
樸俳句会ホームページは、開かれたHP俳誌として、会員にとどまらず、外からのご寄稿を歓迎しております。
今回は、代表・恩田侑布子の高校・大学の先輩でもある川面忠男氏がブログの転載をご了承くださいましたので、掲載させていただきます。川面様、厚くお礼申し上げます。 俳人・恩田侑布子さんのこと
川面忠男
俳人の恩田侑布子(おんだ・ゆうこ)さんが昨年はひときわ脚光を浴びた。朝日新聞の俳句時評を担当しているが、2017年は句集「夢洗ひ」で芸術選奨文部科学大臣賞、現代俳句協会賞を受賞したのだ。 恩田さんは静岡高校、早稲田大学の私の後輩になる。静岡高校の同窓会、「静中・静高関東同窓会」が会報を発行しているが、その「静中・静高関東同窓会会報」が昨年12月に送られてきた。その中に恩田さんの「俳句と出会った静高時代」と題した寄稿文が載っている。これを読んで私はいささか衝撃を受けた。 <昼休みの図書館でも、参考書に向かう先輩たちを尻目に、書架の『原始仏典』を読み耽っていた。蝋燭の火を吹き消す如しという「涅槃」と、生きているいのちの「刹那滅」とに悩み続けた。夜ごと、小説・哲学書・老荘から俳句へ、乱読書の密林はいたずらに繁りまさった。> こう述べて「身にしむや亡妻の櫛を閨に踏む」(蕪村)、「滞る血のかなしさを硝子に頒つ(林田紀音夫)、「会えば兄弟(はらから)ひぐらしの声林立す」(中村草田男)、「落葉踏んで人道念を全うす」(飯田蛇笏)の4句を挙げている。そして各句について感動の体験を語っている。草田男の句を例に見よう。 <「会えば」は、ストンと腹落ちした。川が大好きで、よく泳ぐ藁科川や笹間川の青い淵に、帰り際はひぐらしの声が降りそそいでいたから。生きながらえれば、いつか魂のはらからに逢える日が来るだろうか。浄福を告げたわたるまぼろしのひぐらしにあこがれた。> 私も授業が自由時間となる土曜日は図書室を利用したが、参考書に目を通すのが精いっぱいで、恩田さんのように文学の洗礼は受けなかった。
「静中・静高関東同窓会会報」の編集人である八牧浩行さんが私に恩田さんを紹介してくれたことから「月に5回の句会に出ています」などとメールを送り「素晴らしいですね。私は月に3回」などと返信をいただいたが、汗顔の至りである。詩人としての資質が劣ることは言うまでもないが、文学的体験の時間と量が圧倒的に少ない。これはどうやっても追いつかない。恩田さんを俳句の大先輩と思うことにしよう。 まず「俳句」1月号に載っている恩田さんの「切れ――他者への開け」と題した文章が参考になる。
<俳句の核心は、書かれていない余白にあります。余白を生むのはこの「切れ」です。(略)小論では、切れによって生じる余白が他者への大いなる開けであり、俳句という文芸の世界詩としての可能性であることを微力ながら提示したいと思います。>
それに続く文を繰り返し読んでいるところである。
(2018・1・13)

平成29年12月22日 樸句会報 本年最後の句会会場はいつもと違って小ぶりな会議室。至近距離での親密な熱い議論がかわされました。投句の評価は、特選1句あったものの、入選なし、原石賞1句、△1句、シルシ9句という結果でした。一年の疲れが出たのでしょうか?
兼題は「時雨」と「“石”を入れた句」です。
話題句を紹介します。
(◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間
ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) ◎「AI」と「考える人」漱石忌
久保田利昭
(下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ)
【原】石垣の滑らなりしや水洟や
藤田まゆみ
この句を採ったのは恩田侑布子のみでした。
恩田は、
「発想は面白く、表現が未だしの句。語順を変え切字を一つにすると、水洟を垂らす作者の今と、駿府城の四〇〇年の濠の歴史が対比され、作者のユニークな感性が生きるのでは」
と評し、次のように添削しました。
水洟や濠の石垣滑らなる
△しぐるるやマドンナを待つ同期会
山本正幸
この句を採ったのは男性ばかり。
合評では、
「情景が浮かぶ。ホテルの受付。気が付けば外は雨。そういえばあの〇〇ちゃんはどうしているだろう?今日は来るのか?雨の持つしっとり感と同期の女性への想いが一致した」
「同感!“しっとり感”ですよ」
「“しぐるる”は心の中のざわつきでもある。急に降ってくるのが時雨。彼女は昔のイメージと変わっているかなぁ。もしかしたら・・」
「待つときのもどかしさ、複雑な感情を詠った」
という感想の一方で、
「なんだか、全然ピンときません」
と女性の声(複数)もありました。
恩田侑布子は、
「まだ来ない人を待つ心情のしっとりとした感じはある。小さな喫茶店での会を思った。“同期会”が行われる百人単位の大きなホテルには“しぐるるや”は合わないのでは。きっと会場はビルの中でもう同期会は始まっているのだろう」
と講評しました。
ゝ石橋を冬日と渡り八雲の碑
森田 薫
本日の最高点句でした。
合評では、
「目に浮かぶ光景。“八雲館”のある焼津だろうか。詠われた自然と人名が合っている」
「中七の“冬日と渡り”の措辞がとてもいい」
との共感の一方で、
「句としてはよくできていると思う。しかし、八雲の碑と冬日が少しそぐわないのでは?」
「“あなたと渡り”ではいかが。私は“叩いて渡り”ますが(笑)」
「石橋と碑(いしぶみ)がくどいのではないか」
などの意見が述べられました。
恩田侑布子は、
「皆さんの鑑賞に同感です。石橋と碑がくどいという指摘はそのとおり。上五~中七はいい。しかし、下五が“八雲の碑”の必然性があるか?吟行の嘱目詠ならいいですが」
と評しました。 今回の兼題の「時雨」について、恩田侑布子は下記の句を紹介し、それぞれ解説をしました。 水にまだあをぞらのこるしぐれかな
久保田万太郎
一句一章の句。万太郎の和文脈です。「かな」の切れが実に美しい。 翠黛の時雨いよいよはなやかに
高野素十
しぐれの持つ“艶”を引き出した句です。京の翠黛山に降る時雨を詠ったものですが、王朝人の翠のまゆずみで描いた眉も奥に幻想され、下五の“はなやかに”が効いて名句になりました。 投句の合評と講評のあと、桂信子の俳句(『桂信子全句集』(1914~2004年) 60歳以降の作品から)を読みました。
共感の声が多くあがりました。「若い頃の“女性性”を前面に出した句よりも格段に良い」との評価も。「忘年や・・」の句に対する「モノではなく、ひとは心の中にいるのですね」との最年長会員の感想に一同大きくうなずきました。
特に点の集まったのは次の句でした。 たてよこに富士伸びてゐる夏野かな 大寒のここはなんにも置かぬ部屋 忘年や身ほとりのものすべて塵 闇のなか髪ふり乱す雛もあれ 冬滝の真上日のあと月通る 恩田侑布子は第一句集を出版した際、桂信子から評価の葉書をもらい、俳句のパーティーでもやさしく声をかけてもらったことがあるそうです。 [後記]
句会の冒頭、恩田侑布子から「このたび“桂信子賞”をいただくことになりました。句集『夢洗ひ』だけでなく、これまでの俳人としての歩みを評価されたことがとても嬉しいです。来月伊丹市の“柿衛文庫”での授賞式に出席し、記念講演を行います」との報告がありました。芸術選奨文部科学大臣賞、現代俳句協会賞に続く受賞で、実に喜ばしいことです。連衆から心よりのお祝いの言葉が述べられました。
(授賞式のご案内はこちらをご覧ください) 本日配布されたプリントに恩田侑布子は次のように書いています。
「見たマンマを詠むと説明的で即きすぎの句になります。月並ではない新しみある俳句を!」
どうしても発想が月並になってしまう筆者ですが、一気に新しさの高みにのぼる王道がない以上、コツコツ句作を続けようと思います。
次回兼題は、「“寒”を入れた句」「コート」です。
(山本正幸)
特選 「AI」と「考える人」漱石忌
久保田利昭 AI、考える人、漱石忌、三つの名詞が並列や直列の関係にないところが新しい。これはトライアングル構造の句である。もし〈AIと「考える人」漱石忌〉なら、三角構造は崩れて弱くなる。カギカッコで括られた「AI」は「考える人」同様、すでに存在として受けとめられている。ブロンズの「考える人」が覗き込むロダン(1840〜1917)の「地獄の門」は1900年前後の作という。漱石(1867〜1916)は ロダンより二十七も歳下だが、ロダンより一年早く四十九歳で卒した。ロダンの生存期間にすっぽり入るから、同時代の近代を象徴する彫刻家と文豪といえる。そう思うと切れは、〈「AI」と/「考える人」漱石忌〉になり、漱石のみ実在者と思えば、切れは、〈「AI」と「考える人」/漱石忌〉となる。人工知能とロダンの考える人を対比させ、漱石忌でうけとめた後者ととるのが自然だろう。とはいえ、切れの位置の変幻は読者を思弁に誘い込む。人工知能が近未来にかけて猛威を振るい世界の活動を根底から変えようとしている。その「AI」 と「考える人」を、漱石が双肩に受けて真面目な顔で考えて居る。漱石の胃に穴が空いたのは我執のもんだいであったが、今やartificial intelligenceが加わった。山本健吉は、俳句は認識を刻印する芸術であるといった。刻印というより認識の迷宮をそぞろ歩きし、あ、もういいやと、漱石の口髭を撫でたくなる句ではないか。
(選句/鑑賞 恩田侑布子)

樸俳句会代表の恩田侑布子が第9回桂信子賞を受賞することになりました。
「桂信子賞」は柿衛(かきもり)文庫(伊丹市)が主催する俳句賞で、優れた女性俳人に対して贈られるものです。
恩田は、芸術選奨文部科学大臣賞、現代俳句協会賞に続く受賞となります。
「句集『夢洗ひ』だけでなく、これまでの俳人としての歩みを評価されたことがとても嬉しいです」と恩田は述べています。
樸俳句会一同お祝いを申し上げます。 公益財団法人柿衞文庫HP
http://www.kakimori.jp/
(画像をクリックすると拡大します)

12月1回目の句会が行われました。
この日は句会終了後に樸俳句会の忘年会が開催されることもあってか、いつもに増して真面目な雰囲気の句会だったように感じました。今回の兼題は「落葉・霜・冬季雑詠」。久しぶりに特選句も出て、大いに盛り上がりました。
今回の入選句をご紹介します。
浮雲のどれも陰もつ一茶の忌
伊藤重之
合評では、
「俳句の形としてお手本のような句」
「一茶の幸福とは言えない人生が見えるよう」
「“陰もつ”を“陰もち”にした方が、切れが深くなるのではないか」
という意見が出ました。
恩田侑布子は、
「生涯辛酸を舐め続けながらも俳諧自由のこころを失わなかった俳人一茶への共感がある。浮雲は年中見られるけれど、“どれも陰もつ”という措辞に十一月の季感がただよい、肌寒さを感じさせる」
と講評しました。
落葉踏む堤の端にひとりかな
藤田まゆみ
恩田は、
「堤の突端 まで落葉を踏んでゆく。つくづく誰も居ないなと思う。作者の背後には落葉が記憶のように降り積もっている。孤独感とさみしさをうたって、嫌味や押し付けがましさのないところがいいじゃありませんか」
と講評しました。
リヤカーの塀に倒立石蕗の雨
森田 薫 合評では、
「絵として美しく情景が見えるようだが、リヤカーが立てかけてある情景を“倒立”とするところに少し違和感を持った。“塀に立てかけ”のほうが自然ではないか」
という意見が出ました。
恩田は、
「一枚の絵に完全になっている。内塀でしょう。ほとんど使わないかすでに使い手のいなくなったリヤカーが、広い元農家の敷地片隅の塀に立てかけてある。しずかに降る雨が過ぎ去った時間を慰撫するよう。日のひかりの薄い初冬の情景として出色」
と講評しました。 下記に掲載する特選句は、今回、恩田を含む参加者の約半分が点を入れるという最高得点句となりました。この特選句に関しては「“霜雫”という季語が、どんな情景を描いているか」というところで議論を呼びました。植物に降りた霜から溶け出した雫なのか、屋根にできた霜が垂れ落ちる様子か。たった二文字の言葉に語りつくせぬ情景が詰まっている豊かさに、言葉の持つ面白さを改めて噛みしめる時間となりました。次回の兼題は「時雨・石」です。(山田とも恵)
特選
霜雫この世の時間使ひきる
伊藤重之 霜雫は温かい静岡平野の市街地ではまず目にすることはない。わたしも四半世紀前にいまの山中に引っ越して、初めて厳寒の時期だけ見聞きするようになった。霜が降りる日は、明け方冷え込んでも日中はよく晴れる。冬晴れの下、山あいでは納屋などのトタン屋根から霜雫がかがやくように地に落ちる。それは朝霜の一面の厳しい白さとはまた別種の風情。どこかあの世の明るさもふくむ明るさ、ふしぎな時間である。すべてを昇華した末のような水滴が、寒気のゆるんだ日向に銀色のしずくを滴らせ、ときに水銀柱をおもわせる垂線を引く。静かで清らかな冬の真昼。愛するかけがえのないひとは、なすすべもなくこの世のいのちの火を使い切ってしまった。霜夜のような凍てつく時間、凍る思いの日 々のはてに、いま真っ青な冬晴れに見守られて大地にかえってゆく雫。泪のとけこんだ銀のかがやきがひとの一生に重なる。「霜雫」の季語の本意本情に一歩を付け加え得た俳句といえるのではなかろうか。
(選句/鑑賞 恩田侑布子)

恩田侑布子詞花集。今回は「もう居らず月光をさへぎりし父母」の句の鑑賞を柱として、折節に恩田が父母を詠った句を取り上げました。あわせて句作の背景にも言及しています。
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2018戸田書店オリジナルノートカレンダーに樸俳句会員の作品が掲載されています。
(戸田書店さんは静岡県静岡市に本店があり、全国に30店舗以上展開しています。ノートカレンダーは各店舗で無料で貰うことができます) (選・恩田侑布子)
1月 富士浮かせ草木虫魚初茜
恩田侑布子
2月 街路樹のまだ影薄き余寒かな
久保田利昭
3月 朝日入る一膳飯屋わかめ汁
佐藤宣雄
〃 割れ易き父の爪切る春の昼
森田 薫
4月 昼酒の蕎麦屋に長居柳の芽
伊藤重之
〃 妻と子は動物園へ春障子
西垣 譲
5月 仏間にも母の面影大牡丹
塚本敏正
〃 口笛を鋤きこむ父の夏畑
大井佐久矢
6月 風立ちて竹林にはか夏日影
松井誠司
7月 アリランの国まで架けよ虹の橋
杉山雅子
〃 パラソルを廻しつゝ約束の時
樋口千鶴子
8月 貝風鈴カウンセリング始まれり
山本正幸
9月 哲学を打ち消す夜半のすいつちよん
山田とも恵
10月 秋うらら窓に一列指人形
戸田聰子
11月 通されし仏間の脇のからすうり
藤田まゆみ
12月
ディラン問ふ 「How do you feel」(どんな気分)と枯野道
萩倉 誠
〃 鍋帽子かぶせて待つや大みそか
原木裕子

2018年(平成30年)から日曜日の句会を新設します。
新入会員募集中です。平日お仕事や学業で忙しい若い方大歓迎! ♡♡
樸(あらき)では、老若男女(30代~80代)の方々が、俳句を鑑賞し、句作を楽しんでいます。
句会の雰囲気は、なごやか、ほんわか、にこやか、のびやか、そして時に熱い!
楽しく自由な樸の仲間があなたをお待ちしています。♡♡ ☆ 日々の感動を五七五にのせて表現してみませんか。
☆ 恩田侑布子にあなたの句を鑑賞してもらいませんか。
☆ 恩田侑布子と一緒に名句を鑑賞しませんか。 樸(あらき)俳句会
日 時 毎月第1日曜日・第4水曜日
13:30~16:30
会 場 静岡市葵区東草深町3−6 アイセル21
※ 月1回のみの参加も可能です。 ※連絡先は、メニューボタンから「句会の開催日時と場所」をクリックして、連絡窓口をご覧ください。

11月2回目の句会が行われました。静岡市街は温暖な気候のせいか、ゆっくりと紅葉が進んでいるようです。
今回の兼題は「猪・鹿・柘榴」。人によっては食欲をそそる季語ですね。今回は色調豊かな入選句が4句出揃いました
〇秋夕焼文庫百冊売つて来し
山本正幸 合評では、
「サッパリした爽やかさと、淋しさが出ている。複雑な心理状況」
「百冊とは結構な量なので終活をイメージした。人生の過ぎゆく早さと秋の暮の早さを詠んでいるのでは」
「寺山修司の“売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき”の短歌を思い出した。百冊が効いている」
という意見の一方、「“秋夕焼”と“売って来し”が即きすぎではないか」という指摘も出ました。
恩田侑布子は
「百冊の文庫本に親しんだ思い出と未練が秋夕焼をさらに赤くする。スッキリしたようで切ない夕焼け。すこし墨色を帯びたさびしさ。はかなく色あせてゆく秋の夕日に、文庫本を一冊づつ買って読んだ長い歳月が反照される。青春性の火照りが残っていて、終活というよりも人生を更新したいという前向きさを感じる。古書との別れの季語として秋夕焼は動かないでしょう」
と講評しました。
〇仁王門潜れば老いし柘榴の木
佐藤宣雄 合評では、
「自分の原風景に老いた柘榴の木があるので、柘榴にホッとする気持ちがよみがえった」
「景がよく、中七の調べがよい」
「ただの写生句で、スナップ写真のよう」
「老いた柘榴の木じゃなくても成立する」というように、意見が二手に分かれました。
恩田は、
「一瞬に景が立ち上がる重厚な句。朱塗りと赤、茶と緑の色彩も美しい。仁王門を見つめてきた柘榴の長い歳月が感じられます。「老いし」の措辞に、実はつけていても、木のやつれが浮かび、悟り済ませぬ人間の歳月が裏に重なるよう。二重構造の俳句といっていいでしょう」
と講評しました。 〇敬老席どんと座つて運動会
西垣 譲 「なんでもないけど、なるほどなと思うこういう句が好き」
「俳句じゃなくて川柳じゃないか」
「いや、これは川柳じゃなくて一流の句」
と、軽妙に意見が交わされました。
恩田は、
「連合町内会の運動会の敬老席はたいてい見晴らしのいい場所にある。“どんと”がのさばっている感じで滑稽。が、その裏に、もう花形の徒競走など、イキのいい競技に参加できない一抹の淋しさもあります。俳味ゆたかな句です」
と講評しました。
〇兄の如し月命日に台風来
樋口千鶴子 合評では、
「はじめに“兄の如し”と言い切った。スピード感があり、どんなお兄さんだったかイメージできる」
「追慕の心情が出ている」
と感想がでました。
恩田は、
「上五字余りの重量感のある切れが出色です。お兄さんの死に切れぬ情念が台風になって吹きすさぶように感じた。『嵐が丘』のヒースクリフを思い出します。巧まざる倒置法も効果的です。作者は上手い俳句を作ろうとしたわけではなく、亡き兄の気持ちを慰めたい一心なのだと思います。それが図らずもこういう表現をとった。そこに俳句の懐の広さがあります」
と講評しました。 [後記]
句会が始まる前、その日に鑑賞する句が並ぶプリントが配布されます。その冒頭にいつの頃からか、恩田侑布子の叱咤激励文が掲載されています。今回は「ただごと俳句や報告句からいかに抜け出すかに配慮し、感動のある一句を!」と書かれていました。毎回この一文を読むと、座禅中に背後から鋭く警策を食らうような痛みとともに、心地よい緊張感が身を貫きます。いかにダラリと座っていたか気づく瞬間です。次回の兼題は「霜・霜除け・落葉」です。(山田とも恵)
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。