岡ではあまり馴染みがない難しい季語を使って、格調のある新年詠になった。正月の挨拶句として素晴らしい。こんな一句を弟子からもらえたら、先生はさぞかし嬉しいでしょう。確たるというところ、地面を叩く呪術的な祈りがリアルに感じられる。畳み掛けた季語も讃仰の気持ちと取ればいいのでは」
と講評しました。
〇初茜山呼応して立ち上がる
杉山雅子 この句は恩田侑布子のみ採りました。
恩田侑布子は、
「作者は元朝の幽暗に身を置いているのでしょう。初日の出を今かいまかと待っている。東の空がうす茜に染まり始めたと思うと、背後の山々がまるで呼び合うようにして、闇の中から初茜に立体感をもって浮き上がってくる。元朝の厳かな時間が捉えられている。二句とも杉山雅子さんの俳句で気迫がある。昭和四年生まれでいらっしゃるのに素晴らしい気力の充実です。今年も益々お健やかにいい俳句が生まれますね」
と評しました。
作者のお住まいは山に囲まれていて、そこから竜爪山(りゅうそうざん)(静岡市葵区にある標高1000m程の山)に登る人や下ってくる人をよく見かけるそうです。
〇光ごと口に含みし初手水
石原あゆみ 本日の最高点句でした。
合評では、
「上五から中七への措辞がうまい」
「情景がよく分かる。初日が射してきた。輝く水を口に含んだ。すらりと詠んで嫌味がない」
「新年のおめでたい感じがよく出ている」
「光ごと杓子で汲んだところを捉え、快感さえ感じます」
「素直にできているが、類句がないだろうか」
「うまいがゆえに既視感がある」
との感想が聞かれました。
恩田侑布子は、
「元旦に神社へ初詣したのだろう。御手洗で手をゆすいだあと、口に含む清らかな水が、ひかりと一体に感じられた。その一瞬を捉えて淑気あふれる句。過不足なく上手い。あまり巧みなので、類句類想がないかちょっと心配。なければいいですね」
と講評しました。 〇婿殿と赤子をあてに年酒酌む
萩倉 誠 この句を採ったのは恩田侑布子のみ。
合評では、
「あまりにも幸せな光景。うらやましさが先に立ってしまって・・・(採れませんでした)」
「おめでたすぎるのでは?“孫俳句”の亜流のような気がする」
などの感想がありました。
恩田侑布子は、
「“あてに”が巧み。酒の肴、 つま(・・)にという意味。まことにめでたい光景。この世の春。“婿殿”の措辞にすこし照れがにじみかわいい。似た素材の句に、皆川盤水に〈年酒酌む赤子のつむり撫でながら〉がある。でも、こちらは婿殿と三者の関係なので違いますね。ちょっとごたついているので、“酌む”の動詞は省略したらどうでしょう。 →“婿殿と赤子をあてに年酒かな”でいいじゃないですか」
と評しました。 [後記]
本日配布されたプリントに恩田侑布子は次のように書いています。
「新年詠は、ふだんなかなか出来ない大らかな命や大地の讃歌を」
大方の連衆が納得する中で、「新年をおめでたく感じない人もいる。自分も強制されたくない」と異議が呈されました。このような“異論”が遠慮なく提出され、議論に発展していくのも樸句会の良いところではないでしょうか。
恩田は「『“新年詠”のない句集は物足りない』とある書店の社長さんがおっしゃっていました。人生は、悲しいこと、苦しいことのあることが常態ですが、“新年詠”が一句あると句集が豊かになり、拡がりを持ちます」と述べました。
次回兼題は、「息白し」「スケート」「新年雑詠」です。
※ 今回の句会報から通し番号を記すことといたします。(山本正幸)

樸俳句会代表の恩田侑布子が、俳句に出会った高校時代のことを「静中・静高関東同窓会会報」に寄稿していますので転載させていただきます。 (画像をクリックすると拡大します) 「静中・静高関東同窓会会報 平成29年12月15日 第84号」から転載

恩田侑布子さんの俳句朗読
川面忠男 角川の「俳句」1月号には恩田侑布子さんが昨年11月、東京・駒場の日本近代文学館で俳句を朗読したという記事も載っている。この朗読会は、恩田さんが同じ静岡高校出身ということから静高の関東同窓会報を編集している八牧浩行さん(時事通信社の元常務・編集局長)から案内をいただいて聴きに行った。近代文学館では「声のライブラリー」として朗読会を開いているが、俳句は初めての試みだという。
恩田さんが朗読した作品は第一句集「イワンの馬鹿の恋」から10句、第二句集「振り返る馬」から11句、第三句集「空塵秘抄」から10句、第四句集「夢洗ひ」から17句などだった。
「夢洗ひ」は第67回芸術選奨・文部科学大臣賞、2017年の現代俳句協会賞をそれぞれ受賞した作品である。
私が師事している長嶺千晶さんは俳人協会の幹事だが、現代俳句協会の会員でもある。そこで昨年末の句会で「恩田侑布子さんを知っていますか」と訊ねた。「よく知っていますよ。一緒に句会をしたこともあります」という返事。「恩田さんの俳句の朗読を聴きました」と言ったところ「どんな感じですか」と問われた。「切れ、というより間ですね」と答えた。
「夢洗ひ」からの最初に朗読したのは「しろがねの/露の揉みあふ三千大千世界」という句だった。恩田さんは「しろがねの―――」と言って間を置き、中7と下5に続けた。「三千大千世界」は「みちおほち」と読んだ。仏教用語で宇宙を意味するようだ。仏教や古典の知識がないとできない作品であろう。
3句目の「こないとこでなにいうてんねん/冬の沼」は上6、中8の破調だが、声に出して読まれると流れるように聞こえる。大阪弁が効いているのだろう。俳句は詩であり、理屈を言う必要はないが、私なりにイメージしたことがある。
「こないとこ」は「冬の沼」だが、私はこの句から大阪のある風景を思い出した。高1の時に在校した府立池田高校は阪急宝塚線石橋駅から北に向かった丘の上にある。昭和31年頃は下校の道から沼を越えた遠くに大阪大学の北校が見えた。沼のこちら側は冬、阪大の方が春というイメージだ。志望校は阪大ではなく京大だったが、淡い憧れで「紅燃ゆる丘の花」という旧制三高寮歌を歌いたかったのだ。しかし、春は遠いと感じ、事実そのようになった。「なにいうてんねん」という声が聞こえる。
7句目の「富士浮かせ草木蟲魚/初茜」は静岡育ちの恩田さんらしい作と感じたが、同じ静岡出身でもこうは詠めない。元日の朝日に輝く富士山は何度も見たが、草木蟲魚までは想起しなかった。草木蟲魚、つまり命あるものまで初茜を賛歌していると感じるのは非凡な詩人ならではのことだ。魚の一字で初茜に光る駿河湾までイメージする大きな景の句である。
10句目の「告げざる愛/地にこぼしつつ泉汲む」は、「泉汲む」という措辞が句に力を与えていると思った。「告げざる愛―――」と読み上げた時、テーマが愛であるとわかる。「地にこぼしつつ」でその愛が空しくなると知るが、直ぐに「泉汲む」と再び愛を求める心を詠んだと受けとめた。
この句から中村草田男の「終生まぶしきもの女人ぞと泉奏づ」という句を連想した。草田男には泉辺の句が他にもある。泉は愛が生まれたり再生したりといったことを象徴する言葉のように感じる。
「夢洗ひ」に続き最後は<ショパンの「雨だれ」CD・四句集ミックス>と題して8句を朗読した。2句目の「吊橋の真ん中で逢ふさくらの夜」はフランス語にも訳して読んだ。残念ながらフランス語がわからないので音楽のように聴いただけだ。6句目の「三つ編みの/髪の根つよし原爆忌」の朗読は終わると床に伏した。恩田さんの俳句の朗読は単に読むだけでなく声は緩急自在、身振り手振りの変化に富む。聴き手を楽しませるサービス精神の表れであろうか。
◇
この後、文化功労者となった高橋睦郎さんが自作の俳句を朗読、続いて詩人の伊藤比呂美さんの司会で恩田さんと高橋さんの対談になった。それらが終了した後、八牧さんが私を恩田さんに紹介してくれた。「私も静高から早稲田」、「そうですか!」と面識していただいた。そしてロビーで句集「夢洗ひ」(角川文化振興財団)と「振り返る馬」(思潮社)を買いサインしてもらった。
「夢洗ひ」の表紙裏には「ころがりし桃の中から東歌」、「振り返る馬」には「道なりに来なさい月の川なりに」とペン書きされた。
東歌は万葉集に載っている歌であろう。都の貴族ではなく東国の民衆の歌である。恋人や妻を想う歌、父母を慕う歌、労働の歌などだ。私が好きな東歌の一つが「父母も花にもがもや。草枕旅は行くとも 棒(ささ)ごて行かむ」。父母が花であってくれたら手に提げ持って行けるのに、と防人となる若者が筑紫に行く途中に親を偲ぶ歌である。「月の川なりに」は「来なさい」と言われ、行った先にどんな世界が現れるのか。そんなことを想像させる句である。
恩田さんから「樸(あらき)俳句会のHPをお手すきの時、ご覧ください。静高OBも数名いて、こじんまり楽しくやっております」というメールをいただいた。樸は静岡市の恩田さんが代表の俳句会だ。時々アクセスし選句と講評を読んでいる。楽しそうな会である。
(2018・1・14) 日本近代文学館における朗読会についてはこちら
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。