樸(あらき)俳句会 のすべての投稿

静岡を拠点とする、樸(あらき)俳句会です!

恩田侑布子詞花集 新年

fujiukase 20150913

恩田侑布子代表の作品を、季節にあわせて鑑賞していく「恩田侑布子詞花集」。 今回は共に句座を囲む山本正幸による、新年の句の鑑賞文をお届けいたします。 後半にはこの句との出会った講演会でのお話も。 句と出会い、それを咀嚼し、消化し、また新たな言葉に紡ぐ楽しさ。 これもまた俳句の楽しみ方ですね!       新年の詞花集   富士浮かせ草木虫魚初茜              恩田侑布子   富士浮かせ草木虫魚初茜 ...

12月16日 『夢洗ひ』樸俳句会出版祝賀会レポート

写真はイメージです

 12月2回目の句会が…と始まりたいところですが、今回は特別。いつもの句会はお休みし、代表・恩田侑布子の第四句集『夢洗ひ』の出版記念祝賀会を、ささやかながら句会参加者で開催しました。  当日は抜けるような冬青空の下、静岡市内の藁科川上流の手打ち蕎麦屋さんにて、季節の野菜をふんだんに使ったお料理に舌鼓を打ちました。  食事をしながら『夢洗ひ』のお気に入りの句を発表しあったり、参加者一人一人の句の傾向や変化など、普段の句会では話しきれない話題をじっくり話すことができました。  とはいえ、まじめな(?)樸俳句会。食事が終わると、前回の句会で提出した俳句のプリントが配布され、ペンとノートを取り出して出張俳句会が始まりました。兼題は「冬の月・湯冷め・綿虫」。時間の都合で今回は恩田の選句と講評のみでしたので、ここでは恩田が選んだ入選句と講評を掲載させていただきます。     出漁の航跡頒つ冬の月             杉山雅子   恩田:「頒つ」と「冬の月」の間に深い切れがある。画面構成が巧みであり、句のこころが通っている。出漁の航跡は左右に裂かれ開いていく。それを冬の月が皓々と照らしている。冬の自然の厳しさとともに、粛然とした、おごそかで気がひきしまるようなたたずまいがある。人の運命も感じさせる。     綿虫の指にとまりし一里塚             松井誠司   恩田:綿虫が止まった指を一里塚と詠んだところが面白い。孤独な静寂の中に決意が感じられる句である。     雨だれのイルミネーション落ちる嘘            山田とも恵   恩田:無季だが面白い。ぐっと焦点が豆電球に絞られ、美しくもないくたびれた都会のありふれたイルミネーションの赤や青の色に染まって、雨だれが落ちてゆくさまが浮かびあがる。現代の都会の虚飾、都会人の心象が描けた。うす汚れた風景が現実であることを突き付け、批判精神が詩になっている。      兼題の「湯冷め」は風呂から上がってからの時間経過と、寒さの両方の意味をすでに孕んでいるため、絶妙なセンスで使わないと“付き過ぎの句”になりやすいので難しかったという意見が出ました。使いづらい季語というのは作句力に負荷を与え力をつけてくれるので、「湯冷め」はまさに筋トレ季語ですね!  一年の最後にとても有意義な時間を過ごすことができました。来年もたくさん歩いて俳句を作りたいと思います。そして、このHPを通してより多くの方と俳句を楽しむことができれば幸いです。  2017年も樸俳句会をどうぞよろしくお願いいたします!(山田とも恵)

小説家・勝目梓先生による『夢洗ひ』書簡

今年8月に出版された代表・恩田侑布子の第四句集『夢洗ひ』。 樸俳句会でも句集から10句を選句し鑑賞をしあうなど、楽しんで読み込んでいます。 そんな折、小説家であり俳人でもある勝目梓先生から恩田宛に『夢洗ひ』の書簡が届きました。 勝目先生は、恩田を初句集『イワンの馬鹿の恋』から評価し、自身の俳句評論集『俳句の森を散歩する』(2004年小学館刊)に一章を設けてくださったという、 恩田にとって文学上の恩人だそうです。 長年文壇で表現活動を続ける勝目先生が、この句集をどのように鑑賞するのか? ご本人に快諾いただき、直筆のお手紙をHPに掲載させていただきます! =========

12月2日 句会報告

mizudori

師走となりましたが、静岡は穏やかな気候が続いています。 今回の兼題は「水鳥」「冬夕焼」です。駿府城址を囲む外堀と中堀でも何種類かの水鳥が見られます。 高点句や話題句などを紹介します。恩田侑布子特選句はありませんでした。 鴛鴦の二つの水輪重なりぬ             佐藤宣雄 「いかにも仲の良い鴛鴦(おしどり)の様子が目に浮かぶ」 「素直に詠っているところに惹かれた」などの感想が聞かれました。 恩田は、 「情景を素直に詠っているが、既視感があり鮮度がない。ということは類想があるということ。最近の皆さんの句は「省略」がなくなってきている。同義語が並び、くどくなっている。万人の共感を得やすい句は類想が多い」と、掲句を題材に会員の投句について少し厳しく?講評しました。     見舞客去りての疲れ冬夕焼             西垣 譲 「私も入院した経験があり、見舞客が帰るとホッとする」と共感の声がありました。 恩田は、 「気持ちはよく分かるが、言いすぎの句。中七の「疲れ」という語で迷惑した気持ちが出た。「疲れ」で答を言ってしまっており、詩がない。むしろ、どんな見舞客だったかを具体的に述べたほうがいい」と講評し、次のように添削しました。  見舞客三人の去り冬夕焼   「『三人の去り』で十分疲れたのが分かる。余韻が深くなりませんか」と問いかけました。     冬夕焼トランペットの木陰から            藤田まゆみ 恩田侑布子原石賞 「冬の夕焼に音があるとすればトランペットの音か。音の広がりと夕焼の広がりが重なって感じられた」 「こんな情景、ニニ・ロッソの曲にありましたね」 などの感想。 恩田は、 「言おうとした景色が絶妙で、冬夕焼の美しさが伝わる。しかし、画面構成が縮んでいく句だ。風景を大きくしたい」と講評し、次のように添削しました。  木立よりトランペットや冬夕焼 「推敲は景が大きくなるようにしたい。小さい詩形なればこそ、大景を詠むのが大事だ」と解説しました。     弱虫を冬夕焼が抱きくれぬ             杉山雅子 「夕焼を見ると悲しさがついてくる。喧嘩したのか?ころんだのか?傍に母親がいる。親子の姿を夕焼が包みこんでいる」 「気が弱い男の子ではないか?夕焼が抱いてくれるというところに甘い悲しみがあるが、そこを俳句としていいと思うかどうかだ」などの感想、意見。 恩田は、 「『抱きくれぬ』で甘さが出て、句柄を小さくしてしまったのではないか。もっと突き放したほうがいいと思う」と講評しました。     水鳥の果つるは水かはた空か             西垣 譲 恩田侑布子入選 「水鳥の終焉に思いを馳せた、単純化された用語が茫々とした水と空しかない光景をつくりだす。まさに浮寝鳥。答を読み手に委ねたところがいい」と講評しました。     [後記] 今回も談論風発、三時間があっという間に過ぎました。 句会で話題に上った正岡子規『獺祭書屋俳話・芭蕉雑談』(岩波文庫)を求めて、早速T書店に走った筆者でした。 次回の兼題は「師走(十二月)」「暖房」です。(山本正幸)

11月18日 句会報告

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11月2回目の句会が行われました。今回の兼題は「小春」「大根」。 今年は秋があっという間に過ぎ去り、冬を感じることが多くなりました。寝て起きれば葉っぱの色が変わるこの忙しい景色を、寒さに負けずじっくり楽しみたいものです。 さて、まずは今回の高得点句から。   情念衰へ小春の為体(ていたらく)            伊藤重之    「欲望渦巻く世界に嫌気がさし、穏やかに生活している。でもそんなんでいいのか!?と嘆く日もあるよね」 「“情念衰へ”なんて言いながら、決して達観してるわけでなく、現世に未練がありそうなところが良い」 「自嘲気味に言っているが、それを楽しんでもいる句だ」 という意見が出ました。  恩田侑布子からは「破調のように見せて、十七音になっているところが面白い。吐き捨てるような調べが内容と合っている。でも、情念は歳とともに衰えるものでしょうか?」と参加者に問いかけがありました。 「歳とともに衰えるものだ」と言う参加者が多いようでしたが、 「ある情念は鋭くなる」という意見もありました。 恩田は草間時彦の≪色欲もいまは大切柚子の花≫という句を挙げ、正反対の位置から同じ状況を詠んでいる、と続けました。  情念が衰えている人は俳句なんか作れないはずだ!とこっそり思う、情念まみれの筆者でありました。  さて、続いて話題句です。   にぎやかや大根形体品評会            久保田利昭 「楽しい句。お化けカボチャのように、変な格好をした大根のコンテストがあったんだろうか?」 「“大根”という季語が持つ、どこかおどけた面白さが出ている」 「調べ、歯切れがよく、内容と合っている」 というような意見が出ました。 恩田侑布子は「日常の何気ない会話から面白い言葉を発見することがあるので、アンテナを張っておくと自分では思いつかない句が生まれることがありますよ」と、作者の着眼点に拍手していました。  次回の兼題は「冬の月・綿虫・湯冷め」です。11月に東京に雪が積もったのは史上初だそうです。駆け足の速い今年の冬と並走するためにも、風邪などひいてられません!(山田とも恵)

俳句野あそび  句をつくるということ ・・・安定から不安定へ・・・

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 藤村の「初恋」の詩を愛唱したのは、いつのころだっただろうか。農作業の合間に三本鍬を傍らにおいて父がこの詩を口ずさむのを聞いたことがきっかけだった。七五調の調べは、心地よさを感じさせてくれる。幼少期を決して豊かでない農村で、少しだけ文学に興味を持っていた父のもとで育った私にとっては、七五調は、まさにゆりかごのようなものだった。口にして心地よく、気持ちが「安定」し全身が落ち着くのである。  しかし、数年前に「俳句」に出会い、初めて句を作ってみると、出来たものは安定の中にあり、切れや余白がまったくないものばかりなのである。つまり、説明的になってしまっているのだ。理屈ではなんとなくわかっているように感じてはいるが、いざ句を作ってみると散文調なものになってしまうのである。無意識のうちに俳句の持つ「不安定さ」にしり込みし、ブレーキをかける自分がいるのである。  たとえば、こんな句を作ったことがある。「菅笠や花野の中に見え隠れ」・・先生のご指摘は、菅笠と花野の中に、という言葉の中に「見え隠れ」する様子はふくまれているのだから、これは必要ない言葉である。このように説明的になるのは「心の中に渦まくような思い」がないからである・・とのこと。しかし、当の私にとっては「見え隠れ」としないと、なんともおぼつかなく、気持ちが安定しないのである。  俳句を学ぼうとしたのは、その道の専門家になろうとしたのでは勿論ない。これからの人生を少しでも心豊かに過ごしたいと思ってのことである。やや大げさに言うなら精神の高みを求めてのことである。しかし、自分のある部分を変えるということは、人間の「本性」に属するだけに、ややこしいことなのだ。野球のバットの振り方とか陸上の走り方とかいう「属性」に関することなら、練習次第で改善はできるが、その人そのものに関することは難しいものだ。  わずかでも安定さを打破し、自分自身のものの見方や感じ方などの「ささやかな変化」を求めて、俳句に向き合っていきたいと思う。それが、これからの時間を豊かにしてくれそうだから・・・。(文・松井誠司)

11月4日 句会報告と特選句

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秋晴の静岡市。折しも「大道芸ワールドカップ in 静岡 2016」が開催され、駿府城公園や繁華街など30か所以上でアーティストの妙技が披露されていました。 兼題は「団栗」と秋の季語の「・・寒」です。 高点句や話題句などを紹介していきましょう。 朝寒や佐渡への距離問ふ海の宿             松井誠司 恩田侑布子原石賞。 合評では、 「孤独な旅人の感じが出ている。しかし、”朝寒”が合わないのではないか。”朝寒し”のほうがいいと思う。」 「”朝寒”でいいだろう。朝起きたときに宿の人に問うたのである。」 恩田侑布子は、 「”朝寒”が効いていると思う。新潟平野、それも晩秋の海辺の光景が浮かぶ。中八の字余りを整理したい。 また、”海の宿”は説明過多で句が小さくなってしまった。」 と講評し、つぎのように添削しました。  朝寒や佐渡への距離を訊ける宿       団栗や三つ拾へば母の佇つ             伊藤重之 恩田侑布子入選。 恩田侑布子は、 「団栗を母と拾った遠い日が眼前に蘇る。調べもいい。 だが、”三つ”というのは寺山修司の句に「かくれんぼ三つかぞえて冬となる」もあり、やや作為が感じられる。作為を消すにはどうしたらいいか、が課題。」 と講評しました。 合評のあと、「秋の寒ささまざま-体性感覚の季語」と題して、14の句を例に、恩田侑布子からレクチャーがありました。 参加者の共感を呼んだ句は、 ひややかに人住める地の起伏あり  飯田蛇笏 野ざらしを心に風のしむ身かな   芭蕉 などでした。 恩田侑布子は、 身にしむや亡妻の櫛を閨に踏む   蕪村 について、高校時代にこの句から衝撃を受けた体験を語り、 「ここには詩的真実がある。自我の表現は近代以降だと言われているが、ヨーロッパの象徴派の詩人の感覚と比べても遜色がない。」 と評価しました。 [後記] 今回も盛り上がった句会でした。家族へのそれぞれの思いを託した句が多かったように思います。 蕪村を語った恩田侑布子ですが、その第四句集『夢洗ひ』にあるいくつかの句も、フランスの象徴派の詩と相通ずるものがあるのではないかと感じました。 次回の兼題は「水鳥(鴨、白鳥などでもよい)」「冬夕焼」です。(山本正幸) 特選    秋冷やライト鋭き対向車               久保田利昭  慣れっこになっている日常のひとこまを掬い取った良さ。 一義的には、対向車の白いヘッドライトに秋冷を感じた。何とも言えぬ突き刺さるものを感じたのである。二義的には、体性感覚を超えて、現代の文明を逆照射している。百年前まではあり得なかったこと。鋼鉄の車体に閉塞して、人 々 が冷たく擦れ違う現代をあぶり出している。一見すると目新しくはないが、揺るぎなく、切れ味鋭い手堅い句である。「秋冷」が動かない。「ライト鋭き」で、透き通るヘッドライトの無機質感が伝わってくる。 幼いころ祖父母の家に行くと、板壁に赤い提灯が畳んで架けられていた。油紙の手ざわりがやさしくて外して遊んだものだ。川端茅舎の句に「露散るや提灯の字のこんばんは」がある。提灯をかざして声を掛け合ってゆき合った夕闇からまだ百年も経っていないのに、なんと遠くに来てしまったことか。             (選評 恩田侑布子)

10月21日 句会報告と特選句

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 10月2回目の句会が行われました。今回の兼題は「花野」「運動会」でした。 「運動会」は昔、春の季語だったそうですが、現在は秋の季語です。しかし昨今熱中症対策などで春に運動会を行う学校も増えているので、あと数年したら春の季語に戻るかもしれない、ということが話題に上がりました。世相に影響される季語もあるのだと興味深く聞いていました。  また今回より、怪我をされ休まれていた話題豊富な長老(!?)が元気に復帰され、どこか沈んだ雰囲気の句会に活気が戻りうれしい日となりました! さて、今回の高得点句から。  父は砲兵  大陸の花野駆けたる足といふ            山本正幸 「大陸→花野→足とズームインしていくようでおもしろい。」 「“花野”が“戦争”と対比されていて、より残酷さが際立つ」 「カラー映像としてあまり残っていない戦争はどこかフィクションのようだが、花野という言葉が入ると鮮やかになり途端に生々しく感じる」 という意見が出る一方、 恩田侑布子からは「戦争に絡む句は伝えたいことを明瞭にしないと、意図しない形で取られてしまう危険性がある。」と指摘がありました。  恩田の指摘を受け、一同、句における戦争や時事問題の描き方を再考するいい機会となりました。    また、今回は説明過多の句が多かったと恩田より講評ありました。 「説明過多」というのは「自分の中に伝えたいことがそんなにない」時に生まれやすく、反対に「伝えたいことがたくさんある」場合は削っていく作業なので、自然と説明を省いていくので過多にはなりにくいということです。 例)陽を留む金木犀のしたの夜  山田とも恵(10月21日句会より) 上記の例句では、「金木犀のしたの夜」が余分で、いらない説明。推敲の余地あり。  次回の兼題は「小春日・大根」です。 いよいよ冬の季語の到来です。寒さに負けず、紅く染まる季節を楽しみたいと思います。(山田とも恵) 特選    鈴虫を貰いし夜の不眠かな               久保田利昭  なにげなくもらった鈴虫だったのに、ただ風流な声を聴こうと思っただけなのに。寝室の窓際に置いた虫籠から澄み切った音色がきこえる。うすい羽をこすり合わせて出しているとは思えない。その声に思わず引き込まれてゆく。思い出さなくてもいいことまで、ついつい糸を手繰るように思い出されてキリがない。なんと、すっかり夜明け近くになってしまった。一匹の鈴虫がもたらした心理のドラマは、人生行路の凝縮そのもののようであった。非常に実感がこもる句で、不眠が感染してしまいそう。          (選句・鑑賞 恩田侑布子)